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白洲正子『遊鬼 わが師 わが友』新潮文庫_まとめて

◆ 左上の「メニューボタン」をクリックしてください。「サイドバー」が開きます。 ◆ 右上には「検索窓」があります。 ◆ 青色の文字列にはリンクが張ってあります。クリック(タップ)してご覧ください。 ◇  青山二郎「意味も、精神も、すべて形に現れる」 ◇  小林秀雄「梅原さんの言葉は絵なんだ」 ◇  白洲正子「彼らが教えたのは命の限り生きることだった。生を楽しむことであった」 ◇  小林秀雄「それが芸というものだ」 ◇  白洲正子「『かさね色目』_王朝文化は日本の美の源泉」 ◇  白洲正子「遊鬼 鹿島清兵衛」

須賀敦子「遠い霧の匂い」(全)

狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫 「いきなり現れ、去った文学者の残したもの」 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫  十年前の一九九0年、須賀敦子という聞き覚えのない著者が出したエッセー集『ミラノ 霧の風景』(白水社)を読んだ者は、だれもが目をみはらされた。どうやら処女出版らしい。しかしすでに作家の確信ともいうべき力が文章の内にこもっている。イタリアという異邦の風土をめぐる思いが、書き手の内部ですっかり熟成しているのを感じさせられる。つまり私たちの前に、いきなり文学者が現れたのだった。  そうした日常の局面を、須賀敦子はおどろくべき多彩さでエッセーに書いた。そのエッセーの魅力を知るのに恰好の一文といえるのが、本書所収「ミラノ 霧の風景」の冒頭に置かれた「遠い霧の匂い」だろう。このたった六ページの短文には、霧という自然現象をモチーフに、異郷ミラノの土地の感触が、そしてそこに生きることの哀切、痛み、喜び、希望などが、しんしんと身にしみるように書かれている。その後の須賀敦子のおそらくすべてがこの六ページに凝縮されているといっていい。神品。何度読んでもすばらしい。 (104-105頁)  明日には、 須賀敦子『ミラノ 霧の風景』白水社  が届くと思われ ますが、待ちきれずに、図書館へ「遠い霧の匂い」をコピーしに行こうと思っています。図書館にあることは確認しました。9:30 開館です。朝一番に 行こうと考えています。  朝一番で行ってきました。会社勤めの人たちが出社するかのように、「ぞろぞろぞろぞろ」と皆足早に朝一番の図書館に入っていきました。静かな朝を想像していましたので、呆気にとられました。コピーはやめて、 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出書房新社   を借りてきました。帰路、デニーズさんに立ち寄り読みました。「狐」さんが「神品」とまで賞賛した作品を、なぜいままで知らないままにやり過ごしてきたのか、不思議な気がしています。感想は項を改めて書きます。 須賀敦子「遠い霧の匂い」(全文)  つい今しがた読み終えました。三度目です。前回読んだのはちょうど一月前のことでした。回を重ね、作品の味わいが少しずつわかるようになってきました。「狐」さんが評した「神品」へのとらわれから、解き放たれたこともその要因の一つだと思っています。  以...

向田邦子「あいつ、くすぐっちゃお!!」

向田邦子『言葉が怖い 新潮CD 講演』 「金属バット事件を起こしたひと言」 「外国人にとっての言葉の重み」 「森繁さんの二つの名スピーチ」 「らしい言葉」の貧しさ 「江戸落語のしゃれたひと言」 「 “バカ野郎” も “畜生” もあったほうがいい」 川野黎子「向田さんと言葉」 「あいつ、くすぐっちゃお!!」 「古今亭志ん生さん演じる『火焔太鼓』の中で、骨董屋の若旦那が女房にさんざんにこき下ろされ虚仮にされ、その仇(あだ)を討とうと企んでいる場面で、 「帰ったら今日は女房にさんざんご馳走して腹一杯食わせて、あいつくすぐっちゃお」 という言葉が出てくるんですね。」 「あいつ、くすぐっちゃお」という「洒落たひとこと」に対して向田邦子さんは、 「あたたかみ」 「おかしみ」 「情(じょう)」 「人間の愚かさ」 を感じ、 「目頭が熱くなるんですね」 と話されています。 いかにも穏やかで、余裕があり、ユーモアがあます。そして何よりも、相手への心配りがあります。

「パンデミックのさなかにあって_ “愛” 三題」

「ゆでたまご」 向田邦子『男どき女どき』新潮文庫  私にとって愛は、ぬくもりです。小さな勇気であり、やむにやまれぬ自然の衝動です。「神は細部に宿りたもう」ということばがあると聞きましたが、私にとっての愛のイメージは、このとおり「小さな部分」なのです。 マザーテレサ『生命あるすべてのものに』 講談社現代新書 愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。 『ぼくたち地球っこ ― 田沼武能写真集』朝日新聞出版 「いつかお父さんはおっしゃった、誰かを愛する唯一の理由は、理由が無いという事だと。」 福田恆存訳のシェイクスピアの言葉です。  田沼さんは、『田沼武能写真集 ぼくたち地球っこ』の「あとがき」をタゴールの言葉で結んでいらっしゃいます。 「子どもたちはみな「神はまだ人間に失望していない」というメッセージを神さまからもらい、この世に生まれてきた。」 ラビーン ドラーナ・タゴール

