投稿

ぜひご覧になってください。

白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」

10 渾身の力で取り組む 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書  「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)  この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。  まだ三十代のころの決意です。  亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。  不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。  「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」  私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。  「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。  川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。  「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」  川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。  いままで、「これ渾身」ということについて書いてきましたが、この言葉は、実は幸田文の文章から選びました。この人の初期の作品に『こんなこと...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」

平明(2)ーー読む人の側に立つ 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「よく引用されることですが、英文学者の中野好夫に「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」という言葉があります。教室で学生にいった言葉だそうです。英米文学者の佐伯彰一はこれを「万古不易の翻訳論の名言」といっています。」(105頁) 「万古不易の翻訳論の名言」を知ってしまったからには、使わない手はなく、早速 昨夜の授業から使わせていただいております。  最終的には、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」ほしいのですが、はじめから、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるように」訳されるとちょっと困ります。単語や熟語の意味はわかっているのか、文法や文の成り立ちを理解したうえでの訳なのかが、こちらに伝わってきません。  直訳からはじめています。ガチガチの英文解釈の授業をしています。そして最後に、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」と言うことにしました。  英文和訳の問題を解く場合、私はこの英文をちゃんと理解していますよということを、採点者に示すために、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳」さない方がいい場合もあります。どのくらい「平明」な日本語にしたらいいのか、そのあたりは出題者とのかけ引きです。「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」マルをくれれば一向に構わないのですが。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_食す

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 (4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。 「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」  タラの芽のてんぷらが目の前にちらついて、読みながら、自分も箸をのばしています。文章の力です...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_体言止め。簡潔と粗略は違います」

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  ーーー体言止めについて。  「これも好みの問題ですが、私自身は体言止めの乱用を戒めています。 (中略)  体言止めや助詞止めは和歌や俳句に多いし、新聞の見出しや辞書の説明にも多い。散文にも体言止めの歴史があることは認めます。しかし、散文の場合の体言止め、助詞止めは、言葉を粗略にすることにはならないか、と私は思います。私たちはメモや日記では体言止めを多用します。それはそれでいい。しかし、読者になにかを伝える文章が疎略になってはいけません。谷崎潤一郎は書いています。「いやしくも或る言葉を使ふ以上は、それを丁寧な、正式な形で使ふべきであります」  簡潔と粗略は違います。」(182頁、184頁) 身につまされます。 追伸: 「驚いています」,「驚いてしまいます」,「驚いてしまいました」,「驚きました」。「驚く」としか感情を表現できない私は、「驚く」ばかりを多用しています。我ながら驚いています。  稚拙にすぎます。情けないお話です。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_文の接続と文末表現

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書   を読み終え、一昨夜(2016/01/21)深更、 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書   を買いに書店に行きました。併読中の  司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫   は一時おあずけです。               TWEET「作文( 2015/08/28)」で、 「文章を書く上で厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。  初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきます 。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。  誤字・脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。」 と書きました。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「この作品(「人違い」)の見所は、文節と文節との接続のありようです。接続に使われているのは「とき」です。さきほどの「翌朝」もそうですが、 (中略) 「たぶんその頃…」で、ぱっと場面が変わる。ある場面からある場面へ飛ぶ。切替が早くて読んでいて心地がいい。井伏鱒二は「以前」とか「今年の夏は」とかいう形で、「とき」を文節と文節の接続に使うことの名人だったと思います。 (中略)  井伏は接続詞を使わずに場面の展開をはかり、石橋(湛山)は、接続詞を上手に使って、論旨を進めてゆく。接続詞によって文章の流れは強くなったり、少し曲がったり、また直線になったり、ということになります。」 (230-233頁) 辰濃和男は、接続の問題を「文章の流れ」の中でとらえています。 III 推敲する   7 文末に気を配る 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 「私は文章を書くとき語尾に手こずっている」(井伏鱒二)  井伏鱒二ほどの作家が「語尾(文末)にてこずっている」と書いているのを読むと、やはり日本語は大変なのだなと思います。動詞が文章の末尾にくるせいでしょう。井伏は語尾に手こずっていると書いてはいますが、できあがった作品はみごとなものです。」 (160頁) 「厄介」としか表現できなかった「厄介さ」の所在が、自覚されるようになり...

真鍋俊照『 四国遍路を考える』NHK出版 7/7

◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版 は、P教授から送っていただいた三冊の書籍のうちの一冊である。  2022/11/22 から読みはじめ、昨日読み終えた。途中に「古社寺巡礼の道行き」(2022/11/23 〜 12/01)があり、いつになく変則的な読書になってしまった。  本書は、仏教学者である真鍋俊照が書いた小さな学術書であり、安心して読み継ぐことができた。   「弘法大使信仰と現世利益」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   空海が四国で修行に入ったのは、十八歳ときわめて若かったころのことです。空海は親類の阿刀大足(あとのおおたり)に伴われて長岡京に行き、当時の大学の明経科に入学するのですが、そこでの教育に飽き足らず、悶々とした日々を過ごしていました。そんなとき、空海の前に一人の沙門(しゃもん 僧侶)が現れ、虚空蔵というお経をとなえることで法力を得ることができる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修法(すほう)を授けてくれたのです。そして空海は四国へと渡り、修行に入ります。  のちに空海が書いた有名な『三教指帰(さんごうしいき)』には、仮名乞児(かめいこつじ)という名で空海自身が登場します。その本の書き出しには四国での修行がいかに苦しかったかが語られていて、とくに三つの修業地のことがクローズアップされています。三つの修業地とは、阿波の太龍岳、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山(石鉄山)のことです。これらはいずれも、現在の八十八ヶ所札所に比定することができます。すなわち、太龍岳は第二十一番太龍寺(たいりゅうじ)、室戸岬は第二十四番最御埼寺(ほつみさきじ)、石鎚山ゆかりの札所は、第六十番横峰寺(よこみねじ)と第六十四番前神寺(まえがみじ)です。(130-131頁)  四国八十八ヶ所の札所、およそ 1400km にわたる道のりを、私は歩き通す自信も覚悟も持ち合わせていないが、上記の四か寺の他にも、訪ねてみたいところはいくつかある。まず、弘法大師ご生誕の「善通寺」であり、 讃岐での西行の足跡であり、一遍上人 ご生誕の地といわれている「法厳寺(ほうごんじ)」であって、 「遍路に伝わる病気平癒」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   明治時代、山...

