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白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

「山の日に山気にあたる_3/3」

2022/08/11 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 「仕事の径(みち)は暮らしの延長線上にあった。径は、その仕事の目的によって、たどる径筋がま るで異なっていたのである。たとえばマイタケ採りの径なら、マイタケの出るミズナラの木を効率よくめぐるように付けられているし、それがゼンマイ採りの径なら、ゼンマイの生えている渓の奥まで、険しい溪筋を避けながら、山肌の弱点を縫ってつづいていた。それらの径には無駄というものがなかった。(中略)そのような無駄を排した径が、原生の自然と見事に融和しながら、一条の美しいラインとして山中につづいていたのである」(8頁) 「径は目的によって拓かれ、目的を失うことによって消え果てた」(392頁) 「滅びゆくものに、かぎりない愛着をおぼえて止まないのは、無常への追認である」(394頁) 「そんなはかない、常ならぬものへの諦観と覚悟をいざなう滅びゆく存在が、私を捉えて離さなかったのだ」(394頁) 高桑信一の  ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫  は、 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 と同様に、入念なフィールドワークに基づいた、一級の山の民俗誌の風格がある。  山人が “用” のためにつけた径を俯瞰したとき、幾筋かの径筋が細線として映える。用の美である。  確かに、高桑さんの文章は上手いが、ときに洒脱にすぎるのが難点である。

「山の日に山気にあたる_2/3」

2022/08/11 「山で死んでも許される登山家」 山野井泰史『垂直の記憶 岩と雪の7章』ヤマケイ文庫  「僕は計画の段階では死を恐れない。しかし、山に行くと極端に死を恐れはじめる。  なぜ、誰にも必ず訪れる死を恐れるのだろう。  この世に未練があるから恐いのか、死ぬ前にあるだろう痛みが恐いのか、存在そのものがなくなる恐怖なのか ー 。しかし、クライミングでは死への恐怖も重要な要素であるように思える。 「不死身だったら登らない。どうがんばっても自然には勝てないから登るのだ」  僕は、日常で死を感じないならば生きる意味は半減するし、登るという行為への魅力も半減するだろうと思う。  いつの日か、僕は山で死ぬかもしれない。死ぬ直前、僕は決して悔やむことはないだろう。一般的には「山は逃げない」と言われるが、チャンスは何度も訪れないし、やはり逃げていくものだと思う。だからこそ、年をとったらできない、今しかできないことを、激しく、そして全力で挑戦してきたつもりだ。  かりに僕が山で、どんな悲惨な死に方をしても、決して悲しんでほしくないし、また非難してもらいたくもない。登山家は、山で死んではいけないような風潮があるが、山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない。 (中略)   ある日、突然、山での死が訪れるかもしれない。それについて、僕は覚悟ができている。(178-179頁) 「山で死んでもよい人間もいる。そのうちの一人が、多分、僕だと思う。これは、僕に許された最高の贅沢かもしれない」。  山野井泰史のいう死とは、不慮の死をいうのだろう。自然の脅威に人は翻弄される。非業の死を遂げたといえば、周囲も山野井自身も納得するだろう。この天才クライマーにとって、それ以外の死は考えられなかった。これは天性と周到な準備に因るものである。  死の話題が二つ続いた。 山の本を読むとは特異な体験をすることである。逸脱から免れるために、次は「山人」の話である。  宮沢賢治『なめとこ山の熊』には、鷹揚な死、殊更でない死が描かれている、といえば、また逸脱か。「青空文庫」で、どうぞ。