大岡信「言葉の力」(全)

大岡信「言葉の力」 2015/09/02  人はよく美しい言葉、正しい言葉について語る。しかし、私たちが用いる言葉のどれをとってみても、単独にそれだけで美しいと決まっている言葉、正しいと決まっている言葉はない。ある人があるとき発した言葉がどんなに美しかったとしても、別の人がそれを用いたとき同じように美しいとはかぎらない。それは、言葉というものの本質が、口先だけのもの、語彙だけのものではなくて、それを発している人間全体の世界をいやおうなしに背負ってしまうところにあるからである。人間全体が、ささやかな言葉の一つ一つに反映してしまうからである。  京都の嵯峨に住む染色家志村ふくみさんの仕事場で話していたおり、志村さんがなんとも美しい桜色に染まった糸で織った着物を見せてくれた。そのピンクは、淡いようでいて、しかも燃えるような強さを内に秘め、華やかでしかも深く落ち着いている色だった。その美しさは目と心を吸い込むように感じられた。 「この色は何から取り出したんですか。」 「桜からです。」 と志村さんは答えた。素人の気安さで、私はすぐに桜の花びらを煮詰めて色を取り出したものだろうと思った。実際はこれは桜の皮から取り出した色なのだった。あの黒っぽいごつごつした桜の皮からこの美しいピンクの色が取れるのだという。志村さんは続けてこう教えてくれた。この桜色は、一年中どの季節でもとれるわけではない。桜の花が咲く直前のころ、山の桜の皮をもらってきて染めると、こんな、上気したような、えもいわれぬ色が取り出せるのだ、と。  私はその話を聞いて、体が一瞬揺らぐような不思議な感じに襲われた。春先、もうまもなく花となって咲き出でようとしている桜の木が、花びらだけでなく、木全体で懸命になって最上のピンクの色になろうとしている姿が、私の脳裏に揺らめいたからである。花びらのピンクは、幹のピンクであり、樹皮のピンクであり、樹液のピンクであった。桜は全身で春のピンクに色づいて、花びらはいわばそれらのピンクが、ほんの尖端だけ姿を出したものにすぎなかった。  考えてみればこれはまさにそのとおりで、木全体の一刻も休むことない活動の精髄が、春という時期に桜の花びらという一つの現象になるにすぎないのだった。しかし我々の限られた視野の中では、桜の花びらに現れ出たピンクしか見えない。たまたま志村さんのような人がそれを樹木全身...

志村ふくみ『一色一生』_「まあ 極道どすなあ」

志村ふくみ『一色一生』講談社文芸文庫 明治三十四年といえば今から七十年程以前であるが、真紅というよりやや黄味を帯びた赤は燃えさかる炎の色に近く、あくまで静かで、今も深く輝くような紅緋色である。糸一貫目に対して、茜根百貫を要したというこの深茜染は、約一年半の間、百七十回、茜染の煎液とにしごり(榊の一種)の灰汁とを交互に漬け染めを繰り返して染め上げられたものである。その間百六十九回目に失敗すればすべて終りである。その精神の張りは何であったろうか、宮中や伊勢神宮の御用を承るという緊張感からであろうか、若い頃、深見(重助)翁にこの茜染や紫根染、紅染などお教えをいただいている頃、私は深い山で仙人に出会ったような気がして、忽ちこの方を見失ってしまうであろうという不安が強かった。 「まあ 極道どすなあ」といっていられたが、まさに道を極めるということであろうか。  今故人となられた先達の踏んでゆかれた道を何とか見失うまいと願っている自分である。音より早く空を飛ぶ時代にこのような道を追い求めるのは、時を逆に生きることであるかも知れない。深見翁は後継者はいらないのではなく無いのだとはっきりいわれている。 (43-44頁) 以下、ご参考まで。 棟方志功『板極道』中公文庫

志村ふくみ『一色一生』_色即是空 / 空即是色

志村ふくみ『一色一生』講談社文芸文庫  花は紅、柳は緑といわれるほど色を代表する植物の緑と花の色が染まらないということは、色即是空をそのまま物語っているようにも思われます。  植物の命の尖端は、もうこの世以外のものにふれつつあり、それ故に美しく、厳粛でさえあります。  ノヴァーリスは次のように語っています。   すべてのみえるものは、みえないものにさわっている。   きこえるものは、きこえないものにさわっている。   感じられるものは感じられないものにさわっている。   おそらく、考えられるものは、考えられないものにさわっているだろう。 本当のものは、みえるものの奥にあって、物や形にとどめておくことの出来ない領域のもの、海や空の青さもまたそういう聖域のものなのでしょう。この地球上に最も広大な領域を占める青と緑を直接に染め出すことが出来ないとしたら、自然のどこに、その色を染め出すことの出来るものがひそんでいるのでしょう。 (17-18頁)

