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ぜひご覧になってください。

白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

田部重治「静観的登山」

「山と溪谷 田辺重治選集」 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』ヤマケイ文庫 「山は如何に私に影響しつつあるか」は、一九一九(大正八)年、田部重治が慶應義塾山岳会の第五回大会に招かれたときの講演をまとめたものである。慶應義塾の会報『登高行』に講演の内容が掲載されたのち、第一書房版『山と溪谷』に収録するにあたって文章体にあらためられた。講演のなかで、田辺は自分の山に対する感情が、三つの段階に変化してきたことを述べている。  第一は山をあこがれながら山に恐怖を感じた時、第二は山が自己であり自己が山であると感じて、その自己というものの考え方がごく狭い小さな自己を意味していた時、第三には自己は狭い自己を超越した自己であるということを考えるようになった時である。」(78頁)  そして、次頁には、「静観的登山」の言葉がある。  田部重治のいう「自己」は、いずれの地平へと広がり、いずこへ収束するかは、選集である『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』では推しはかるべくもなく、 ◇ 田部重治『山と溪谷 田辺重治選集」ヤマケイ文庫 に直接当たろうと、注文してはみたものの、年半ばにしての講演であり、はなはだ心もとなく感じている。

TWEET『山岳装備大全』

 2020/09/16「モンベル 豊橋店」さんの女性スタッフの方に、 「以下の本を書棚に並べるか平積みにしてください、と店長さんにお伝えしてください」 と伝言した。 ◇ 『萩原編集長の山塾 写真で読む山の名著 ヤマケイブンコ50選』ヤマケイ文庫 「NHKのテレビ番組「実践! にっぽん百名山」の解説者を5年にわたってつとめた萩原編集長が、ヤマケイ文庫に収録された山の本の中から印象に残る一節と、文章に関連した写真とともに紹介する。  その文章が書かれた背景などを詳細に解説し、なにげなく読み飛ばされてしまっていた文章の背景に潜むドラマや、著者の心情をより深く理解するための周辺情報など、編集長ならではの視点で解説した「山の名著」の紹介本。  著者みずからが撮影した松濤明の手帳(『風雪のビヴァーク』の原典)の写真など、山の名著を目で見て楽しめる!」  すると、 「私が店長に勧められた本です」 と言って、以下の本を示された。 ◇  文 ホーボージュン×村石太郎,写真 永易量行『山岳装備大全』山と溪谷社 「最高の執筆陣とクールな写真で、山岳装備の主要33アイテム、小物18アイテムの詳細を解説。 商品選びのポイントがわかるようになる基本知識のほか、他の本には書かれていない歴史やマニアックなエピソードまで語られており、山岳装備のみならずアウトドアユーザー全般にも役立つ、かつてない決定版用具本。」  スタッフの女性は店長さんをストイックと称した。まったくその通りの人柄で、ストイックな店長さんご推薦の書籍と あらば買うに如くはなく、購入した。少しのためらいもなかった。  2020/08/26,27,28 に定期テストを終えると、たて続けに組長(丁内)の務めがあった。2020/09/03 に叔父が急逝し、2020/09/09 には父が退院し、老健に入所した。疲弊している。寝るか、横になって音楽を聞いてばかりいる。深刻な活字離れのなか、唯一『山岳装備大全』がそれをつなぎとめている。「山より道具」,「 山より山岳書」を謳う私にとってはうってつけの本である。なによりも、永易量行さんの写真が美しく、見栄えがする。読書の秋へのステップとしては申し分のない書籍である。  ときに痛々しくも映るが、ストイックな人は真摯で信頼に足る。店長さんにはいつまでもシーラカンスであってほしいと願っている。  ...

TWEET「事に始めがあるならば」

今日発売の雑誌、 ◇『山と溪谷 2019 No.1014 10』山と溪谷社 を買った。 「第2特集 書店員がおすすめする『山の本』」 の特集記事が目当てだった。そして、すすめられるままに、 ◇ 空木哲生 『山を渡る -  三多摩大岳部録 - 1』KADOKAWA を求めた。禁断のコミックスに手を出した。 先月は、 「特集 紙地図と電子地図」 に魅かれ、また来月号の特集記事、 「大特集 富士山」 に意欲満々である。「富士山」,「大特集」とあれば 、読まなければ沽券に関わると大仰なことを考えている。  思えば、 2019/07/14 に、「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで、「ヤマケイ文庫」を知ったのがはじまりだった。異色の読書体験をしている。事に始めがあるならば、事なきを得ることも、事切れることもあるだろう、と達観している。

「山の日に山気にあたる_3/3」

高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 「仕事の径(みち)は暮らしの延長線上にあった。径は、その仕事の目的によって、たどる径筋がまるで異なっていたのである。たとえばマイタケ採りの径なら、マイタケの出るミズナラの木を効率よくめぐるように付けられているし、それがゼンマイ採りの径なら、ゼンマイの生えている渓の奥まで、険しい溪筋を避けながら、山肌の弱点を縫ってつづいていた。それらの径には無駄というものがなかった。(中略)そのような無駄を排した径が、原生の自然と見事に融和しながら、一条の美しいラインとして山中につづいていたのである」(8頁) 「径は目的によって拓かれ、目的を失うことによって消え果てた」(392頁) 「滅びゆくものに、かぎりない愛着をおぼえて止まないのは、無常への追認である」(394頁) 「そんなはかない、常ならぬものへの諦観と覚悟をいざなう滅びゆく存在が、私を捉えて離さなかったのだ」(394頁) 高桑信一の ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 は、 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 と同様に、入念なフィールドワークに基づいた、一級の山の民俗誌の風格がある。  山人が “用” のためにつけた径を俯瞰したとき、幾筋かの径筋が細線として映える。用の美である。  確かに、高桑さんの文章は上手いが、ときに洒脱にすぎるのが難点である。

「山の日に山気にあたる_2/3」

「山で死んでも許される登山家」 山野井泰史『垂直の記憶 岩と雪の7章』ヤマケイ文庫 「僕は計画の段階では死を恐れない。しかし、山に行くと極端に死を恐れはじめる。  なぜ、誰にも必ず訪れる死を恐れるのだろう。  この世に未練があるから恐いのか、死ぬ前にあるだろう痛みが恐いのか、存在そのものがなくなる恐怖なのか ー 。しかし、クライミングでは死への恐怖も重要な要素であるように思える。 「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」  僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。  いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。  かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。 (中略)  ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている」(178-179頁) 「山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない」。  山野井泰史のいう死とは、不慮の死をいうのだろう。自然の脅威に人は翻弄される。非業の死を遂げたといえば、周囲も山野井自身も納得するだろう。この天才クライマーにとって、それ以外の死は考えられなかった。これは天性と周到な準備に因るものである。  死の話題が二つ続いた。 山の本を読むとは特異な体験をすることである。逸脱から免れるために、次は「山人」の話である。  宮沢賢治『なめとこ山の熊』には、鷹揚な死、殊更でない死が描かれている、といえば、また逸脱か。「青空文庫」で、どうぞ。

