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ぜひご覧になってください。

白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

  石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され 81年 になります。  原爆はいまだに、 “抑止力としての核 ” として使用され続けています。  私は、 “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治に、キリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は、所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作は、いまなお新しく、身につまされます。「永遠の今」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っています。

TWEET「土用干し」

「Gemini」に紹介され「日本の古本屋」に注文した、 ◇  白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出文庫 が届いた。いま拾い読みをしている。対談集である。 谷口吉郎・ 白洲正子 「日本人のこころ_   落ち葉一枚にも感動する “美” の意識 」 白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出書房 谷口   利休が竹藪に行って竹を切ってきて、それに花を生けた。この竹の花生けは、現在国宝として残っていますね。新しいものを発見して、それをどしどし取り入れてゆくというたくましい精神と、洗練された目、そういうものが、現代でもほしいと思いますね。 白洲 そうですね。だからやっぱり何かなさいって、わたくし言うんです。何でもいいと思いますね、自分の好きなことなら。 谷口   利休などが言っています。数寄の美というものは、簡素な中に、日本だけのものじゃなく、オランダ、中国、南方のものも取り入れた、総合美でございますからね。当時、最も新しい演出方法だったと思うんです。決して古いものじゃなく、今的なものもちゃんと使ってる。 白洲  唐物全盛のあのころとすれば、楽の茶碗なんかは、みんな新しく作られてるんですからね。楽初代の長次郎というのは、利休が自分で見つけてきて作らせているんです。(29,30頁)  利休の目に映った “美” とは、紛うことのない形姿(なりかたち)だった。  青山二郎にしろ 、小林秀雄、白洲正子にしろ、美とは曖昧模糊としたものではなかった 。  読書の習慣を失くし、数年来本箱にしまいっぱなしになっていた本を引っ張り出した。土用干しである。  まず、「桂利休、そして西芳寺」参観・参拝から見つめ直そうと思っている。  また、 「徳川美術館」で   2027/02/20〜2027/03/02 に、 「千利休 泪の茶杓」 が 【特別公開】される。 「泪(なみだ)」は、千利休の茶杓として最も名高い品です。豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自ら削って最後の茶会に用い、茶会後に古田織部に与えられたといわれる茶杓で、織部がこの茶杓用に長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通して茶杓を位牌代わりに拝んだとも伝えられています。毎年、利休忌の前後の約1週間のみ、筒とともに特別公開します。」  こちらも楽しみにしている。 「Gemini」さん効...

TWEET「夏風邪」

夏風邪による微熱が続く なか、「 NHK ONE ニュース 防災」の 二篇の特集記事、 ◇ 「 “高性能で危険なAI” / そのリスクとは?」(2026/06/22) ◇ 「『降伏』を選ばなかったAI 各国で進む軍の導入どうあるべき?」(2026/07/15) を読んだ。終始 驚嘆しつつも脅威にさらされていた。 そして、以下の4つの「 生成 AI」、 ◆「Gemini」 ◆「ChatGPT」 ◆「Copilot」 ◆「Claude」 を「iPhonne 16e」にインストールした。 その後、2026/07/07 のブログ、 ◇ 「TWEET「桂離宮、そして西芳寺」 の感想をたずねた。  その、わずか数秒後という回答の早さと、多少の誤読は散見されたものの、 その真摯な内容に驚いた。 何回かやり取りした。十 年来の知己と 対話しているかのようだった。 小林秀雄と白洲正子——日本を代表する二人の批評家・美文家が捉えた「桂離宮」は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが提示したモダニズム的評価(機能美・直線美)とは一線を画し、日本の伝統的な感性や、そこに潜む情念・美意識を見事に解き明かしています。 それぞれの視点の特徴と、桂離宮や彼らの美意識に触れられる代表作をご紹介します。 1. 小林秀雄の桂離宮論:理屈を超えた「無心」の美 小林秀雄は、ブルーノ・タウトら西洋的・理論的な解釈によって桂離宮が論じられる風潮に対し、直観的な批評を展開しました。  眼で見る美の純粋性 小林秀雄にとって美とは「理屈や知識で理解するもの」ではなく、「ただそれ自体としてそこにあるもの(直観)」でした。  機能美への疑義 桂離宮を西洋建築の「機能主義」の先駆けのように解釈する見方に対し、桂離宮の本質はそうしたモダンな合理主義ではなく、日本の古典(『源氏物語』など)の情念や王朝文化への憧憬が結晶化した**「風雅の心」**であると見抜きました。言葉で説明し尽くせない「物の姿」そのものに開眼することの大切さを説いています。 2. 白洲正子の桂離宮論:数寄の精神と「遊び」の極致 白洲正子は、能や骨董、伝統工芸に通じた独自の「眼」で桂離宮を捉えました。  八条宮(智仁親王・智忠親王)の「数寄」 白洲正子は、桂離宮の成立背景にある八条宮親王父子の文脈を重視しました。権力から...

