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白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

「高野往還」11/

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「高野往還」 2021/11/16(火) 未明に出立した。 ◆「伊吹山 PA (下り)」より「伊吹山」を望む。 ◆「 Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 琵琶湖をぼんやり眺めていた。湖畔にたたずみ、さざ波の音に耳を凝らしていた。 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 美しく、慈愛に満ちた観音さまである。永劫を生きるお姿は不動だった。 「長浜市高月町 渡岸寺」 土門拳「考える臍」  2021/02/09 「薬師寺 金堂 日光菩薩立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 奈良西ノ京から室生寺へ』小学館文庫  まるまるとふくらんだ下腹、指を突っ込んでくすぐりたくなるような大大としたお臍(へそ)、ここには飛鳥、白鵬の仏像には見られなかった肉体への目ざめが見られる。仏教流伝以来三百年、もはや仏菩薩を神秘的な「蕃神(ばんしん)」として、遠くから畏るおそる伏しおがむ段階は終ったのである。仏菩薩の存在そのものを信ずる心が、その像容の上にも、より確かな触覚的なものを期待しないではいられない欲求を、信仰する側に芽生えさせたことがわかる。(34頁) 「向源寺 十一面観音立像腹部」 土門拳『古寺を訪ねて 東へ西へ』小学館文庫  薬師寺金堂日光菩薩(やくしじこんどうにっこうぼさつ)の臍(へそ)には、指を突っ込んでくすぐりたくなるような触覚的な要素が芽生えていたが、そこにはなお古代的な、大々とした造形感覚が息づいていた。 (渡岸寺の)この十一面のそれになると、そういう呑気(のんき)な、古代的な造形感覚は影をひそめてしまっている。一層実人(じつじん)的、写実的になったことはもちろんだが、それ以上に鋭い思想性が脈打つようになった。透鑿(すきのみ)のこまやかな刀法がうかがえるこの臍は、いわば考える臍である。(132-133頁) 「向源寺」はいま「渡岸寺(どうがんじ)」と呼ばれている。拝観券を兼ねたリーフレットにも「渡岸寺」と記されている。  幾度となく「渡岸寺」を訪ねた。そのたびに何度となく観音さまのお臍を拝見しているはずだが、いっこうに記憶にない。 うかつだった。  昨夜 臍が語る深遠な仏教史のお話をはじめてうかがった。  プロ、アマを問わず、カメラマンの方たちがファインダー越しに見つめている景色が気になる。傍にお邪魔することも、時には尋ねることもある。訓練された眼の行方...

「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」3/3

「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「言語哲学者」としての空海の内に、井筒は同様のものを認めた。空海は、日本で最初の「深層的言語哲学者」だった。  なお、「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」とは、「言語に関する真言密教の中核思想を、密教的色づけはもちろん、一切の宗教的枠づけから取り外し」、「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」(『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会,「言語哲学としての真言」,425頁)から眺めた際に広がる「空海の風景」のことである。 『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 「存在分節の過程を、空海は深みへ、深みへ、と追っていく。意識の深層に起って表層に達するこの世界現出の過程を、逆の方向に遡行するのだ、ついに意識の本源に到達するまで。「究竟して自心の源底を覚知」する、と彼の言う(『十住心論』)その「自心の源底」に至りつくまで。  存在分節過程のこの遡行において、空海の鋭い眼は、存在分節の言語的性格を見抜く。存在分節が、元来、コトバの意味の作用によるものであるということは、表層意識の面だけ見ていたのでは、なかなかわからない。だが、分節された様々の事物の生起過程を意識の深みにまで追っていくと、分節そのものの言語意味的性格が、次第に現われてくる。すなわち、経験的事物として我々の表層意識に現象する前に、存在分節は、深層意識において、純粋な意味形象(イマージュ)だったのだ、ということが。  これらの純粋意味形象は、いずれも、空海のいわゆる「自心の源底」のエネルギーが、本論で私が言語アラヤ識と呼んできた深層意識の言語的基底の網目構造を通して第一次的に分節された形姿。そして意識の源底はすなわち存在の源底。存在の究極の源底(「法身」)それ自体を、空海は大日如来として形象化する ー より正確には、空海の深層意識に、存在の源底が大日如来のイマージュとして自己顕現する。だから、空海にとっては、存在界の一切が究極的、根源的には大日如来のコトバである。つまり一切が深層言語現象である。(221-222頁) 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  空海における密教、すなわち真言密...

井筒俊彦「言語哲学としての真言」2/3

今日の午後、 ◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』慶應義塾大学出版会 ◆「言語哲学としての真言」 を読み終えた。前掲の、 ◆ 「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 と比較し、洗練された内容のものとなっている。  天籟(てんらい)、人間の耳にこそ聞えないけれども、ある不思議な声が、声ならざる声、音なき声が、虚空を吹き渡り、宇宙を貫流している。この宇宙的声、あるいは宇宙的コトバのエネルギーは、確かに生き生きと躍動してそこにあるのに、それが人間の耳には聞こえない、ということは、私が最初にお話しいたしました分節理論の考え方で申しますと、それが絶対無分節の境位におけるコトバであるからです。絶対無分節、つまり、まだ、どこにも分かれ目が全然ついていないコトバは、それ自体ではコトバとして認知されません。ただ巨大な言語生成の原エネルギーとして認知されるだけです。しかし、この絶対無分節のコトバは、時々刻々に自己分節して、いわゆる自然界のあらゆる事物の声として自己顕現し、さらにこの意味分節過程の末端的領域において、人間の声、人間のコトバとなるのであります。  このように自己分節を重ねつつ、われわれの耳に聞える万物の声となり、人間のコトバとなっていく宇宙的声、宇宙的コトバそれ自体は、当然、コトバ以前のコトバ、究極的絶対言語、として覚知されるはずでありまして、こうして覚知されたあらゆる声、あらゆるコトバの究極的源泉、したがってまた、あらゆる存在の存在性の根源であるものを、真言密教は、大日如来、あるいは法身として表象し、他の東洋の諸宗教はしばしば神として表象いたします。(442-443頁) (註) 天籟:『荘子』の「内篇」第二「斉物論」に出てくる、「虚空、すなわち無限に広がる宇宙空間を貫いて、色もなく音もない風が吹き渡っている。宇宙的な風、これが天籟です。」(441頁) 『空海の風景』_井筒俊彦 読書覚書 2018/03/30 「空海の風景」が突然ひろがった。思いもかけないことだった。井筒俊彦の透徹した眼には、至極当然の配列なのだろうが、事物相互の関連が寸断され、事物が箇々別々に映っていた私にとっては、唐突な出来事だった。  井筒俊彦が語るのは哲学である。払拭され昇華されたものが、共時的に把捉されているのがうれしい。  信仰なき、寄る辺なき私にとって、井筒俊彦...

井筒俊彦「意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る_はじめから」1/3

 昨日の夕暮れ時、 ◇『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』 慶應義塾大学出版会 ◆ 「 意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る」 を再読した。  本論は、空海の「真言密教」とファズル・ッ・ラーのイスラーム的「文字神秘主義」、そしてカッバーラー(ユダヤ教神秘主義)とを対照するなかで、「言語哲学」的、また「深層的言語哲学」的に、「ともにきわめて特徴ある同一の思考パターンに属」(414-415頁)することを確認しながら展開され、それは東洋哲学の「共時的構造化」の一端を披歴したものとなっている。 「普通、仏教では、この(意識と存在の究極的絶対性の領域、絶対超越の)次元での体験的事態を、「言語道断」とか「言亡(ごんもう)慮絶」とかいう。つまり、コトバの彼方、コトバを越えた世界、人間のコトバをもってしては叙述することも表現することもできない形而上的体験の世界である、ということだ。  このような顕教的言語観に反対して、空海は「果分可説」を説き、それを真言密教の標識とする。すなわち、コトバを絶対的に超えた(と、顕教が考える)事態を、(密教では)コトバで語ることができる、あるいは、そのような力をもったコトバが密教的体験としては成立し得る、という。この見地からすれば、従って、「果分」という絶対意識・絶対存在の領域は、本質的に無言、沈黙の世界ではなく、この領域にはこの領域なりの、つまり異次元の、コトバが働いている、あるいは働き得る、ということである。」(391頁) 「大乗仏教では、人間の日常的経験世界、いわゆる現象界の事物の本性を説明して、すべては「妄想分別」の所産であるという。唯識系の術後には、「遍計所執(へんげしょしゅう)」という表現もある。つまり、我々 普通の人間は、現象的世界を「現実」と呼び、そこに見出される事物を、我々の意識から独立して客観的に実在するものと思いこんでいるけれども、実はそれらは、すべて人間の意識が妄想的に喚起し出した幻想である、というのである。」(396頁) 「この世のすべては、畢竟するに言語的妄想の所産、夢まぼろし、空しき虚構。それがすなわち、この世の儚(はかな)さというものだ。  しかるに、同じ大乗仏教のなかにあって、真言密教だけは、例外的に、コトバの意味分節の所産である経験的世界の事物事象の実在性を、正面から肯定する。なぜだろう。い...