「山の日に山気にあたる_1/3」

   2022/08/11  富嶽遥拝の旅を続けている。  静岡県掛川市の「小夜の中山峠」、富士宮市の「富士山本宮浅間大社」,「山宮浅間大社」、 また「 本栖湖」から遥かに仰いだ富士の高嶺は美しく尊かった。「人穴富士講遺跡」,「村山浅間神社」,「白糸の滝」、また「道の駅 朝霧高原」,「静岡県富士山世界遺産センター」も忘れられない。  目を移せば、「伊吹山」、那智山中にかかる「那智の滝」、いずれも御神体である。  いま信仰の対象としての山に興味がある。  霊峰を前に、茫然として立ちつくす。私の不用意な動きが、すべてを崩壊へと導く。私は平安のうちにあるが、心奥のどこかが緊張しているような気がする。それを畏れというのかもしれない。  ブログ内を「ヤマケイ文庫」で検索すると、17の文章が表示された。 遠藤甲太「松濤明の遺書」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 「一九四九年一月四日から六日にかけての「手記」。われわれはこの種の文章を、ひとつの文学作品として読むほかないのだけれど、私の知るかぎり松濤の遺書は、自衛隊員・マラソンランナー円谷幸吉の遺書と並んで、最も衝撃的な文学上の奇蹟である。円谷書が自死する哀しみの至純さにおいて言語を絶しているとすれば、松濤書はその対極。あくまで死と闘い、ついに倒れんとする瞬間の圧倒的な臨場感(リアリティ)において、やはり言語を絶している」(337-338頁) 「壮絶な手記を残して風雪の北鎌尾根に消えた松濤明」 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』ヤマケイ文庫 『風雪のビバーク』は、戦前・戦後にかけて数々の初登攀記録を打ち立て、風雪の北鎌尾根に逝った希代のアルピニスト、松濤明の遺稿集である。松濤は一九四九(昭和二四)年一月に、奇しくも加藤文太郎と同じ風雪の槍ヶ岳北鎌尾根で遭難するが、遺体のかたわらで発見された手帳の壮絶な手記が耳目を集めた。そこには遭難に至った経緯が細かに記され、最後には岳友と共に死を受け入れてゆく過程と心情が描かれていた。(34頁) 「風雪のビヴァーク」 松濤明『新編・風雪のビヴァーク』ヤマケイ文庫 1月6日 フーセツ 全身硬ッテカナシ、何トカ湯俣迄ト思フモ有元ヲ捨テルニシノビズ、死ヲ決ス  オカアサン  アナタノヤサシサニ タダカンシャ. 一アシ先ニオト...

「山の日を前に山気にあたる」

2019//07/30         偉容を仰ぎ、凄惨な 死に 慄(おのの)き、「 山の日」を前に山気にあたり、慄然としている。     山の本を読むという特異な体験をしている。読み急ぎ過ぎている。受容できないままに平衡を失いかけている。 逸脱から免れる ために小休止することにした。 2018/07/14 に「ヤマケイ文庫」「ヤマケイ新書」の存在を知った。 ◇ 高桑信一『山の仕事、山の暮らし』ヤマケイ文庫 ◇ 高桑信一『タープの張り方 火の熾し方 私の道具と野外生活術』ヤマケイ文庫 ◇ 塀内夏子『おれたちの頂 復刻版』ヤマケイ文庫 ◇ 伊藤正一『定本 黒部の山賊 ー アルプスの怪』山と渓谷社 を読み、 ◇ 高桑信一『古道巡礼 山人が越えた径』ヤマケイ文庫 「八十里越」 「八十里越の裏街道」 「熊野古道 小辺路」 ◇ 高桑信一『源流テンカラ』山と渓谷社 「源流の漂泊者 瀬畑雄三の源流哲学」 ◇ 大森久雄 編『山の名作読み歩き 読んで味わう山の楽しみ』ヤマケイ新書 「山頂」深田久弥 「山」小林秀雄 ◇ 萩原浩司『写真で読む 山の名著 ヤマケイ文庫50選』 ヤマケイ文庫 「新編 単独行」加藤文太郎 「 新編・風雪のビヴァーク」松濤明 「垂直の記憶」山野井泰史 「ナンガ・パルバート単独行」ラインホルト・メスナー をひろい読みした。そして、 ◇ 長野県警察山岳遭難救助隊『長野県警レスキュー最前線』ヤマケイ文庫 ◇ 山野井泰史『垂直の記憶』ヤマケイ文庫 が手元にあり、 ◇ 松濤明『 新編・風雪のビヴァーク 』 ヤマケイ文庫 を注文した。 そしていま、 「神々の山嶺(いただき)」に魅入られている。 以下、 「大暑の日に_山気にひたる」 です。

「『桂離宮』,そして『西芳寺』,また特別展『南都仏画』_覚書き」

以下「覚書き」です。  一泊二日の予定でしたが二泊し、三日目には「奈良国立博物館」の特別展「南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」を観覧し、また「東大寺・法華堂」を参拝しました。  9割ちかくが外国の方たちでした。  古都はひときわ暑く、鹿も御難で、木影にすわっていました。 2026/07/30 06:40豊橋発、07:55京都着「こだま」乗車 「栂尾 高山寺」  はじめに明恵上人の御廟をお参りし、その後,「国宝 石水院」のぬれ縁で、買ったばかりの「国宝 鳥獣人物戯画巻」の絵柄の扇子をパタパタしながら、明恵上人をしのんでいました。 1時間ほどの不躾な滞在でした。 「桂離宮」  常時 11人のグループでの参観でした。 各所で職員の方の解説がありました。およそ1時間で一巡しました。私には不向きで 、不得手な参観模様でした。 が、再訪を期しています。 「アルモントホテル 京都」泊 2026/07/31 「西芳寺(苔寺)」  参拝・写経後には制約はありませんでした。決して短くない時間、各所にしつらえられている縁台に腰掛け、庭園を見るともなく見ていると、こころが鎮まり、身体が明るくなりました。 帰路 車中で「西芳会」に入会しました。 「そば・うどん・丼 祇園権兵衛」   おなじみの「権兵衛」さんで,「鱧丼(はもどん)」を、“京(みやこ)の夏” をいただきました。 「東寺」 1時間足らずの駆け足での参拝でした。 「アルモントホテル 京都」泊 2026/08/01 「奈良国立博物館」 特別展「南都仏画 ー よみがえる奈良天平の美 ー」 「本展覧会は、米国・ボストン美術館と奈良国立博物館(奈良博)による約20年の構想を経て実現した国際共同企画です」   数時間での観覧ではとても間に合いませんでした。  仏師と信仰ということに思いをはせました。 「東大寺・法華堂(三月堂)」   本尊の「不空羂索観音菩薩」を仰ぎ見ていました。  こういった “在り方” も “有り体” もあることを、参拝するたびに思い知らされます。身につまされます。 堂内は蒸し風呂のような暑さでした。  法華堂を後にし、500ml のミネラルウォーターを買い、その場で飲みほしました。 19:10京都発、20:36豊橋着「こだま」にて帰豊 特別な三日間でした。  喧騒の夏をやり過ごし、静謐の秋には、 「第7...