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_鍵は開けられた」

2021/11/19,20 に「高野山」を参拝した。紅葉が盛りを過ぎたころだった。 「身は高野 心は東寺に おさめおく            大師の誓い 新たなりけり」 その後間もなく、 2021/11/26,27  には「東寺」を参拝した。「へんろ笠」には、 「迷故三界城」(迷うがゆえに三界は城) 「何処南北有」(どこに南北があろうか) 「同行二人」 (遍路は自分一人でなくいつも弘法大師と一緒である) 「本来東西無」(本来東西は無く) 「悟故十方空」(悟るがゆえに十方は空) と墨書されている。 そして、 2021/12/06 から「師走に『四国遍路』を渉猟する」を書きはじめた。 この間(かん)のことは定かではないが、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を端緒とした。 ひと月半が経過した。いま「渉猟」の最後に、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 を読みはじめた。空海の入定前年の著である。最晩年に空海は「秘鍵」、秘された、匿された鍵によって、「般若心経」の扉を厳かに開けた。空海における「般若心経」に対する胸中が察せられる出来事である。

新春に『四国遍路』を渉猟する」_「空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫

昨夕(2022/01/24)、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 の初読・再読を終えた。 『般若心経秘鍵』の〔原文 訓み下し〕はもとより、〔口語訳〕についても、つたない理解に終始した。再読後 時が経過し、『秘鍵』は、『般若心経』の「密教的意味」に則した訳でも、読みでもないことに気づいた。愚かだった。先入観の怖さを知った。  空海は『般若心経』を五つに分け、詳細に論じている(五分判釈(ごぶんはんじゃく))。『般若心経』の各句が、「仏教諸宗そして二乗教(南方仏教、小乗教)」の宗旨から成ることを、次々に判じ、評釈していく。空海のその学識、またその手さばきはみごとである。  そしてついには、「このように考えれば、仏教の各種の悟りの心境も内容も、各種の教えもその依りどころも一切合切がこの経(『般若心経』)に説きつくされており、漏れるものは一つとして無いのであります。欠けているもののあろう筈はありません」(82頁)と結論づけている。 『般若心経秘鍵』は、空海の入定前年の著であり、最晩年の作である。  これについて、加藤精一は、「すべての仏教徒が共に『心経』を読み、あるいは書写することによって、仏教徒たちは同じ土俵の上に乗ることができる。万人に共通の光を求めていた空海が『秘鍵』を著作したのはこのためだったと言える」(128頁)と書いている。  空海の果てしない夢である。  加藤精一は、『般若心経秘鍵 』を「般若心経の真意を読み解く秘密の鍵(かぎ)」(45頁)と口語訳している。それは、空海の心意であり、まったくの新釈だった。 『四国遍路』の渉猟を、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を嚆矢とし、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 で終えることができたのは幸運だった。  思いがけずも長期間におよんだが、それは『般若心経』のもつ深遠さに由来するものである。連作は終えるが、寄せる波は続くであろう。よく「持(たも)」つことを心がけたい。  新緑のころには、高野山へ、また東寺へと思っている。

師走に『四国遍路』を渉猟する」_「川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書

一昨日(2021/12/08)の夕方、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 が届いた。一番乗りだった。今回注文した七冊の書籍のなかで最も注視していた本だった。  一昨夜拾い読みし、昨夜読み終えた。昔日の「岩波新書」のよき伝統を継ぐ渾身の書だった。  川崎一洋の実力を知った。川崎の導きによって空海との出会いを果たした。この先のことは、私次第、あなた任せの世界である。  来春新緑が芽吹くころ、高野山を、また東寺を訪ねようと思っている。その際には再読する必要を感じている。復習であり、予習であり、「友情の証( 長田弘「再読は友情の証」 )」である。  やはり空海は天才だった。 読むことを書くことに優先させていただきます。また書く機会もあるかと信じています。 次は、 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 です。早速寄り道です。脱線です。

「師走に『四国遍路』を渉猟する」

「師走に『四国遍路』を渉猟する」 2021/12/06  以下の新書は、出版(2001/04/20)されると間もなく手に入れたが、積読したままになっていた。 ◇ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 下記の三冊は発送待ちである。辰濃さんの文章に触れるのは久しぶりである。 ◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 ◇ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 ◇ 石川文洋『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』岩波新書  ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『遍歴放浪の世界』NHKブックス 以上 五冊は学生時代に読んだ。紀野一義さんの本をよく読んだ。 ◆ 紀野一義『明恵上人―静かで透明な生き方』PHP研究所  また、下記の文庫も見つかった。 ◆ 公方俊良『般若心経 90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』知的生きかた文庫 玄侑宗久さんのお名前は早くから存じ上げていたが、はじめて文章に触れたのは、 ◆玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」(『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会) だった。 ◇ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を注文した。 検索しているうちに、柳澤桂子さんが気になりはじめ、 ◇『般若心経 いのちの対話』(文藝春秋 2006年12月号での玄侑宗久との対談)』 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ◇ 柳澤桂子『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』小学館 また、多田富雄さんが気になりはじめ、 ◇ 多田富雄,柳澤桂子『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』集英社文庫 を注文した。  本の世界で『四国遍路』を渉猟する際にも、八十八冊ほどの書籍は必要となりそうな勢いである。今日から本が届く。年内に、遅くとも年始までには読み終えようと思っている。師走との “かけっこ” である。「いのち」の森厳に触れる、「同行二人」での道行である。

