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6月, 2017の投稿を表示しています

TWEET「眼鏡のレンズは数千円です」

 複数の眼鏡のないことに不安を感じます。眼鏡が好きということもあります。  今春、はじめて「中近」の老眼鏡をつくりました。自宅内は、この眼鏡一つで間にあっています。「近」と「近近」、「遠近」の眼鏡をかけかえる煩わしさから解放されました。予想だにしなかった書店内でも大活躍しています。 今日、 「伊藤光学工業株式会社」 内の直営店、 「めがねのエフ・バイ・ジー」 さんで、「中近」の眼鏡をあつらえてきました。度はいまのレンズと同じものです。畏友 小林宜央さんに教えていただき、 同行していただきました。 単純に値段だけを比較すれば、前回は、 3,6000円 今回は、 1,1960円 です。単焦点レンズではないので、少々お値段が張ります。 「眼鏡のレンズの原価は、ただにちかい」という声も耳にしました。眼鏡レンズ市場はいったいどうなっているのでしょうか、想像もつきません。七夕の日にできあがります。愛用のフレームに「中近」のレンズの入った眼鏡でなにをみようか、なにがみえるのか、と楽しみにしております。 「中近」の老眼鏡を一つもつことを強くお薦めいたします。いたって便利です。新聞とテレビの往復が可能な「中近」の眼鏡を、父も重宝がっています。 下記、 「『スティーブ・ジョブズ』ごっこのはじまりです」

TWEET「雑味をおぼえる」

白洲正子『名人は危うきに遊ぶ』新潮社 を拾い読みしています。本書は、昭和五十七年から平成七年に書かれた、三十六編の随筆群からなっています。 玉石混淆。白洲正子の文章に雑味を覚えたのは、はじめてのことで戸惑っています。白洲正子の修養時代に出会い、少々あわてています。

TWEET「道徳の教科化について思う」

小学校では 2018 年度から、中学校では 2019 年度から「道徳」の教科化がはじまります。 学生時代、教職課程で、 岡村遼司(早稲田大学・教育学部教授)先生から、「道徳は教えられない」ことを徹底的に叩き込まれました。テキストは、パスカルの『パンセ』でした。 今回、小中学校で教科化されるという「道徳」とは、非常に浅薄な意味での「道徳」です。おざなりの、間にあわせの「道徳」にすぎません。 浅薄で、おざなりで、間にあわせのものに、子どもたちは敏感です。浅薄なものをあてがえば、子どもたちはそっぽを向きます。 私はいまでも、「道徳は教えられない」と固く信じております。 人が人を「教える」という欺瞞、人が人を「指導する」という傲慢。先生方が、 軽はずみにも、 「教える」「指導する」という言葉を口にしなくなれば、教育現場はずいぶん改善されること と思っております。言葉は体をなします。

アナウンス「工事中です」

工事中につき、お見苦しい姿をさらしています。いましばらくのご寛恕のほど、よろしくお願い申し上げます。

TWEET「残るのは知識の断片ばかりです」

所得の格差と教育格差の相関関係は否定することはできませんが、「塾にいく、いかない」、「塾にいける、いけない」ことが、教育格差の一因になっていることを知ったときには、少なからず驚きました。塾云々の要因は、自学自習をすることさえいとわなければ、解消する問題です。 他人(ひと)の手を借り、手っ取り早く、簡単に、という勉強をいくら続けても、後に残るのは知識の断片ばかりです。 小林秀雄は、 「わかる」ということと、「苦労する」ということは同じ意味なんです。 と、 『小林秀雄講演 本居宣長 新潮CD 第3巻』の中でいっています。 「近代批評の神様」のことばに、間違いがあるはずはありません。

TWEET「転ばぬ先の杖はつかないという決意」

小・中・高、大学生をも含めて、現在の学習塾、予備校、専門学校通いは異常です。一人では勉強できないと思いこんでいる時代、 一人では勉強できないと思わされているこの ご時世を嘆かわしく思っております。「転ばぬ先の杖はつかない」と、かたく心に決めることの大切さを思います。いつも教えてくれる誰かが隣にいないと勉強できない、というのはまやかしです。さびしすぎます。