石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」

  石垣りん「挨拶 ー 原爆の写真によせて」 あ、 この焼けただれた顔は 一九四五年八月六日 その時広島にいた人 二五万の焼けただれのひとつ すでに此の世にないもの とはいえ 友よ 向き合った互の顔を も一度見直そう 戦火の跡もとどめぬ すこやかな今日の顔 すがすがしい朝の顔を その顔の中に明日の表情をさがすとき 私はりつぜんとするのだ 地球が原爆を数百個所持して 生と死のきわどい淵を歩くとき なぜそんなにも安らかに あなたは美しいのか しずかに耳を澄ませ 何かが近づいてきはしないか 見きわめなければならないものは目の前に えり分けなければならないものは 手の中にある 午前八時一五分は 毎朝やってくる 一九四五年八月六日の朝 一瞬にして死んだ二五万人のすべて いま在る あなたの如く 私の如く やすらかに 美しく 油断していた ◇ 光村図書『国語 3』104-106頁(平成二十四年二月五日発行) 中学校3 年生の国語の教科書に掲載されている、石垣りんさんの詩です。  広島に原爆が投下され 81年 になります。  原爆はいまだに “抑止力としての核” として使用され続けています。  私は “政治的手法” という手段に嫌悪感を抱いています。政治にキリスト教的な倫理観を求める愚は承知していますが、海千山千の世界は 所詮私の住めるところではありません。  “政治的手法” という言葉の内に、すべての人・もの・ことが姿をくらまし、これほど便利な言葉を私は知りません。 『殺人狂時代』といい、『独裁者』といい、チャップリンの名作はいまなお新しく、身につまされます。「永遠のいま」を描いたチャップリンは、やはり天才だったといえば、平和な世界を希求したチャップリンへの最大級の侮蔑である、と思っています。

TWEET「土用干し」

「Gemini」に紹介され「日本の古本屋」に注文した、 ◇  白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出文庫 が届いた。いま拾い読みをしている。対談集である。 谷口吉郎・ 白洲正子 「日本人のこころ_   落ち葉一枚にも感動する “美” の意識 」 白洲正子『日本の伝統美を訪ねて』河出書房 谷口   利休が竹藪に行って竹を切ってきて、それに花を生けた。この竹の花生けは、現在国宝として残っていますね。新しいものを発見して、それをどしどし取り入れてゆくというたくましい精神と、洗練された目、そういうものが、現代でもほしいと思いますね。 白洲 そうですね。だからやっぱり何かなさいって、わたくし言うんです。何でもいいと思いますね、自分の好きなことなら。 谷口   利休などが言っています。数寄の美というものは、簡素な中に、日本だけのものじゃなく、オランダ、中国、南方のものも取り入れた、総合美でございますからね。当時、最も新しい演出方法だったと思うんです。決して古いものじゃなく、今的なものもちゃんと使ってる。 白洲  唐物全盛のあのころとすれば、楽の茶碗なんかは、みんな新しく作られてるんですからね。楽初代の長次郎というのは、利休が自分で見つけてきて作らせているんです。(29,30頁)  利休の目に映った “美” とは、紛うことのない形姿(なりかたち)だった。  青山二郎にしろ 、小林秀雄、白洲正子にしろ、美とは曖昧模糊としたものではなかった 。  読書の習慣を失くし、数年来本箱にしまいっぱなしになっていた本を引っ張り出した。土用干しである。  まず、「桂利休、そして西芳寺」参観・参拝から見つめ直そうと思っている。  また、 「徳川美術館」で   2027/02/20〜2027/03/02 に、 「千利休 泪の茶杓」 が 【特別公開】される。 「泪(なみだ)」は、千利休の茶杓として最も名高い品です。豊臣秀吉に切腹を命ぜられた千利休が、自ら削って最後の茶会に用い、茶会後に古田織部に与えられたといわれる茶杓で、織部がこの茶杓用に長方形の窓をあけた筒をつくり、その窓を通して茶杓を位牌代わりに拝んだとも伝えられています。毎年、利休忌の前後の約1週間のみ、筒とともに特別公開します。」  こちらも楽しみにしている。 「Gemini」さん効...