「レオ・ヴァイスゲルバーと井筒俊彦の言語観」10/

  「レオ・ヴァイスゲルバーと井筒俊彦の言語観」 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「先の引用にあったレオ・ヴァイスゲルバーは井筒俊彦が深い関心を寄せた二十世紀ドイツの言語学者である」(222頁) 「ヴァイスゲルバーは、人間と母語の関係に着目する。母語が世界観の基盤を形成し、誰もこの制約から逃れることはできないことを強調する。すなわち全人類は不可避的に言語共同体的に「分節」されている。人間の基盤を成す共同体はまず、「言語共同体」であることを避けられない。彼はこれを「言語共同体の法則」あるいは「言語の人類法則」と命名し、人類が生存する上での不可避な公理だと考えた」(227頁) 「井筒は、ヴァイスゲルバーとサピア=ウォーフが、何の直接的な交わりもないにもかかわらず、ほぼ同じ時期に高次な同質な思想を構築していたことに驚き、共鳴する思想が共時的に誕生することに強く反応している。同じことは、彼自身と白川静にも言えるのである」(244頁) 「わざわざ日本語に訳さなくても、英語はそのまま理解すればよいという楽観論は、ヴァイスゲルバーの理解と共に、井筒によって退けられる。外国語を読むとき、それにどんなに熟達していても、人は母語に置き換えて理解している。意識では、横文字を理解しているつもりでも、深層意識では、仮名と漢字、あるいはその元型のイマージュによって、意味を捉え直している、というのが三十数ヶ国語に通じたといわれる井筒自身の言語観である。井筒によれば言葉とは magico-religious な実在に他ならない。magic の訳語も単なる「魔力・魔術」では内包する超越性が表現できない」(241頁)  いま着々と進行している、英語教育偏重、日本語教育蔑視の教育の愚かさを思う。日本語の確かな基盤のないところに、性急なことをしても何もはじまらないことは、火を見るよりも明らかなことである。私たちは、「日本語共同体」の内にあることに思いをいたすべきである。  内実をともなわない英語を話せたところで、それはいかほどのものであろうか。  その非を指摘する有識者は多い。錚々たる面々である。「ゆとり教育」での失態と同じ轍を踏むのは、あまりにも愚かである。いつの時代も犠牲者は子どもたちである。後々 頭を下げれば済むような問題とはわけが違う。

井筒俊彦「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」9/

今日(2021/08/19)の未明、 ◇ 井筒俊彦『コスモスとアンチコスモス ー東洋哲学のためにー』岩波文庫 ◆「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」 「2 「理理無礙」から「事事無礙」へ」 を読み終えた。なお、 「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」 は再読しなければ覚束なく、その際には、気分を一新し、岩波文庫ではなく、 ◇ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』慶應義塾大学出版会 で読んだ。  明恵上人が帰依した華厳、さらに井筒俊彦が、「一切の宗教的枠づけから取り外し」「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」(『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ』 慶應義塾大学出版会  425頁)から眺めた際に広がる「華厳哲学」についての発言とあらば、私にとっては座右の書である。 幾度かにわたる、勝手知ったる読書体験だったが、 「1「 理事無礙」から「事事無礙」へ」 は再読しなければ、理解が及ばず、久しぶりの井筒俊彦であり、その文体にすっかり置いてけぼりを喰った格好だった。 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』 慶應義塾大学出版会  この講演のテーマとして私が選びました「事事無礙」は、華厳的存在論の極致、壮麗な華厳哲学の全体系がここに窮まるといわれる重要な概念であります。(8頁)  この引用箇所で、(新プラトン主義の始祖)プロティノスは深い瞑想によって拓かれた非日常的意識の地平に突如として現れてくる世にも不思議な(と常識的人間の目には映る)存在風景を描き出します。「あちらでは…」と彼は語り始めます。「あちら」、ここからずっと遠いむこうの方 ー 勿論、空間的にではなく、次元的に、日常的経験の世界から遥かに遠い彼方、つまり、瞑想意識の深みに開示される存在の非日常的秩序、ということです。「あちらでは、すべてが透明で、暗い翳りはどこにもなく、遮(さえぎ)るものは何一つない。あらゆるものが互いに底の底まですっかり透き通しだ。光が光を貫流する。ひとつ一つのものが、どれも己れの内部に一切のものを包蔵しており、同時に一切のものを、他者のひとつ一つの中に見る。だから、至るところに一切があり、一切が一切であり、ひとつ一つのものが、即、一切なのであって、燦然たるそ...

井筒俊彦「禅_無『本質』的存在分節_はじめから」8/

◇『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 を再読三読した。「はじめから」という読書体験は、私の不甲斐なさゆえに、「はじめて」のように映った。井筒俊彦の手さばきは、初読時にもまして鮮やかに映じた。 「意識はいろいろ違った仕方で意識であり得る、とメルロー・ポンティが書いている」(99頁) との記述があるが、「意識は(が)いろいろ違った仕方で意識であり得る」ならば、禅における無「本質」論を含め、 「本質はいろいろ違った仕方で本質であり得る」 ことに相違ないが、井筒俊彦の用いる、「本質」という術語に戸惑っている。 「Ⅵ」章,「Ⅶ」章は、「禅(無『本質』的存在分節)」に関する「論究」に割かれている。 「通常、言語道断とか言詮不及と称される禅体験のこの機微を、できるところまで、敢えて言語化してみよう。」(168頁) との、婉曲的な表現とは裏腹に、井筒俊彦は、易々と、「言語道断」という掟破りをしてのけた。細大漏らさずということに疑念をはさむ余地はない。 「文化的無意識」としての「言語アラヤ識」の考察もあり、興味は尽きなかった。 玄侑宗久「井筒病」 『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会  今でも私は、井筒先生の禅にまつわる著述に出逢ったときの興奮が忘れられない。禅僧以外で、これほど明晰に禅を語った人がいただろうか。いや、禅僧は禅の内部で語るのだから「明晰に」というわけにはいかない。あらゆる哲学や宗教を知り尽くした井筒先生だからこそ、思想としての禅の位置づけが明晰になされたのだろう。禅の詩的な側面をうまく取り出し、世界に紹介したのが鈴木大拙翁の功績だとすれば、井筒先生は禅の奇特さを世界的な思想の枠組みの中に示してくださった。私などに申し上げる資格がないのは明らかだが、禅にとって井筒先生は天恵の如き存在であったと思う。  『禅仏教の哲学に向けて』は勿論貴重な著作だが、むしろ『意識と本質』において、試みられた東洋的広がりの中での禅の位置づけと分析が、私には極めて刺激的だった。いったいこれほど広く深く綿密な仕事がどうしたら可能なのかと、驚嘆しながら読み進めた覚えがある。後記の「小品程度」という謙虚な述懐が私にはさらにショックだった。 (中略)  それにしても、『意識と本質』の如き著作が、単に博覧強記や明晰な分析...