井上靖『天平の甍』

井上靖『天平の甍』新潮文庫  平成九年三月に唐招提寺を訪れた季節、また平成十四年二月に名古屋市博物館で開かれた 「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝した季節のことが思い出されます。また、奈良国立博物館『国宝 鑑真和上展 唐招提寺金堂平成大修理記念 公式図録』が手元にあります。  井上博道『東大寺』中央公論社 で、毎月六日には戒壇院千手堂にて、「鑑真講式(がんじんこうしき)」の法会が行われていることを知りました。「鑑真講式」については、 「戒壇院をきずいた鑑真和上の命日(天平宝字七年〔七六三〕五月六日寂)に、唐招提寺に伝わる講式を移し、法会が行われる。和上の渡航の苦心や、伝戒の様子が説かれる。」 との説明があります。月に一度の法会です。鑑真和上への思いがしのばれます。 「天平の甍」に仮託したもの  「天平の甍」の意味するところは、と終始そんなことを考えながら読みました。唐招提寺の甍。東大寺の甍。日本国を鎮め、庇い、護るために身命を屠して渡日した、鑒真和上の表徴としての甍。井上靖が「天平の甍」に仮託したものが、最後に具体的な形をとって現れるとは思いもよらぬことでした。突然さしだされた「解答」にあわてました。推理小説を読んでいるかのようでした。やはり『天平の甍』は「天平の甍」であり、それがすべてであって、この一語につきます。  ブログ上に「謎解きの答え(?)」を載せるのはためらわれ、著者へのまた読者に対して礼を失するのは明らかで、これ以上のことはさしひかえさせていただきます。実際に手にとってご覧になってください。  「二十日の暁方(あけがた)、普照は夢(ゆめ)とも現実ともなく、業行の叫(さけ)びを耳にして眼覚(めざ)めた。それは業行の叫びであるというなんの証(あか)しもなかったが、いささかの疑いもなく、普照には業行の叫びとして聞こえた。」(181頁)  以下に続く描写はあざやかです。一見冴えない端役の業行への井上靖の目配りは細やかで、透明感をともなったありありとした筆致が哀しみを誘います。 『空海の風景』での司馬遼太郎に比すれば、『天平の甍』の井上靖の筆の運びは軽妙で、二作品を日数をおかずに読み、『空海の風景』という「異色」の「風景」に親しんだ私にとっては、『天平の甍』での時の経過は早く戸惑いを覚えました。  滔々と時は流れ、私たちは当代...

「山の上ホテル」_寿司とうなぎと天ぷらと

常盤新平『山の上ホテル物語』白水社  吉田俊男(「山の上ホテル」の創業者)が寿司でもなく鰻でもなく、天ぷらの和食堂をつくったのは、彼なりの考えがあったからだ。日付はないが、山の上ホテルの便箋に吉田は書いている。  〈天ぷら屋のご主人にもよくお目にかかったが、ケレンがなく、何となしに昔からの日本人の見本みたいな方々が多い。  職人の方は年齢的に二つに分れる。四十歳前の人達は何か天ぷらだけではものたりない様な顔をしている。  俺は今でこそ天ぷらだけだが、今に日本料理全般の名包丁人になってみせるぞと言った様な感じの人もかなりある。  それが四十を越した人達は善かれ悪しかれ「揚げ屋」の座に坐りきった感じがするのです。  これが実は一番大切なんではないかと思ふのです。徹し切るためには、失望であろうと失敗であろうと、何でもしてみて、結局俺の本職は旨い天ぷらを揚げることだと、観念しない中には、穴子も揚げすぎたり、かき揚げの中が生だったりする訳でせう。  兎も角東京中で恐らく何千軒となくある天ぷら屋、どこに入って食べても、一応レベル以下の店と言ふものはあまりありません。〉 (中略)  吉田俊男は天ぷらと鰻や寿司を比較して、「天ぷら裏話し」を便箋に書きしるした。 (中略) 〈天ぷら屋でもうけたという話しは聞かない。それよりも寿司屋の方が大通りに面しているし、又それよりもうなぎ屋の方が大通りの四つ角に近い。  だからお金をもうけようなどと山気のある者は天ぷら屋にはない。  ところで、天ぷらですが、現在の天ぷら屋程もうからぬ商売はありますまい。大通りに寿司屋はあっても、天ぷら屋を見つけることはむづかしい。四つ角にカバ焼きの煙りは立っていても、天ぷらの旨さにはぶつかりません。  総じて横町とか裏通りに細々と仕事を続けてゐるのがこの商売です。  例へばうちを例に取れば、今年の売り上げはやっと千五00万円位で、純益はたった六0万位でした。  利益が少ないからと言って、止める気にならないのも又天ぷら商売のたのしさでせうか。  例へば花むらさん、天國さんを始め私の知る限りでは、天ぷら屋さんのご主人には共通した個性があると思ふのです。寿司屋の持つあの威勢のよさとか、うなぎ屋さんにあるあの気むづかしさに対して、天ぷら屋さんに通じる性質とは、リチギな、地味な、それに何とか天ぷらを旨く食べて頂こうかという...