「拝復 P教授様_折込広告顛末記 その三です」

慶祝!慶賀!! インタビュー記事の新聞へのご掲載。 1983年総選挙。喧騒の冬を懐かしく思い出しております。 入塾生の四人中三人は、知人のお孫さんです。もう一人の女の子は、三人のうちの一人のお母さんからのご紹介です。チラシの集客力はゼロと考えています。 第二(一学期末)テストのまっただ中です。四人の子どもたちが、それぞれてんでの時期に入塾してきたために、すべての授業が一対一の個別授業です。さらには、昨年度改訂された教科書に目が通っていないための自転車操業とあいまって疲弊しています。消耗しています。 2017/06/18 にチラシをいれ、いきなりのあわただしさのままに時を過ごし、望んでいた生活時間の改善の兆しもなく、いまにいたっています。とはいえ、時給千数百円、ネクタイ着用という、うさんくさい時間給講師に身をやつすよりは、はるかにまじめです。 公教育とそれを取り巻く教育界の浄化と再生。犠牲になるのはいつもきまって子どもたちです。百年河清を俟つ思いを抱いています。子どもたちの衰微は、日本の衰退です。 ご帰省、ご堪能ください。 お便り、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「私淑のすゝめ」

私淑しやすい時代になりました。 「三つのリンゴ、そして四つ目のリンゴ」 梅田望夫,茂木健一郎『フューチャリスト宣言』ちくま新書  2007/05/08  初版( 39 頁) 梅田 アダムとイブのリンゴ、次はニュートンのリンゴ、アップルは三つ目。 (中略) 梅田 それで、自分たちは世界を変えると、彼らは言うんですよね。アップル初期の全盛時代といまのグーグルってかなり似ていると思う。若い人たちは「世界を変えるのは自分たちだ」と興奮していて、それははったりではない。マッキントッシュはPCの世界を変えたでしょう。いまから思えば、グーグルの変えた世界はもっとスケールが大きいけれど、でも当時のコンピューティング・リソースから考えたときのアップルのイノベーションというのも瞠目すべきものだった。 若き天才たちの意気込みと熱による創造。インターネットの環境が整備されたいまほど、私淑しやすいときはありません。 ひきこもりを自認する私にとって、また門戸をたたき教えを請うのにためらいを感じる私にとっては、またとない時節です。と同時に、探せば表現できる場が容易にみつかるいまの時代はすてきです。 早速私淑先をみつけ、私淑してください。居ながらにして学ぶことができます。 心ある人たちは先へ先へと歩を進めています。

「二日遅れの夏至の日に思う」

気象庁からは、今年の東海地方の梅雨入りは、「2017/06/07 ごろ」との発表がありましたが、その後梅雨らしい天気の日は数えるほどしかなく、毎日のように夏空が広がり、変更されるのは必至のことと思われます。 昨年の冬至の日から早半年。地球は太陽の周りをおよそ半周し、季節は巡り、その間(かん)私はといえば、高校入試をなんとかのりきり、塾をたたみ、「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやき ー」の 活字化を終え、途中では乾燥肌によるかゆみに七転八倒し、折込広告を入れ、性懲りもなく塾を再開し、いま定期テストを目前に、あわただしい毎日を送っています。 地球の自転による昼夜、公転による春夏秋冬、その時々刻々の移ろいを味わう余裕のない生活は、悲しくもあり、寂しくもあります。地球は、私の想像もできないすてきな時を刻んでいるはずです。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 (32頁)  「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」ー「本居宣長」より また、P教授より 「我々、50代には『明日』はあっても、『明後日は無い』と肝に銘じるべきです。」 「(何かをなすには)年齢も味方。残された時間の少なさの自覚こそが最高の先生です。」 「最高の先生」は終始無言ですが、ある日突然審判を下す怖い先生でもあります。いったん塾をたたみ、恥ずかしげもなく再開し、同じ地平に降り立ったわけですが、同じ轍を踏むのはごめんです。違う舞を舞うことを考えます。