「井筒俊彦が見た存在風景」7/

 関心は「明恵上人」、また「明恵上人」が帰依した「華厳の世界」にはじまり、「空海」に目移りし、「禅」にいたった。 それは、 ◇『井筒俊彦全集 第六巻 意識と本質 1980年-1981年』 慶應義塾大学出版会 を再読することであった。図らずも原点に回帰した。 「Ⅸ」章には、「表層・深層意識の構造モデル」を基にした、 「元型」また「元型」イマージュの実相についての叙述があり、 「Ⅵ」章,「Ⅶ」章は、「禅(無『本質』的存在分節)」に関する「論究」に割かれている。また「真言密教」については、「Ⅹ」章に登場する。 「禅を無彩色文化とすれば、密教は彩色文化だ、と言った人がある。」(「Ⅹ」章 244頁) の一文が印象的だった。  三度四度(みたびよたび)におよぶ読書で、細部にまで 眼が届くようになった、誤認をその都度訂正した。  宗教、宗派色に染まることなく、観念に転落することなく、井筒俊彦は生気に満ちた「東洋哲学」を共時的に展開した。それらは皆、井筒が、深層意識の「諸相を体験的に拓きながら」見た「存在風景」であり、そして その後、形而上学として語られたものである。井筒俊彦を介さなければ、易々とは近づけない世界である。 「私は井筒先生のお仕事を拝見しておりまして、常々、この人は二十人ぐらいの天才らが一人になっているなと存じあげていまして。」 ( 司馬遼太郎『十六の話』中公文庫, 〈対談〉井筒俊彦 司馬遼太郎「附録 二十世紀末の闇と光」 399頁) とは、司馬遼太郎のことばであるが、井筒俊彦の偉業を前にして私淑しない法はあるまい。  先にも書いたが、井筒俊彦の著作群は、私にとっては「実学」の書であり、実用の書であり、やむに止まれぬ書である。そしてその点において、井筒俊彦は、どうしようもなく福澤諭吉門下の学徒である。

井筒俊彦「芭蕉の本質論」6/

井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫  2022/01/24  通読を旨とする、そして初読後 間もなくの再読、という読書習慣が身についた。私にとっては、斬新な出来事である。  以下、長い引用である。 「話が大へん廻り道してしまったが、もともと私はここで芭蕉の本質論について語りたかったのだ。「本質」の直観的把握におけるマーヒーヤ(「本質」の普遍性)とフウィーヤ(「本質」の個体性)の結び付き。この問題を芭蕉はある独自の仕方で解決した」(53頁) 「松の事は松に習へ、竹の事は竹に習へ」と門弟に教えた芭蕉は、「本質」論の見地からすれば、事物の普遍的「本質」、マーヒーヤ、の実在を信じる人であった。だが、この普遍的「本質」を普遍的実在のままではなく、個物の個的実在性として直観すべきことを彼は説いた。言いかえれば、マーヒーヤのフウィーヤへの転換を問題とした。マーヒーヤが突如としてフウィーヤに転換する瞬間がある。この「本質」の次元転換の微妙な瞬間が間髪を容れず詩的言語に結晶する、俳句とは、芭蕉にとって、実存的緊迫に充ちたこの瞬間のポエジーであった。  一々の存在者をまさにそのものたらしめているマーヒーヤを、彼は連歌的伝統の術語を使って「本情」と呼んだ。千変万化してやまぬ天地自然の宇宙的存在流動の奥に、万代不易な実在を彼は憶った。「本情」とは個々の存在者に内在する永遠不易の普遍的「本情」。内在するといっても、花は花、月は月という『古今』的「本質」のように、事物の感覚的表層にあらわに見える普遍者ではない。事物の存在真相に隠れた「本質」である。「物と我と二つになりて」つまり主体客体が二極分裂して、その主体が自己に対立するものとして客観的に外から眺めることのできるような存在次元を仮りに存在表層と呼ぶとして、ここで存在深層とは、この意味での存在表層を越えた、認識的二極分裂以前の根源的存在次元ということである。  このように本来的に存在深層にひそむ「本情」は、当然、表層意識では絶対に捉えられない。つまり普通の形での「…の意識」の「…」にはなりえない。「…の意識」とは、すでに詳しく述べてきたように、二極分裂的自我意識だからである。ものの「本情」に直接触れるためには、「…の意識」そのものの内的機構に、ある根本的な変質が起らなければならない。この変質を芭蕉は「私意をはなれる」という...

井筒俊彦「本居宣長の『物のあはれ』論」5/

井筒俊彦『意識と本質 ー 精神的東洋を索めて ー 』岩波文庫  2021/03/23 「およそ概念とか概念的・抽象的思惟とかいうものを極度に嫌った本居宣長は、当然のことながら、中国人のものの考え方にたいしてほとんど本能的とでも言いたいほどの憎悪の情を抱いた。彼の目に映じた中国人は「さかしらをのみ常にいひありく国の人」、人間本然の情をいつわり、それにあえてさからってまで、大げさで仰々しい概念を作り出し、やたらに「こちたく、むつかしげなる事」を振りまわさずにはいられない人たちである。 (中略)  宣長にとって、抽象概念はすべてひとかけらの生命もない死物に過ぎなかった」(34頁) 「中国的思考の特徴をなす ー と宣長は考えた ー 事物に対する抽象的・概念的アプローチに対照的な日本人独特のアプローチとして、宣長は徹底した即物的思考法を説く。世に有名な「物のあはれ」がそれである。物にじかに触れる、そしてじかに触れることによって、一挙にその物の心を、外側からではなく内側から、つかむこと、それが「物のあはれ」を知ることであり、それこそが一切の事物の唯一の正しい認識方法である、という。明らかにそれは事物の概念的把握に対立して言われている。  概念的一般者を媒介として、「本質」的に物を認識することは、その物をその場で殺してしまう。概念的「本質」の世界は死の世界。みずみずしく生きて躍動する生命はそこにはない。だが現実に、われわれの前にある事物は、一つ一つが生々と自分の実在性を主張しているのだ。この生きた事物を、生きるがままに捉えるには、自然で素朴な実存的感動を通じて「深く心に感」じるほかに道はない。そういうことのできる人を宣長は「心ある人」と呼ぶ」(35 -36頁) 「では一体、「物の心をしる」とは、もっと具体的には、物の何を、どうやって知ることなのだろう。一番大切なことは、さきにも一言したとおり、花なり月なり、あるいはより一般的にあらゆる存在者を、普遍者化しないこと。普遍的、つまり概念的、認識の次元に移さないで、それを真の即物的自体性において捉えること。とすれば、当然、ここで「物」とは、生きた現実に実在する具体的存在者、すなわち個体のことでなければならない。メルロー・ポンティ的に言うなら、今ここにあるこの「前客体化的個体」、すなわち意識の対象として客体化され、認識主体の面前に...

井筒俊彦「古今和歌集_その普遍的「本質」としての美 4/

井筒俊彦「古今和歌集_その普遍的「本質」としての美 2021/06/14 より、 ◇ 高田祐彦訳注『古今和歌集  現代語訳付き』 角川ソフィア文庫 を読みはじめ、昨夜読み終えた。一週間におよんだ読書(和歌)体験だった。異例づくめだった。 「古今和歌集_その普遍的「本質」としての美」 井筒俊彦『意識と本質 ー精神的東洋を索めてー』岩波文庫 「少くとも『古今集』において古典的完成に達したものを和歌の典型的形態として考えるなら。『古今』的和歌の世界は、一切の事物、事象が、それぞれその普遍的「本質」において定着された世界だ。春は春、花は花、恋は恋、というふうに自然界のあらゆる事物、事象から人事百般まで、存在界が くまなく普遍「本質」的に規定され、その上でそれらのものの間に「本質」的聯関の網目構造が立てられる。もし現実の経験で、何かが自らの普遍的「本質」に背くような形で生起したり、またはそれの本来的に所属する「本質」聯間から外れたりすれば、その意外性自体が一つ詩的価値を帯びるほどの強力な規定性で、それはある。」(53-54頁)    これは、例えば、『古今和歌集』が、ただ 「日本的美意識の原点(鈴木宏子)」である、と評することとは次元を異にしている。それは、井筒俊彦が名づけた「言語アラヤ識」、ユングのいう「集団的無意識」あるいは「文化的無意識」内の普遍的「本質」としての美の表われであり、一切私たちには触れることのできない生得的な、深層の文化的な美意識である。  遅きに失したが、これらへの興味から、今回『古今和歌集』を手にした、のはいいが、七転八倒の毎日だった。一週間におよんだ、と書いたが、毎日ほぼ一日中和歌と向き合っての、お粗末な七日間であった。  各所に、 枕詞、序詞、 掛詞、縁語、見立て、 歌語、 歌ことばが配され、 三十一字のなかには、幾多の景色が広がっていた。再読を促されているが、眼をつぶり 先に進むことにする。