「新春に『四国遍路』を渉猟する」

「新春に『四国遍路』を渉猟する」 2022/01/01 頌春 新春のお慶びを申し上げます。 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  この寺(五十八番霊場「 仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。  養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)  遊ぶとは生半なことではない。一大事である。一時(いっとき)の気まぐれな戯れとは様相を異にしている。遊戯三昧の境地からすれば、雲と遊び、雲と消えることなど如何ほどのことでもないだろう。 「ご住職」の「小山田憲正(おやまだけんしょう)さん」は、「このごろ、人に頼まれて字を書くときは『遊べ』と書くそうだ。」(辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 212,215頁)   いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺(めいせきじ)にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」(141頁) (四十二番霊場)仏木寺(ぶつもくじ)は銀木犀(ぎんもくせい)の香りに包まれていた。茅葺きの鐘楼がいい。「悟りの花はどこに咲く。悩みの池の中に咲く」と書かれた立て札があった。それを見ていた団体遍路のおばさんが「ほんとじゃろか」と笑っていたのがおもしろかった。(129頁) 「ほんとじゃろか」 「おばさん」はたくましく、たくましい「おばさん」に与(くみ) するに如くはなく、と思っている。

師走に『四国遍路』を渉猟する」_「辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社

一昨日(2021/12/31)の夕刻すぎ、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 を読み終えた。  たくさんの言葉に接し消化不良を起こしている。 「土を踏む」ことと「風に祈る」こと、それだけでいいというのは、その二つの単純な動詞さえ大切にすれば、あとのことは重要であっても最重要ではない、という意味だ。 「土を踏む」、つまり日々、歩くことをつづければ、どんな御利益があるだろう。  まず、野生をよみがえらせることができる。いいかえれば、生命力が強くなる。  自立心がます。楽天的な思いが湧く。なにごともセーカイセーカイダイセーカイ(正解正解大正解)だと思う。おろかで、欠点だらけの自分に出あうことができる。へんろ道は己の「魔」を照らす「照魔鏡」である。  そして、人との大切な出あいがある。  たくさんのお接待をいただき、手をあわせる。感謝をする。そのことが、人間が生きるうえでの基本だということを知る。  感謝はさらにひろがる。大自然の営みへの感謝がある。  大自然の営みに感謝する祈り ー それこそが「風に祈る」ということだ。私の体験のなかでは、「土を踏む」ことが「風に祈る」ことにつながり、「風に祈る」ことが「土を踏む ことをさらにうながしている。(337頁) 「土を踏む」という言葉が、何百万年前の太古にさかのぼるのに対して「風に祈る」という言葉は一輪の花から宇宙空間にまでひろがってゆく。「風に祈る」の「風」は、風そのものだけではなく、空・風・火(光)・水・地という宇宙を象徴する言葉の代表選手として使っているつもりだ。  究極の祈りは、宇宙の営みへの感謝の祈りである。(「あとがき」341頁)  へんろ道は「祈りの空間」である。(「あとがき」340頁) ◆ 高群逸枝著,堀場清子校註『娘巡礼記』岩波文庫 「高群は出かける前「道の千里をつくし、漂泊の野に息(いこ)はばや」と書いている。  高群が四国を回ったのは一九一八年で、二十四歳のときだった。六月から十月までの長い旅である。当時のへんろ道では、「山で若い女が殺されたり、姦(おか)されたり」することがあるという噂話もあった。しかし高群は書く。「でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある」という意気込みだった。  顔や手足に虫が這う草むらで野宿をする。小川のそばに毛布を敷いて寝る。テントも寝袋...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 6/6

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。  今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。  どちらの道を行こうか、どこまで歩いて行こうか、どの宿にしようかと迷うことがある。どんなに迷っても、一度きめてその道を選び、一度きめてその宿を選んだ以上は、その選択が「正解正解大正解」だったと思う。そう思いこむ。選択が間違っていたかどうかなどといつまでもぐじぐじ考えず、まずは正解だったと思う。それも一つの修行だろう。  セーカイセーカイダイセーカイというつぶやきがでてくる。迷ったからこそ、いまこの小宇宙に独りでいることができる。深い山の懐にあって、雲の流れをこころゆくまで眺めることができる。見渡す限り、人の姿はなく、山々は深い沈黙のなかにある。なんとぜいたくなことだろう。これこそ、大正解でなくてなんだろう。そんな感じをもった。   この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。  迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。  私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。  いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺にこんな立て札があっ...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_再会 5/