「拝復 Dr.T 様_折込広告顛末記 その二です」

ブログをアップしてから、推敲するのが常態化しています。その時々には、いつも決定稿なのですが、時間をおくとアラがみえてきます。恥をさらしています。作文はやっかいですが、そこに面白みもあります。 四人中三人は、知人のお孫さんです。もう一人の子は、三人のうちの一人のお母さんからのご紹介です。いまだご来塾されていません。来週の月曜日から第二テスト(一学期末テスト)です。いきなりのあわただしさに、あわてています。 玉石混淆です。いつものこととあきらめています。 N さんの合格、信じています。 お忙しい時間を割かれましてのご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Nさんへ_果報寝て待っています」

いよいよ成果の発揮できるときが近づいてきましたね。 収穫の時節ですね。 臆することなく、気負うことなく、楽しんできてください。 寒冷な釧路の地でのこと、くれぐれもご自愛ください。 貴重なお時間を割かれましてのご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 果報、寝て待っています。 GOOD LICK! FROM HONDA WITH LOVE.

「拝啓 P教授様_折込広告顛末記 その一です」

2017/06/18(日)の中日新聞に、 「塾・ひのくるま」 の折込広告を 3200部入れました。 当日には、中一生の一人の男の子のお母さんから、また今日は中一生の一人の女の子のお母さんから、お電話をいただきました。 広告が功を奏してというよりも、口コミでといった感を強く抱いています。私たちは、美辞麗句で飾りたてられた、 きらびやかな広告を疑う習慣が身についています。私は、なるべく嘘を書かないようにと、慎重に言葉を選びましたが、その真偽のほどが読者の方々に伝わるべくもなく、何人かの方たちに、その存在を知っていただければそれで十分です。小林秀雄の「陸沈」に触れていただければ幸甚の至りです。 Google で検索すると、 「塾・ひのくるま」のHP と同一ページに表示されるブログ「塾・ひのくるま  / 折々の記」の閲覧数が、昨日ははね上がっていましたので、「塾・ひのくるま」のHP の閲覧もそこそこあったのだろうと想像しています。 やはり、口コミだけが頼りです。大仰なことは私の柄ではありませんし、意味があるとはとても思えません。こと子どもの教育に関しては、保護者の方たちは一生懸命です。賢い消費者であろうと努めていらっしゃいますが、私の目からみますと、学習塾(進学塾)また保護者の方々、双方とも不可解なことが多くあることもまた確かなことです。 To be continued.

「拝啓 Nさんへ_祈!ご健闘!!」

いざ、出陣のときがせまってきま したね。 気合いを入れて! 自分を信じて!! 前だけを見て!!! 勝ちにいきましょう!!!! GOOD LUCK! FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

「拝復 P教授様_体に先手を打つこと」

受診後、今マクドナルドにいます。毎日教科書ばかり読んでいます。無味乾燥、索漠とした教科書とのおつき合いはたいへんです。消耗します。 体を雑にあつかっています。いずれこっぴどいめにあいそうです。これを機に「体に先手を打つこと」、体をいたわることを考えます。 有り難いお言葉を頂戴し、光栄に思っております。 すてきな週末をお過ごしください。 また、時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝啓 P教授様 折込広告を発送しました」

一昨日「富士デン材」さんにコピー機のメンテナンスをしていただき、チラシを3200枚コピーしました。思ったほど時間もかからず、コピー機も音をあげることなく、首尾よく作業を終えました。そして、昨日豊橋の「中日折込」さんに、2017/06/18(日)の中日新聞に、チラシを入れていただくようにお願いしてきました。 以下、 「塾・ひのくるま_折込広告_決定稿」 です。 はじめてのことです。何名の入塾希望者からの連絡があるのか、あるいはないのか、楽しみにしています。焦燥感や悲壮感は、まったくありません。そのかわりには、期待もしていません。成り行きを静観しています。楽しんでいます。娯楽の範疇の出来事です。余興です。戯れていどのことです。 では、では。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「北海道に早い夏の到来です。『札幌南高等学校 野球部の皆さん方へ』です」