「西江雅之先生_あれこれ」

TWEET「情報とは 」  西江雅之先生が、「情報に、良し悪しはありません」と講義中に 何度か言われたことを覚えています。  情報とは、世の中に流布している「こと」の総称であって、優越、良し悪し、正誤といった色づけされる以前のものの「こと」です。  早大の三年次に西江雅之先生の「文化人類学」の講義を受講しました。講義はいつも恥じらいのある口調ではじまりましたが、時の経過とともにことばが疾走しはじめました。「エスノセントリズム」,「エスノセントリック」という言葉をよく口にされました。 「文化人類学」の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだ際には、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 ◇  西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。  講義中に「南方熊楠」のお話をされたことがありました。西江雅之先生が師事されたいと思っている人物は「熊楠」である、とのお話であったように記憶しています。講義後には早速書店に向かいました。当然「文化人類学」の後の二時限目の講義は欠席しました。故あってのことです。然るべきことでした。私にはまったく迷いはありませんでした。「懐の深い大学?」でした。 西江雅之,平野威馬雄『貴人のティータイム』リブロポート 「そう言えば、数年前に雑誌の『文芸春秋』に、今、自分がある特定の先生につくとしたらどういう先生につきたいかという、そういうものを書けといわれて書いたんです。そのとき、ぼくは南方熊楠を書いたんです。」 (158-159頁) 「“文化”という語の定義を試みよ」 「“ETHNOCENTRISM”という語を説明せよ」 というのが、前期・後期のレーポートの題名でした。 下記、当該箇所についての私の講義ノートです。 西江雅之「文化人類学」_1988年_講義ノート 2015/06/14 にご逝去されたことを今日( (2015/08/30 )はじめて知りました。 西江雅之先生の「老病死」については思いもよらないことでした。 それほど精力的...

西江雅之「人間だけがちぐはぐだ」

西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社』 † 人間だけがちぐはぐだ  それから六番目が、「分離性」です。  たとえば犬が怒っているとき、声も「ワンワン!」と怒っています。それだけではなく、目も怒っている、耳も立っている、尻尾(しっぽ)まで体の毛が全部逆立っている、といったように、犬が伝え合いに使っている身体各部は、全部同じ意味の方向に向かっています。自分のうちの猫の喉(のど)をなでているときに、ゴロゴロゴロゴロ言って、目はすごく喜んでいるのに、尻尾だけがぴんと立って緊張しているというのはありえないわけです。  ところが人間の場合、口では「はい、わかりました」と言っていても、顔は「やだなあー」という表情をしているとか、足は震えていて相手をまったく拒否しているとか、そのようなことはザラにあります。学校で先生が、「明日、わたしのところに来て図書の整理を手伝ってくれますか」と言ったら、行かないとちょっとまずいことになるのではと思って、口では「喜んで参ります」と言っているけれど、顔はこわばっているとか、足はちょっと貧乏ゆすりをしているとか(笑)。これが普通なんです。すなわち、人間はやや分裂気味なんですね。  犬も猫もサルもライオンも、そんなことはありえない。人間は、していることがちぐはぐなんです。ここのところをもう一歩進めて言えば、実はその中の一部は本音を表わしてしまっているということにもなるんですね。こうしたことを「日常性の誤り」と言うんですが、本当はふと出してしまった本音なんです。当人は気づけば「しまった!」と思うんでしょうが、だいたい気がつかない場合が多いんですね。口では「喜んで参ります」と言ったのだから、そのまま相手に伝わっていると思っているけれど、相手の方は、「ああ、この人いやがってるんだなあ」と、すぐに感じ取ります。 (158-159頁) 「面従腹背」。この人間のこころと体の「ちぐはぐ」さこそが、『生まれ出ずる悩み』の源泉であることは、理解して いるのですが…。

西江雅之「翻訳とは『演奏』である」

西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社 † 翻訳とは「演奏」である  言語は互いに「置き換えられる」という話と「翻訳」の話とは大いに違うんです。  翻訳というのは、ある言語で表現されたことを、意味の上でも形の上でも原文に近い形を保ちながら、ほかの言語に置き換えることです。その置き換えは、制約の中での一種の「演奏」なんです。つまり、本来の文章をいかに訳すかは、翻訳者の腕によるわけです。 (106-108頁) ◇  須賀敦子「翻訳という世にも愉楽にみちたゲーム」(全) を書きました。「翻訳とは『演奏』である」と、西江雅之先生にこんな風に上手に表現されてしまうと、脱帽するしかありません。 「翻訳」は「演奏」です。創造的な行為によって、楽譜は音に昇華され、立ち上がっていくわけですから、それは「愉楽にみち」ていることでしょうし、またそれは、楽譜から逸脱することは許されないという、一定のルールの下で行われる「ゲーム」にも似ています。 一定のルールにさえしたがえば、あとは自由です。自分の裁量で動くことができます。  西江雅之『「ことば」の課外授業』洋泉社』は、2003/04/21 に出版され、時を同じくして読んだのですが、全く記憶にありませんでした。うかつでした。が、そのかいあって、再び喜びを味わうことができました。

