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4月, 2019の投稿を表示しています

「Dr.T様_平成の置き土産」

「 ボイジャー 415 」 を注文しました。パドル等 多少変更しましたが、カヤックと浮力体 以外は、いま手元にあります。平成の置き土産です。店員さんの言うがまま、というのは有り難くもあり、怖くもあります 。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 TWEET「ただそれしきのこと」 です。

TWEET「平成を送る」

白洲正子『近江山河抄』講談社文芸文庫 ◇「近江路」 ◇「伊吹の荒ぶる神」 ◇ 前登志夫「人と作品  古国への相聞」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫 ◇「中世歌謡の世界」  大岡信 ◇「日本文化史の謎」   丸谷才一 ◇「 “人工日本語”の功罪」 桑原武夫 ◇「言葉の共同作業を尊ぶ心 解説・解題」  関川夏央 司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』(とんぼの本)新潮社 ◇ 「司馬遼太郎の近江散歩抄」 辰野勇『カヌー&カヤック入門 』山と溪谷社 ◆ 数日来  乱脈な読書に耽っている。乱雑ながらも、改元にともなう一連の宮中祭祀 を静粛な心もちでうけとめたい、と思っている。

TWEET「ただそれしきのこと」

 辰野勇『カヌー&カヤック入門 』山と溪谷社 が五日前に届き、 昨夕「モンベル 豊橋店」さんにカヤックを見にうかがいました。「モンベル ららぽーと名古屋みなとアクルス店」から応援に来られていた Kさんの懇切丁寧なご説明、また助言をお聞きし、疑問も晴れ、すべてを決めました。 ◆「 ボイジャー 415 」 軽快な運動性と、中~長期のキャンプ・ツーリングにも対応できる十分な積載能力を併せ持つ本格的な1人乗りツーリングカヤック。独自のデザインと高剛性のフレームにより、大量の荷物を積んでも軽快に漕げます。コックピットのコーミングは、分割式のハードタイプ(FRP製)を採用。スプレーカバーの装着も簡単・強固で、高い防水性能を誇ります。 ◆「 フローテーションバッグM フロント用 」 フロント(バウ)用の浮力体です。荷物を積んでいないときは、艇の空きスペースに入れておくと安全です。 ◆「 フローテーションバッグLL リア用 」 スターン(リア)用の浮力体です。荷物を積んでいないときは、艇の空きスペースに入れておくと安全です。 ◆ 「 アドベンチャーカモフラージュTAP 」 カモフラージュカラーの非対称ブレードを持つ、初心者にも扱いやすい、レクリエーショナルや1デイ・ツーリングに適したパドルです。 ◆ 「 パドルシャフトフロート 」 パドルシャフトの中央に装着して、水面上に放されたパドルに浮力を持たせるためのパッドです。カヤックを担ぐ際には、肩に当たるコックピットのコーミングにこのフロートを噛ませることによって肩への負担を軽減することができます。 ◆ 「 アングラー 」 運動性と機能性を兼ね備えた、カヤックフィッシングに最適なベストです。パドリング時の肩の動きを妨げないようにデザインされたアームホールは、キャスティングのしやすさにも貢献。浮力を落とすことなく背面フォーム下部をメッシュ地にすることで、背もたれの付いたシートとも干渉しにくくなっています。さらに、ピンオンリールが取り付けられるループやプライヤーホルダーを備えながらも、表面を引っ掛かりの少ないデザインに仕上げ、落水時の再上艇のしやすさにも配慮しています。 ◆ 「 ビルジポンプ 」 握りやすく滑りにくいグリップを採用し、上下両方のストロークで効率的に排水ができます。 琵琶湖の水面(みなも

TWEET「昨日の P教授」

「勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す」 また、 「時熟という彫琢」 以上、「昨日の P教授」でした。

TWEET「彫琢の人」

 今野真二『北原白秋 言葉の魔術師』岩波新書 「あわせて白秋は、推敲の人、彫啄(ちょうたく)の人でもあった。一つの言語化に満足することなく、何度でも推敲を重ね、そしてそれは長期間にわたった。」(「はじめに」ⅲ頁)  「推敲の人」,「彫琢の人」にして、 ◇『白秋全集 全巻39冊+別巻の全40巻』  岩波書店 とは、ただ瞠目するばかりです。 以下、 「北原白秋_言葉の音楽的生動」 です。

「拝復 P教授様_GW に事よせて」

世間に背を向けて、執筆活動がいいですね。 世間からそっぽを向かれて孤立無援、もなかなかのものですよ!! お便り、どうもありがとうございました。 すてきな GW をお過ごし来ださい。 FROM HONDA WITH LOVE.