三年生最後の夏に向けて団結するのが、札幌南高校 野球部の強さだと心得ています。 最後の夏を制するのが、札幌南だと信じています。 夏に期待しています。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

「拝復 P教授様_小林秀雄『では美は信用であるか。そうである』」

 「『では美は信用であるか。そうである』と小林秀雄はいっていますが、この “信用”は、目から血を吐く思いで会得したものでないかぎり、単なるレトリックで終わってしまいます。  天才は、考えるヒントをあたえてくれますが、理解する存在ではないと、 改めて実感したしだいです。」 おはようございます。 「真贋」 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 「では美は信用であるか。そうである。」 (233頁) 容易には近づけない、すごみを感じています。 切るか、切られるかの、真剣勝負の世界ですね。私は、小林秀雄の語る「美」を「信用」しています。 以下、 青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫(55-56頁) です。 昨夜、三か月ぶりに授業をしました。中二生の男の子との一対一の授業です。授業後にはそれなりの満足感があり、危険です。用心してかかります。 お便りどうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! FROM HONDA WITH LOVE.

「夜もすがら、如何せん」

十六夜の月が煌々と照っています。 その姿は孤り高く、神々しくさえあります。 「山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ」明恵上人の歌です。 今夜は月との友好関係が無事結ばれました。 およそ一時間後に南中します。 名月や池をめぐりて夜もすがら /芭蕉 「名月」とは「中秋の名月」をさすとのことですが。 如何せん如何せん。夜もすがら、如何せん。「名月」をいただいて、如何せん。

「拝復 Nさんへ_大きな大きな愛をこめて」

「拝復 釧路市在住の Nさんへ_大きな大きな愛をこめて」 今の時季ストーブをつけてのご勉学とは、いったいどこの国のおとぎ話なのでしょうか? 豊橋は日中 晴れれば、真夏です。若い子たちは、もう夏の格好をしています。そろそろ僕も、Nさんからいただいた、「侍Tシャツ」と「プーマのハーフパンツ」を着替えようか、どうかと、だいぶ出遅れています。 お父さんとの知床、楽しみですね。どんな旅路になるのでしょうか。お父さんに、たくさんおねだりして、贅を尽くした旅行にしてください。 北北海道大会(高校野球)は、15日に抽選会、25日から札幌支部大会がはじまります。組み合わせが UP されしだい、ご連絡いたします。Hは怪我の完治を待たずに、無理をして練習しているようです。北海道の早すぎる夏です。 ぜひ、ご来豊ください。父も喜ぶこと受け合いです。今までのお子様ランチのようなおもてなしではなく、女性に対して失礼のないおもてなしをと思っております。歓待いたします。 貴重なお時間を割かれての、ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY! GOOD LUCK ! FROM HONDA WITH THE BIGGEST LOVE.

「六日遅れの芒種の日に思う」

「芒種は稲や麦などの種。種播きの時期」とあります。 また、「芒」は「稲などの穀物の実の先端にある針状の突起。のぎ」と記されています。 昨夜は、満月でした。深更 南の空に高くかかる月を「友とせむ」ことを望んでいましたが、あいにくにも厚い雲におおわれて、友情は成立しませんでした。 「山のはにわれもいりなむ月もいれよなよな(表記は「くの字点」です)ごとにまた友とせむ」 明恵上人の歌です。 patagonia の「ウェブアウトレット」に 「メンズ・バック・ステップ・シャツ」 Owens: Navy Blue を注文しました。私が選んだ この夏のベストアイテムです。 patagonia の「ウェブアウトレット」では、2017/06/08 から SALE が行なわれています。夏の終わりです。秋、冬の到来もまじかです。南半球に位置しているかの ような錯覚にとらわれます。  梅雨入りもまじかです。螢狩を楽しみにしています。立ち入り禁止、釣り禁止のP池での螢の観賞です。勝手知ったる池です。フェンスとガードレールのすき間をすり抜け、法の網をかいくぐっての、一人きりの「螢観賞の夕べ」です。 最近では警察が頻繁に巡回しており、厄介 なことにならないことを祈るばかりです。正義を盾に、ものをいう方々にはかないません。「ご一緒に、いかがですか」ともいえず、ただ謝るばかりです。  情趣と決まりごと、私はまごうことなく情趣を選びます。