小林秀雄,井筒俊彦「書くということ」3/

「拝復 P教授様_言葉が生まれるのを待つ」  作文を書いている最中に、あるいは推敲中に、文章をぼんやり眺めていると、無意識のうちに、適当な語が浮かんでくることがあります。これらの言葉は、深層から表層にのぼってきたもので、きわめて的確です。我知らず、忘却の彼方より、適切な一語が、ということです。  これは深層意識のなせる技であり、深層領域には、我々が見聞したことのすべてが記憶されていることの証左であると、私は受け止めています。  小林秀雄は、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」といい、「言葉が言葉を生む」といっています。「どんな作品になるか、はじめからそんなことが解っていたら、おもしろくないじゃないか」とも発言しています。  井筒俊彦も、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」と書いています。  彼らの「書く」という営為は、両氏の「実存体験」であって、それらの作品は、彼らの「存在論的風景」であると、私は勝手に理解しております。 たびたびのお便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「井筒俊彦を読むということ_井筒俊彦 読書覚書」2/

井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学 ー『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。  私にとっては持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促された。

「井筒俊彦というさやけさのなかで_井筒俊彦 読書覚書」1/

 井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。学術論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。  井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。

「白川静『初期万葉論』_はじめから」19/19

◇ 白川静『初期万葉論』中公文庫 の付箋のはさんである頁だけを読み直しました。 いま、 ◇ 中西進『古代史で楽しむ 万葉集』角川ソフィア文庫 を再読しています。96頁まで読みました。「はじめから」は、初読時と比較するとはるかに明らかです。    白川静『初期万葉論』中公文庫 「第一章 比較文学の方法 二 発想と表現」 「前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 (中略)  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である」。 (中略) 「見る」ことの呪歌的性格は、「見れど飽かぬ」という表現によっていっそう強められる。(15-17頁) (註)「呪」の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。「呪能」と同義で「呪鎮」と書くこともある。 「第四章 叙景歌の成立 三 見れど飽かぬ」 「古代においては、『見る』という行為がすでにただならぬ意味をもつものであり、それは対者との内的交渉をもつことを意味した。国見や山見が重大な政治的行為でありえたのはそのためである。国しぬびや魂振りには、ただ『見る』『見ゆ』というのみで、その呪的な意味を示すことができた。『万葉』には末句を『見ゆ』と詠みきった歌が多いが、それらはおおむね魂振りの意味をもつ呪歌とみてよい。」(154頁) 「『見れど飽かぬ』は、その状態が永遠に持続することをねがう呪語であり、その永続性をたたえることによって、その歌は魂振り的に機能するのである。」(153頁) 「見る」ことは、見られることである。見交わすこと、見え交わすことによって、人と対象との通路が開ける。「見る」ことは振り向かれるように「見る」ことだった、と思う。  甲骨文や金文に親しんだ白川静にとって、「見る」「見れど飽かぬ」ことの意味を解することは、さして難しいことではなかったはずである。  白川は、「見る」「見れど飽かぬ」についての、何首かの語釈の誤りを指摘した上で、 「初期の万葉歌に叙景の名歌を認め、『人麻呂歌集』的な相聞歌を人麻...

「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所_白川フォント」18/19

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   一昨夜ブログを書くために、[ (サイ)]の字を探した。しかし、[ ]の字は見当たらず、私がいま使用している[ ]は、画像である。  検索していると、 ◇ 「立命館大学 白川静記念 東洋文字文化研究所」 ◇ 「白川フォント」 ◇ 「白川フォント ダウンロード」 のサイトが見つかった。歩けば棒に、ということか。 以下、 「kanjicafe」 さんからの引用である。 「2016年12月、立命館大学白川静記念東洋文字文化研究所が、コンピューター上での利用が困難であった甲骨・金文などの古代文字を、Microsoft Word などの一般的な文書作成ソフトで簡単に利用できるようにする文字フォント「白川フォント」を発表しました。  同研究所ホームページによると、「白川フォント」に収録されている古代文字は、常用漢字(2136字)・人名漢字(650字)の中で古代文字が判明している漢字を対象としており、古代文字の全収録数は4391字だそうです。これらのフォントは無償で公開されており、簡単にパソコンにダウンロードすることができます。  また、同ホームページにある「検索システム」を使えば、入力した漢字の文字列から古代文字を表示させたり、入力した漢字一字から古代文字の画像を検索することができます。」  早速私はインストールして恩恵に欲している。文字を意匠として楽しんでいる。 「文字は神であった」。文字は神々しかった、というのは当然の帰結であろう。 粋なはからいである。ご苦労がしのばれる。

高橋和巳「S教授と文弱な私」17/18

「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社  立命館大学で中国学を研究されるS教授の研究室は、京都大学と紛争の期間をほぼ等しくする。立命館大学の紛争の全期間中、全学封鎖の際も、研究室のある建物の一時的封鎖の際も、それまでと全く同様、午後十一時まで煌々と電気がついていて、地味な研究に励まれ続けていると聞く。団交ののちの疲れにも研究室にもどり、ある事件があってS教授が鉄パイプで頭を殴られた翌日も、やはり研究室には夜おそくまで蛍光がともった。内ゲバの予想に、対立する学生たちが深夜の校庭に陣取るとき、学生たちにはそのたった一つの部屋の窓明りが気になって仕方がない。その教授はもともと多弁の人ではなく、また学生達の諸党派のどれかに共感的な人でもない。しかし、その教授が団交の席に出席すれば、一瞬、雰囲気が変るという。無言の、しかし確かに存在する学問の威厳を学生が感じてしまうからだ。  たった一人の偉丈夫の存在がその大学の、いや少なくともその学部の抗争の思想的次元を上におしあげるということもありうる。残念ながら文弱な私は、そのようではありえない。((高橋和巳)『わが解体』)(37-38頁) (S教授とは、白川静教授のことです) 以下、最後の、 ◇「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? ◇ 「立命館と高橋和巳 ー 『捨子物語』と「六朝期の文学論」 ◇「長生の術 ー 百二十歳の道」 の三つのタイトルの下では、白川静さん、梅原猛さん、そして編集部の方も加わって、軽妙で洒脱な会話が交わされ、三者三様に楽しまれている。 「当時の立命は素晴らしかった」と言った梅原さんの発言が結論めいているが、九十一歳になられる白川さんへの労りの言葉に満ちており、本対談の掉尾を飾る、粋な計らいとなっている。