一番すてきな「ありがとう」に会いたくて

一番すてきな「ありがとう」に会いたくて はじめに、「言語」と「ことば」について ◆  2014年度 K大学 人間福祉学部 人間科学科 ◇ 以下、代筆した「人間福祉学部専願の理由」より、抜粋です。  いま仮に映画やテレビドラマ、ラジオドラマのシナリオ、演劇の台本等の書き言葉(台詞)を「言語」、声色や抑揚、顔の表情、身振り手振り等々を含めた、書き言葉(台詞)が実際に発語された際の話し言葉を「ことば」とするならば、「言語」と「ことば」の関係は、「楽譜」と「演奏」の関係とよく似ている。「演奏」は一回限りのものであり、指揮者の数だけ解釈があり、演奏者の数だけ曲がある。「ことば」は意味の乗り物であると同時に感情の乗り物でもあり、「言語」が「ことば」の形をとるとき、そこには無数の感情の表出がある。 「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」 西江雅之『「ことば」の課外授業―“ハダシの学者”の言語学1週間』洋泉社 「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできませんが、「ありがとう」の「ことば」は無数にあります。  一番すてきな「ありがとう(ございました) 」に会いたくて、いつも「ありがとう(ございました)」の「ことば」を探しています。 「ことば」は、語尾をいかに発音するか、まとめるかによって印象が大きく左右されます。「ことば」についても 文末決定性ということがいえるように感じています。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」

10 渾身の力で取り組む 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書  「文章はいつも、水をかぶって、座りなおしてはじめる覚悟でいたい」 (串田孫一)  この串田の言葉は、一九五二年一月五日の日記のなかに出てきます。  まだ三十代のころの決意です。  亡くなった勝新太郎が中村玉緒とケンカをしたことがあります。玉緒がすごい形相になって摑みかかると、勝は即座にいったそうです。「おい、いまのその顔だ。その顔を忘れるな。いい顔だ」と。玉緒もつられて「はい」といってしまった、という話を聞きましたが、真偽のほどはわかりません。憤怒の形相も芸のこやしにしようというわけで、勝と玉緒の二人ならありえない話ではないと思いました。  不出来な絵ではあるけれど、その絵の対象になったものをことごとく愛している、と歌ったあと、石垣りんはこう書いています。  「不出来な私の過去のように / 下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」  私はこの、最後の「下手ですが精一ぱい / 心をこめて描きました」というひかえめな表現が好きで、何度も読み返しては、この真摯な詩人が「精一ぱい」という以上、まことに精一ぱいだったのだろうと思い、文字をつらねるとはそういうことなのだと粛然とした気持ちになるのです。「下手ですが精一ぱい、心をこめて書く」。これ以外に修行の道はない、とさえ思うのです。  「内田百閒の信者」だと自称する随筆家、江國滋はこう書いています。  「あの名文をどんなふうにして書くのかと問われて百閒先生いわく。  『そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ』」  さらさらと一気に書いたように見える百閒の文章は、「死にもの狂い」の産物だったのです。  川端康成も、読み手がたじろぐような激しい言葉を使っています。  「文章の工夫もまた、作家にとつては、生命を的の『さしちがへ』である。決闘の場ともいへやうか」  川端は、「われわれの言はうとする事が、例へ何であつても、それを現はすためには一つの言葉しかない」というフローベルの言葉を引用し、そのためにも作家は、不断のそして測り知れぬ苦労を積み重ねるほかはないとも書き、文章の工夫は「決闘の場」だという激しい言葉を使っているのです。  いままで、「これ渾身」ということについて書いてきましたが、この言葉は、実は幸田文の文章から選びました。この人の初期の作品に『こんなこと...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」

平明(2)ーー読む人の側に立つ 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「よく引用されることですが、英文学者の中野好夫に「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」という言葉があります。教室で学生にいった言葉だそうです。英米文学者の佐伯彰一はこれを「万古不易の翻訳論の名言」といっています。」(105頁) 「万古不易の翻訳論の名言」を知ってしまったからには、使わない手はなく、早速 昨夜の授業から使わせていただいております。  最終的には、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」ほしいのですが、はじめから、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるように」訳されるとちょっと困ります。単語や熟語の意味はわかっているのか、文法や文の成り立ちを理解したうえでの訳なのかが、こちらに伝わってきません。  直訳からはじめています。ガチガチの英文解釈の授業をしています。そして最後に、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」と言うことにしました。  英文和訳の問題を解く場合、私はこの英文をちゃんと理解していますよということを、採点者に示すために、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳」さない方がいい場合もあります。どのくらい「平明」な日本語にしたらいいのか、そのあたりは出題者とのかけ引きです。「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」マルをくれれば一向に構わないのですが。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_食す

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 (4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。 「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」  タラの芽のてんぷらが目の前にちらついて、読みながら、自分も箸をのばしています。文章の力です...

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_体言止め。簡潔と粗略は違います」

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書  ーーー体言止めについて。  「これも好みの問題ですが、私自身は体言止めの乱用を戒めています。 (中略)  体言止めや助詞止めは和歌や俳句に多いし、新聞の見出しや辞書の説明にも多い。散文にも体言止めの歴史があることは認めます。しかし、散文の場合の体言止め、助詞止めは、言葉を粗略にすることにはならないか、と私は思います。私たちはメモや日記では体言止めを多用します。それはそれでいい。しかし、読者になにかを伝える文章が疎略になってはいけません。谷崎潤一郎は書いています。「いやしくも或る言葉を使ふ以上は、それを丁寧な、正式な形で使ふべきであります」  簡潔と粗略は違います。」(182頁、184頁) 身につまされます。 追伸: 「驚いています」,「驚いてしまいます」,「驚いてしまいました」,「驚きました」。「驚く」としか感情を表現できない私は、「驚く」ばかりを多用しています。我ながら驚いています。  稚拙にすぎます。情けないお話です。