「拝啓 Nさんへ_ラストランですね」

教員採用試験の15日前ですね。  ラストランですね。 ウィニングラン目指して駆けぬけてください。

「拝復 P教授様_感電し失神寸前です.」

「非常に健全な広告です。 早稲田(大学)文学部、坪内(逍遥)先生の系譜にある会津八一先生の 学規を思い出しました。 その中に「日々真面目あるべし」とあり、山本薩夫監督へと 引き継がれました。 本多塾の創塾、ほんものですね。 Pに勝る陸チンなし。」 身にあまる、すぎたお言葉をいただき、光栄に思っております。恐縮の極みです。心してかかります。 昨夕、中二生の男の子のお母さんからお電話をいただきました。 知人のお孫さんです。 中一,二生 合わせて、昨年改訂された教科書 十冊に目を通さなければなりません。下線をひきながら、書き込みをしながらの作業です。場合によっては、プリント類も書きかえなければならず、結構な時間がかかりそうです。 P教授からいただいたたいへんなお言葉にしびれ、失神寸前です。 ウィニングラン目指して、駆けぬけてください。 早朝からのたいそうなご感想、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「印字率5%」

コピー機のメンテナンスに来ていただいた際に、「印字率5%」という言葉をおうかがいし、驚きました。こんな程度なのでしょうか。ちなみに私の使用しているトナーカートリッジは、およそ一万枚のコピーが可能とのことでした。 「印字枚数とは、トナーカートリッジ、またはドラムカートリッジ(感光体)の仕様基準値とされる 「A4用紙・印字率5%」で印刷できる枚数をいいます。 また、印字率5%とは、MS ワードで40字×20行程度印刷した文書をいい、用紙上の印刷可能領域における印刷率(「像密度」ともいう)を示します。 ちなみに、A4用紙全面をベタ刷りした場合は、印字率100% ということになり、その印字枚数は基準値の約20倍でトナーを消費し、印刷枚数も激減しますのでご留意ください。 最近では、「ISO/IEC 19752」 「ISO/IEC 19798」 などに基づいた印刷可能数を表示するようになっています。」 http://www.toner246.com/hpgen/HPB/entries/12.html

「拝啓 P教授様 折込広告_決定稿です」

以下、「自学自習を目指して!!」 です。数十枚をプリントアウトした結果です。ご笑覧ください。 「塾・ひのくるま_折込広告_決定稿」 日曜日に折込広告を入れるには、金曜日の 14:00 までに、豊橋の中日折込さんに広告をもっていく必要があります。コピー機のメンテナンスをお願いしたのですが、部品を取りよせる必要があるとのことで、今週はあきらめ、次週の日曜日に入れることにしました。 では、では。 くれぐれもおだいじになさってください。 ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝啓 P教授様 折込広告_02,03です」

