夏目漱石「どこか悲しい音がする」
先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。
呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。
(中略)
前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁)
下記、
山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全)
です。
下記、
山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全)
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