「再 会」   辰濃和男『四国遍路』岩波新書  土との融和、について書きたい。  四十六番札所浄瑠璃寺をお参りしたとき。名誉住職、岡田章敬師に話を聞いた。 「土はお地蔵さんだ」と師はいう。 「お地蔵さまの本体は土そのものなんです。真言宗の秘密の解釈として「地蔵は土なんぞお」と先輩がもらすことがありました。地球そのものがお地蔵さまなんですね。土の中からたくさんの草が生えてくる。あれはお地蔵さまの活動の表れなんですよ」 「私どもも土から生まれてきて、死んだあと土に帰ってゆくんですな。私は、死んだら骨壷などに入れないでじかに土に入れてもらいたいといっているんです。土に帰ってお地蔵さまに抱かれたい、と思いますね」  人は土をコンクリートで覆うことに熱中してきた。舗装道路はぬかるみをなくし、車の流れをよくしたが、お地蔵さまの力を封じこめ、人を土から遠ざけてしまった。私たちは土に触れることが少なくなり、お地蔵さまの力を感じとる機会が少なくなった。 (中略)  金子みすゞの詩に。「かあさん知らぬ / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / 土はひとりで育てます。 / 草があおあお / しげったら / 土はかくれてしまうのに」  章敬師流にいえば、草の子を育てているのは地蔵の力なのだ。土は手柄話はしない。何千万の草の子を育てたんだなどと自慢げにいったりしない。しかも、草が育ったあと、土は隠れてしまい、黙って次の草の子を育てる準備に入る。それこそが大いなるものの営みなのだろう。そこには、際々しいさかしらごころというものがない。 (157-158頁) 『四国遍路』で金子みすゞさんに出会うとは思ってもみませんでした。  長い間顧みられなかった金子みすゞが見出され、1984年8月に、 ◇ 金子みすゞ,与田準一『金子みすゞ全集』JULA出版局 が発売されると、間もなく購入しました。卒業論文のテーマを、金子みすゞにしようか、種田山頭火にしようかと迷いつつ、それなりの資料に目を通しました。山頭火について読む中で、同じ無季自由律俳句の大山澄太に出会うのは当然の成り行きでした。結局、金子みすゞも種田山頭火も私の手には負えず、「倉本聰 シナリオ文学私論」という題名で、私は卒業論文を書きました。学生時代には、早坂暁さんのテレビドラマを見ていました。また、何冊かのシ...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_履く 4/

「8 履く」  辰濃和男『四国遍路』岩波新書  薬王寺を過ぎると、あとは海辺の道を歩くことが多くなる。初遍路では軽登山靴を履いていたが、あのときは、ちょうどこのあたりで右の膝を痛め、足をひきずりながら歩くことになった。    こんどのお遍路で選んだのは、山歩きのときに履く愛用の革製登山靴だった。靴のなかには、うすい靴下と厚手のウールの靴下の二枚を着用している。むれる感じはあるが、両足が堅固に守られている安心感がある。 「そんな靴じゃ、重たくて歩きにくいでしょ」。そういって私の登山靴を見つめるお遍路さんもいたが、「とんでもない。この靴のおかげで快調です」とむきになって反論した。反論はしたものの、いかに堅固な靴に守られていても、足のあちこちに痛みがでてくるのは避けられない。絆創膏(ばんそうこう)やらをべたべたと足に貼るのが朝の行事になった。    長丁場では靴の選択はきわめて大切な意味をもつ。  遍路修行の若いお坊さんに出あうと、私はまず足元を見る。たいていは真新しいウォーキングシューズで、地下足袋や草履の坊さんはまずいない。「地下足袋で足を痛くした先輩の話をよく聞きますからね。このごろは、みなウォーキングシューズか登山靴です」。修行僧がそういっていた。  名僧山本玄峰は一八七〇年代、何回も四国遍路をしているが、記録によると裸足(はだし)で回ったという。目がかなり不自由だったうえの「裸足参り」である。厳しい修行を己に課すためのお遍路だった。  一九一八年にお遍路をした高群逸枝は草履だった。  演歌師、添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)は一九三〇年代前半、何年間もお遍路をしているが、このときは地下足袋だ。  種田山頭火も地下足袋だ。一九三九年の遍路日記に、地下足袋が破れて、左の足を痛めて困っていたところ、運よくゴム長靴の一方が捨ててあるのを見つけた。それを裂いて足袋代用にしたので助かった、と書いている。  草履ー地下足袋ー歩行用の靴、という変遷をたどって、登山靴派が現れた。  引用が長くなってしまいましたが、私の今の興味は「履く」ことにありますので了解していただくことにして、早速 登山靴で舗装された道路を歩いてみようと思っています。  吉田宿の近くに住んでいます。まず手はじめに、近辺の東海道を歩いてみます。デイパックを背負って東海道を歩いている人たちが結構います。今ま...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_動詞を大切にする。3/

  なにはともあれ、六十八歳から七十歳までの間に続けた私の「区切り打ち歩き遍路」は終わった。たくさんのことを学んだ。いちばん大きいのは「動詞」を大切にする、ということだった。  動詞は、抽象的、論理的なことがらが苦手で、人のからだやこころの動きに寄り添っているところがある。等身大で、具体的で、行動的だ。そういう動詞の数々と親しむ生き方をお遍路は教えてくれた。(225頁) 辰濃和男『四国遍路』岩波新書   目次には、 誘われる、着る、歩く、いただく、打たれる、出あう、はぐれる、履く、 解き放つ、突き破る、泊まる その一、包みこむ、体得する、あこがれる、食べる、ほどこす、 痛む、泊まる その二、迷う、修行する、回る、融和する その一、遊ぶ、ゆだねる、 哭く、死ぬ、捨てる、融和する その二、洗う、結ぶ、 の、三十の動詞と、そして番外として、 番外 登る が記されています。  辰濃和男さんのご案内で八十八ヶ所を巡る旅は、三十一の動詞に思いをめぐらせる旅でもありました。  四国遍路に誘われ、いま 石鎚山にあこがれています。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_私のへんろ道です。2/