「山の日に山気にあたる_1/3」

 富嶽遥拝の旅を続けている。  静岡県掛川市の「小夜の中山峠」、富士宮市の「富士山本宮浅間大社」,「山宮浅間大社」、また「本栖湖」から遥かに仰いだ富士の高嶺は美しく尊かった。「人穴富士講遺跡」,「村山浅間神社」,「白糸の滝」、 また「道の駅 朝霧高原」,「静岡県富士山世界遺産センター」も忘れられない。  目を移せば、「伊吹山」、那智山中にかかる「那智の滝」、いずれも御神体である。  いま信仰の対象としての山に興味がある。  霊峰を前に、茫然として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない。  ブログ内を「ヤマケイ文庫」で検索すると、17の文章が表示された。 遠藤甲太「松濤明の遺書」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 「一九四九年一月四日から六日にかけての「手記」。われわれはこの種の文章を、ひとつの文学作品として読むほかないのだけれど、私の知るかぎり松濤の遺書は、自衛隊員・マラソンランナー円谷幸吉の遺書と並んで、最も衝撃的な文学上の奇蹟である。円谷書が自死する哀しみの至純さにおいて言語を絶しているとすれば、松濤書はその対極。あくまで死と闘い、ついに倒れんとする瞬間の圧倒的な臨場感(リアリティ)において、やはり言語を絶している」(337-338頁) 「壮絶な手記を残して風雪の北鎌尾根に消えた松濤明」 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』ヤマケイ文庫 『風雪のビバーク』は、戦前・戦後にかけて数々の初登攀記録を打ち立て、風雪の北鎌尾根に逝った希代のアルピニスト、松濤明の遺稿集である。松濤は一九四九(昭和二四)年一月に、奇しくも加藤文太郎と同じ風雪の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難するが、遺体のかたわらで発見された手帳の壮絶な手記が耳目を集めた。そこには遭難に至った経緯が細かに記され、最後には岳友と共に死を受け入れてゆく過程と心情が描かれていた。(34頁) 「風雪のビヴァーク」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 1月6日 フーセツ 全身硬ッテカナシ、何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス  オカアサン  アナタノヤサシサニ タダカンシャ. 一アシ先ニオトウサンノ所ヘ行キマス。  何ノコーヨウモ出来ズ死ヌツミヲオユルシ下サイ.  ...

「山の日を前に、山気にあたる」

    偉容を仰ぎ、凄惨な 死に 慄(おのの)き、「 山の日」を前に山気にあたり、慄然としている。     読み急ぎ過ぎている。受容できないままに平衡を失いかけている。 山の本を読むという特異な体験をしている。逸脱から免れる ために小休止することにした。 2018/07/14 に「ヤマケイ文庫」「ヤマケイ新書」の存在を知った。 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 ◇ 高桑信一『タープの張り方 火の熾し方 私の道具と野外生活術』ヤマケイ文庫 ◇ 塀内夏子『おれたちの頂 復刻版』ヤマケイ文庫 ◇ 伊藤正一『定本 黒部の山賊 ー アルプスの怪』山と渓谷社 を読み、 ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 「八十里越」 「八十里越の裏街道」 「熊野古道 小辺路」 ◇ 高桑信一『源流テンカラ』山と渓谷社 「源流の漂泊者 瀬畑雄三の源流哲学」 ◇ 大森久雄 編『山の名作読み歩き 読んで味わう山の楽しみ』ヤマケイ新書 「山頂」深田久弥 「山」小林秀雄 ◇ 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』 ヤマケイ文庫 「新編 単独行」加藤文太郎 「 新編・風雪のビヴァーク」松濤明 「垂直の記憶」山野井泰史 「ナンガ・パルバート単独行」ラインホルト・メスナー をひろい読みした。そして、 ◇ 長野県警察山岳遭難救助隊『長野県警レスキュー最前線』ヤマケイ文庫 ◇ 山野井泰史『垂直の記憶』ヤマケイ文庫 が手元にあり、 ◇ 松濤明『 新編・風雪のビヴァーク 』 ヤマケイ文庫 を注文した。 そしていま、 「神々の山嶺(いただき)」に魅入られている。 以下、 「大暑の日に_山気にひたる」 です。

「大暑の日に_山気にひたる」

  2019/07/11 に 「trangia(トランギア)」 の 「メスティン」 を知り、 「アルコールバーナー」 を知った。以来 十日あまり、山気の中にある。  一昨日、 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 を通読した。令和になりはじめての一冊だった。 ときに洒脱に過ぎる情景描写に辟易したが、入念なフィールドワークに基づいた一級の民俗誌の趣がある。 いま、 ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 ◇ 高桑信一『タープの張り方 火の熾し方 私の道具と野外生活術』ヤマケイ文庫 ◇ 高桑信一『源流テンカラ』山と渓谷社 ◇ 大森久雄 編『山の名作読み歩き 読んで味わう山の楽しみ』ヤマケイ新書 の五冊が手元にある。我知らず、気がつけば 「 高桑信一」づいている。  「ヤマケイ文庫(2010年刊)」.「 ヤマケイ新書(2014年刊)」の創刊を知ったのは、2019/07/14 のことだった。「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで目にした。ときに「山と広告」と揶揄される月刊誌、「山と溪谷」とは一線を画し硬派である。その前日には、 「trangia」 の 「アルコールバーナー」 を、前々日には、 「フューエルボトル オリーブ 0.5L」 と「バイオエタノール」を求め、火遊びに興じた。  登山用具と戯れている。「エマージェンシーセット」作りとあだ名して遊んでいる。非常食・非常飲料の類は全く持たないが、片手落ちはお手の物であり、一向に平気である。     昨日から夏休みがはじまった。夏期講習までの束の間の夏に、果てることを厭わず、と遊び惚けている。

「自分の声といい肉声といい」

「山の日に山気にあたる」 2022//08/11 「霊峰(富士)を前に、茫然自失として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない」  私の美の体験である。 「摩訶般若波羅蜜多心経」を諳んじた。間をおかずに何回か唱えると、美の体験と近似した心境になることを、数日前に気づいた。それは、「南無阿弥陀仏」の「六字名号」を唱えた後にも起こることを、はっきり自覚している。 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社  「念仏にしても、木魚一つでもあれば、称名の声と木魚を撃つ音と主客一如になるところ、大自然のいのちを呼吸する心境は深まりうるわけで」ある。(12頁) 「自分の声の響き」であり、「称名の声と木魚を撃つ音」である。  また、小林秀雄は、 「あの人(本居宣長)の言語学は言霊学なんですね。言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る。肉声だけで足りた時期というものが何万年あったか、その間に言語文化というものは完成されていた。それをみんなが忘れていることに、あの人は初めて気づいた。これに、はっきり気付いてみれば、何千年の文字の文化など、人々が思い上っているほど大したものではない。そういうわけなんです」(『本居宣長 (下)』新潮文庫 388頁) といっている。 「言霊は、先ず何をおいても肉声に宿る」  畏怖すべきは声にあった。  いま何かが動きはじめた。言葉を弄すること、徒らに動くことの愚かさを思っている。

