「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫
「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」


 大江 独りぽっちで考えるのではなく、グループでものを考える。対話をする。(中略)また、どんな悲惨な状況にいても、グループを通じての話し合い、対話というものはユーモアを生じるもののようですね。(後略)
 司馬 (前略)ユーモアというものは、松陰、子規両方に共通していたと思います。
    大江 若いグループの中に入りこんで語りかけて、対話を通じてものごとを明らかにしていく上で、彼らのユーモアが生じてくる、というように思われます。(138-139頁)

 司馬 (前略)教育の場でユーモアのない人は、やっぱり教育をするのに向かないし、される方も、ユーモア感覚のある人間が教育されやすいかも知れませんね。(140頁)

 司馬 人格がある姿として記憶に残るのは、やっぱり温度のあるユーモアが介在する場合が多いんでしょうね。
 大江 そうじゃないでしょうか。現代の作家で世界中でいちばん教育的なのはサルトルだったと思います、(中略)
 彼は死ぬまで若い人をいつまでも、教育したいと思っているんですね。そして彼は、自分は生まれてこの方、人に対して、微笑しながらでなければ命令することはできなかったと書いています。子どものときから、笑いながらでなければ何かをしようと言えなかったと言っているんですが、その通りだろうと思います。
 そして、正岡子規にしても吉田松陰にしても、やはり笑いながら、微笑しながら命令するタイプだったんじゃないかと、僕にはそういう気がします。
 司馬 それは共通しているようですね。(141-142頁)