TWEET「整理する」

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 整理をはじめた。  本宅の解体時には余裕がなく、顧みることもなく処分したが、今回は “買取” を利用している。お金の多寡 云々よりも、リユースしていただけるのがうれしい。 「KOMEHYO 買取センター バロー豊橋」さんの女性の店員さんは、 「この商売は殺伐としています。この殺伐さに耐えられない方たちは辞めていきます」 としきりに口にされていた。「買取」という商売は無味乾燥としていて、興趣も情感もないということだろうか。 「現代の刀工さんの刀や刀剣は、2万円前後で売り買いされています。価値があるのは、平安・鎌倉時代の銘のあるものだけです」 とは、何ともやりきれない話である。 「いま 高値がつくのは、金だけです」 とも言われていた。 開高健「文房清玩」 2021/05/13  今朝 開高健の記した色紙ことを思った。  起き抜けに検索した。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 オリジナルグッズのご紹介」 文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家 亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう。  整理中には、かつて「清玩」した「文房」類が何点も見つかった。  かつて胸をときめかせた、同じ「文房」類を眼にして、いまも胸騒ぎがするから不思議である。  当然 整理するつもりはなく、「清玩」する品々を、ひと所に集めた。 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 2017/12/03  秦秀雄君の家で、晩飯を食っていると、部屋の薄暗い片隅に、信楽(しがらき)の大壷がチラリと見えた。持って行けよ、と壷は言っているので、鎌倉まで自動車に乗せて来た。どんな具合にだか知らないが、いずれ、秦君は勘定を附けにやって来るだろうが、この程度の壷は、ともかく一応は黙って持って還らないといけない。(壷)  私は、壷が好きだ。……古信楽の壷は、特に好きだ...