「『もの』が明らかにみえる者たちがいて_小林秀雄 読書覚書」

「私の人生観」 小林秀雄『人生について』中公文庫  西行の歌には諸行無常の思想がある、一切空の思想がある。そういう風に言うなら、そんなものは、当時の歌に、何処にでも見附かるだろう。一切は空だと承知した歌人は、当時沢山いただろうが、空を観ずる力量にはピンからキリまであって、その力量の程は、歌という形にはっきり現れるから誤魔化しが利かぬ。空の問題にどれほど深入りしているかを自他に証する為には、自分の空を創り出してみなければならぬ。こうなると、問題は、尋常の思想の問題とは自ら異ったものになる筈である。般若の有名な真空妙有、まことの空はたえなる有であるという言い方は、そういう消息を語っていると考えてよい様に思われます。西行の言葉を借りれば、虚空の如くなる心の上において、種々の風情を色どるという事がなければならぬという事になる。(21-22頁)  西行の和歌における、宗祇の連歌における、雪舟の絵における、利休の茶における、其貫道する物は一なり、と芭蕉は言っているが、彼のいう風雅とは、空観だと考えてもよろしいでしょう。西行が、虚空の如くなる心において、様々の風情を色どる、と言った処を、芭蕉は、虚に居て実をおこなう、と言ったと考えても差支えあるまい。(28頁)  空観とは、真理に関する方法ではなく、真如を得る道なのである、現実を様々に限定する様々な理解を空しくして、はじめて、現実そのものと共感共鳴する事が出来るとする修練なのである。かくの如きものが、やがて我が国の芸術家の修練に通じ、貫道して自分に至ったと芭蕉は言うのだが、今日に至っても、貫道しているものはやはり貫道しているでありましょう。仏教によって養われた自然や人生にたいする観照的態度、審美的態度は、意外に深く私達の心に滲透しているのであって、…(29-30頁)  真如という言葉は、かくの如く在るという意味です。何とも名附け様のないかくの如く在るものが、われわれを取巻いている。われわれの皮膚に触れ、われわれに血を通わせてくるほど、しっくり取巻いているのであって、…(20頁)  正岡子規の万葉復興運動以来、西行より実朝の方が、余程評判がよろしい歌人となった様ですが、貫道するところは一つなのだ。子規の感動したのは、万葉歌人の現実尊重であり、子規は写生と言う言葉を好んで使った。斎藤茂吉氏の「短歌写生の説」によると、子規は、写生の真意...

「マーティン・ツェラーの奏でるバロックチェロ」

以下、再掲です。 J.S.Bach:6 Suites a Violoncello Solo senza Basso Vol.one / Suites 1,2,3 Martin Zeller:Violoncello M.A Recordings については、2010/04/22 に出版された、 ◇『PCオーディオ fan No.2』共同通信社  で知りました。PCオーディオに興味をもちはじめ、PCオーディオの何たるかが少しわかりかけてきたころのことです。このムックには、 「ハイレゾルーションサウンドの魅力 タッド・ガーフィンクル録音選 M.A Recordings HiRez Sampler」 とのタイトルのDVDが付録としてついていました。  マーティン・ツェラーがバロックチェロで奏でる、 「J.S.Bach:無伴奏チェロ組曲 第1番 ト長調 (BWV 1007)より プレリュード、アルマンド、クーラント」 を聞き、その音色に魅せられ、早速注文しました。チェロに比し、滋味ともに豊かで、ふくよかです。 仲秋のいま、私の内では、第一に、 ブルーノ・ワルター ベートーヴェン 交響曲第6番『田園』 コロンビア交響楽団 第二に、 マーティン・ツェラー 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」 M.A Recordings の順位がついている。 以下、CDの帯からの引用です。 「J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲 Vol.1」88.2kHz ワンポイント録音 マーティン・ツェラー(バロック・チェロ)使用楽器・ヤコブ・シュタイナー 1673年製  スイスのチェリスト、マーティン・ツェラーによる名器シュタイナー唯一の楽器で、世界で初めて録音された J.S. バッハ・無伴奏チェロ組曲。絹を撫でるような、魅力的な音色で奏でられ、かつてない感動に包まれる演奏です。  使用楽器はドイツ・チロルの名器、ヤコブ・シュタイナーの1673年製。現在、使用できる形で保存されている唯一の楽器です。ヤコブ・シュタイナー(1621~1683)は、クレモナの製作者たちが有名になる以前、音楽家たちに最も注目されていた製作家。膨らみが大きく、甘く、柔らかい音色が特徴的です。 また、解説には、  二十世紀初頭以来、6つの無伴奏チェロ組曲があらゆるチェロ奏者にとって必須のレパートリーとなっているの...

TWEET「東京藝大 天才たちのカオスな日常_2/2」

今日(2021/07/11)の明け方、 ◇ 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大 天才たちのカオスな日常』新潮文庫 を読み終えました。 「末端は本当に美しくなければならない」 「今の楽器は音程がとりやすかったり、指を動かしやすかったり、大きな音が出たり…進化して、合理化されているんです。バロック楽器はその点、構造が単純で、楽器が助けてくれません。自分の息で、頑張って調整しなければならないことが多いです。でもその分、出せる音色の柔らかさが全然違うんです」 「今のヴァイオリンって、弦はつるつるのスチールなんです。でも古楽器のヴァイオリンは、ガット弦。羊の腸なんですよ。これを弾くとですね、グワッと、凄く野性味のある音が出るんです。バロック楽器は今の楽器よりも生身の人間に近いんです。生きてるもの、自然に近いんです」 「古楽って地味だとか、単純だとか思われてる部分もあると思うんですけど…そんなことないんですよ。凄く激しい、情感のこもった音楽です」 「バロック音楽では、曲の感情を出すことが重視されるんです。イタリア語でアフェット、と言うんですけれど。作曲家の感情でも、演奏者の感情でもなくて、曲の感情。でも、曲の感情を出すためには私たちも感情を知っていなくてはならなくて。曲の感情に共感して、それを出してあげる。それを聴衆にも共感させていく」 二 宮  古楽の奏者たちは、アドリブによって和音を作り、メロディを作り、メロディを装飾して、その場限りの演奏を作っていく。感情を引き出していく。 「演奏する時は、生きたものを出さなきゃって思ってます。今はもう失われた音楽を、その音楽が最も輝ける形で、生きた状態として生み出したいんです」 「それ(古楽がもつ神秘性の表現)ができた時、凄い感動があるんです! 全てが混ざりあうんです。作曲家と演奏家が混ざりあって、聴衆と演奏家も混ざりあって。何だか、宇宙の調和みたいな?」 二 宮  数学や科学が宇宙の深淵(しんえん)に迫れるなら、音楽にだってそれができるのだ。 「『私たちは音楽の末端でしかない。けれど、その末端は本当に美しくなければならない』って、先生に言われました。本当にそうだと思っていて。私は、音楽の一部になりたいんです」 二 宮  尾上(愛実)さんは透き通って潤(うる)んだ瞳(ひとみ)をこちらに向けて、そう言った。(269-271頁)  オルガン専攻...

TWEET「東京藝大 天才たちのカオスな日常_1/2」

  おかしな本を見つけました。早速注文し、明日到着の予定です。 二宮敦人『最後の秘境 東京藝大: 天才たちのカオスな日常』新潮文庫   「やはり彼らは、只者ではなかった。入試倍率は東大のなんと約3倍。しかし卒業後は行方不明者多発との噂も流れる東京藝術大学。楽器のせいで体が歪んで一人前という器楽科のある音楽学部、四十時間ぶっ続けで絵を描いて幸せという日本画科のある美術学部。各学部学科生たちへのインタビューから見えてくるのはカオスか、桃源郷か? 天才たちの日常に迫る、前人未到、抱腹絶倒の藝大探訪記。」 「新潮文庫の100冊 2021」内の一冊です。今年の夏休みの読書感想文はこれで決まりです。「古典に親しむ」月間からの転落か、さては 「古典に親しむ」月間が逸脱か。「行方不明者多発」とはなんとも頼もしく、 「陸沈」 、潜行、非社会的行為は、とても人ごととは思えず、「同病相目見(まみ)ゆ」ことを楽しみにしている。