辰濃和男『文章の書き方 / 文章のみがき方』_文の接続と文末表現

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書   を読み終え、一昨夜(2016/01/21)深更、 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書   を買いに書店に行きました。併読中の  司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫   は一時おあずけです。               TWEET「作文( 2015/08/28)」で、 「文章を書く上で厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。  初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきます 。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。  誤字・脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。」 と書きました。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 「この作品(「人違い」)の見所は、文節と文節との接続のありようです。接続に使われているのは「とき」です。さきほどの「翌朝」もそうですが、 (中略) 「たぶんその頃…」で、ぱっと場面が変わる。ある場面からある場面へ飛ぶ。切替が早くて読んでいて心地がいい。井伏鱒二は「以前」とか「今年の夏は」とかいう形で、「とき」を文節と文節の接続に使うことの名人だったと思います。 (中略)  井伏は接続詞を使わずに場面の展開をはかり、石橋(湛山)は、接続詞を上手に使って、論旨を進めてゆく。接続詞によって文章の流れは強くなったり、少し曲がったり、また直線になったり、ということになります。」 (230-233頁) 辰濃和男は、接続の問題を「文章の流れ」の中でとらえています。 III 推敲する   7 文末に気を配る 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 「私は文章を書くとき語尾に手こずっている」(井伏鱒二)  井伏鱒二ほどの作家が「語尾(文末)にてこずっている」と書いているのを読むと、やはり日本語は大変なのだなと思います。動詞が文章の末尾にくるせいでしょう。井伏は語尾に手こずっていると書いてはいますが、できあがった作品はみごとなものです。」 (160頁) 「厄介」としか表現できなかった「厄介さ」の所在が、自覚されるようになり...

真鍋俊照『 四国遍路を考える』NHK出版 7/7

◆ 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版 は、P教授から送っていただいた三冊の書籍のうちの一冊である。  2022/11/22 から読みはじめ、昨日読み終えた。途中に「古社寺巡礼の道行き」(2022/11/23 〜 12/01)があり、いつになく変則的な読書になってしまった。  本書は、仏教学者である真鍋俊照が書いた小さな学術書であり、安心して読み継ぐことができた。   「弘法大使信仰と現世利益」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   空海が四国で修行に入ったのは、十八歳ときわめて若かったころのことです。空海は親類の阿刀大足(あとのおおたり)に伴われて長岡京に行き、当時の大学の明経科に入学するのですが、そこでの教育に飽き足らず、悶々とした日々を過ごしていました。そんなとき、空海の前に一人の沙門(しゃもん 僧侶)が現れ、虚空蔵というお経をとなえることで法力を得ることができる「虚空蔵求聞持法(こくうぞうぐもんじほう)」の修法(すほう)を授けてくれたのです。そして空海は四国へと渡り、修行に入ります。  のちに空海が書いた有名な『三教指帰(さんごうしいき)』には、仮名乞児(かめいこつじ)という名で空海自身が登場します。その本の書き出しには四国での修行がいかに苦しかったかが語られていて、とくに三つの修業地のことがクローズアップされています。三つの修業地とは、阿波の太龍岳、土佐の室戸岬、伊予の石鎚山(石鉄山)のことです。これらはいずれも、現在の八十八ヶ所札所に比定することができます。すなわち、太龍岳は第二十一番太龍寺(たいりゅうじ)、室戸岬は第二十四番最御埼寺(ほつみさきじ)、石鎚山ゆかりの札所は、第六十番横峰寺(よこみねじ)と第六十四番前神寺(まえがみじ)です。(130-131頁)  四国八十八ヶ所の札所、およそ 1400km にわたる道のりを、私は歩き通す自信も覚悟も持ち合わせていないが、上記の四か寺の他にも、訪ねてみたいところはいくつかある。まず、弘法大師ご生誕の「善通寺」であり、 讃岐での西行の足跡であり、一遍上人 ご生誕の地といわれている「法厳寺(ほうごんじ)」であって、 「遍路に伝わる病気平癒」 真鍋俊照『NHKラジオテキスト こころをよむ 四国遍路を考える』NHK出版   明治時代、山...

TWEET「新春に『四国遍路』を渉猟する_鍵は開けられた」

2021/11/19,20 に「高野山」を参拝した。紅葉が盛りを過ぎたころだった。 「身は高野 心は東寺に おさめおく            大師の誓い 新たなりけり」 その後間もなく、 2021/11/26,27  には「東寺」を参拝した。「へんろ笠」には、 「迷故三界城」(迷うがゆえに三界は城) 「何処南北有」(どこに南北があろうか) 「同行二人」 (遍路は自分一人でなくいつも弘法大師と一緒である) 「本来東西無」(本来東西は無く) 「悟故十方空」(悟るがゆえに十方は空) と墨書されている。 そして、 2021/12/06 から「師走に『四国遍路』を渉猟する」を書きはじめた。 この間(かん)のことは定かではないが、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を端緒とした。 ひと月半が経過した。いま「渉猟」の最後に、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 を読みはじめた。空海の入定前年の著である。最晩年に空海は「秘鍵」、秘された、匿された鍵によって、「般若心経」の扉を厳かに開けた。空海における「般若心経」に対する胸中が察せられる出来事である。