白洲正子「山方の名人は」

「穴大(あのう)衆の石積 - 粟田万喜三」 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫  前に長命寺(ちょうめいじ)で、四畳敷ほどもある大きな石が山から落ちた時、沖の島(長命寺の北にある孤島)から来た六十歳くらいの山方がいて、石を見わけることにかけては名人であった。そのままでは動かせないので、割ることになったが、彼は何日も黙って石を見ているだけで、仕事にかからない。石には必ず目があって、その目にそって切らないと、道具をはねつけてしまう。それ程この大きな石の目は複雑だったのであろう。山方が見つづけていたのは、石に問いかけていたので、答えを得ると、割ることはたやすい。だから上手な人の玄能は、(よく割れるので)いつまでもへらないが、下手が使うと忽(たちま)ち駄目になる。むつかしいのはあくまでも石を見わける眼であって、今は機械を使うから、実際の仕事の方は二の次だといった。(34-35頁) 「たくみ」と呼ばれるほどの人の話はおもしろく、参考になる。名人は手を汚さない、ということか。

白洲正子「近江は日本の楽屋裏」

「笠置寺」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 石があったから石仏を造った。 それでは少しも答えにはなるまい。 そこには仏教以前からの 石の信仰があり、 仏教と結びつくことによって 花開いたのであろう。 現に笠置の磨崖仏などは、 明らかに巨石信仰の形を遺しており、 道のべの石地蔵も、仏というより さいの神のような姿をしている。 (『道』「春日(はるひ)の春日(かすが)の国」)(53頁) 「石塔寺」 「司馬遼太郎の近江散歩抄」 司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』(とんぼの本)新潮社 「石塔寺にゆけば、近江がわかる」  というのが、「上代以来、近江に住んでいる」という草津在の友人我孫子(あびこ)元治氏の説であった。どうわかるのか、このながい石段をのぼりつめてみねばわからない。途中で、なんどか息がきれた。 (中略)  最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては、私は生涯わすれることができないだろう。  頂上は、三百坪ほどの平坦地である。まわりにも松がはえている。その中央に基座をおいてぬっと立っている巨石の構造物は、三重の塔であるとはいえ、塔などというものではなく、朝鮮人そのものの抽象化された姿がそこに立っているようである。朝鮮風のカンムリをかぶり、面長扁平(へんぺい)の相貌を天に曝(さら)しつつ白い麻の上衣を着、白い麻の朝鮮袴をはいた背の高い五十男が、凝然としてこの異国の丘に立っているようである。 「なんのためにこんな山の上にこんな塔があるのだろう」  と、同行のたれかが気味わるそうにつぶやいたが、これはこの方面のどういう専門家にも答えられぬことであった。巨石の積みあげによる構造上の技法は、あきらかに古代朝鮮のものだそうである。  ーーこの近所の帰化人がやったことです。  と、たまたま頂上にのぼってきたこの寺の坊さんがいった。この丘の付近は、八日市にしろ日野にしろ、上代帰化人の大集落のあったところである。かれらが、故郷をなつかしむあまり、この山の上にこのような巨石をひきあげ(どういう工夫でひきあげたか、謎である)、それをどういう技法かで積みあげ、いかにも擬人的な石塔を組みあげて半島をしのぶよすがにしたのであろう。