本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 _その一

 2021/05/14 の夜、 霊長類学者の河合雅雄さんの訃報に接し、その後 長い間 積読したままになっていた、 ◇ 本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 「 発行日 1992年12月1日 初版第一刷」 の奥書がある、古参の単行本を読みはじめ、昨日(2021/05/19)の明け方、読み終えた。  積読したままの書籍が息を吹き返す、生きることは、私にとって非常にうれしいことである。では徒らに、積読したままになっている書籍を読めばいいのかといえば、それは見当はずれである。  70頁ほど読み終えたところで、本書は「評伝」であり、出版社は「山と溪谷社」であることに思いをいたした。本田靖春は元読売新聞社の 記者であり、本書には多くのインタビュー記事(今西錦司評等々)の記載があり、また 出版社が「山と溪谷社」だけに、 今西の手法であった「学術探検」の「探検」に重きがおかれていることを再認識した。 ◇ 本田靖春『評伝 今西錦司』山と溪谷社 は、 ◇『山と溪谷』1989年10月号から1911年12月号 に連載された特集が、単行本として発行されたものである。ただし、 本田の病のために、2度におよぶ、計13か月の「休戦」をやむなくされた。  今西錦司の「学術的業績」、膝下からの「数多くの優秀な学者の輩出」、その「リーダーシップ」は認めるが、人となりは好きになれず、どんなものかと昨日から彷徨っていた。  武士には馴染みがあるが、町人気質(かたぎ)については本書を通してはじめて触れた。今西錦司は、「『錦屋(にしきや)』という西陣でも有数の織元」の家に生まれた、典型的な町人の血筋をひく者である。  簡潔にいえば、「武士道」は成立するが、「町人」には道らしきものはなく、よって好みではない、ということである。  今西を非難、批判する声ばかりが目立つ、しかし尊敬に値するからついていく。短所を補ってまだ余りある、ここに今西錦司の摩訶不思議さがある。   人格と業績は別個であることは、よくわきまえていますが、 今回はこれくらいにさせていただきます。   今しばらく彷徨することにいたします。  なお、河合雅雄は、「第9章 霊長類研究グループ」(285頁)から登場します。河合は、「類人猿の中でもとくに(チンパンジーやオランウータンよりも)ゴリラが人に近い」(302頁)と今西に進言している。これが今西のゴリ...

「とにかく一ケタ違った本多勝一」

「四ケタで点を打つ運動」 本多勝一『しゃがむ姿勢はカッコ悪いか?』朝日文庫 「ここでとりあげる『数字表記の際の点(コンマ)の打ち方』もまた、明白に不合理なまま強引な “慣習”として 一般化を押しつけられている例であろう。」 「たとえば 100,000,000 という数字表記を見て、もし一目で読める日本人がいれば、それは銀行マンや会計係のような、こういう表記になれた特別な職業の人とみてよいだろう。普通の人は、いちいちマルを数えないとわかりにくい。これでは何のために点を打ったのかわからなくなる。」 「なぜか。日本語は四ケタごとに(万、億、兆と)呼称単位が変わる万進法だからである。 」 「◆ 123,4567,8912,3456 例えば、「四ケタずつ」に区切られた上記の数字は、「123 兆  4567 億  8912 万  3456」と簡単に読むことができます。」 「なお、欧米は三ケタごとに「thousand(1,000)」,「million(1,000,000)」,「billion(1,000,000,000)」と呼称単位が変わる「千進法」ですから、「三ケタずつ」に区切られた下記の数字は、 ◆12,345,678,912 「12 billion 345 million 678 thousand 912」 と容易に読むことができます。」 「遠山啓(ひらく)氏(数学者)の言葉を借りれば、(中略)日本語は四ケタでないと不合理だし、使いにくい。三ケタ区切りは明治の欧化政策で直輸入したまま一般化したもので,物まねの典型といえます。」 「『植民地的三ケタ法』とも『 植民地的愚挙』とまでもいっています。」 ( 158-160頁) ◆ 2015/08/15 本多勝一の著作で、いま私の手元にあるのは、 ◇『日本語の作文技術』朝日文庫 ◇『山を考える』朝日文庫 ◇『カナダ=エスキモー』朝日文庫 ◇『植村直己の冒険』朝日文庫 ◇『北海道探検記』集英社文庫 の五冊の文庫本だけです。  では、私は「日本語の四ケタ区切り」について、どこで知ったのでしょうか。  いまのこの時代、記憶の断片さえあれば調べがつきますね。ひと昔前では考えられなかったことです。有り難い時代ですね。

「正岡子規 生誕150年_教育を語る」9/9

「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫   大江  僕はいちばん最初に言ったように、教える側には一度もならなくて、もっぱら教わる側でしたが、自分が教育にかかわる何かができるとすれば、具体的にあの人は、松陰は、子規は、あるいは渡辺一夫は、吉川幸次郎は、このように実際の振舞いとして、実際のパフォーマンスとして教育したということを、自分も学びたいし、それを次の人に伝えたいわけです。  具体的にこういう教育家のイメージがあり、また実際の振舞いがあって、ここに教育というものの流れがある、ということを基本に置かなければ、教育について何か言ったりすることはもっとも危険だと思うんです。   司馬  そうですね。先生のパフォーマンスというのは、教育を受ける側にしてみればほぼそれだけを覚えていくものでしょうが、それは教育する側が自然にパフォーマンスになっていくからで、それはおそらく大変な緊張の結果、ーー緊張というのは複雑な意味なんですがーーできるわけですね。だから職業としての教育はむろん存在しなければならないものでしょうが、職業意識というものはあまり教育にふさわしくないですね。松陰も子規も職業で周囲の人たちを教えていったわけではないのですから。教育者はある意味でどうしても職業的にならざるを得ないでしょうが、職業をはずして教育とは何かを考えてみると、いつもどこかで二律背反の緊張があるという必要があるかも知れませんね。  子どもっていうのは、僕らのようなバカな子どもでも、不思議に先生の優劣、精神の高低がわかるんですね。この先生はダメだっていうのがわかる。一つの教室にレントゲン撮影機が何十個もいるわけで、そんなことを思うと、教育は人間の社会の中でいちばんこわいテーマですね。(157-158頁)

「正岡子規 生誕150年_磁場としての座」8/9

赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫 「子規のたおやめぶり、芭蕉のますらおぶり」 「磁場としての座」   赤尾  これは、僕の方から司馬先生に一度たずねたいと思っていたのですがね。俳句は「座」の文学であり、「連衆の文学」といわれ、それがまた世界でも珍しいかけがえのない特色ですが、どうでしょう。蕉門の「座」を見ると、芭蕉という師がその座に加わることによって、その座の人たちの作がぐっとレベルアップしている。「七部集」を読むと、しきりにそう思うんですが…。   司馬  人間というものは、人間が好きでしょう(笑)。とくに精神がえきえきとして光っているような人間に出くわすと、どうしてもその人の磁場の中に月に一度でも入っていたい気がする。自分まで磁気を帯びてきて、意外な面を出してしまう。短歌もそうですが、俳句はその契機を作ってくれるわけで、それを介してその人のそばに寄ってゆくことができる。すぐれた俳人で個人作家として終始される人もなければなりませんが、師匠は磁場を作れる人であることが望ましいですな。芭蕉も子規も磁場を作りえた人で、弟子たちはもうその中にいてその座にいるときだけだけでも磁気を帯びている自分がうれしくてしようがない。  短詩型というのはサロン芸術だといわれますが、僕もそうだと思います。しかし人格もしくは精神像として磁場を作れない人は、やはり師匠になってはいけませんな。其角(きかく)なども芭蕉の磁場の中で磁気を帯びた人で、芭蕉の死後は、磁気が去っている。そういう面が短詩型の世界にはーーよくわからんがーーあるのと違うかしら。   赤尾  おっしゃるとおりです。いまの俳句の世界には、その“座”の指導者の一部に月並的退廃も出てきているようで、人ごとならず、心せねばならないと思います(笑)。(124-125頁)