新春に『四国遍路』を渉猟する」_「空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫

昨夕(2022/01/24)、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 の初読・再読を終えた。 『般若心経秘鍵』の〔原文 訓み下し〕はもとより、〔口語訳〕についても、つたない理解に終始した。再読後 時が経過し、『秘鍵』は、『般若心経』の「密教的意味」に則した訳でも、読みでもないことに気づいた。愚かだった。先入観の怖さを知った。  空海は『般若心経』を五つに分け、詳細に論じている(五分判釈(ごぶんはんじゃく))。『般若心経』の各句が、「仏教諸宗そして二乗教(南方仏教、小乗教)」の宗旨から成ることを、次々に判じ、評釈していく。空海のその学識、またその手さばきはみごとである。  そしてついには、「このように考えれば、仏教の各種の悟りの心境も内容も、各種の教えもその依りどころも一切合切がこの経(『般若心経』)に説きつくされており、漏れるものは一つとして無いのであります。欠けているもののあろう筈はありません」(82頁)と結論づけている。 『般若心経秘鍵』は、空海の入定前年の著であり、最晩年の作である。  これについて、加藤精一は、「すべての仏教徒が共に『心経』を読み、あるいは書写することによって、仏教徒たちは同じ土俵の上に乗ることができる。万人に共通の光を求めていた空海が『秘鍵』を著作したのはこのためだったと言える」(128頁)と書いている。  空海の果てしない夢である。  加藤精一は、『般若心経秘鍵 』を「般若心経の真意を読み解く秘密の鍵(かぎ)」(45頁)と口語訳している。それは、空海の心意であり、まったくの新釈だった。 『四国遍路』の渉猟を、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 を嚆矢とし、 ◆ 空海著, 加藤精一編集『般若心経秘鍵 ビギナーズ 日本の思想』角川ソフィア文庫 で終えることができたのは幸運だった。  思いがけずも長期間におよんだが、それは『般若心経』のもつ深遠さに由来するものである。連作は終えるが、寄せる波は続くであろう。よく「持(たも)」つことを心がけたい。  新緑のころには、高野山へ、また東寺へと思っている。

師走に『四国遍路』を渉猟する」_「川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書

一昨日(2021/12/08)の夕方、 ◆ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 が届いた。一番乗りだった。今回注文した七冊の書籍のなかで最も注視していた本だった。  一昨夜拾い読みし、昨夜読み終えた。昔日の「岩波新書」のよき伝統を継ぐ渾身の書だった。  川崎一洋の実力を知った。川崎の導きによって空海との出会いを果たした。この先のことは、私次第、あなた任せの世界である。  来春新緑が芽吹くころ、高野山を、また東寺を訪ねようと思っている。その際には再読する必要を感じている。復習であり、予習であり、「友情の証( 長田弘「再読は友情の証」 )」である。  やはり空海は天才だった。 読むことを書くことに優先させていただきます。また書く機会もあるかと信じています。 次は、 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 です。早速寄り道です。脱線です。

「師走に『四国遍路』を渉猟する」

「師走に『四国遍路』を渉猟する」 2021/12/06  以下の新書は、出版(2001/04/20)されると間もなく手に入れたが、積読したままになっていた。 ◇ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書 下記の三冊は発送待ちである。辰濃さんの文章に触れるのは久しぶりである。 ◇ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 ◇ 川崎一洋『弘法大師空海と出会う』岩波新書 ◇ 石川文洋『カラー版 四国八十八カ所―わたしの遍路旅』岩波新書  ◇ 中村元,紀野一義『般若心経・金剛般若経』岩波文庫 ◇ 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『「般若心経」講義」PHP研究所 ◇ 紀野一義『「法華経」を読む』講談社現代新書 ◇ 紀野一義『遍歴放浪の世界』NHKブックス 以上 五冊は学生時代に読んだ。紀野一義さんの本をよく読んだ。 ◆ 紀野一義『明恵上人―静かで透明な生き方』PHP研究所  また、下記の文庫も見つかった。 ◆ 公方俊良『般若心経 90の智恵―276文字にこめられた生き方の真髄』知的生きかた文庫 玄侑宗久さんのお名前は早くから存じ上げていたが、はじめて文章に触れたのは、 ◆玄侑宗久(作家・臨済宗僧侶)「井筒病」(『井筒俊彦全集 第八巻』 月報第八号 2014年12月 慶應義塾大学出版会) だった。 ◇ 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 を注文した。 検索しているうちに、柳澤桂子さんが気になりはじめ、 ◇『般若心経 いのちの対話』(文藝春秋 2006年12月号での玄侑宗久との対談)』 ◇ 柳澤桂子(著)堀文子(イラスト)『生きて死ぬ智慧』小学館 ◇ 柳澤桂子『いのちの日記 神の前に、神とともに、神なしに生きる 』小学館 また、多田富雄さんが気になりはじめ、 ◇ 多田富雄,柳澤桂子『露の身ながら 往復書簡 いのちへの対話』集英社文庫 を注文した。  本の世界で『四国遍路』を渉猟する際にも、八十八冊ほどの書籍は必要となりそうな勢いである。今日から本が届く。年内に、遅くとも年始までには読み終えようと思っている。師走との “かけっこ” である。「いのち」の森厳に触れる、「同行二人」での道行である。