池上彰,佐藤優「新テストを前向きに評価する、稀有な人間」

前略 P教授様  昨日 Amazon より届いた、 ◇ 池上彰,佐藤優『教育激変 ー  2020年 大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』 中公新書ラクレ を、つい今しがた読み終えました。教育界の一隅に位置する者として、との思いから求めたものです。途中で、デニーズに場所を移しました。日がな一日、ひとり部屋に閉じこもっていると、やり切れなくなる時間帯があります。  まんざらでもなく、血気盛んなお二人のこととて、当書でも精力的ですが、勢いあまって、牽強付会といった箇所も散見されました。 池上  私たちは、この世界にいて新テストを前向きに評価する、稀有な人間だと自覚しています。(笑)(209頁)  教職に就かれている方たちには、ぜひ一読をお薦めいたします。見晴らしがよくなります。二時間ほどの読書です。   草々  

TWEET「茫洋茫洋」

 「ボーヨー、ボーヨー。前途茫洋」とは真理であり、「自信がある」と言い、「自信がない」と言うも、「自信などという」つまらないものは、いつも「ケチ臭い」。中原中也の口をついて出ることばと小林秀雄の呼応は、そのままに一編の詩である。  心身は一如であり、処することのできない「悲しみ」を内奥に宿し、「悲しみ」に絡めとられるままに生涯をおくった、「生まれ乍らの詩人」の「肉体」は、虚弱だったことは想像に難くない。心のままに、あまりにも無防備だった中原中也の「肉体」は、さまざまな病態を呈したことだろう。「汚れつちまつた悲しみ」を映した「肉体」を、目のあたりにすることは「辛い」ことだった。天与の才は、先天的な体質と道連れだったことを思うと複雑である。 以下、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」 です。

「穀雨の三日後に_合間をぬって」

 「大和は 国のまほろば たたなづく 青垣山ごもれる 大和し 美し」  次回の「合間をぬって」は、聖林寺の十一面観音菩薩像です。そして、『天平の甍』を望むこと。  地図を見て遊んでいます。 「聖林寺から観音堂へ」 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 はじめて聖林寺をおとずれたのは、昭和七、八年のことである。当時は今とちがって、便利な参考書も案内書もなく、和辻哲郎氏の『古寺巡礼』が唯一の頼りであった。写真は飛鳥園の先代、小川晴暘氏が担当していた。特に聖林寺の十一面観音は美しく、「流るる如く自由な、さうして均衡を失わない、快いリズムを投げかけてゐる」という和辻氏の描写を、そのまま絵にしたような作品であった。聖林寺へ行ったのは、それを見て間もなくの事だったと記憶している。 (中略) お寺へ行けばわかると思い、爪先上りに登って行くと、ささやかなお堂につき当った。門前には美しいしだれ桜が、今を盛りと咲き乱れていた。  案内を乞うと、年とったお坊さまが出て来られた。十一面観音を拝観したいというと、黙って本堂の方へ連れて行って下さる。本堂といっても、ふつうの座敷を直したもので、暗闇の中に、大きな白いお地蔵さんが、座っていた。「これが本尊だから、お参り下さい」といわれ、拝んでいる間に、お坊さまは雨戸をあけてくださった。さしこんで来るほのかな光の中に、浮び出た観音の姿を私は忘れることが出来ない。それは今この世に生まれ出たという感じに、ゆらめきながら現れたのであった。その後何回も見ているのに、あの感動は二度と味えない。世の中にこんな美しいものがあるのかと、私はただ茫然とみとれていた。(7-8頁) 白洲正子の叙事、叙情、情景描写には、やはり見入ってしまう。 以下、 「穀雨の二日後に_合間をぬって」 「今年はじめての文庫本です。井上靖『天平の甍』です」 「『天平の甍』に仮託したもの」 です。

TWEET「P教授より_朝から」

「『書くことが出来なければ、この世に用は無い』谷崎(潤一郎) 『(松本)清張は、時代に呼ばれた作家である』森村(誠一)  朝から強烈です。」 朝から鮮烈です。 朝から清冽です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「穀雨の二日後に_合間をぬって」

  GW 中には、父の介護(といえば大げさですが)の手すきの時間、観光客でごった返す時間帯を避け、明恵上人をしのんで 栂尾・高山寺へ、また湖北に位置する渡岸寺の観音さまを拝観しようと考えています。  あわよくば、観光船で竹生島へ、とも思っています。  旅程といえばこれしきのことで、頼りなく、とはいつものことです。