白川静「鳥が運んだものがたり」16/19

「死・再生の思想 ー 鳥が運んだものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  特に縄文時代、しかし弥生時代にも多分に縄文が残っているでしょう 、殷的なものが。それから、やはり「死・再生」です。魂が古い屍を去って、あちらへ行く。無事あちらへ送らなくちゃいけない。そういうのが大きな願いなんですね。生まれるのは、今度はあちらからこっちへ帰って来る。  死・再生というのは東洋の重要な宗教儀式だと思っているんですが、例の伊勢神宮の柱ですね。 編集部  心(しん)の御柱(みはしら) 梅 原  御遷宮(ごせんぐう)ですね、柱の建て替え。それと同じようなものが 「 諏訪(すわ)の御柱(おんばしら)」。 (また能登の「真脇(まわき)遺跡のウッドサークル」) (中略)  だから御遷宮のように木を作り替える。ウッドサークルは縄文まで遡るんですよ。それはやはり生命の再生。木は腐る、だから腐らないうちに、神の生命が滅びないうちに、また新しい神の命を入れ替えてですね、ずっと伝える。こういうのがですね、私、日本の宗教の基本だと思ってますが、こういう儀式をもっと壮大にしたのが殷の姿だと、字の作り方なんかで感じました。 白 川  中国ではね、鳥形霊(ちょうけいれい:鳥の信仰は全世界に分布する。鳥は必ず水鳥・渡り鳥である)という考え方があるんですが、これはやはり祖先が回帰するという考えに繋がっておるんじゃないかと思う。季節的に決まった鳥が渡って来るでしょ。 梅 原  水鳥ですね。鳥の信仰は殷にはありますか、鳥は霊ですか。 白 川  あります、鳥は霊です。星でも鳥星(ちょうせい)ちゅう星を特別に祀っています。どの星のことか知らんけど、甲骨文に出て来る。特別の信仰を持っておったんではないかと思うんですがね。  鳥星は「好雨(こうう)」の星と考えられていたので、「止雨(しう)」を祈るんです。甲骨文にそのことが書いてある。 梅 原  (前略)だから今の日本でやる玉串奉奠(たまぐしほうてん)というのは、あれ、(鳥の)羽根ですね。ひらひらしているの。これはやっぱり僕は共通の信仰だった気がしますね。はっきり出て来ますか、鳥は。 白 川   ええ、だから色んな民俗的なものにも出て来てね。例えば軍隊を進めるかどうかという時ね、...

白川静「死と再生のものがたり」15/ 19

「殷と日本 ー 沿海族の俗」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 まずはじめに、 梅 原  私が興味を持っているのは少数民族なんです。アイヌの人たちに興味を持ったのは、彼らが縄文の遺民であり、縄文文化を理解するにはアイヌ文化を理解しなければならないと思ったからです。縄文時代のことで考古学では解らんことは、アイヌの風習で解いたんですが、それで大体当たっている。(133頁) 編集部  先生、あの「殷」という字ですけど、少し説明して頂けますか。 白 川  「殷」は商の蔑称ですからね。扁(へん)は身重(みおも)の形。旁(つくり)は「叩く」。どういう意味か解らんけども妊婦を叩くんだから、何か呪的な意味があったんでしょうね。それを廟中(びょうちゅう)、御霊屋(みたまや)で行う字形もある。妊婦の持っている特別な力を作用させるために、妊婦を叩く。「殷」というのは「激しい」とか「破壊」、血が出る場合には「万里朱殷(ばんりしゅあん)たり」いう風に、万里血染めになるという。だから非常に激しい意味を持った字ですね。 梅 原  ああ、そうですか。これは面白いですね。その妊婦でいえば縄文の土偶(どぐう)は、全部妊婦なんです。 (中略)   その意味が長い間解らんかったんですが、ハル婆ちゃんにアイヌの葬法について聞きますと、妊婦を埋葬するのがいちばん難しいと言うんです。というのは、子供が生まれるというのは新しく生まれるのではなくて、祖先の誰かが帰って来たということなんです。だから子供が出来ると、A家とB家の祖先が相談して、誰を帰すか決める。で、決まったら妊婦の腹に入って出て来る。だから胎児が死ぬと閉じこめられて、出て来れない。これは大きなタタリになる。ですから妊婦が死ぬと霊を司るお婆さんが妊婦の腹を割いて赤子を取り出し、妊婦にその子を抱かせて葬るということを聞いたんです。  そこから土偶を見ると、「妊婦」「異様な顔」(死者の顔)「腹を縦に割く」(赤子を取り出す)「バラバラにする」(この世で不完全なものはあの世で完全という思想)「丁寧に埋葬されている」という風に条件が当てはまる。こういうことをある媒体に書きましたら、福島の方から手紙を頂いて、福島の方では明治の頃までは、死んだ妊婦の腹を割いて胎児を取り出し、妊婦に抱かせて、しか...

白川静「ディオニュソス的中国観」14/19

「『白川静』の学問 ー 異端の学?」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  もう三十年も前になりますか。それからずっと、先生をみてますと、先生は年々偉くなってる。年々先生の凄さが私にも解ってきたような気がする。  前は先生を偉いが異端の学者だと思ってましたけど、中国学の本道ではないと思ってました。しかしだんだん、先生が一つの大きな学問を開かれているんだという、そういうことを実感し始めたのです。私は先生の本の全部を理解するにはとても及びませんけど、私の理解した部分だけでも、一つの新しい中国学がここで始まっていると、中国の文明というものを本当に理解するためにはどうしても必要な、世界的に重要な新しい学問が先生によって作られているんだ、ということをつくづく感じます。  この例は適当かどうか解りませんけど、私が若い時から好きなニーチェ、このニーチェがディオニュソス的ギリシアを発見した。今まではアポロン的に、合理主義的に理解されて来たギリシア哲学は理性の体系だと、ギリシャ思想は “もの”をクリアに見るアポロン精神でのみ理解されて来たんですが、そればかりではない、もう一つギリシアには、違った精神がある、それはディオニュソスだと。ディオニュソスというのは酒の精神ですからね、情熱が溢れ出るようなそういう熱狂の精神がギリシアにある。それがニーチェの新しいギリシアの発見です。そのニーチェの発見と同じものが先生にはある。  私は吉川幸次郎(よしかわこうじろう:京都大学名誉教授)先生の著作を愛読しているんですけど、吉川先生が中国でいちばん好きなのは孔子(こうし)と杜甫(とほ)だと、特に杜甫ですね。それは不可思議な世界があることを感じてはいるが、認識を人間の及ぶ理性の範囲に留めた。いわゆる「怪力乱神 を語らず」です。そういう点で、孔子と杜甫をいちばん評価している。「吉川中国学」というのは、アポロン的な中国観なんですよ。  ところが先生はディオニュソス的中国観を開いたのです。アポロン的なものの見方を真っ向から変えてしまった。漢字の背後に全く不合理としかいえないような、畏しい神の世界がある。(26頁)  従来の「中国学」は、「白川中国学」を通して見直しを余儀なくされ、また今後の「中国学」は、「白川中国学」の上に築か...

白川静「中国の神話 ー 奪われたものがたり」13/19

「 中国の神話 ー 奪われたものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  白川先生の三作を選ぶとしたらね、絶対『孔子伝』は入れんならん。それに、字引ですね、字書三部作。それからもう一つは古代中国の専門的な研究だなあ、或いは『詩経』だな。 (中略) ギリシア神話はよく知られてる、ローマ神話は知られてる、日本の神話は知られてるけど、中国の神話ってものがあんまり知られていないような気がしますけどね。 白 川  日本の場合には神話が一つの国家神話的な形で統一されてね、本来別々のものが何か関連があるという風な形にそれぞれ部署が与えられてね、まとめられて、そしてそういうまとまったものが神話である、という考え方が我々の中にあった。 梅 原  ギリシアもそうですね。 白 川  ところが中国のはバラバラなんですね。それは非常に古くからあった部族国家が、それぞれみな神話を持っておった。それが色々、滅ぼされたり移動したりする間にね、場合によっては受け継がれることもあるけれども、或るものは滅びてしまう、という風にしてね。まとまった形では殆ど残ってないんですね。  ただ、しかし残されたものが、先刻言いましたように『楚辞』の中に、或いは『荘子』の中にたくさん出て来る。それから『山海経』という大変不思議な書物ね、あの中にまた色々な神像が出て来る。 白 川  (前略)本来は実際に神話として生きておった時代がある訳ですね。そういう風なものが形骸的に残ったのが『山海経 』。 梅 原   日本神話というのも、実際はあちこちに語られておる神話を一つの体系にまとめたんです。非常にそこに無理があるんですけどね。中国は殷も周もそういう神話を統一するという、そういう要求を持たなかったんですかね。 白 川  それは違った神は信仰しないという考え方があるの。その神にあらざれば祀らず、というね、違った神様を祀るということは決して幸せなことでないという考え方がある。 梅 原   ギリシアでも『神統記(しんとうき)』とか、統一しようとする動きがあります。神を祀っている部族を統一しようとする要求の中から起こって来た。日本の神話も、ギリシア神話もね。中国は「神を祀らず」だから、自分の神しか出て来ない。だから神話が落ちた訳ですか。 白 ...