「正岡子規 生誕150年_子規,漱石と文章日本語」7/9

2019年は、子規の生誕150年に当たります。 赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫  司馬 (前略)泉鏡花はいいが、しかしあの文章では、ロッキード問題は論じられない(笑)。しかし夏目漱石の文章は恋愛でも外交でも論じられるしルポルタージュでもやれるといういわば万能性をもっているという点であの時代にはきわめてめずらしい。そういう文章を手づくりで完成したところに、漱石の大きさの一つがあると思います。しかし子規もそうですね。子規も、みなが共有していいーーいろんなことを表現できるーー文章日本語をつくり上げたと思うんですが、そういう点を子規はあまり認めてもらっていない。(99-100頁)  司馬 (前略)ところでその面での一完成者である子規がね、あれは漱石の文章よりも非常に漢語が少ないでしょう。  赤尾 そう、そう。  司馬 そして、漱石の文章よりもしなやかで、表現の万能性においては漱石の文章と遜色(そんしょく)がない。蘇峰や愛山の文章では愚痴は書けないが、子規の文章では十分にそれが表現できる。たとえば、日常の、庭に陽が射して、鶏頭が……。  赤尾 十四、五本もありぬべし。(101頁)    司馬 それからまた彼は、あまり政論なんかは論じなかったでしょうけども、それも論じることができると思うんですね、あの文章で。ただ、語尾の文語形にわずかに固執しているけどね、だけど文語意識は少なくて。きわめて平易な文章をつくりあげた。まあ僕は子規の業績の一つは散文だと思うんですけどね。なぜそうかっていうと、ここから向こうは俳句になってくるんだけど……。  結局、彼はリアリズムに固執した人だから、リアリズムっていうのは、万人共有のものですからね。海のヒトデは星形をしているとか、これはもう確かにそうであるし、それから、石っころは多少丸いとか、トンボの羽根は透きとおっているとか、ということは万人共通のものですから、しぜんとその散文まで、わかりやすい散文ができ上がってゆくという……リアリズムの精神というのは、評論でなく、実際に地でそれをやった人というのは、少ないと思うんです。子規は、その最大の一人じゃないか、と思いますね。  赤尾 それは僕も感じますよ。(101-102頁) 下記、 司馬遼太郎「漱石が発明した文章語 です。

「正岡子規 生誕150年_継承」6/9

「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫   大江   (前略)そしてたとえば、プラトンが同じように若い人たちと話し合って教育するシステムとしてつくったアカデメイア、紀元前三五0年にできたものがユスティニアヌス帝によって潰される紀元後五00年頃まで、だいたい千年ぐらい続くということがあって、ヨーロッパの学問の規範をつくったと思うんです。ある教育がなされ、それを継承していくということもあるんですね。その継承の仕方ということも、教育のシステムを考える上で重要な要素だと思うんです。  虚子はほんとうに継承したわけですね。いちばんパッとしないような生徒だったと思いますけれども。(笑)   司馬  何にしても継承というのは一つの発展でしょうから、正岡子規がやっても高浜虚子がいなければ、日本の短詩型である俳句はもうなかったでしょうね。虚子の人柄には、子規がもっていた書生の清らかさという魅力はなかったですが。(157頁) 赤尾兜子「空海・芭蕉・子規を語る」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫   司馬  とにかく、自分の短い生涯で背負いきれんようなテーマを、自分はやっているんだ、という場合にね、お前頼むから後継者になってくれ、といやがるのを追っかけ回してでも、ねじ伏せてでも、後継者にしようとする、というのが大体そういう人のーー僕は大変な人間というのは、たいていそうだろうと思います。大変の大を抜いても、変な人間というのはそんなものかもしれない(笑)。大きなテーマを背負い込んでいる、っていうのはやっぱり変な人じゃないでしょうか。背負い込んでしまっている、という感じの。吉田松蔭もそうでしょ。(109頁)   司馬  まあ彼(吉田松蔭)は刑死するんですけれども、どうも若死を予感しているような雰囲気がありますね。それで結局、弟子にのしかかるように、自分の持ってる電池でもって弟子のお腹の中にも充電させようとするんですね。子規も松蔭も、教育者といえば真の意味でそうですけど、せっぱ詰まっているでしょ、教育者というのは職業でもあるでしょうが、かれらの場合はせっぱ詰まってしまっている。(110頁)   司馬  子規というのは、死期を感じてて、自分の生涯をそのまま三十何年なら三十何年と、こう見切ってしまった凄さがあるでしょう。そして...

「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」5/9

「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫  大江   独りぽっちで考えるのではなく、グループでものを考える。対話をする。(中略)また、どんな悲惨な状況にいても、グループを通じての話し合い、対話というものはユーモアを生じるもののようですね。(後略)   司馬  (前略)ユーモアというものは、松陰、子規両方に共通していたと思います。      大江  若いグループの中に入りこんで語りかけて、対話を通じてものごとを明らかにしていく上で、彼らのユーモアが生じてくる、というように思われます。(138-139頁)   司馬  (前略)教育の場でユーモアのない人は、やっぱり教育をするのに向かないし、される方も、ユーモア感覚のある人間が教育されやすいかも知れませんね。(140頁)   司馬  人格がある姿として記憶に残るのは、やっぱり温度のあるユーモアが介在する場合が多いんでしょうね。   大江  そうじゃないでしょうか。現代の作家で世界中でいちばん教育的なのはサルトルだったと思います、(中略)  彼は死ぬまで若い人をいつまでも、教育したいと思っているんですね。そして彼は、自分は生まれてこの方、人に対して、微笑しながらでなければ命令することはできなかったと書いています。子どものときから、笑いながらでなければ何かをしようと言えなかったと言っているんですが、その通りだろうと思います。  そして、正岡子規にしても吉田松陰にしても、やはり笑いながら、微笑しながら命令するタイプだったんじゃないかと、僕にはそういう気がします。   司馬  それは共通しているようですね。(141-142頁)

「正岡子規 生誕150年_子規の学問」4/9

「正岡子規 生誕150年_子規の学問」 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫   大江  (前略)そして、やがていい教育者になる人は、こういうふうに子どものときから勉強するんだろうな、ということを、僕は子規にも松陰にも感じるんです。その一つとして、体系として学問を学ばないということがあるんじゃないか。これはもちろん反論がありうるかと思いますけれども。  子規にしても松陰にしても、他人の体系を学ぶのではなく、できるだけ短い期間に、全体を見通せる自分の学問を作らなきゃならないと思っている。それを作るためには、本格的に他人の体系を勉強していくと何十年とかかるわけですから、それはできない。なるたけ短い期間に、世界の見通し、あるいは現実の見通しといってもいいんですが、学問の見通しそのものを自分で作ろうとした。そのための方法として、本を読むにしても、具体的に自分の肥やしにするという意図があって、どんどん本を筆写していった。  子規は二十歳前後に、さかんに他人の本を書き写していますね。松陰も、たとえば彼が二十一歳で書いた『西遊日記』を見ますと、本を書き写すということが何度も出てきます。この書き写すということは、他人の学問を他人の体系として距離をおいて尊敬するんじゃなくて、自分の体系の中に取り込もうとしたための方針だったと思うんです。そしてそれを若い人にすぐさま教えていく。学問の大きい体系、あるいは大きい体系の一部分を、八十になって自分のものにするというのではなく、二十代の前半のうちに、自分として納得できる自分の体系のようなものを作って、それを人に教えていくという態度を、松陰も子規も持っていたように思うんです。   司馬  そうですね。双方、命の短さを知っていましたから。このため教えるというより、大急ぎで、イライラしながら移し植えていくという感じですね。切迫感が、同時に親切という感情と一緒になっていきますから、美文を作るいとまがない感じですね。(136-138頁)