「井筒俊彦_いまなぜ岩波文庫なのか」

 今年に入って、岩波文庫から、井筒俊彦の著作が続けて刊行されていることを、昨日知った。  私の手元にある何冊かの、 『井筒俊彦全集』慶應義塾大学出版会   と重複している著作ばかりで、不思議に思っている。 「いまなぜ岩波文庫なのか」。  出版社(書店)の見識、出版人としての矜持ということを思った。 ときに無欲という欲も無心という心さえ障りのある世界の出来事、といえばほめ過ぎか。 2019/02/15 ◇ 井筒俊彦『神秘哲学』岩波文庫(2019/02/15) 東洋思想の概念・枠組を大きく変え,日本,世界の思想界に反響を起した井筒俊彦(1914─93)の初期の代表作である.ソクラテス以前の哲人達から,プラトン,アリストテレス,プロティノスへと続くギリシアの精神史を,人知を超えた絶対的真理「自然神秘主義」の展開として捉える.ギリシアを通して東洋思想の深層に踏み込む. 2019/03/15 ◇  井筒俊彦『意味の深みへ』岩波文庫 「精神的東洋」をありかを求めて,仏教唯識論,空海密教,老荘思想,イスラーム神秘主義,現代思想のデリダ,ソシュールを自在に論じた著作.著者は,意識の深層領域に拡がる意識,言語の発生源となる場を「コトバ」を名づける.「コトバ」を基軸とする思惟が東洋思想の本質であることが,次々に解明される.井筒に応答したデリダの小論文(丸山圭三郎訳)を併載. 2019/5/17(予約受付中) ◇  井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス:東洋哲学のために』岩波文庫(2019/5/17) 東洋思想の諸伝統に共通する根源的思惟の元型を探り, 東洋哲学の可能性を探求する. イスラーム, 禅仏教, 老荘思想, 華厳経を時間論, 存在論, 意識論として読み解く. 末尾に司馬遼太郎との生前最後の対談を併載. 岩波文庫の行方に、注目している。

TWEET「十七日の月明に」

 十七日の月夜です。空は厚い雲におおわれ、月明かりこそ見えませんが、想像することはできます。    子規逝(ゆ)くや十七日の月明(げつめい)に 「と、(高浜)虚子が口ずさんだのは、」「子規が死んだ」「明治三十五年九月十九日の午前一時」を少し回った頃のことだった。空には、「十七夜の月があかあかと」かかっていた。(司馬遼太郎『坂の上の雲(三)』文春文庫、26-29頁)  虚子の句を知ってからというもの、「十七日の月明」ばかりが気になります。 下記、 TWEET「頓挫する」 です。

TWEET「何をしてもしなくても」

祖父が逝き、祖母が亡くなった際に、 「何をしてもしなくても、後悔する」 と口ずさんだ叔母が逝き、従兄弟にそのことを伝えた。大切なことのように思えたので、伝えた。

TWEET 「初夏の陽気と聞けば」

  初夏の陽気と聞けば、なるほど初夏の陽気で、その先の梅雨入りが気になり、盛夏が苦になる。  巡礼と思えば、なるほどそれは白洲正子の巡礼の旅で、一歩一歩が身心の脱落と知れば、生きとし生けるもの皆遊行の途上にあることを知る。 以上、簡単に、 「白洲正子が愛した日本人 美の旅人 西行と明恵」 の感想でした。 下記、 白洲正子「明恵上人」_ まとめて 「白洲正子『西行』新潮文庫_まとめて」 「小林秀雄『西行』_この空前の内省家」 です。

「前略 Dr.T様_西行編です」

  2018/12/22 に再放送され、 録画し、そのままになっていた、 「白洲正子が愛した日本人 美の旅人 西行と明恵」 を途中まで、一時間あまり見ました。  ナレーションに聞き入り、気がつけば、白洲正子の文章だ、といった場面ばかりが目につきましたが、思えば、白洲正子の文章の確かさ故のことと、納得しました。  座談につきまとう緊張感は、時にやりきれませんでしたが、いよいよ佳境です。  明恵上人をしのんで、改元前に高山寺とも思っております。 続きを楽しみにしています。 その節には、ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「拝復 Dr.T様_NHK の心意気」 です。 下記、 白洲正子「明恵上人」_ まとめて 「白洲正子『西行』新潮文庫_まとめて」 「小林秀雄『西行』_この空前の内省家」 です。