白川静「荘子の儒家批判」12/19

「荘・老 ー 『荘子』・神々のものがたり」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  (前略)もう一つ面白かったのは、老子(ろうし)がですね、そういう殷の思想を受け継いでいるんじゃないかという先生の指摘ですけどね。これも大変面白かったですね。 白 川  それはね、儒教の批判者としては、荘周(そうしゅう)、荘子(そうし)ですね、荘子が初めに出て、老子というのは実は後なんです。 梅 原  普通逆に考えられますけど。 白 川  『老子』という書物は全部箴言(しんげん)で出来ている。全部韻(いん)をふんで、格言みたいなね。箴言集なんです。  荘周の学派は、どちらかというと儒教とやや近いんですけれども、うんと高級の神官のクラスですね。この連中はお祭を支配する司祭者ですから、古い伝統をよく知っている。神話なんかもよく知っている。そして古い氏族の伝統なんかもよく知っている。そういうことを知っておらんと祭は出来ませんからね。  だから同じ祭儀を行うにしてもね、儒家はそれの下層の方、荘周の一派はそれのうんと上層のね、神官の知識階級ですね。だから彼らのものの考え方はかなり哲学的であるし、ニーチェなんかに似とるとよく言われますね、あの文章は。そういう非常に思弁的なグループなんですね。そして彼らが儒家の思想を批判するのです。儒家の考え方というものはね、葬式とかそういう「もの」に即して具体的であり、現実的であるけれどもね、超越的な、絶対的なという風な、形而上的なものがないという。 梅 原  その通りです。 白 川  そういう立場から、儒家を批判する。そしてその批判する議論の仕方にね、単に論理を使うだけではない、いわゆる寓話を使う。その寓話の大部分が神話です。当時おそらくあったと思われる神話は、殆ど『荘子』三十三篇の中にある。儒教はね、神話は殆ど使わない。 梅 原  そうですね。ないですね。 白 川  彼らはその伝承にあずかっておらんのです。ところが荘周の一派はね、そういう神話の伝承を持っておって、そういう立場から古代の葬式を支配しておった。彼らからみると、儒家の考え方は相対的であり、思弁的でないと。もっと超越的な立場というものを持たなければ、思想というものは完成されないという、そういう立場からね、儒家の実践道徳的なそ...

白川静「『孔子伝』_つくられた聖人像」11/19

「和辻哲郎の『孔子』 ー 白川静の『孔子伝』」   「 対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 白 川  中国の思想史・精神史においては古典的な「聖人の系譜」というものがあって、従来はね、初めから聖人であることを認めた上で書くというやり方です。今の視点から見ている。  しかし僕は「儒教(じゅきょう)というものがどういう風に成立して来たのか、という社会思想史的なものとして捉えたかった。この思想そのものが、いかにして成立して来たのか、どうして孔子という人物が古典期を代表するような思想家となりえたのか、という問題を(『孔子伝』で)正面において考えてみた訳です。  大体、孔子自身が自分で聖人ではないと言うておるんですよ、人が自分をそう評価したと言うことを聞いてね。彼自身は宗教的な存在になろうという気持ちはないんですね。むしろ『論語』とか他の資料を見ていくと、彼自身は変革を望んで何回か試みようとした。そして挫折した。  もし彼が成功しておれば一人の政治家で終わっただろうと思います。ところが彼は最後まで失敗して、流浪の生活をして、惨憺たる生涯ですわな。だからそういう生涯自体が一つの思想になります。そしてあの儒教というような一つの思想体系を組み立てるようになった。つまりその人格的な求心力というものが、多くの弟子を招き寄せた。  儒教の思想というのは、実際にはその弟子たちによって構成されたのです。核心になるところは孔子が言ったことですが、それを儒教的な体系に組織したのは弟子たちです。これはキリスト教と一緒です。本人はそう大したことは言うておらん(笑)。(122頁)  歴史中に埋もれたであろう「一人の政治家」と、祀り上げられ歴史上の「聖人」となった孔子と、白川静が描く『孔子伝』は興味深い。多少の差こそあれ、伝説とは作るものであり、作られるものであろう。「本人はそう大したことは言うておらん」、次第に、真実の所在は、この辺りにあるかのような気がしてきた。  白川静に感化されてきた。私の白川伝説のはじまりである。「本人はそう大したことは言うておらん」とは、夢夢思ってはないが、自覚症状なく、自覚症状がないのは危険信号、と心得ている。

白川静「やっぱり、蘇東坡かな」10/19

「蘇東坡と陶淵明 ー「白川静」は三人? 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 梅 原  先生は、中国史の中に登場する人物では、誰がいちばんお好きですかね。 白 川  一人だけですか。ず〜っと歴史的にみていって… 梅 原  ええ。 白 川  やっぱり、蘇東坡(そとうば)かな。 梅 原  蘇東坡ですか、ああ。どういうところでしょうかね。 白 川  彼はね、非常に才能もあり、正しいことを言うとるんだけれどもねえ、何遍も失脚してね、海南島(かいなんとう)まで流されたりして、死ぬような目に遇(お)うて、それでも知らん顔してね、すぐれた詩を作り、文章を書き、書画を楽しんでおった。 梅 原  ああ、そこがいいんですか。陶淵明(とうえんめい)はどうですか、陶淵明は。 白 川  陶淵明はね、ちょっと悟り過ぎ。詩はいいですよ。 梅 原  ああ、詩はいいですね。 白 川  詩はいい。詩はいいけどもね、生き方としてはね、ちょっと悟り過ぎだしね。晩年どうしとったんか解らん。四十ぐらいまでは詩でよう解りますけどね、あと死ぬまで何しとったんかね、よう解らん。まあ、世に隠れておった訳でしょうね。 梅 原  今度先生の本読んで、先生はね、隠れた詩人だと僕は思ったなあ。だからね、先生の文にはどこか解りにくいところがあるんだな。やっぱり詩のようにね。ちょっとこう独自の文体ですよ。ちょっと気負った文章なんですよ、先生のはね(笑)。 白 川  (笑) 梅 原  洒落た文章なんですよ。最後はちょっとねえ、わざと解らないようにしてるんですよ。言葉の深い意味を捉えて、それを抑えて表面には出さずに文章を書く。先生は詩人だと思ったなあ。文章が美しいんだよ。 白 川  三(散)ぐらいでしょ(笑)。 (←「散人」の意?) 編集者 詩(四)人じゃなくて、三(散)ぐらい(笑)。 梅 原  いやあ、先生は三より上の四、やっぱり詩人ですよ(笑)。(36-37頁)  蘇東坡の「知らん顔」はいいですね。 「小林(秀雄)は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」 (若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 166頁)  陶淵明についての会話を聞いて、こんな一文が思い出された。また 、散人、詩人の順列は愉快である。 「や...

白川静「三千年前の現実を見ることができる」9/19

「三つの文化 ー 文身、子安貝、呪霊」 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 白 川  第一にはね、殷の文化と日本の文化、これは一つの東アジア的な「沿海の文化」として捉えることが出来るのではないかと思った。  殷の文化のいちばん特徴的なものは、まず文身(ぶんしん:入青のこと。ただ文身は刺青と違って描くだけ。刻さない。)の俗があること、これは殷以降にはありません。それから貝の文化。子安貝(こやすがい)ですね。 白 川  もう一つはね、呪霊(じゅれい)という観念ですな。シャーマニズム的なね。お祭が殆どそういう性格のお祭なんです。何々のタタリに対する祭、というね。 白 川  そしてこの三つが共通した基礎的なものとして、文化の底にある。だから日本と中国は十分比較研究に値する条件を持っとる訳ですね。それで殷の文化を深く調べてみたいと。 梅 原  その大きな違いは文字があったかないかですわな。日本では文字がない訳ですね。だから民俗学的な方法によって明らかにするしか仕様がない。それで柳田(國男)・折口(信夫・ おりくちしのぶ)がああいう形で日本の古代を明らかにしたんですけどね。 (中略)民俗が似ているんだから、もとより文字学の成果と柳田・折口の民俗学の成果と、大変似てくる訳ですね。 白 川   柳田・折口は事実関係だけでいく訳ですけど、僕は文字を媒介としてみる訳です。 梅 原  文字を媒介にしますと、正確な答が出て来る訳ですよね。(中略)柳田・折口の民俗学は年代を考えることが出来ない。そういう弱みを持っています。先生の学問は文字を媒介としているから、年代を特定することが出来る。 白 川   日本の場合には伝承という形でしか見られないけれども、向こうの場合には文字がありますからね、文字の中に形象化された、そこに含まれておる意味というものを、その時代のままで、今我々が見ることが出来る訳です。だから三千年前の文字であるならば、その三千年前の現実をね、見ることが出来る。 白 川  そう、象形文字であるからそれが出来るんで、これが単なるスペルだったら、見ることが出来ません。 「神聖王と卜占 ー 神と人との交通」 白 川  日本に文字が出来なかったのは、絶対王朝が出来なかったからです。「神聖王」を核とする絶対王朝が出来...

