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山本空外「木魚のある風景」

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「智慧第一」と呼ばれた法然上人は、ひとり、気候の厳しい比叡山の元黒谷で、18歳から43歳までの 25年間にわたって、あらゆる仏典を繰り返し読まれ、「 大小乗の全仏教を体系化して」,「 ナムアミダブツと一息でいえる」,「 念仏の一語にしぼり込んだ」。 「南無阿弥陀仏」とは、サンスクリット語の音訳であり、「ナム」とは「帰命・帰依する」ことを意味し、「ア」は「ない」,「ミタ 」は「計算する」の意である。  空外先生は,「南無阿弥陀仏」を「いのちの根源」とか「永遠の智慧」,「大自然の智慧」と換言されることが多い。 「ナムアミダブツ」は、外来語であり、空外先生が横書きで書かれた書があるが、上手くまとまっていて、すっきりとした印象を受ける。 クリック、またはタップして、拡大してご覧ください。 山本空外書「南無阿弥陀仏」   法然上人が説かれた念仏は、「日本の宗派仏教で説く念仏ではない」と、空外先生は明言されている。 それは、以下の引用からもうかがえる。 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社   「たとえば良寛和尚(1757-1831)のごとき、その書は禅僧として随一のこと周知のとおりであるが、さすがにいのちの根源ともいうべき阿弥陀仏と一如の生活に徹していたのであろう。道詠にも、   草の庵ねてもさめても申すこと 南無阿弥陀仏南無阿弥陀仏  不可思議の弥陀の誓ひのなかりせば 何をこの世の思ひ出にせむ  我ながら嬉しくもあるか弥陀仏の いますみ国に行くと思へば などがある。これは曹洞宗の禅僧としては、むしろ当然でもあるというのがわたくしの見解でもある」 (39頁) 「良寛とともに、弘法大師(774-835)・慈雲尊者(1718-1804)の書も併載されたが、じつにやはりいのちの生動するところ、大師にも  空海が心のうちに咲く花は 弥陀よりほかに知るひとぞなし」 という道詠があるとおり、その花が書として形相をあらわしたわけで、いのちの根源としての阿弥陀との一如に根ざすとしか思えない」(39頁)  思えば空外先生が、「宗派仏教」という、小さな狭い枠内に住していたはずがない。  伊勢にまかりたりけるに、大神宮にまゐりて詠みける   榊葉(さかきば)に心をかけん木綿(ゆう)しでて   思へば神も仏なりけり   何事(なにごと)のおはしますをば知らねども

「良寛の書」

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荒井魏『良寛の四季』岩波現代文庫 「古筆学の権威として知られる小松茂美さんは」「良寛書の魅力」を、 「独自のものだ、と思います。枯れた、寂(さび)た、わびた風情。言いがたい一つの線の美しさ…。いきなり真似て書いても、こんな字にならない。禅の修行による人間錬成の結果、無欲恬淡(てんたん)に至り得た境地からの自然な流露のままの字です」(126頁) と述べている。 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社  〈山本空外〉 「良寛和尚のごとき、外見はいかにも平凡のようでも、心は深く永遠の光に照らされている証拠をその墨蹟が物語っている」(55頁) (「唐の懐素上人といい、わが弘法大師といい」)「良寛の書にしてもそのよさを一語にしていえば、そう(「空」を書くと)いえるようである。いな、極言すれば「空」を書かなければ、未だ書道の門前に立つにすぎないともいえないことはなかろう」(49頁) 〈森田子龍〉 「良寛のあの細い細い線は、中にきりっと厳しい骨というか芯があって、そこから外に無限にはたらき出しています。無限の振幅があってそれが空間を奥行のある生きた世界にしています」( 33-34頁) クリック、またはタップして、拡大してご覧ください。 「われありと」 「われありと たのむひとこそ はかなけれ ゆめのうきよに まぼろしのみを」(6-7頁) 「易 曰」 「易に曰く、錯然は則ち吉なり」(8-9頁) 「われありと」は、変体仮名で書かれています。学生時代 雲英末雄( きらすえお)先生にずいぶん鍛えられたはずなのですが、いまとなっては…。 「易 曰」では、「錯然は則ち吉なり」と保証された、それぞれの文字の、無邪気にくつろいだ姿が愉快である。絵を見ているかのようで楽しい。良寛の筆の運びに迷いはなく、濃淡もそのままで、なんの衒いもない。興にのって書き、後はふり返らず、といった風情の書である。  見ていると体が明るくなり、時を忘れ、迷子になる。  それはたとえば、「渡岸寺(どうがんじ)十一面観音像」,「法華堂 不空羂索観音立像」, また「興福寺 阿修羅像」 の前に立ったときと同種の体験である。  空外先生は、弁栄上人に帰依した、浄土門の人である。書を拝見すれば境地がわかる、悟りの境地にあるか否かは書に表れる、と、こともな気にいっている。日本人では、空海、良寛、慈雲