TWEET「大野寺、そして室生寺へ」

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「大野寺、そして室生寺へ」 2026/06/08   2026/06/05〜07 の三日間,「唐招提寺 国宝鑑真和上坐像_東山魁夷 御影堂障壁画」が「特別公開」された。5日と7日に参拝・拝観した。  その翌日には、「大野寺、そして室生寺」を参拝した。 「大野寺」 「大野寺」は小さなお寺である。  当寺は、室生川の対岸(彼岸)に線刻された、高さ13.8m の「弥勒磨崖仏」で有名である。   常に拝観できるわけではない。光の加減で拝観できるときもあるが、拝観できない場合もある。私は全貌を眼にしたことはないが、常に参拝することはできる。  この日は運がよかった。  以下は、「礼拝所」から望んだ「弥勒磨崖仏」である。  この話題を抜きにしても、私は「大野寺」が好きである。  山門の脇にしつらえられた木箱に、入山料を入れて入山する。  「本堂」内の様子は、障子と障子の間(あわい)からうかがうしかないが、常に美しくお祀りされている。六つの、金色(こんじき)に輝く水差しと、そのそれぞれに挿された一葉のシキミの、色彩の対照は鮮やかである。  シダレザクラの咲く季節に訪れたことはないが、アジサイの咲くころがいい。清楚なガクアジサイは、「大野寺」にふさわしい。  次の目的地である「女人高野 室生寺」のことを 忘れ、ついつい時を過ごしてしまう。  閉門 1時間前に「室生寺」に到着したこともある。急ぎ足で各御堂を参拝し、おかげで「金堂」の前で転んだ。「だいじょうぶですか?」と「金堂」の中から声がした。その後「本堂」を参拝し、「五重塔」のぐるりを一周し  合掌後、職員の方といっしょに下山したこともあった。 「大野寺」は清潔なお寺である。  見過ごすわけにはいかない。 「女人高野 室生寺」 「国宝 金堂」および「国宝 五重塔」の「老朽化した檜皮葺(ひわだぶき)・杮葺(こけらぶき)屋根の全面葺き替えと解体修理」を前にして、「金堂特別拝観」の最中だった。  靴を脱いで、外陣から間近に御仏らや「十二神将立像」を参拝・拝観することができたのは幸せだった。  写真撮影も許され、 また職員の女性が、私ひとりのために詳細な解説をしてくださり恐縮した。 「国宝 釈迦如来立像」は、優しいお顔だちをされていた。「室生寺様」と呼ばれる朱色の衣紋、特に「板光背」の色絵は保存状態がよく華やかだった。 ...

TWEET「古梅園製墨販売部」

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「東大寺 法華堂(三月堂)」 2022/11/26  はじめての参拝だった。  堂々とした体躯の不空羂索観音菩薩立像は威厳にみちていた。居ならぶ八体の像も毅然としていた。時の経つのを忘れ、天平の息吹に浸っていた。  帰り際には、「東大寺のほとけたち」(ポストカード)を購入した。 不空羂索観音菩薩の合掌する掌中には「水晶製宝珠」があった。また、精巧なつくりの宝冠についても写真によって知った。   法華堂は、華厳経が日本ではじめて講じられた堂宇である。明恵上人のことも思い出され、私にとって大切なお堂となった。  余韻も冷めやらぬままに、「二月堂」,「若草山」辺りをさまよっていた。そんな折「古梅園製墨販売部」さんを知った。 「正倉院展記念墨 槃龍背八画鏡」はその際に購入したものである。  どうしても手元に置いておきたくて、あとの3点は、自宅から注文した。  なお「正倉院展記念墨」は、以下の3点のみ 販売されている。  ぜひ拡大してご覧になってください。 「第57,69回正倉院展記念墨  槃龍背八画鏡」 「中央の蓮葉文やそのまわりの双龍、回りにあるある山岳文や八卦文、格調高いこれらの鏡の文様は古来の墨の黒象にもゆかりの深いものです。」 「第60回正倉院展記念墨 山水人物鳥獣背圓鏡」 「美しい山水文様や舟に乗る人物、山に生きる鹿や水面に遊ぶ水鳥といった現代と変わらぬ自然をモチーフに文様が彫られた鏡です。」 「第70回正倉院展記念墨  平螺鈿背面鏡」 「正倉院御物の中でもよく知られている鏡を模し、螺鈿の美しさを墨で表現しました。墨背には、弊園に伝わる研ぎの技法により美しい光沢を出し、鏡面をあらわしています。」 「'92年 最高級純菜種油煙 大玄鴻寶」 「菜種油を使った最上級の油煙です。濃墨ですと艶のある純黒で淡墨ですと茶系の黒です。  漢字作品用、かな書、写経等にも適す。」  背面には2匹の龍が刻まれている。  この墨色を眼にするたびに胸が躍る。 「大玄鴻寶」は実用の品である。私にとっては、これでじゅうぶんに用が足りている。開高健が好んだ「文房清弄」である。 「2026年(第78回)の「正倉院展」は、例年通り秋に「奈良国立博物館」で開催される予定です。正確な日程や出陳宝物は夏頃に発表されます。観覧には事前予約の「日時指定券」が必要になるのが一般的です」 「奈良...