「塾・ひのくるま_折込広告_01」に以下の文をつけ加えました。 「ノートをつかわない授業」をしております。覚えるべきことはその場で覚えてもらっています。頭をつかう授業です。疲れる授業です。ほとんどのことは教科書に書かれていますし、学校の授業でノート をとったことばかりです。塾で同じことを繰り返す必要はありません。板書はしますが走り書きていどです。時間をかけなくてはならないことは他にあります。  「塾・ひのくるま_折込広告_03」のように、下記の文を加えると、文字を小さくせざるをえません が、誰が読むとも、読まないともわからないチラシですので、多少読みづらくても、書きたいことは書くにこしたことはなく、 「塾・ひのくるま_折込広告_03」にしようと思っています。決定稿ができしだい、改めましてご連絡させていただきます。 「陸沈」という言葉が好きです。小林秀雄さんの講演のテープで知りました。「落語によく出てくる横町のご隠 居」というほどの意味です。水に沈むのはやさしいことですが、水なき陸に沈むのは難しいことです。 愚直な生き方を心がけております。  虚より実をとりたいと思っております。 「塾・ひのくるま_折込広告_02」 「塾・ひのくるま_折込広告_03」 では、では。 くれぐれもおだいじになさってください。 ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝啓 P教授様 折込広告_01です」

「2.8円/枚」で、当中学校区に「3200部」の折込広告をいれる予定です。「手配管理料」を含めて、1,0022円です。日,月,火曜日には広告が少ないとのことですので、日曜日にいれようと思っています。ほかに、コピー代が 4.9円/枚かかります。計.1,5680円です。合計で 2,5702円になります。意外に安くて驚いています。 以下、「いの一番」です。よろしくお願いいたします。せっかくですので、小林秀雄「陸沈」も載せておきました。 「塾・ひのくるま_折込広告_01」 学会論文の執筆、どうもお疲れさまでした。すこしゆっくりなさってください。 では、では。 くれぐれもおだいじになさってください。 ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝啓,拝復 P教授様_才能も努力の一部にすぎない」

2017/06/05 「拝啓 P 教授様」  今日は、畏友 小林宜央さん( 75 歳)が 、 iPad に演歌を入れてほしいとの、誠にかわいらしいご依頼で 11 時頃来訪され、その後つい今しがた( 21 時頃)まで遊びほうけていました。何年かぶりに、 P 教授ともご一緒した「寿司なべ」さんにいき、みなさんのお元気な姿(さすがに寄る年波には勝てませんが)を拝見し、楽しいひと時を過ごしました。  責任のない塾のアルバイト講師を、わりきって、と考えていましたが、時給千数百円とお話にならないお値段で、塾を再開することにしました。何人かの入塾希望者がいます。昨年改訂された、中 1,2 年生の教科書を一昨夜買ってきました。広告を作ってコピーし、新聞屋さんにもっていく予定でいます。 HP を切り貼りすれば、容易にできるかと思っています。出来しだい、お送りいたします。二転三転し、恥ずかしくもあり、また申し訳なくも思っております。私にも「カツ」が必要なようです。 お便り、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 TAKE IT EASY ! FROM HONDA WITH LOVE.   2017/06/06 「祝!第二の開塾」  人生、次善の策の積み重ね。次善を最善にして下さい。  決して、塾の「再開」ではなく、これまでの塾での反省をもとに、新たな塾の「創設」を目指して下さい。過去の塾の経験は、これからの塾を創設する準備と経験だったと。  「才能も努力の一部にすぎない」と言えるような塾生を育てて下さい。  我々、 50 代には「明日はあっても、明後日は無い」と肝に銘じるべきです。 2017/06/06 「拝復 P 教授様」  たくさんの貴重なご助言、また示唆に富んだお言葉の数々、どうもありがとうございました。大いに参考にさせていただきます。  「家庭学習ゼロ」のお子様方と、どのようにおつき合いするのかが一番の問題です。今までは塾ですべて抱えこんでいましたので、とんでもない時間をお子様たちと過ごしていました。今時のお子様たちが家庭で勉強するとはとても思えず、たとえしたとしても、多くのお子様たちは、的はずれの勉強をするものと思われます。中学校に入学してはじめて勉強するお子様たち、はじめて

『倉本聰私論』_「活字化をおえて」(22/21)