白川静「『字書三部作』の偉業」8/19

「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁) また、さらにつづけるとすれば、 「文字は埋もれていた。文字は白川によって蘇生し、文字は神の威光を回復した」 ということができよう」。 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 本誌には、以下の対談が掲載されている。 「対談 ① 神と人との間 漢字の呪力 梅原猛 × 白川静」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 「対談 ③ 孔子 狂狷の人の行方 梅原猛 × 白川静」  白川静 91歳。  矍鑠(かくしゃく)としている。また、「狂狷の人」である。  それぞれの質問に対し、その都度必要十分な回答がなされる。寸分の隙もない回答に疲弊した。休み、寝みの三日がかりの読書だった。  白川静への興味は尽きない。  一昨日、叔父の四十九日の法要後、 ◇ 白川静『孔子伝』中公文庫 を、珍しく書店で購入した。孔子への関心ではなく、 「第四章 儒教の批判者」 への興味である。 そして、今日中には、 白川静『回思 90年』平凡社ライブラリー が到着することになっている。 これで、白川静の本が、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 ◇ 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 ◇ 白川静『漢字』岩波新書(2冊) ◇ 白川静 『初期万葉論』中公文庫 ◇ 白川静 『漢字百話』中公文庫  計 7(8)冊になった。お目当ては、「神々」のことである。 「『尹』が見えました ー 神が書かせ給うた…」 「対談 ② みえるもの・みえないもの “境”の不思議の出来事 岡野玲子× 白川静」 白 川  そんなもの(神との交通を司る者「尹」)が憑(つ)いとるんかな。僕には見えんがな、後ろには目がないからね。そう。その三人が三部作を書いたのかな。そうすると僕は手を動かしとっただけかな。  いや自分でもね、ほんとに僕が書いたのかなあって思う時がある。瞬(またた)く間にやったからな。『字統』は一年で書いてしまったでしょ。『字訓』も一年で書いてしまった。『字通』はね、用例など...

白川静「文字は神であった」7/19

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「ことばと文字」 白川静『漢字』岩波新書 「はじめにことばがあった。ことばは神とともにあり、ことばは神であった」と、ヨハネ伝福音書にはしるされている。」(2頁) 「文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし聖書の文をさらにつづけるとすれば、『次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった』ということができよう。(3頁) (注意してほしいのは、白川静のいう神とは、キリスト教の「神」ではなく、神話に登場する「神々」のことである。白川は、「神々」を「神」に仮託している。)   また、「さらにつづけるとすれば」、「文字は埋もれていた。文字は白川によって蘇生し、文字は神の威光を回復した」 ということができよう。 「一九七〇年の出来事」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 一九七〇年、そのことは、広く世間に知られることとなった。 [ (サイ)] の発見である。 岩波新書としてその年、出版された『漢字』という一冊の本は衝撃的 な のデビューとなる。 は一九七〇年を遥かに遡る時代に既に発見されている。 発見者はもちろん「白川静」。 古代中国文学者・白川静は、今はあまりにも「漢字」で有名である。 白川静は或る日、常連であった古本屋で一冊の本と出会う。 『字説』(呉大澂(ごだいちょう))。この本との出会いから時を経ずして、 白川静の甲骨文・金文の研究が始まり、 の大発見となる。 とは? ー そう、ここで語る とは、 今まで「口(くち)」と考えられ、それによって解釈されていた “漢字”を 「口は口にあらず、祝詞即ち神への申し文を入れる “器”である」と説いたことである。 この発見により「口」では解けなかった「漢字の生い立ち」が、 スルスルと、まるでもつれた糸がほぐれるように解けていった。(6-7頁)  ドラマチックで華麗な文章に仕上がっている。  しかし、『漢字』の最初に出てくる [ ] の説明は、下記のように通り一遍のものである。 「わが国では、文字のことをナといった。漢字は真名(まな)、カナは仮名である。名の上部は肉の省略形で祭肉、下 の 形は祝詞を...

白川静「[サイ]の発見」6/19

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白川静と向き合うには用意が必要である。 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 白川 静「序文」 「第一章 初めの物語」 「第二章 からだの物語」 「第三章 (さい)の物語」 「序文」と各章を、 「漢字の「物語」がより克明に描かれるための準備は、ここをもって万全に整いました。」(70頁) と書かれた一文に至るまで熟読する。  準備をおろそかにして、徒手で白川静と対峙するのは向こう水である。  ちなみに、本書の内容紹介には、 「漢字を見る目を180度変えた、“白川文字学”のもっともやさしい入門書!」 との一文がある。理論社の児童書である。 「はじめに 『白川静』をフィールド・ワークする」 『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 「白川静(しらかわしずか)」ー 大き過ぎる。 (中略) 「白川静」と言えば、 [   (サイ) ] の発見である。現在の漢字の「口」は、口耳の「口」のみの意であるが、古代中国においては、 「口」には二つの意があり、口耳の “口”に対して、もう一つ、神への申(もう)し文(ぶみ)(人が神に願事(ねぎごと)をするために書かれた手紙)を入れる “器”という意味があった。 それが白川静、曰(い)うところの [   ] である。 この [   ] の発見は、従来の漢字の意味を解く法を完全にひっくり返した。 そればかりではない。その [   ] という “器”を通すと、漢字の背後のものがたり、民俗が象(かたち)として見えてくる。 民族 ー そう「白川民俗学」が「白川文字学」を支える。三千年前の人々の暮らし、それは神々と人々とが交通していた時代の出来事。 それが今、そこ、目の前にあるかの如(ごと)く、甦(よみがえ)る。(2頁) 文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった。  私にとって、これほどうれしい文句はなく、明日からはしばらくの間、「白川静詣」をする予定である。

白川静「また、明日。 また、あした」_2021/02/11 5/19

白川静「また、明日。 また、あした」 2021/02/11 2021/02/11、P教授から、 ◇『別冊太陽 白川静の世界 漢字のものがたり』平凡社 の画像が添付されたメールが届いた。 表紙には、 「文字があった。 文字は 神とともにあり、 文字は 神であった」 と書かれている。 見栄えのする表紙だった。 早速、Amazon に注文した。 そして、昨日(2021/02/15)、到着した。 また、裏表紙には、 「白川静の日常。 時間は静かに流れ、 淡々と一日を終える。ただそれだけ。ただそれだけ。 それだけを繰り返し、生み出される仕事の確かさ。 また、明日。 また、あした」 と書かれている。