今年  はじめての本です。 ◇  辰濃和男 『四国遍路』岩波新書  あれこれ拾い読みはしていましたが、一冊の本を通読するのは今年(2016/01/13)になってはじめてです。  第一刷は、2001/04/20 に発刊されています。私の手元にあるのは、 2001/05/10 に発行された第三刷です。およそ15年の積読を経て、ようやく日の目を見ることになりました。  つい今しがた、父のつき添いで行った歯科医院から帰宅しました。待ち時間に読んでいました。南に面した暖かな日射しの射す待合室で、うつらうつらしながらの読書でした。 「菅笠と金剛杖は新しいものを買った。菅笠には「同行二人(どうぎょうににん)」と書かれていて、さらに 迷故三界城 悟故十方空  迷うが故に三界(さんがい)は城 悟るが故に十方(じゅっぽう)は空 本来無東西 何処有南北 本来東西無し 何処(いずく)にか南北有らん  と書かれている。迷えば狭い枠のなか、悟れば宇宙のただなかだ、風にまかせて歩くだけ、といった意味だろうか。  お遍路の旅は、たとえひとり歩きでも、「同行二人」だという。いつもお大師さんがついていてくださるという意味で、それでは「お大師さんがついていてくださる」とはどういうことなのか。これをからだで知るまでには長い道のりが必要なのだ。」(14-15頁)  辰濃和男さんの書かれた『四国遍路』は、私のへんろ道をはじめるにあたっての恰好の道連れです。「同行三人」です。

「師走に『四国遍路』を渉猟する_辰濃和男『四国遍路』岩波新書」1/

昨夕(2021/12/25)、 ◆ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 を、二回目の接種後に読み終えた。二巡目の読書だったが、多少のことを思い出すにすぎなかった。 「へんろ道」は生と死、死と再生の交錯する道である。「はぐれびと」たちの行き交う道である。  辰濃さんが、千数百キロメートルを、七十一日かけて歩いた道であり、本書は多くの話題から成っている。  「出あったときが別れだぞ」  松原泰道師は父の祖来和尚からそう教えられたという。(中略)泰道師は一期一会(いちごいちえ)について書いている。「一期は人間の一生、一会はただの一度の出会いです。これほど「一」の肅然としたたたずまいを感じる語は、他に類例をみません。(『禅語百選』祥伝社、一九八五年 43頁)  陳腐に成り下がった語が息を吹き返した。これは、 「それ(戦国武将がのぞんだ茶会)は自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった。」 ( 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  175頁)   でも経験した。  自省・自責・自虐の言葉には嫌気がさした。文章の品位を失する。もうやり過ごした時節のことであり、 「そんな方法では、真に自己を知る事は出来ない、さういふ小賢しい方法は、むしろ自己欺瞞に導かれる道だと言えよう。」(小林秀雄『人生について』角川文庫 36頁) と、いまは確信している。  空海は、 「吾れ永く山に帰らん」 と言い遺している。 原始 の森、いのちの息吹き、 太古の闇。 いま、「石鎚の霊峰」がしきりに気になる。 「澗水(かんすい) 一杯 / 朝(あした)に命(めい)を支え / 山霞一咽(さんかいちいん)/ 夕に神(しん)を谷(やしな)ふ」(朝には清らかな水を飲んで命を支え、夕には山の気を吸って霊妙な精神を養う)(9-10頁) 「高野往来」 以降、四国路がにわかに迫ってきた。 以下、「 辰濃和男『四国遍路』岩波新書_ まとめて」です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」私のへんろ道です。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」動詞を大切にする。 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」履く ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会 ◇ 「地下足袋で歩きながら、つらつらと」セエーカイセエーカイダイセエーカイ

小林秀雄「美は人を沈黙させる」

昨夜(2021/12/27)、 ◆ 小林秀雄『人生について』角川文庫 ◇「私の人生観」 を読み終えた。一読後、間をおかずに再読した。  幾度か目を通したお馴染みの文章であるが、いまだに釈然としない内容もあり、それは後日を期すほかないだろう。  本評言は、講演の記録であるが、小林秀雄は講演の逐語録の出版を許さず、その後、推敲・加筆されたものである。「私の人生観」という軽薄な「課題」は、主催者の意向であり、小林秀雄は、仏教のいう「観」「観法」から話をはじめ、そ知らぬ顔をしている。  画は、何にも教えはしない、画から何かを教わる人もない。画は見る人の前に現存していれば足りるのだ。美は人を沈黙させます。どんな芸術も、その創り出した一種の感動に充ちた沈黙によって生き永らえてきた。どの様に解釈してみても、遂に口を噤むより外はない或るものにぶつかる、これが例えば万葉の歌が、今日でも生きている所以である。つまり理解に対して抵抗して来たわけだ。解られて了えばおしまいだ。解って了うとは、原物はもう不要になるという事です。 (中略)  俳句ぐらい寡黙な詩形はない、と言うより、芭蕉は、詩人にとって表現するとは黙する事だ、というパラドックスを体得した最大の詩人である。 (中略)  現代小説に関して、評家達は、思想性が足りぬとか仮構性が足りぬとかいろいろの註文をつけている様ですが、私が強いて註文をつければ、沈黙が一番足りまいと言うでしょう。 (中略)  言霊を信じた万葉の歌人は、言絶えてかくおもしろき、と歌ったが、外のものにせよ内のものにせよ、言絶えた実在の知覚がなければ、文学というものもありますまい。(54-55頁)  いったん沈黙に捕えられるや、ただ茫然と立ち尽くすばかりである。時間の、また空間の所在が曖昧になる。沈黙が私を拐(さら)ってゆく。自足した、充ちたりたときに身を委ねる。  最近では、このような至福のときを求めて、旅をし、また読書を重ねている。 「観」「観法」から敷衍された多くの話題は、それぞれが皆独立した作品のテーマとなるような、深刻な題材ばかりであり、小林秀雄はこれらを私たち読者に預けるような格好で展覧した。  一時(いっとき)に多くのものを負ったように感じている。