生存中の著者の作品は認めない、という暗黙の了解に背を向けて書きました。受理してもらえるかどうかが問題でした。「卒論指導」はありませんでした。なにも教えてくれない大学でした。「指導」するのも、されるのも嫌いな私にとっては、居心地のよい大学でした。 当時 雲英(きら)末雄先生(日本近世文学)が学部長をされていました。同郷のよしみということもあってか、なかってか、「あなたも苦労したでしょうから」とのことで、あっさりと 受理していただきました。その後早速お礼状を書きました。そして、中島国彦先生(日本近代文学)に主査をお願いすることになりました。 「卒業論文」提出後の面接で、 「安心して読むことができました」 「引用文を結論にするのはよくないですね」 との感想を、中島国彦先生からいただいたことを覚えています。「安心して読むことができました」とは、およそ日本語としての体裁が整っている、極論におよんでいない、というほどの意味だと受けとめています。また、仰せの通りで、確かに引用文を結論にするのはよくありません。返却された卒業論文には、何頁かに傍線や大きな丸が鉛筆で書きこまれていました。 2015/08/28 TWEET「作文」で、 文章を書くうえで厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。 と書きました。 今回、活字化するにあたって、多くの文末表現に手を入れました。そして、当時推敲の際に挿入した、今となっては目障りな語句のほとんどを削除しました。また、若さにまかせて書いた大仰な表現を改めました。 私の「卒業論文」は、「論文」ではなく「鑑賞文」であることを、今回の活字化を通して痛感しました。論文と呼ぶにはか弱い表現が散見されました。引用文が異様に多く、私見が異常に少ないことを実感しました。しかし、ブログ上に載せるには「鑑賞文」の方が都合がよく、複雑な気持ちでいます。 倉本聰さんへの「言伝(ことづて)」として「卒業論文」を書きました。製本して提出する前に、原稿を全コピーし、卒業論文用二分冊と、コピーした「言伝」用の二分冊の計四冊を製本していただきました。いまだに「言伝」は、手元にあります。今回の活字化を期に、二十余年を経た「言伝」を、倉本

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」(全)

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」(全)  です。

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」1/3

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 目次 平成3年9月卒業論文 2冊のうち1号 (指導教員) 主査 中島国彦先生 審査済印 中島 (題目) 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 総頁数599頁 早稲田大学 第二文学部 日本文学専修 D50492-0 番 氏名 本多勇夫 現住所 〒171 豊島区雑司が谷2-17-6 星野荘1階2号室 TEL (03)-3980-9346 平成3年9月卒業論文 2冊のうち1号 目 次 1. はじめのはじめに 2. 註 3. はじめに 第一章 倉本聰のシナリオをさぐる 1. シナリオ一般の特徴 2. テレビ・シナリオの特徴 3. 間(ま)・沈黙の文学として 4. 主だった特徴あれこれ 5. 註 平成3年9月卒業論文 2冊のうち2号 第二章 倉本聰『北の国から』を探る 1. 恋 2. 別れ 3.  故郷(ふるさと) 4. 告白 5. 男であること 6. まとめ 7. 註 第三章 倉本聰 その底流にあるもの 1. 創る 2. 教育 3. その底流にあるもの 4. 註 おわりに 「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」 「はじめのはじめに」  「年の瀬の煤払(すすはら)い。  ここ何年か年の瀬を迎えるときまって、倉本聰のシナリオ文学を読むという行事が私を待ちうけている。  知らず識らずのうちにたまったものなのか、意識的にためこんだものなのか、それはいざ知らず、とにもかくにも一年経つと、私は相当煤ばむ。そして、よけいなものを背負(しょ)い込んだ自分に気がつく。  そこで重い腰を上げて、煤払い。  倉本聰の作品は、私を浄化してくれるのである。懐かしい昔の自分にひき合わせてくれるのである。煤払いのうってつけの道具となるのである。  しかし、悲しいかな、年年歳歳私にこびりつき、肉とまで化した煤は如何ともし難く、しかも、それが年を追うごとに増殖しているのを感じる