「拝復 P教授様_手抜かりなく」

おはようございます。 Amazon にて書評を読み、早速、「解説」を拝読させていただきました。「学術論文」ですね。「解説」に一編の「学術論文」を求める映画とは、すべてにおいて抜かりなく、といった意気込みを感じています。 「いの一番」、どうもありがとうございました。 次回も「いの一番」で、お願いいたします。 朝からの創作活動に、脱帽しています。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「山笑う」

 湿原へと向かう林間につけられた小径は、幾度となく通(かよ)った道である。この先どれほど歩けば赦されるのだろう。そんなとりとめもないことを思いながら向かった。  視界が開け、見ると、新緑に彩られ、綾なす山々が笑っていた。笑われるままに、たたずんでいた。

TWEET「いまはものを思わざりけり」

 小林秀雄、白洲正子、井筒俊彦、司馬遼太郎、大野晋、中井久夫、…。先週末から、ブログを読み返しています。貴重な時間を過ごしています。寝食を忘れて、「食」を忘れ、「読」は「食」に優っています。  「昔はものを思ひけり」という感慨を抱いています。  図らずも、電子書籍です。 「書生っぽの読書」 を続けます。

TWEET「矢面に立たされる」

 叔母の逝去とそれに伴なう一連の送葬の流れのなかに身をおき、親族から、「本家の長男」といわれ、矢面に立たされることが多く、困惑している。「本家の長男」とは、逃げ口上、と理解している。  「本家の長男」は不甲斐なく、とは真意であるが、逃げ口上が真意を駆逐するとは、なんという転倒。      読み書き算盤、ともにいたらず、世事に紛れず行方をくらます必要を感じている。

白洲正子「なんという転倒、なんという気宇_再掲です」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社 この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁) 花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、なんという転倒、なんという気宇。飛び抜けていて、すてきです。

アナウンス「朝デジ・スペシャル 平成人語」

「平成」が終わろうとしています。 朝日新聞デジタルでは、平成の30年余を看板コラムの天声人語100本で振り返る特集「平成人語」をオープンしまし た。 天声人語が、重大ニュースとどう向き合ったのか。当時の紙面イメージや、歴史的瞬間をとらえた写真とともに、ご覧いただけます。ご自身の歩みと重ね合わせながら、来たる新時代に思いをはせてはいかがでしょうか。 詳細はこちら  半生あまりを「平成」とともに歩んできたことを知らされた。思えば「平成の人」だった。 「美し国そあきづ島大和の国は」。これを機に日本回帰です。

TWEET「煙越しに見た月」

目と鼻の先にある豊麻神社の祭礼では、手筒花火が奉納された。立ち上る煙ばかりを目で追っていた。煙越しに見る、天頂近くにあった上弦の月は赤く、妖光を放っていた。神がかっていた。

TWEET「祭祀の心なく」

今日と明日は、目と鼻の先にある豊麻神社の祭礼です。祭祀の心なく、儀礼は流行らず、さびれるばかりです。時折 太鼓を打つ音が聞こえ、時を告げる号砲が虚しく響き、晴れも褻もなく、 ただ時は過ぎゆくばかりです。