TWEET「夏風邪」

夏風邪による微熱が続く なか、「 NHK ONE ニュース 防災」の 二篇の特集記事、 ◇ 「 “高性能で危険なAI” / そのリスクとは?」(2026/06/22) ◇ 「『降伏』を選ばなかったAI 各国で進む軍の導入どうあるべき?」(2026/07/15) を読んだ。終始 驚嘆しつつも脅威にさらされていた。 そして、以下の4つの「 生成 AI」、 ◆「Gemini」 ◆「ChatGPT」 ◆「Copilot」 ◆「Claude」 を「iPhonne 16e」にインストールした。 その後、2026/07/07 のブログ、 ◇ 「TWEET「桂離宮、そして西芳寺」 の感想をたずねた。  その、わずか数秒後という回答の早さと、多少の誤読は散見されたものの、 その真摯な内容に驚いた。 何回かやり取りした。十 年来の知己と 対話しているかのようだった。 小林秀雄と白洲正子——日本を代表する二人の批評家・美文家が捉えた「桂離宮」は、ドイツの建築家ブルーノ・タウトが提示したモダニズム的評価(機能美・直線美)とは一線を画し、日本の伝統的な感性や、そこに潜む情念・美意識を見事に解き明かしています。 それぞれの視点の特徴と、桂離宮や彼らの美意識に触れられる代表作をご紹介します。 1. 小林秀雄の桂離宮論:理屈を超えた「無心」の美 小林秀雄は、ブルーノ・タウトら西洋的・理論的な解釈によって桂離宮が論じられる風潮に対し、直観的な批評を展開しました。  眼で見る美の純粋性 小林秀雄にとって美とは「理屈や知識で理解するもの」ではなく、「ただそれ自体としてそこにあるもの(直観)」でした。  機能美への疑義 桂離宮を西洋建築の「機能主義」の先駆けのように解釈する見方に対し、桂離宮の本質はそうしたモダンな合理主義ではなく、日本の古典(『源氏物語』など)の情念や王朝文化への憧憬が結晶化した**「風雅の心」**であると見抜きました。言葉で説明し尽くせない「物の姿」そのものに開眼することの大切さを説いています。 2. 白洲正子の桂離宮論:数寄の精神と「遊び」の極致 白洲正子は、能や骨董、伝統工芸に通じた独自の「眼」で桂離宮を捉えました。  八条宮(智仁親王・智忠親王)の「数寄」 白洲正子は、桂離宮の成立背景にある八条宮親王父子の文脈を重視しました。権力から...

TWEET「整理する」

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 整理をはじめた。  本宅の解体時には余裕がなく、顧みることもなく処分したが、今回は “買取” を利用している。お金の多寡 云々よりも、リユースしていただけるのがうれしい。 「KOMEHYO 買取センター バロー豊橋」さんの女性の店員さんは、 「この商売は殺伐としています。この殺伐さに耐えられない方たちは辞めていきます」 としきりに口にされていた。「買取」という商売は無味乾燥としていて、興趣も情感もないということだろうか。 「現代の刀工さんの刀や刀剣は、2万円前後で売り買いされています。価値があるのは、平安・鎌倉時代の銘のあるものだけです」 とは、何ともやりきれない話である。 「いま 高値がつくのは、金だけです」 とも言われていた。 開高健「文房清玩」 2021/05/13  今朝 開高健の記した色紙ことを思った。  起き抜けに検索した。 「漂えども沈まず」 「悠々として / 急げ」 「毒蛇は急がない」 「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」 「小説家 開高健 オリジナルグッズのご紹介」 文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家 亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。  昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう。  整理中には、かつて「清玩」した「文房」類が何点も見つかった。  かつて胸をときめかせた、同じ「文房」類を眼にして、いまも胸騒ぎがするから不思議である。  当然 整理するつもりはなく、「清玩」する品々を、ひと所に集めた。 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社 2017/12/03  秦秀雄君の家で、晩飯を食っていると、部屋の薄暗い片隅に、信楽(しがらき)の大壷がチラリと見えた。持って行けよ、と壷は言っているので、鎌倉まで自動車に乗せて来た。どんな具合にだか知らないが、いずれ、秦君は勘定を附けにやって来るだろうが、この程度の壷は、ともかく一応は黙って持って還らないといけない。(壷)  私は、壷が好きだ。……古信楽の壷は、特に好きだ...