「正岡子規 生誕150年_郷党への愛」3/9

「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫  大江  (前略)そういえば、正岡子規が、愛媛出身の虚子や碧梧桐たちと何か一緒にやっていこうと思ったのも、一種のナショナリズム、愛郷心のようなナショナリズムの発露として考えられます。土地と、そこで生産された人間も含みこんだ、パトリオティズム、いい意味でのナショナリズムというものがあるように思うんです。子規も松陰も、弟子たちを熱情をこめて愛していますね。郷党の若い人たちを愛して、一緒に仕事をしていこうとする。そこに、教育のいちばんいいところがあるし、いちばんいいナショナリズムがあるんじゃないかと思います。(150頁)

「正岡子規 生誕150年_子規のリアリズム」2/9

司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」  司馬  (前略) 話が少しとびますが、江戸時代中期以後の大画家といえば、与謝蕪村と円山応挙ですが、どっちが偉いかということが昔から言われたんですね。蕪村は南画の骨法をもつ、さっと描いたような絵で、応挙は鶏なら鶏がそこにいるみたいに描く徹底したリアリズム。正岡子規は、蕪村はしゃれてるけど、自分は応挙のほうが好きだといっている。応挙のリアリズムを愛したんですね。  子規の時代には応挙の評価は非常に低下していたんです。蕪村のほうがはるかに上だった。子規には、江戸期に応挙というものがいたな、じゃあ自分もリアリズムをやってもやれないことはないな、と考えるようなところがある。リアリズムをやることが、日本の社会にとってぜひ必要であると考えたんですね。西洋にはとても追いつきそうにないこの社会、明治維新は起したけれど、内実はボロボロになっている社会。なぜ西洋とのあいだにこれだけ開きができたのか。要するに、日本の文章、絵画、すべてにリアリズムがない。日本のダメなところはこれだと子規は考える。それで応挙が大事だと思い、新しいリアリズム論を展開して弟子たちに教えるわけです。そのへんがまた、体質的に吉田松陰に似ているんです。(151-152頁)  大江  (前略)子規は、新しい文学を創ろうと思っていて、そのためにリアリズムが必要だと考えている。(153頁)  大江  (前略)松陰にしても子規にしても、時代が変わっていくということをよく知っていたし、時代が変わっていくとき自分が責任をとってある新しいものを創りださなければならないと考えていたわけですね。松陰は新しい時代そのものを創ろうと思っていたでしょうし、子規は文学を改革しなければならないと考えていた。そのために若い人と一緒に、それも友人のような関係をたもちながら、対話しつつ彼らを教育していく。そういうタイプの人が、子規であり松陰であったはずだと思うんです。  教育というものを考えるとき、教育する人間が時代は変わりつつあると思っている、そしてアクティブに自分の力で何かを創造しようと考え、若い人たちにそれへの参加を求めるという教育が、一つの原理のようにあると思うんです。(156-157頁)  司馬  松陰と子規のあいだに、さきほどあげたことのほかに...

「正岡子規 生誕150年_まとめて」1/9

「夏目漱石 生誕150年_まとめて」 を書いた後、 「子規・漱石 生誕150年記念の取り組み 松山市ホームページ」 をみて、子規も生誕150年にあたることを知りました。  子規との馴染みはうすく、先日、 ◇ 司馬遼太郎『八人との対話』文春文庫 「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」(123頁) を読み、 ◇ 司馬遼太郎『坂の上の雲』文春文庫 を冬季休暇に読むべく、古書を物色し、目星をつけたところでした。『坂の上の雲』は、司馬遼太郎が自作品中、第一に推す大作です。  昨夜、「師弟の風景 吉田松陰と正岡子規をめぐってーー大江健三郎」を読み直しました。そして、『坂の上の雲』を注文しました。  諸事情が重なり、はるかに『坂の上の雲』をのぞみながらの、「去年今年(こぞことし)」です。 下記、 「正岡子規 生誕150年_子規のリアリズム」 「正岡子規 生誕150年_郷党への愛」 「正岡子規 生誕150年_子規の学問」 「正岡子規 生誕150年_教育者とユーモア」 「正岡子規 生誕150年_継承」 「正岡子規 生誕150年_子規,漱石と文章日本語 「正岡子規 生誕150年_磁場としての『座』」 「正岡子規 生誕150年_教育を語る」 です。 また、下記、 高浜虚子「去年今年貫く棒の如ききもの」 です。

正岡子規「藤(ふじ)の花ぶさみじかければ」0/9

藤の花が咲きはじめました。 玉城 徹(たまきとおる)「短歌を味わう」 光村図書出版『国語 2』 (平成18年発行の中学校二年生の国語の教科書) 瓶(かめ)にさす藤(ふじ)の花ぶさみじかければたたみの上にとどかざりけり   正岡子規 「瓶にさしてある藤の、その一つ一つの花の房は、ただ力なくだらりと下がるのではない。命をもった花の房が、空中にその力を結び止めるのである。」 「正岡子規は、病床の低い視線から瓶にさした藤の花を見やって、その美しさを、このようにとらえたのである。」  玉城徹のすてきな解釈である。みごとに「生」を「写」しとっている。  ヘリコプタは、ホバリング(停止飛行)時に、最も多くのエネルギを消費します。私は、このような例をあげ、この句の解説をしていました。

會津八一「学規」

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昨夜(2024/02/28)、P教授から、 ◇ 會津八一「学規」 を読んでください、との SMSが届いた。 「Aizu Museum 早稲田大学 會津八一記念博物館蔵」 学規 一 ふかくこの生を愛すへし 一 かへりみて己を知るへし 一 学芸を以て性を養うへし 一 日々新面目あるへし 秋艸道人 法隆寺では、 「いかるが の さと の をとめ は よもすがら                      きぬはた おれり あき ちかみ かも」 また、中宮寺では、 「みほとけ の あご と ひぢ とに あまでら の                       あさ の ひかり の ともしきろ かも」 そして、唐招提寺では、 「おほてら の まろき はしら の つきかげ を                       つち に ふみ つつ もの を こそ おもへ」 の歌碑との出会いがあった。       P教授から贈っていただいた、 ◇ 植田重雄『秋艸道人 會津八一の生涯』恒文社 が、読みかけになっている。そろそろ通読する時期か、と思っている。