團伊玖磨さんの波及効果「ひこうき雲」7/7

 昨日(2015/09/05)、消息を絶った「戦闘機」を捜し求めて、ネットサーフィンしているうちに、思わね副産物を手に入れました。團伊玖磨さんの波及効果です。  團伊玖磨さんは、荒井由実さんの曲について、下記のように書かれています。いずれも「孫引き」です。 「はじめにきいたのは『紙ヒコーキ』『ひこうき雲』など。それからはいろいろ。それらを耳にして、非常に驚き、感激もしたのです。なぜならば、そこには、過去の日本の作曲家がやろうとしてできなかった、べたべたしたものからの飛躍があったからです。」 (「朝日新聞」七七年一月十一日夕刊) 「先ず、詩が良い。それと同時に、メロディーに不要な装飾が無く、その事が詩を生かすのだと言う事も気付いた。この娘の上には、いつも曇り空が拡がっていて、どの歌からも、クールな、現代の無愛想さが、不思議なリリシズムとなって流れてくる。そして、よく聴いていると、一見無愛想に動くような動かないようなメロディーが、単に決して無愛想なものでは無い事が感じられてくる。」  (團伊玖磨『好きな歌・嫌いな歌』文春文庫)  昨年の夏 20年あまりぶりに映画館に行きました。宮崎駿さんの「風立ちぬ」を見ました。荒井由美さんの「ひこうき雲」は「風立ちぬ」の主題歌です、と書きましたが、昨日はじめて知りました。早速 iTunes Store で求めて聞いています。両作品の底流をなす切なさ、哀しみに心が痛みます。 「風立ちぬ」には、堀越二郎が美味しそうに煙草を吸う幾つかの場面が出てきます。だいじょうぶなのかな、と思って見 ていました。すると、数日後の asahi.com には、「風立ちぬ」には、主人公が美味しそうに煙草を吸うシーンがたくさんあり困惑している、という主旨の、嫌煙団体さんからのお叱言が掲載されていました。さすがの嫌煙団体さんも、宮崎駿さんを相手にしては、批判の切っ先が鈍ったのか、あたりさわりのない表現でした。  TAMIYA の「三菱 零式艦上戦闘機」のプラモデルを買いました。堀越二郎技師を設計主務者として設計された零戦です。塗料も筆も接着剤も、一式そろえましたが、作るのが惜しくていまだにそのままにしてあります。 追伸: 下世話な話ですが…。 ヒロインの里見菜穂子の「きて」という言葉が印象的でした。

團伊玖磨『パイプのけむり_書籍紹介』朝日新聞社 6/7

團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社  学生時代 P教授の下宿にお邪魔した際、『パイプのけむり』をすすめられました。雑然とした P教授の下宿は宝の山でした。既刊分はたちまち読み終えました。  愉快でした。痛快でした。  音楽の世界は新鮮でした。たくさんの人たちを知り、各国各地への道案内もしていただきました。食についても多くのことを学びました。私にとって、團伊玖磨さんは「ダンチガイ」の人でした。 今後(2025/09/06)印象に残っている作品について書く予定でいます。 To be continued.  ◇ 下記、 「團伊玖磨ノート」 より抜粋させていただきました。 制作から18年を要しいまだに未完成という、みごとな、息の長いお仕事ぶりです。すてきなウェブサイトです。 下記、書名です。 たとえば、二段目の「1967」年に発刊された「続」との表記は、書名が『続 パイプのけむり』であることを示しています。以下、「パイプのけむり」を添えて読んでください。 パイプのけむり   続             (1967)   続々         (1968)   又             (1969)   又々         (1970)   まだ         (1972)   まだまだ    (1973)   も一つ     (1975)   なお         (1976)   なおなお    (1978)   重ねて     (1980)   重ね重ね (1981)   なおかつ (1982)   またして (1983)   さて         (1984)   さてさて (198...

團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 5/7

「ソラ・ソラ・シラミ」 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 「戦争中、陸軍軍楽隊の上等兵だった時は、同じく上等兵だった作曲の芥川也寸志君と二人で、編曲室と書いた木札をぶら下げた隊内の一室に籠り、大きな木の机を中に、向かい合って坐ったまま、何となく仔細らしい顔付きをして毎日を過ごしていた。」  「そんなある日の午後、虱が一匹机の上を這っているのを芥川君が見付けた。  「虱だね」彼が言った。  「虱だな」僕が言った。 (中略)  「虱だね」と彼がつまらなそうに言い、  「虱だな」と僕もつまらなくそう言いながら、退屈していた僕達は、どちらからともなく一寸したゲームを始めた。  虱 ーしらみ、これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの、つまり、音階名の中に含まれている名前である。si・la・mi ーこの小さな旋律を二人で歌っているうちに、この si・la・mi の三音符からなる小さな旋律が、妙に情緒のある音型であるので、二人は全く嬉しくなってしまい、それを少し延ばして、   そらそら虱!   どらどら虱!   見れど見れど虱!   虱!  という、全部ドレミファの中にある発音だけでそのまま歌える小さな歌を共作して、それを楽しんで歌っているうちに、どうやらこれは、少々演技を付けて歌った方が面白かろうということになり、(後略)」 「マッハ1.3」 團伊玖磨『又 パイプのけむり』朝日新聞社 「心の中で緊急脱出の手順を復誦し終ると、僕は、第二0六飛行隊長大◯勝美三佐に伴われて飛行場に出た。丁度上空に漂っていた薄雲の割れ目から射した陽の光の大きな縞の中に、燦然と、今日これから乗るF104戦闘機は数機並んでいた。  「あの一番右側の501号機が、これから貴方に乗って戴く機です。操縦は隊長の私がいたします。」 「では八丈にさよならをして上昇します。八丈と房総の間の海上で、超音速飛行とアクロバット飛行を行ないます。」 「では、ぼつぼつ霞ヶ浦でも見物して、百里の基地に帰りましょう。それにしても、團さん、貴方は職業を間違えましたね。パイロットになれば良かった。少しも怖わがらないばかりか、もっとロールをしろとか、背面の儘飛べとかは、怖ろしくて、仲々素人は言えないものですよ。」 「帰り、土浦の一つ先きの石岡から乗った常盤線の夜の列車の中で、僕は、一人で考えていた。今日の飛行は僅かに五十分だった。...