TWEET「令和」の「令」の字

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 以来ずっと、「令和」の「令」の字に違和感を覚えてきた。「令」の字はデザインされた文字で、教科書体(小学校の教科書で使われている、筆で書いた楷書体にちかいもの)が正解だとばかり思っていた。検索すると、字体(フォント)の違いではなく書体の相違であって、どちらでもかまわない、ということであった。  これだけ大きく宣伝されれば、教科書体は見る影もなく、「明朝体に近い書体」で書かれる機会が圧倒的に多くなることは想像に難くない。そして、教科書体の「れい」の字と、「明朝体に近い書体」の「れい」の字とを、異なる漢字だと誤る人たちが、少なからず出てくることも、また当然の成り行きである。  字体の違いではなく書体の相違ならばなんの不自由もなく、私は書きやすい教科書体の「れい」の字を使うことにする。小学生並みがいい、ということである。 「菅義偉官房長官が会見で掲げた「令和」は明朝体に近い書体だった(Wikipediaより)」 「書家 石飛博光さんによる書。東京・銀座の和光本館1階ショーウインドウにお披露目された「新元号の書」(教科書体)にはたくさんの人だかりができていた」 以下、 「令和の「令」,正しい書き方とは? 書道界「字体の第一人者」に真相を書いてもらった」 です。

倉本聰「役者とタレントの違い」

「第11章 店に入ったら壁を背にして座る」 倉本聰, 碓井広義『ドラマへの遺言』新潮新書  「役者とタレントの違いってどこだっていうことをうちの塾生たちにも言うんですけどね、タレントっていうのは喫茶店に入っても自分の顔を隠して壁に向かって座るんです。  自分の顔を客に見せない。役者はね、 壁を背にして店の中を観察してますよ。  僕も絶対に壁際に座って客を見てますね。そうしないと人の生態ってものが分かんないでしょ? 観察するのが、見るのが役者であって、見られるのがタレントなんです」(213頁)  誰からも見られず 誰も見えず、閑とした席が好みです。ただし、聞きづてならない話には耳をそばだてています。一番の雑音は、アルバイト店員・パート店員同士のおしゃべりです。ファーストフード店では季節を問わず花盛りです。ときには店長自らが率先して、という椿事もあります。あいにく花見をする趣味はもち合わせておらず、さっさと席を立つことにしています。  ホワイトボードの横の壁に向かって授業をしています。真横を向き、子どもたちからすれば、一本の線と化し、最も子どもたちの眼に障らない立ち位置が心地よく、もし子どもたちと眼が合おうものなら大変です。この頃では、正座をして背中を丸めて、という姿勢も多くなりました。タレントもなく、役者志願でもなく、改悛の意思なく、進展なく、日陰者であり続けたい、と思っています。

倉本聰「老いを隠さない名女優たち」

「第10章 夢の鍵を忘れるな」 倉本聰, 碓井広義『ドラマへの遺言』新潮新書 (碓井)確かに平原(綾香)の『明日』を聴くとドラマの中の大竹しのぶが目に浮かぶ。彼女は最初から死者なのだが、寺尾(聰)にはその姿が見えるし会話もできる。大竹でないとできない役柄だった。 「しのぶはうまいですからねえ。僕の〈うまい女優ベスト3〉です。倍賞(千恵子)さんと(いしだ)あゆみちゃん、そしてしのぶ。まあ、八千草(薫)さんという別格がいますけどね。あの3人はやっぱりちょっとたまらない演技をするなあ」 (中略)  「それから映画『駅 STATION』(81年)ですね。倍賞さん抜群でした。ロケ現場にも行ったけど、なんて綺麗になっちゃったんだろうって思いましたね。倍賞さんやあゆみちゃんは、老いを隠そうとも消そうともしない初めての日本の女優だと思うんです。アメリカにはキャサリン・ヘプバーン、ジェーン・フォンダとかいるんですけどね。  よく〈男の顔は履歴書、女の顔は請求書〉だなんて言いますよね[大宅壮一の言葉]。ところがね、女の顔もまた履歴書なんです。だから日本の女優は老けても、昔の若くて綺麗だった頃を保とうとする。厚塗りしちゃうんです。涙を流しても、マスカラを溶かしながら厚塗りの中を流れてくるっていう感じなんですね。  でも、ジェーン・フォンダやキャサリン・ヘプバーン、日本ではあゆみちゃんとか倍賞さんは、涙がちゃんと小じわを通って流れるんですよ。それがすごい。自分の人生が丸ごと見えてくることを、隠しもせずに平気でやれるっていう意識がすごいなあと思いますよね」(193-194頁)