「玉葱畑のある風景」

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2020/09/10  昨日 無事に「弥生病院」さんを退院し、「介護老人保健施設 みのり」さんに入所しました。  父も私も自宅での生活を希望していましたが、五回目、六回目の転倒・入院は目にみえていて、打ちどころが悪ければ命取りになりかねない、ということで入所することに決めました。「みのり」の相談員のKさん には、威夫さんは私が説得しに行きます、とまで言われました。  父が大切にしまってあったお手紙、読ませていただきました。どうもありがとうございました。  父の転院から二か月あまりが経ち、K市はすっかり秋の装いですね。異例づくめだった夏の疲れを癒してくださいね。当地では、残暑に、秋雨、台風と波乱含みの季節が続きます。  簡単ですが、取り急ぎましてお礼、またご連絡まで、とさせていただきます。S君にも、その旨よろしくお伝えしてください。 では、では。 くれぐれもお大事になさってくださいね。 ご自愛ください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 勇夫 2020/09/11  いつも変わらぬ父へのお心づかい、どうもありがとうござます。  一昨日の夕方、突然 暗雲が立ち込め暴風雨に 見舞われました。雷鳴が轟き地が震えました 。はじめての経験でした。ニュースで流れた、とは思いもよらぬことでした。昨日の昼にも雷雨がありました。天候不順です。 「玉葱畑のある風景」  収穫を待つばかりの玉葱畑と収穫後のコンテナのある風景、遠景の「ヤマダ電機」さんの看板も彩りを添え、最高の仕上がり具合ですね。コスモス畑とひまわり畑に描かれたハートのマークの対照といい、一面のコスモス畑といい、そして何よりも青空。どれを取ってみても確かに北海道で、四季折々のK市発の画像に、感謝しています。  冬支度も間近とのこと、初雪が舞うのが楽しみですね、と最後に無責任なことを申し添えておきます。 寒暖差の大きな季節、うまく順応してくださいね。 早々のご丁寧なご返信、どうもありがとうござました。 くれぐれもお大事になさってくださいね。 ご自愛ください。 勇夫

鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書_「緑のリンゴ」

鈴木孝夫『日本語と外国語』岩波新書 「真の国際理解を進める上で必読の、ことばについてのユニークな考察」 「ところが、リンゴといえば赤ではなく、緑と決まっている国があるのだ。その代表はフランスである。」 「よく日本人は、ある事物を形容するとき、《リンゴのような》とか《リンゴみたいに》という比喩を使う。いうまでもなく、それが意味するところは、何かが赤い、真赤だということである。」 「大変面白いことに、フランス語にも、まさに《リンゴのような》に当る comme une pomme という比喩がある。」 「フランス語には《リンゴのように丸い》という意味の慣用句があって、その用例としてヴィクトル・ユーゴーの作品から〈リンゴのような頬をした可愛い元気な男の子〉という文を引いている。したがって、ここでの《リンゴのように》は、明らかに色(緑色)ではなく、事物(頰)の丸さを表現しているわけだ。」(28-33頁)

白洲正子「なんという転倒、なんという気宇」

「ぜいたくなたのしみ」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』新潮社  この春はお花見に京都へ行った。あわよくば吉野まで足をのばしたいと思っていた。ところが京都へ着いてみると、ーー私はいつもそうなのだが、とたんにのんびりして、外へ出るのも億劫になり、昼は寝て夜は友達と遊んですぎてしまった。花など一つも見なかったのであるが、お天気のいい日、床の中でうつらうつらしながら、今頃、吉野は満開だろうなあ、花の寺のあたりもきれいだろう、などと想像している気持は、また格別であった。 「皆さん同じことどす」といって、宿のおかみさんは笑っていた。二、三日前には久保田万太郎さん、その前日は小林秀雄さんが泊っていて、皆さんお花見を志しながら、昼寝に終ったというのである。  京都に住むHという友人などもっとひどい。庭に桜の大木があるが、毎年花びらが散るのを見て、咲いたことを知るという。千年の昔から桜を愛し、桜を眺めつづけた私たちにはこんなたのしみ方もあるのだ。お花見は見渡すかぎり満開の、桜並木に限らないのである。(「お花見」より抜粋)(70頁)  花に誘われ京へ、そして木も見ず森も見ず、「皆さん同じことどす」と、昼寝を決めこむとは、なんという転倒、なんという気宇。飛び抜けていて、すてきです。

小林秀雄と谷崎潤一郎の『文章読本』

谷崎潤一郎『文章読本』中公文庫  当書には、志賀直哉『城の崎にて』からの引用がある。また、「故芥川龍之介氏はこの『 城の崎にて 』を志賀氏の作品中の最もすぐれたものの一つに数えていました」(27頁)との一文がみられる。 「こゝには温泉へ湯治に来ている人間が、宿の二階から蜂の死骸を見ている気持と、その死骸の様子とが描かれているのですが、 それが簡単な言葉で、はっきりと現わされています。 (中略)  この文章の中には、何もむずかしい言葉や云い廻しは使ってない。普通にわれわれが日記を附けたり、手紙を書いたりする時と同じ文句、同じ云い方である。それでいてこの作者は、まことに細かいところまで写し取っている」(27頁) 「一体、簡潔な美しさと云うものは、その反面に含蓄がなければなりません。 単に短かい文章を積み重ねるだけでなく、それらのセンテンスの孰れを取っても、それが十倍にも二十倍にも伸び得るほど、中味がぎっしり詰まっていなければなりません」(139頁) ○ 含蓄について 「 含蓄 と云いますのは、前段「品格」の項において説きました「饒舌を慎しむこと」がそれに当ります。なお云い換えれば、「イ あまりはっきりさせようとせぬこと」及び「ロ 意味のつながりに間隙を置くこと」が、即ち含蓄になるのであります」 (218頁) (中略) この読本は始めから終りまで、ほとんど含蓄の一事を説いているのだと申してもよいのであります。 (219頁) 井伏君の「貸間あり」 小林秀雄『考えるヒント』文春文庫 「作者は、尋常な言葉に内在する力をよく見抜き、その組合せに工夫すれば、何が得られるかをよく知っている。彼は、そういう配慮に十分自信を持っているから、音楽からも絵画からも、何にも盗んで来る必要を認めていない。敢えて言えば、この小説家は、文章の面白味を創り出しているので、アパートの描写などという詰らぬ事を決して目がけてはいない。私は、この種の文学作品を好む」(35-36頁) 「彼の工夫は、抒情詩との馴れ合いを断って、散文の純粋性を得ようとする工夫だったに相違ない」(40頁) 「正宗白鳥の作について」 『小林秀雄全作品 別巻2 感想 下』新潮社 「(内村鑑三の)極度に簡潔な筆致は、極度の感情が籠(こ)められて生動し、読む者にはその場の情景が彷彿(ほうふつ)として来るのである」(230頁) 「(内村鑑三『...

倉田卓次「『四隅の時間』を惜しむ」4/4

「本を読む場所」(41-50頁) 倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房  「私の読書法」(131-140頁) 倉田卓次『続 裁判官の書斎』勁草書房   今回は「四隅(しぐう)の時間」を惜しんでの読書です。裁判官時代の倉田卓次の一日の「四隅の時間」は、「平均四十分」であって、「平均四十分」にしてこの豊かさですので、驚きもし、また考えさせられもします。  なお、「四隅の時間」とは、「旅行鞄にものを詰めるとき、もう入らぬと思っても、四隅にはまだ小物をつめるスペースは必ずある。余暇利用も、休暇をまとめて取ることばかり考えず、この四隅の小さな時間の利用を心掛けよという教え」のことであって、「四上」とは、「文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』」に、「馬を車に改めた上、『路上』を加えて『四上』とし」た、と倉田卓二は書いています。 私に欠けているものは、寸暇を惜しんで、ということです。