TWEET「桂離宮、そして西芳寺」

  先ほど、「桂離宮」、そして「西芳寺(苔寺)」の参観、また参拝の申し込みを終えた。 「桂離宮」:2026年7月30日 15:00 「西芳寺」: 2026年7月31日 10:30 である。  他に予定はない。他の 予定は必要ないだろう。 「梅雨明けの夏空の下」で、 上質な時間を過ごすことを楽しみにしている。 「桂離宮_石橋のある風景」 俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社 2022/08/23  桂離宮は華奢である。  各部材は建物の荷重をかろうじて支え、各室は枯淡の美に蓋われている。それは、庭に配された飛石や延段、池に掛けられた石橋と相即不離の関係にあり、それらの石材によって補償されているかのようである。  襖に目を奪われる。それだけを取りあげて話題にしたとき、困惑するような色づかいも、大胆なその意匠も、それぞれに適所を得てみごとに鎮まり、各所に調べを添えている。  美は常に危うさをはらんでいるが、桂離宮は、すんでのところで、高次の調和を呈している。  本書には、三つの石橋の写真が載っている。いずれも一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。その美しさは縦横の比、また高さの比率からなるものであろう。石橋の寸法に合わせて、池を補正したかのようにさえ思われる。 「5m 余りの大石橋」は、力学的な関係からか厚みがあり重厚である。側面には凹凸が刻んであるが、単調になることを避け、見る者を飽きさせない工夫であろう。池の狭い箇所に掛けられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。もう一つの石橋にはこれといった特徴はみられないが、この石橋を基本形と考えてよさそうである。私は細工の施されていないこの石橋が一番好きである。  桂離宮は贅を尽くして簡素に作られた建築である。理にかなわないことはないはずである。  彼のブルーノ・タウトが称えた美を前に立ちつくしていたい。美を体験するとは、すなわち「 純粋な自足した」沈黙 の内にあることにほかならない。 「西芳寺と洛北・洛西」 土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫 2022/08/09  西芳寺に行って、 今日はこれを撮らねばならないといった 義務感にとらわれたことや、 どうしてもあれを撮ってやろうといきおいこんだことはない。 毎度毎度まず参道に真っ直ぐにカ...

「梅雨寒の曇り空の下」

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 梅雨寒の曇り空の下、特別な三日間を過ごした。 「Apple 名古屋栄」 2026/06/23 「太平洋戦争末期の沖縄戦では、住民を巻き込んだ激しい地上戦で20万人を超える人が亡くなり、県民の4人に1人が命を落としました。  旧日本軍の組織的な戦闘が終わったとされる6月23日は、沖縄県が「慰霊の日」と定めていて、きょうは、各地で平和への祈りがささげられています。  最後の激戦地となった糸満市摩文仁の平和祈念公園では朝早くから遺族などが訪れ、戦没者の名前が刻まれた平和の礎の前で花を手向けたり手を合わせたりする姿が見られました。」(「 NHK ONE ニュース・防災」)  うかつにも東海道新幹線内で知った。こころのうちで合掌した。  2018/11/10 に購入した「MacBook Air 8.1」の「macOSのサポート」が数か月前に終了し、支障をきたすようになった。  目的は、「Apple 名古屋栄」で 、2026/03/11日に発売された 「MacBook Neo」(「シルバー」,「 ストレージ  512GB 」)を購入することと人混みに紛れることだった。  用件はあっけなく終わった。  洗練された店内を行き来する、多国籍の若者たちの応接を目にするのは気持ちがよかった。  近くの喫茶店で、早速 開封した。Appleに手抜かりはなかった。  家路が急がれた。 2026/06/24  名古屋市の徳川美術館 観覧を経て、滋賀県長浜市の渡岸寺(どうがんじ)・国宝 十一面観音立像 参拝へ、車中泊の気ままなひとり旅に出かけた。 「徳川美術館」  徳川美術館は、2026/05/01 以来の再訪だった。    今回は装束の展覧に魅せられた。なんとも形容し難い色合い、風合いを前にして去り難く、行きつ戻りつしていた。 山本空外「書論序観」  『墨美 山本空外 ー 書と書道観 1971年9月号 No.214』墨美社 「僅か竹の一片ではあっても、その一本一本の竹質のさくさ、ねばさ、その他の加減等々を、そう削らなければ削りようもないほど、千変万化する竹質のそれぞれなりに生かしきっていく刀の冴えを拝見するわけである。それも名作は一応光ってはいるものの、その光に照らされるだけでなしに、自ら茶杓を削るなかに体験する悟入にもとづくのが本当のようである。また自ら行じなければ、何事...