「『北の国から』_リアルを支えるもの」

「第7章 都会で競ってる知識なんてなんの役にも立たない」 倉本聰, 碓井広義『ドラマへの遺言』新潮新書 「廃屋でのロケは、外は寒いから自分の出番が終わるたびに建物の中で暖をとるんですが、(いしだ)あゆみちゃんだけは表に立ってるんですよ。他の役者が “入りなよ” って言っても、 “私は4キロの道のりを歩いてきたって設定だから体を凍らせます” と。邦さん(田中邦衛)たちがすごく驚いてね。それから(『北の国から』の撮影)現場の雰囲気がずいぶん変わりましたよ」  いしだあゆみの取り組み方、まるで高倉健である。 (135頁) 「真冬の富良野ロケも本当に寒かった。特にあの年の冬は連日マイナス二十何度で。カメラやライトのコネクション部分が凍っちゃう。自分たちはこういう寒さの中での暮らしを描いてるんだってことが次第に分かってきて、みんな本気にならざるを得なくなった。  とはいえ、純や蛍は子供だったわけですよ。夜、蛍(中嶋朋子)を膝の上に乗っけて抱えてやると寒さもあってすぐ寝ちゃった。純(吉岡秀隆)なんかは “杉田(成道) 死ね! 倉本死ね!”って台本の裏に書いてました。(笑い)」 (中略) 「リアルでしたね。今なら児童虐待もいいとこですよ(笑い)」(136-137頁)

この時期にこそ、「数学ワンダーランド_正の数・負の数のたし算・ひき算」再掲です。

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「負の数って何のため?」(9-10頁) 小島寛之『高校への数学 数学ワンダーランド』東京出版 まずはじめに、「3-8」を、「3ひく8」という数式としてみるのではなく、(+3)と(-8)という2つの数字として、とらえていることを確認してください。 (+3)(+8) (+3)(-8) (-3)(+8) (-3)(-8) という、とらえ方しています。  「正の数・負の数のたし算・ひき算」 「3. 中和して消えるイメージ」               まさに、「ワンダーランド」です。私の手元にある『高校への数学 数学ワンダーランド』は、H7/11/30 に出版された初版本です。小島寛之氏の発明には、H8/04/01 の開塾以来ずっとお世話になっています。明解です。すてきです。「正の数・負の数の加法・減法」の理解のはかどらない子どもたちが案外います。はじめの一歩からつまずくのはあまりにも酷です。一人でも多くの先生方の、子どもたちの、また中学校の数学に関わる方たちの目にとまることを願ってやみません。 追記: ちなみに、私は、プラスの電気を帯びたシャボン玉とマイナスの電気を帯びたシャボン玉が、ひきあって「こわれて消え」る、と説明しています。

TWEET「読むあてもなく」

 読むあてもなく 昨日、 ◇ 倉本聰, 碓井広義『ドラマへの遺言』新潮新書(2019/02/20 発行) を買った。   拾い読みをしていると面白く、微熱を帯びている自分を感じている。しかし、熱に浮かされるには、年を取りすぎたという思いも抱いている 。 「僕(倉本聰)は、チャップリンの〈人生はクローズアップで見れば 悲劇、ロングショットで見れば喜劇〉という言葉が喜劇の本質だと思っているんですよね。」(27頁) 私たちは、 悲喜劇という表裏を生きる、道化にすぎないということだろう。過度の喜び、行きすぎた悲しみは、気の毒であり、身の毒である。

TWEET「買ってはみたものの」

昨朝、P教授に、 ◇ 倉本聰「やすらぎの刻〜道」 が、放送されることを知らせていただき、そしていま、書店にて、 ◇ 倉本聰, 碓井広義『ドラマへの遺言』新潮新書(2019/02/20 発行) を、購入し帰宅しましたが、「倉本聰 熱」はすっかり冷め、冷えきったいま、買ってはみたものの、と戸惑うばかりです。

「拝復 Dr.T様_返礼です」

(晴れて、今日誕生日を迎えたものの)58歳なのか、59歳なのか定かでなく、数えました。 1歳 得をした気分ですが、これを機に、還暦までの2年間の過ごし方を考えます。 早々のご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:老化は、私も、日々進行中です。