「書生の読書」3/4

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 「緒方洪庵の塾で、塾生たちには昼夜の区別がなく、蒲団をしいて枕をして寝るなどということは、だれも一度もしたことがない。読書にくたびれて眠くなれば、机に突っ伏して眠るばかりだったと、『福翁自伝』に書かれていたのを思い出す。これが書生の読書である。」  これに対して、倉田卓次の読書は「社会に出ている人」,「特殊ではない一人の生活人の読書」である。「そこに生活人の読書の手本を見たように思った。」(111頁,144頁)  大学予備門(第一高等中学校、後の第一高等学校)へと進んだ正岡子規と秋山真之(さねゆき)の読書は、「書生の読書」を地で行くものだった。( 司馬遼太郎『坂の上の雲(一)』文春文庫 )  それに比し、時ところを選ばず、読み散らかしている私の読書は、年甲斐もなく、「生活人」のそれではなく、「書生っぽの読書」とでもいえる亜流のものである。やむに止まれず、救いようのないものと諦めている。 下記、ご参考まで。 倉田卓次『続 裁判官の書斎』勁草書房 

倉田卓次「馬上枕上厠上」2/4

「文章を練る場所」 倉田卓次『裁判官の書斎』勁草書房  「『馬上枕上厠上(しじょう)』のいわゆる『三上(さんじょう)』は、本来、 文章を練るに適するとして古く人が勧めた場所で」 と倉田卓次は書いています。 (49-50頁)  自動車を運転中の「車上」は、すてきな出会いに満ちていますが、時折 信号を見落とし、道順を間違え、そして時には、立体駐車場の順路を誤って逆走したりもしています。決して他人(ひと)にはお薦めできませんが、波乱に富んだ「車上」を外すことはできません 。

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全)1/4

山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫  勝間和代さんが時の人となる少し前、彼女のその読書量に驚き、速読術について真剣に考えた時期がありました。しかし、時を待たずして、斎藤孝さんの本に「頭で読む本」,「心で読む本」と書かれているのを読んで、「頭で読む本」を読む習慣のない私は、いつもの自分のペースの読書にとどまりました。そして、今回は、山村修さんの「遅読」です。霜月に入って最初の一冊です。 山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 (「狐」は、山本修さんのペンネームです。)  先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。  呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。  この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。 (中略)  前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁)  一度、真昼ごろ、野原のまんなかで、古ぼけた銀のランプに陽の光がはげしく射すころおい、小さな黄色の布カーテンの下から、あらわな手が一つ出て、千切れた紙ぎれを投げた。それはひらひらと風に散って、その向うに今をさかりと咲いている赤爪草(あかつめぐさ)の畑へ、白胡蝶のように舞いおりた。(フローベール,伊吹武彦,訳『ボヴァリー夫人 (上)』岩波文庫) (中略)  いや、なんであっても、白い紙が蝶のようにひらひら舞うという、そのことだけで、馬車という密室での官能的なできごとが露わになっている。  三度目に読んだとき、ようやくその一節に感動した。もとよりうかつなたちである。一度目も二度目もゆっくりと読んではいるのだが、十分にゆっくりではなかったのだ。十分にゆっくり読むと、紙ぎれが頭のなかでかたちをなしてくる。馬車の窓から紙ぎれが投げられて風にひらひらと舞うのが、官能の映像として見えてくる。 (中略)  速すぎず、ゆっくり読むと、馬車の窓からあらわれるエンマ...

須賀敦子「遠い霧の匂い」(全)

狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫 「いきなり現れ、去った文学者の残したもの」 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫  十年前の一九九0年、須賀敦子という聞き覚えのない著者が出したエッセー集『ミラノ 霧の風景』(白水社)を読んだ者は、だれもが目をみはらされた。どうやら処女出版らしい。しかしすでに作家の確信ともいうべき力が文章の内にこもっている。イタリアという異邦の風土をめぐる思いが、書き手の内部ですっかり熟成しているのを感じさせられる。つまり私たちの前に、いきなり文学者が現れたのだった。  そうした日常の局面を、須賀敦子はおどろくべき多彩さでエッセーに書いた。そのエッセーの魅力を知るのに恰好の一文といえるのが、本書所収「ミラノ 霧の風景」の冒頭に置かれた「遠い霧の匂い」だろう。このたった六ページの短文には、霧という自然現象をモチーフに、異郷ミラノの土地の感触が、そしてそこに生きることの哀切、痛み、喜び、希望などが、しんしんと身にしみるように書かれている。その後の須賀敦子のおそらくすべてがこの六ページに凝縮されているといっていい。神品。何度読んでもすばらしい。 (104-105頁)  明日には、 須賀敦子『ミラノ 霧の風景』白水社  が届くと思われ ますが、待ちきれずに、図書館へ「遠い霧の匂い」をコピーしに行こうと思っています。図書館にあることは確認しました。9:30 開館です。朝一番に 行こうと考えています。  朝一番で行ってきました。会社勤めの人たちが出社するかのように、「ぞろぞろぞろぞろ」と皆足早に朝一番の図書館に入っていきました。静かな朝を想像していましたので、呆気にとられました。コピーはやめて、 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出書房新社   を借りてきました。帰路、デニーズさんに立ち寄り読みました。「狐」さんが「神品」とまで賞賛した作品を、なぜいままで知らないままにやり過ごしてきたのか、不思議な気がしています。感想は項を改めて書きます。 須賀敦子「遠い霧の匂い」(全文)  つい今しがた読み終えました。三度目です。前回読んだのはちょうど一月前のことでした。回を重ね、作品の味わいが少しずつわかるようになってきました。「狐」さんが評した「神品」へのとらわれから、解き放たれたこともその要因の一つだと思っています。  以...

向田邦子「あいつ、くすぐっちゃお!!」

向田邦子『言葉が怖い 新潮CD 講演』 「金属バット事件を起こしたひと言」 「外国人にとっての言葉の重み」 「森繁さんの二つの名スピーチ」 「らしい言葉」の貧しさ 「江戸落語のしゃれたひと言」 「 “バカ野郎” も “畜生” もあったほうがいい」 川野黎子「向田さんと言葉」 「あいつ、くすぐっちゃお!!」 「古今亭志ん生さん演じる『火焔太鼓』の中で、骨董屋の若旦那が女房にさんざんにこき下ろされ虚仮にされ、その仇(あだ)を討とうと企んでいる場面で、 「帰ったら今日は女房にさんざんご馳走して腹一杯食わせて、あいつくすぐっちゃお」 という言葉が出てくるんですね。」 「あいつ、くすぐっちゃお」という「洒落たひとこと」に対して向田邦子さんは、 「あたたかみ」 「おかしみ」 「情(じょう)」 「人間の愚かさ」 を感じ、 「目頭が熱くなるんですね」 と話されています。 いかにも穏やかで、余裕があり、ユーモアがあます。そして何よりも、相手への心配りがあります。

「パンデミックのさなかにあって_ “愛” 三題」

「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 マザーテレサ『生命あるすべてのものに』 講談社現代新書 愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版 「いつかお父さんはおっしゃった、誰かを愛する唯一の理由は、理由が無いという事だと。」 福田恆存訳のシェイクスピアの言葉です。  田沼さんは、『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』の「あとがき」をタゴールの言葉で結んでいらっしゃいます。 「子どもたちはみな「神はまだ人間に失望していない」というメッセージを神さまからもらい、この世に生まれてきた。」 ラビーン ドラーナ・タゴール

大岡信「言葉の力」(全)

大岡信「言葉の力」 2015/09/02  人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとはかぎらない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。  京都の嵯峨に住む染色家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。 「この色は何から取り出したんですか。」 「桜からです。」 と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。  私はその話を聞いて、体が一瞬揺らぐような不思議な感じに襲われた。春先、もうまもなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏に揺らめいたからである。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎなかった。  考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことない活動の精髄が、春という時期に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかし我々の限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身...