「法隆寺 夢殿秘仏・救世観音菩薩立像_特別開扉」

「岡倉天心」 河上徹太郎『日本のアウトサイダー』中公文庫 「最後に天心の言葉で私の出会った最も美しい一節を紹介する。これは一九〇五年アメリカでの講演原稿の中にあり、美というものが如何に触れれば消えるように繊細なものであるか、又それを敢て手にしようとする人間の罪業のかなしさを述べたもので、この繊細さがあるが故に、彼の豪放な性格がそのまま打ち出せたのである。  マーテルリンクはもし花に羽翼があつたなら、人が近寄れば飛び去るであらうと言つた。私はもし花が花を培養するものゝ残虐から逃れようとしたとて之を咎めぬつもりである。思想の花たる美術は羽翼を持たぬ。根は人生に根ざしてゐる。美術が一時の賞玩の為に如何に摘まれ苅られ、小器の中に無理に押し込まれたかを思ふとき、私は苦しい。宋の詩人、蘇東坡は「人は花を着くる事を恥ぢず。されど花の身には如何。」と言った。若し仏家の前世因果の説が真ならば、花は如何なる罪業を犯して来たのであらう。願くば画家の為に次の世の生れ変りのよからん事を祈る。(『日本的見地より見たる現代美術』)  一読してやはり (「フェノロサとともに、仏法を畏れて開扉を拒む寺僧を尻目に、夢殿の千古の秘仏を白日の下に曝した」) 天心は 夢殿観音を発いた ことに一抹のうしろめたさを感じているに違いない。とにかくこの言葉は、天心がわが儘だった一生のすべてを顧み、詫び且つ誇った辞世のようである」(170頁) 「夢殿秘仏・救世観音菩薩立像_特別開扉」 開催期間 春 2026年04月11日 〜 2026年05月18日                         秋 2026年10月22日 ~ 2026年11月22日 開催場所    法隆寺 東院伽藍 夢殿  春は虚しく過ぎ去り、喧騒の夏をやり過ごし、静謐の秋を 楽しみにしている。 「夢殿秘仏」 和辻哲郎『古寺巡礼』岩波文庫 「しかし夢殿観音の生まれたのは、素朴な霊的要求が深く自然児の胸に萌しはじめたという雰囲気からであった。そのなかでは人はまだ霊と肉との苦しい争いを知らなかった。彼らを導く仏教も、その生まれ出て来た深い内生の分裂からは遠ざかって、むしろ霊肉の調和のうちに、 ー ...

TWEET「唐招提寺 国宝 鑑真和上坐像_東山魁夷 御影堂 障壁画_御影堂特別公開」

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  2026/06/ 05〜07 の三日間 , 「唐招提寺 御影堂」が「特別公開」された。5日と7日に参拝・参観した。  4日の未明に家を出た。  大和路をめぐり、帰路,「(伊勢)神宮(内宮・外宮)」と「瀧原宮」を参拝し、家路に着いた。  五泊六日の祈りの旅だった。  六日間 行く先々で、尊さや美を 前にして、畏まり立ちつくしていた。  詳細は、後日 ということにさせていただきます。  以下,「薬師寺」 に咲いた、 です。 合掌