「新春に『四国遍路』を渉猟する」

「新春に『四国遍路』を渉猟する」 2022/01/01 頌春 新春のお慶びを申し上げます。 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  この寺(五十八番霊場「 仙遊寺」)には阿坊(あぼう)仙人の話が残っている。  養老年間というから八世紀のはじめだが、それほどの昔の昔、阿坊仙人という僧がいて、ここで修行し、諸堂を整えた。四十年ほどこの地にいたというからかなりの歳月だ。石鎚山をのぞみ、かなたに瀬戸の海を見るこの地は、当時は人里をはるか離れた仙郷であったろう。そしてある日、阿坊さんは雲と遊ぶかのように忽然と姿を消した。(165頁)  遊ぶとは生半なことではない。一大事である。一時(いっとき)の気まぐれな戯れとは様相を異にしている。遊戯三昧の境地からすれば、雲と遊び、雲と消えることなど如何ほどのことでもないだろう。 「ご住職」の「小山田憲正(おやまだけんしょう)さん」は、「このごろ、人に頼まれて字を書くときは『遊べ』と書くそうだ。」(辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 212,215頁)   いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺(めいせきじ)にこんな立て札があった。「悟りは迷いの道に咲く花である」(141頁) (四十二番霊場)仏木寺(ぶつもくじ)は銀木犀(ぎんもくせい)の香りに包まれていた。茅葺きの鐘楼がいい。「悟りの花はどこに咲く。悩みの池の中に咲く」と書かれた立て札があった。それを見ていた団体遍路のおばさんが「ほんとじゃろか」と笑っていたのがおもしろかった。(129頁) 「ほんとじゃろか」 「おばさん」はたくましく、たくましい「おばさん」に与(くみ) するに如くはなく、と思っている。

師走に『四国遍路』を渉猟する」_「辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社

一昨日(2021/12/31)の夕刻すぎ、 ◆ 辰濃和男『歩き遍路―土を踏み風に祈る。それだけでいい。』海竜社 を読み終えた。  たくさんの言葉に接し消化不良を起こしている。 「土を踏む」ことと「風に祈る」こと、それだけでいいというのは、その二つの単純な動詞さえ大切にすれば、あとのことは重要であっても最重要ではない、という意味だ。 「土を踏む」、つまり日々、歩くことをつづければ、どんな御利益があるだろう。  まず、野生をよみがえらせることができる。いいかえれば、生命力が強くなる。  自立心がます。楽天的な思いが湧く。なにごともセーカイセーカイダイセーカイ(正解正解大正解)だと思う。おろかで、欠点だらけの自分に出あうことができる。へんろ道は己の「魔」を照らす「照魔鏡」である。  そして、人との大切な出あいがある。  たくさんのお接待をいただき、手をあわせる。感謝をする。そのことが、人間が生きるうえでの基本だということを知る。  感謝はさらにひろがる。大自然の営みへの感謝がある。  大自然の営みに感謝する祈り ー それこそが「風に祈る」ということだ。私の体験のなかでは、「土を踏む」ことが「風に祈る」ことにつながり、「風に祈る」ことが「土を踏む ことをさらにうながしている。(337頁) 「土を踏む」という言葉が、何百万年前の太古にさかのぼるのに対して「風に祈る」という言葉は一輪の花から宇宙空間にまでひろがってゆく。「風に祈る」の「風」は、風そのものだけではなく、空・風・火(光)・水・地という宇宙を象徴する言葉の代表選手として使っているつもりだ。  究極の祈りは、宇宙の営みへの感謝の祈りである。(「あとがき」341頁)  へんろ道は「祈りの空間」である。(「あとがき」340頁) ◆ 高群逸枝著,堀場清子校註『娘巡礼記』岩波文庫 「高群は出かける前「道の千里をつくし、漂泊の野に息(いこ)はばや」と書いている。  高群が四国を回ったのは一九一八年で、二十四歳のときだった。六月から十月までの長い旅である。当時のへんろ道では、「山で若い女が殺されたり、姦(おか)されたり」することがあるという噂話もあった。しかし高群は書く。「でも構はない。生といひ死といふ、そこに何程の事やある」という意気込みだった。  顔や手足に虫が這う草むらで野宿をする。小川のそばに毛布を敷いて寝る。テントも寝袋...

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 6/6

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_セエーカイセエーカイダイセエーカイ 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。  今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。  どちらの道を行こうか、どこまで歩いて行こうか、どの宿にしようかと迷うことがある。どんなに迷っても、一度きめてその道を選び、一度きめてその宿を選んだ以上は、その選択が「正解正解大正解」だったと思う。そう思いこむ。選択が間違っていたかどうかなどといつまでもぐじぐじ考えず、まずは正解だったと思う。それも一つの修行だろう。  セーカイセーカイダイセーカイというつぶやきがでてくる。迷ったからこそ、いまこの小宇宙に独りでいることができる。深い山の懐にあって、雲の流れをこころゆくまで眺めることができる。見渡す限り、人の姿はなく、山々は深い沈黙のなかにある。なんとぜいたくなことだろう。これこそ、大正解でなくてなんだろう。そんな感じをもった。   この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。  迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。  私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。  いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺にこんな立て札があっ...