「團伊玖磨さんの七転八倒 『薬研堀』」4/7

「薬研堀」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』  味噌汁にぱらりと薬研堀(やげんぼり〈唐辛子〉)を振りかける。その程度なら一寸(ちょつと)乙なものだと思う。ところがその程度では最早(もはや)僕には効(き)かないのである。従ってどうするかと言うと、蓋(ふた)を開(あ)けて、がさがさと内容を味噌汁に落とし、箸(はし)でかきまわして、真赤な汁を作り、それを辛さに打ち震えながら飲むのである。口中猛火に焼け爛(ただ)れるが如(ごと)く、激痛は咽喉(のど)から食道まで及ぶ。身体(からだ)に怖(おそ)らく悪(わ)るいだろうと反省はするのだが、どうにもこうにも、こうしなければ味噌汁なんぞは飲んだ気もしない。  味噌汁だけならまだ良いのだが、何から何まで薬研堀で真赤にまぶさなければ食べた気がせず、この頃は、刺身だろうが茹(ゆ)で卵だろうがキャベツ巻きだろうがスパゲッティだろうが、要するに何から何までを真(ま)っ赤(か)っ赤(か)にして涙ながらに物を食う。如何(いか)なるところに原因があってこんな恥ずかしいことになってしまったのか、全く他人(ひと)にも言えやしない。  辛子気狂いになったのは、生まれてから二度目である。今から二十何年前、兵隊だった時、一度辛子病になったことがあった。その時は理由がはっきりしていて、あまりの空腹のため、軍隊の食事が足らず、普通に食べればすぐに食べ切ってしまってあとには不満が残る。そこで、戦友と語らって、外出の機会に薬研堀を買って来て、滅茶々々に飯の上に振りかけて食べた。そうすると、辛さのために早く食べることが出来ず、ゆっくり食べることとなり、何がなし食べたという満足が残るのだった。そして、不思議なことに、殆んどあらゆる食品が統制されていた戦争末期にも、どういう訳か、七味唐辛子だけは自由販売であって、又、軍隊の中に持ち込んでも叱られなかった。  その時はそういう賤(いや)しさが原因で辛子を好んだから原因が判るとして、一体何でこの頃急に辛子が欲しくて欲しくてたまらないのかは、どう考えても判らない。(16-17頁,20-21頁)

「動詞_食す その一」3/7

 一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。  文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだとき、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 ◇ 西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ 「三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。」 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_トルコ・コーヒー」2/7

「トルコ・コーヒー」 團伊玖磨『パイプのけむり 選集 食』   十年も前の事だった。インスタント・コーヒーの宣伝に出て欲しいとの申し込みを受けた。何でも「ちがいがわかる男」とか言うキャッチ・フレーズで、インスタントのコーヒーを飲んでいる姿を写真とヴィデオに撮るのだと言う。貧乏な作曲家にとっては目の玉の飛び出るような礼金も約束されていた。然(しか)し、コーヒーには色々な淹れ方があって、その色々な淹れ方を楽しんでいる男が、ちがいがわかる等と言ってはインスタント・コヒーのメーカーや販売元に悪かろうと考えた。そして、この話しはお断りした。あとでお金が必要だった時、あno 時の宣伝を引き受けていたならとの思いがちらちらと脳裡(のうり)を横切りはしたが、嘘(うそ)を吐(つ)く訳には行かなかったのだから致し方無い。  トルコ・コヒーの香りの中で、ふと、急に昔の事を思い出した。そして、矢張り嘘を吐かなくて良かったと思った。 (218頁)