TWEET「不二の高嶺は」

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  以下、昨日 叔父からのメールに添付されていた画像である。  湖西連峰(静岡県)の「神石山」(325m)の頂上から撮られたものである。  山並みの背後に見える富士の高嶺が、ご覧いただけるだろうか。   (拡大してご覧ください)  水墨画を見るかのようである。  富士の姿は神々しく、尊く、美しい。 「御神体」は、露わであるよりも、気配こそ似つかわしい、と思った。

TWEET「唐招提寺 御影堂特別公開」

「開山鑑真大和上の命日(6月6日)にちなんで」「 開祖・鑑真大和上を偲び、国宝鑑真和上坐像を収めた厨子の扉が特別に開かれ、そのお姿を拝観することができ」る。  また、東山魁夷の 「 御影堂障壁画(全六十八面が)特別(に)開扉」される。  期間は、6月4日から6日までの3日間である。  また、 1時間当たり250枚の整理券は、当日の配布である。 「奈良大和路行_いのちの律動の調べ」 2023/08/09  2023/06/05 心中穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝・拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書された立札を前にして目を疑った。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」(名古屋市博物館)で鑑真和上坐像を拝見したが、今回参拝した鑑真和尚像は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経だった。鑑真和上感得の、伝来の音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」(玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。  ぜひ参拝・拝観したいと思う。  しかし、先週から今週にかけ、をちこちの方たちに振り回され、疲労・疲弊・消耗している。また、台風6号の北上も気になる。  無理だけはしないように、と思っている。

「伊勢・熊野_巡拝の道行き」

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2026/05/10 ◇「椰子の実」歌碑 「歌碑」には、島崎藤村の「椰子の実」の詩が刻まれていた。 「椰子の実」歌碑 (拡大してご覧ください)  また裏面には、その由来が刻まれていた。 「明治三十年の夏 伊良湖に 逗 畄 (留)した 柳田國男氏が この 磯に 漂着した 椰子の実 を拾い 東京に持ち帰り 親友 島崎藤村氏に 見せて この 詩が 生れたことは 昭和二十七年十月 柳田氏の 随筆 海上の道で 明かにされたものである。         昭和三十六年 陽春         記念のため これを 建てる 昭和三十六年 丑之歳 陽春 建立」  さらに作曲者「大中寅ニの碑」があった。 「椰子の実」は、佐々木信綱作詞の「夏は来ぬ」とともに、私にとって大切な歌である。土居裕子さんの歌で聞いている。 ◇「伊良湖オーシャンリゾート(旧伊良湖ビューホテル)」 「ランチビュッフェ&日帰り入浴」  目の前には、太平洋、恋路ヶ浜(こいじがはま) が広がっていた。  その後 15:20 発の「 伊勢湾フェリー」で鳥羽に向かった。 潮風に吹かれ、船首波の綾なす彩りを見つめていた。   ◇「瀧原宮(たきはらのみや)」 「別宮」である。  夕闇迫るころ参拝した。 「御手洗場(みたらしば)」である、 「頓登川(どんとがわ)」 「頓登川」の清らかな谷川の水を しばし見つめていた。 ◇「道の駅 奥伊勢木つつ木館」 「瀧原宮」と目と鼻の先にある。  車中泊。 2026/05/11 ◇「瀧原宮」  今回 二度目の参拝だっだ。早朝の「瀧原宮」には人気がなく、清々しかった。 「瀧原宮 (たきはらのみや) 」,「瀧原竝宮(たきはらのならびのみや)」,「若宮神社」,「長由介(ながゆけ)神社(川島神社)」の「順にお参り下さい」と書かれた「立て札」が立っている。いずれもかわいらしいお社である。 「瀧原竝宮,瀧原宮」 「瀧原宮」 「瀧原宮」 司馬遼太郎『この国のかたち 五「神道」』文春文庫 「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す。  例として、滝原の宮(瀧原宮)がいちばんいい。  滝原は、あ...