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/18 4/19

「思いもよらず、白川静です_2/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/18   和歌における「見る」働きに、実存的ともいえる特別な意味を込めて論じたのが、白川静だった。新古今あるいは万葉にある、「眺め」、「見ゆ」という視覚的営為に、二人(白川静と井筒俊彦)が共に日本人の根源的態度を認識しているのは興味深い。この符合は、単なる学術的帰結であるよりも、実存的経験の一致に由来するのだろう。  井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい。  以下に引くのは白川の『初期万葉論』の一節である。  前期万葉の時代は、なお古代的な自然観の支配する時期であり、人びとの意識は自然と融即的な関係のうちにあった。自然に対する態度や行為によって、自然との交渉をよび起こし、霊的に機能させることが可能であると考えらえていたのである。 〔中略〕  自然との交渉の最も直接的な方法は、それを対象として「見る」ことであった。前期万葉の歌に多くみられる「見る」は、まさにそのような意味をもつ行為である。  「『見る』ことの呪歌的性格は『見れど飽かぬ』という表現によっていっそう強められる」とも白川は書いている。  井筒、白川の二人が和歌、すなわち日本の詩の源泉に発見したのは、芸術的表現の極ではなく、「日本的霊性」の顕現だった。 (中略)  白川は文字を「見る」ことから始めた。文字の前に佇み、何ごとかが動き出すまで、離れない。次に彼が行ったのは、ひたすらにそれを書き写すことである。すると文字は自らを語り始めると白川は考えた。井筒もまた、同じ姿勢で、テクストに対峙したのではなかったか。 (中略)   学問とは知識の獲得ではなく、叡智の顕現を準備することであるという態度において井筒俊彦と白川静は高次の一致を現出している。(251-253頁) 唐突」にも、白川静でした。思いもかけず、両氏の符合でした。

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉_2017/05/17 3/19

「思いもよらず、白川静です_1/2」〈『意識と本質』_はじめから〉 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 2017/05/17  すべて名づけられたものはその実体をもつ。文字はこのようにして、実在の世界と不可分の関係において対応する。ことばの形成でなく、ことばの意味する実体そのものの表示にほかならない。ことばにことだまがあるように、文字もまたそのような呪能をもつものであった。  井筒が書いたのではない。『漢字百話』中の白川静による文章である。 (中略)  呪の語源は「祝」であると白川は書いている。「呪」の字は「いのる」とも読む。白川は「呪能」と同義で「呪鎮」という表現を用いることもある。  白川静を登場させるのは唐突に見えるかもしれない。しかし、「コトバ」、文字に対峙する態度はもちろん、孔子、荘子、屈原、あるいはパウロといった人物について、あるいは詩経、万葉集、和歌誕生の来歴、すなわち詩論など論じた主題と対象、発言を並べてみれば、交わりがなかったことがかえって不思議に思われるほど二人(井筒と白川)の論説は呼応している。  文字は、神話と歴史との接点に立つ。文字は神話を背景とし、神話を承けついで、これを歴史の世界に定着させてゆくという役割をになうものであった。したがって、原始の文字は、神のことばであり、神とともにあることばを、形態化し、現在化するために生まれたのである。もし、聖書の文をさらにつづけるとすれば、「次に文字があった。文字は神とともにあり、文字は神であった」ということができよう。(白川静『漢字』岩波新書)(241-241頁)  井筒と白川の間に見るべきは言語観の一致だけではない。むしろ、両者の「神」経験の実相である。「文字は神であった」以上、それを論じる学問が、神秘学、すなわち高次の神学になることは白川には当然の帰結だった。井筒俊彦にとってもまた同じである。言語学 ー 「コトバ」の学 ー に井筒俊彦が発見していたものも、現代の「神」学に他ならない。  井筒は、ヴァイスゲルバーとサピア=ウォーフが、何の直接的な交わりもないにもかかわらず、ほぼ同じ時期に高次な同質な思想を構築していたことに驚き、共鳴する思想が共時的に誕生することに強く反応している。同じことは、彼自身と白川静にも言えるのである。(244頁) 「唐突」にも、白川静でした。思いもかけず...

白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社_2016/11/29 2/19

◇ すべては、「神さま」のために。 「目」のはたらき 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  「民(たみ)」すなわち「たみ」は、あるいは「田見(たみ)」という語のうちにその語源を求めることができるのかも知れませんが、その「民(みん)」の漢字の成り立ちには、むしろそのうち(農耕に従事する人、罪を負う人、天皇の財宝とされる人など)の「罪を負う人」のイメージにいくらか通うものがあるようです。「民(みん)」の字は、もとは、大きい矢か針で目を突き刺す形で記されました。おそらく殷王朝を脅かす異族を戦争で捕え、その「人」の「目」に加える処罰を示すものと考えられます。こうして眼睛(まなこ)を失った捕虜のおおぜいは神の僕として仕える身となります。  これらもの見えぬ「民(たみ)」は、音の領域でこそ、残された耳の感覚を研ぎすましてゆきます。その「民(たみ)」の奏でる音曲(おんぎょく)はきっと神の心を限りなく楽しませたにちがいありません。のちそのような盲目の楽人すなわち演奏者は「瞽史(こし)」と呼ばれ、宮廷や各国の王のもとで、宮廷楽のゆたかな伝統を育んでゆくのです。春秋時代に至ってもなおその伝統は継承されます。 (中略)  孔子が、こうまでこまやかな配慮を、盲目の楽人にほどこしているのは、当時なお人々の心のうちに、盲目の「瞽史」を尊重する気風が深々としみついていたからにちがいありません。  日本各地をめぐり歩きながら、三味線の音色を響かせつづけた「瞽女(ごぜ)」もまた、視力に障害をもつ人々の集団でした。そして、その「瞽女」によって、悲哀に満ちた音曲の調べが、民衆の心の底へと浸透します。こうして「目」の「物語」は、わずかに「目」の物語にとどまらず、音楽の「物語」をも紡ぐのです。  「目」を象(かたど)る漢字には、ほかに「臣(しん)」「賢(けん)」「童(どう)」などがあり、それらはみな神に仕える人々を表す文字です。(30-33頁) ◇ 白川静先生のお名前は存じ上げていましたが、「白川文字学」という言葉にははじめて触れました。 「死」の物語 白川静 監修,山本史也 著『神さまがくれた漢字たち』理論社 2016/11/29  人は免れようもなく、この運命的な孤独に身をゆだねなければならなぬときを迎えます。それが「死」というものでしょう。  「死...

白川静_「泣く子も黙る「漢字」の泰斗の学問人生」_2016/11/30 1/19

「泣く子も黙る『漢字』の泰斗の学問人生」 白川静著『回思九十年』(平凡社) 狐『日刊ゲンダイ匿名コラム 水曜日は狐の書評』ちくま文庫 2016/11/30  白川静、一九一〇年生まれ、字書三部作『字統』『字訓』『字通』によって、また『孔子伝』などの名著によって、泣く子も黙る文字学、古代学の泰斗である。  かつて吉本隆明もこう書いた。「彼の主著『説文新義』の数冊は、わたしの手元にあるが、いまだ手に負えないでいる。(略)かくの如き学徒は乏しいかな。彼の仕事を遠望するとき、流石に、少し泣きべそをかきそうになるのを、禁じえない」  一般書は六十歳になるまで書かなかった。それまでは専門の研究に徹することを自分に課していた。かつて学園紛争のころ、学生たちがバリケード封鎖していた立命館大学の中を、白川静だけはフリーパスで研究室に通っていたという伝説がある。思えば、まだ一般書は書いていない時代であった。白川静が来れば「どうぞ」と通していた学生たちも、なかなか眼力があったといわねばならない。  本書『回思九十年』は、エッセー「わたしの履歴書」と、江藤淳や呉智英をはじめとする面々との対談で編まれた。九十歳になる学者が自分の来歴を語ろうという一冊である。  「私の履歴書」には、やはり前述した「伝説」の時代のことが出てくる。封鎖された研究室棟では、夏など、白川静はステテコ姿で過ごしていたらしい。バリケードをかいくぐって訪ねてきた編集者は、てっきり小使いさんと思い込み、部屋を聞いたという。ステテコ姿の学者は、さらにキャンパスの騒音(学生のアジ演説や学内デモの怒号などであろう)を消すために、謡(うたい)のテープをかけていた。謡を流すと、それが騒音を吸収してくれて、静かに勉強できたそうである。たしかに「かくの如き学徒は乏しいかな」なのである。  作家・酒見賢一との対談で、あらゆる仕事を果たしたあとは、書物の上で遊ぼうと、「大航海時代叢書」全巻を買ってあると語っている。書物の中で大航海時代の世界を旅してみたい。それが先生の夢ですかと尋ねる酒見に、「うん。夢は持っておらんといかん。どんな場合でもね」と白川静は答えている。(116-117頁) (2000・5・24)