團伊玖磨「食_料理って?」1/7

團伊玖磨「食_料理って?」 「北京烤鴨子」  團伊玖磨『まだまだ パイプのけむり』  香港に居る、親しい料理通の馬浩中さんが言った言葉を思い出す。或る時、香港では一番美味な烤鴨子〈北京ダック〉を食べさせるというので、よく僕達が行く、九龍のネーザン・ロードとキンバーリー・ロードの角に近い皇后大酒楼で、僕達は鴨子を餅(ビン)に包みながら話していた。北京生まれの彼は、何時(いつ)ものように礼儀正しく、然し一寸(ちょっと)得意そうにこう言った。 「ね、團さん、僕はね、中國料理、西洋料理、日本料理をさんざん食べた末にこう思うのですがね。どうも、本当に料理と呼べるものは中國料理だけだと思うんですよ。料理という語は、料と理という二字から成っていますね、西洋料理はね、種類が少なくて粗雑な材料を何とかして美味(おい)しく食べようとして、ソースやグレイヴィーに凝ったりして、詰まり、悪い材料を何とかしようという理ばかりが発達したものだと思います。日本料理はその反対で、國が小さい関係で、何處(どこ)ででも新しい材料が手に入り易く、そんな関係で、新鮮な材料の美味しさに負(お)んぶしてしまうために、それをもっと美味しく食べようという理が発達せず、詰まり、材料の料だけのように思えるのです。日本料理は料だけ、西洋料理は理だけで、両方とも片輪です。それに較べて中國料理は、材料の豊富さと良さに加えて、それをより美味しく食べるための理論も備わっている訳ですから、これこそ料理なのですよ。そうお思いになりませんか」  僕はその話を聞きながら、全くだと考えた。(204頁) ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫(63-64頁)

「どれみそら」への郷愁_阪田寛夫,工藤直子『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社

阪田寛夫,工藤直子(聞き手)『どれみそら―書いて創って歌って聴いて』河出書房新社 ◇ はじめに著書のご紹介です。 「『サッちゃん』をはじめ数々の名曲を生み出した著者が、音につつまれ、音楽を朋として歩んだ思い出や心の底を流れるドレミソラの響き、音の記憶を語りそして綴る。」 ● 小さい頃、僕のまわりには「どれみそら」が飛びかっていた ● 「また、小学校に入ってびっくりしたのは「あいうえお」を皆で音読したときです。」 「小学校に入ったら皆もう「あいうえお」を知ってて、五十音図を横にも言えるんです。しかも調子あわせて、みんなが突然(大阪弁で)うたいだした。♪ あ・か・さ・タ・な・ハ・マ・や・ら・わ と。「た」で少し、「はま」でうんと高くなり、「な」と「わ」で下がる。「ドドドレラ.ソソドレラ.」って感じ。ちょっとついていけないなあと、子ども心に思いました(笑)。」 「こんなふうにあえて西洋の音階に翻訳してみると、みんな「ドレミソラ」の中のどれかを使っているんですね。」 「さっきの「あ・か・さ・タ・な…」なんかは、ぜいたくに四つも使っています。」 「子どもたちが遊び歌にフシをつけて歌うと、みんなこの五音(ドレミソラ)におさまります。ファとかシは、子どもの自然なフシまわしの中にはないみたいです。  いわば日本のわらべ歌の基本音というか。(後略)」(八頁-十二頁) ● ドレミソラにファとシが加わると、ちょっと気取る ● 「『かなりや』西条八十作詞・成田為三作曲(「赤い鳥」大正七年十一月)」 「そのあと突然、三拍子に変わって西洋風になります。で、♪月夜の海に浮かべればーァー、この「ァー」が、旋律(ふし)の中で初めて出てくるファの音なんですね。この部分を歌うと、なんか、ちょっとすまして表情まで気取ってくる(笑)。」(八頁-十二頁) ◇ 私にとって、芸術の世界にお住まいの方々のお話は、いつも新鮮な驚きに満ちています。 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 が書きかけのままになっています。申し訳なく思っております。團伊玖磨さんからもたくさんのことを教えていただきました。

茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書(全)

茂木健一郎 「すべては音楽から生まれる」   お読みになる際には、下記の順序でお読みください。 ◇  茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 ◇  茂木健一郎 『すべては音楽から生まれる』PHP新書  下記、茂木健一郎 さんと江村哲二(作曲家)さんの対談集『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書 の「目 次 ※ Contents」です。 まえがき ーー「聴く」ということ 江村哲二 〈第1楽章〉 音楽を「聴く」 世界には掛け値なしの芸術作品が存在している モーツァルトが抱えていた「闇」は創造の本質を物語る 世にも美しい音楽と数学の関係 「耳を澄ます」という芸術がある 自分のなかにある音を聴く《4分43秒》という思想 創造するとは、自分自身を切り刻むということ 「聴く」ことが脳に及ばす影響とは? 〈第2楽章〉音楽を「知る」 西洋音楽を考える基本要素 ー 楽譜中心主義 日本人としてのオリジナリティ 「頭の中で鳴る音楽」は自分だけのものか? 「作曲は自分の音を聴くこと』ー ジョン・ケージの問題提起 〈第3楽章〉 音楽に「出会う」 芸術とポピュリズムの狭間で 現代音楽入門 ー 無調・12音技法はなぜ生まれたか? クラッシックは「ブーム」たりうるか? 世にも不思議な「一回性」という麻薬 名演が生まれるとき、「迷演」となる?! 米国産「ミュージカル」は好きですか? クラッシック音楽の台所事情 〈第4楽章〉音楽を「考える」 クラッシックは日本に浸透するか?「1%」の高い壁 「お子様向けクラシック」を排除しよう! クラッシック音楽の多メディア的展開 「美しさ」の感知は、最初のインプットが肝心 美や真理は批評なくしては生まれない 日本にも辛口批評と野蛮人精神を 音楽の密度と思考の密度はイコールである 人生の転機はホメオスタシスの一部である そして、生命哲学の問いが、音楽と結びつく あとがき ー 音楽の精神からの「誕生」 茂木健一郎 「究極の指揮者はふらない」 江村  音楽の世界なら、バーンスタインが言っているけれども「自分が指揮者になれるか、自分に指揮者の能力があるかどうか、など考えたこともなかった。ただただ音楽が好きで好きで仕方なくて音楽をやっていた」と。実際にウィーン・フィルのコントラバス奏者から聞いたのですが、バーンスタインの振る指揮棒は、...