TWEET「アホらし!!」

○○○○ 様 非は一方的に私にあり、という構図ですね。謝罪のひと言もなく、この通知はまるで脅迫状ですね。慇懃無礼。主客が転倒していませんか。ここまで不愉快な思いをしたのは、はじめてのことです。 本多勇夫 ○○○○ 様  貴君の、高圧的、威圧的態度は犯罪行為に近く、最後に「厚顔無恥」とだけ申し上げておきます。これが「大岩保険事務所」さんの手口、やり口、体質、実力ということなんでしょうか。    邪魔立てはさせません。  所長さんにその旨、よろしくお伝えしてくださいませ。 本多勇夫 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。(337頁) 「ざっくばらん」とは、前後なく、節度なく、見境なく、ということなのでしょう。 「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりです。

「春の湿原を行く_ハルリンドウ」

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 16時 駐車場着。車が少なく意外だった。  花期をむかえたハルリンドウが、木道わきに点在していた。処処にショウジョウバカマの花が咲き、タチツボスミレの花が見頃だった。いまにも涸れそうな、心もとない水たまりには、アズマヒキガエルのオタマジャクシが身を寄せ合うようにして蠢めいていた。時折、コゲラのドラミングの音が聞こえた。 ◇ THE NORTH FACE「シャトルデイパックスリム K」 を意味もなく背負い、一昨日届いたばかりの、季節はずれの、 ◇ THE NORTH FACE「バーブパンツ UN」 をはいての、40分あまりの湿原行だった。  清々した。  帰路、西の曇り空には満月さながらの陽がかかっていた。 「ハルリンドウ」 「ショウジョウバカマ」

TWEET「背をむけて」

 叔母の訃報に接してから九日 経ち、その間 空白の時間を過ごしています。疲れもあって、ぼうっとしています。  なにをするともなく、ただ過去のブログを眺めています。背をむけて、ということです。故きを温ねて、といった殊勝な気持ちは持ち合わせておらず、ただ正対するのは恥ずかしくてやりきれない、というだけのことです。

「清明の日の翌日に」

 明らかで、清々しく、常にそうありたいと願っているが、きまって横槍が入る。「とかくに人の世は住みにくい」。いっそ、「住みにくい」「人の世」と明らめ、清々しく、と思えども、面白くなく、漱石先生の述懐 通りと明らめ、諦めるばかりである。

「H君へ_慶祝!ご入学!!」

「慶祝!ご入学!!」 ご入学おめでとうございます。 札幌南高校の、はちゃめちゃな式典も捨て難いところですが、アカデミックな入学式もいいですよね。 TIT での青春、存分に謳歌してください。 新天地で気苦労も多いことと拝察いたします。くれぐれもご自愛ください。 また。 お母さんによろしくお伝えしてください。 当地は快晴です。桜が満開です。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 「慶祝!慶賀!!」  英語での式辞とは、驚きました。学長自らが範を垂れる、ということなんでしょうが、学長にとっては御難な時代の到来ですね。  20% が留学生なんですね。早稲田は、創立150 周年に向けて、20% という数字を掲げていますが、完全に遅れをとっていますね。勉強しない日本人学生は顧みず、ということですね。  自身のグローバル化、楽しみにしています。TIT でよかった、という 4年間、6年間、または 9年間であってほしいと思っています。  叔母が、03/30 の朝方 亡くなり、今日 葬儀でした。明後日の三日七日の法要で、一段落つきます。今日で五日になります。その間に季節はめぐり、すべては滞り、一人すっかり置いてきぼりを食った格好です。 返信が遅れ、申し訳なく思っています。 豊橋に招待する時期を見計らっています。その際には、日本語で、ということにさせてくだい。 では、では。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「柿の葉が開き、桜が満開です」

 一昨日の朝方、叔母の訃報に接し、以降 忙しなく、落ち着きを欠き、すっかり迷子になってしまいました。時空の感覚が希薄で、陽炎のように揺らめいています。沈潜する所だけは誤らないように、と気をつけています。  願わくば、夢幻であってほしいと思う、エイプリルフールの年始めです。  柿の葉が開き、桜が満開です。