TWEET「引用文が卵を生む」

 2015/08/03 から書きはじめたブログが、7年を迎えようとしている。投稿数が、2745件になったが、再掲し、重複しているブログがあるので、数パーセントひき算する必要がある。  感想文が多くを占めている。そして、それらには長い引用文が付されている。引用文のない感想文は、読み手に上手く伝わらないだろう。  しかし、長すぎる。が、それらには完結した一話としての趣があり、再読するには都合がいい。  万年筆を片手に、原稿用紙に引用文を書いていた時代があり、キーボードを打ち、デジタルデータ化している今があるが、引用するとは追体験することである、とつくづく思う。  たかが引用と馬鹿にすることなかれ。どの書籍のどこを引用するかに、創意もあり工夫もある。  引用文が卵を生むことを願っている。(333文字)

TWEET「絵本 Best 7」

 学生時代、当時 児童文学作家として活躍されていた、砂田弘先生の講義、「日本児童文学」で 、はじめて絵本と出会った。砂田先生の講義は、はるかに「日本」を越えていた。その後にはやはり、河合隼雄の影響が大きい。  以下の、 7冊の絵本が手元にある。いずれもさしあげては、購入することを繰り返した絵本ばかりである。私の手元に置いておきたい、Best 7 である。 Best 7  は、たちまち私の手をすり抜けていく、 Best 7  でもある。真新しい絵本ばかりである。 ◇ 松谷みよ子著,瀬川康男絵 『いないいない ばあ』童心社 ◇ 松谷みよ子著,いわさきちひろ絵『おふろでちゃぷちゃぷ』童心社 ◇  V. ベレストフ原案,阪田寛夫文 , 長新太絵『だくちる だくちる ― はじめてのうた』福音館書店 ◇ エリック・カール作,もりひさし訳『はらぺこあおむし』偕成社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『じぶんだけのいろ ー いろいろさがしたカメレオンのはなし』好学社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『スイミー ちいさなかしこいさかなのはなし』 好学社 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社  絵本を読む際には、遅読を心がけ、絵に目を凝らしてください。簡単に頁を繰らないでください。絵本とは、絵が主、文は従と心得てください。特に、 レオ・レオニの絵は卓越していて、細部を注意して見ないと面白みが半減します。 ◆ 松谷みよ子著,いわさきちひろ絵『おふろでちゃぷちゃぷ』童心社 の、 いわさきちひろさんの描いた「紫色」は鮮やかです。「紫色」に魅かれ、購入しました。学生時代には、「ちひろ美術館」に何度かお邪魔しました。 ◆ 松谷みよ子著,瀬川康男絵 『いないいない ばあ』童心社 で、生後2か月の姪の長女が笑いました。大いなる試行でした。 当書は、1967年に出版され、出版総数 700万部を越えるロングセラーです。 ◆ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 は、大人のための絵本です。  谷川俊太郎さんの和訳は感心しません。原文は知りませんが、日本語の絵本ですから、下手な日本語をあてがわれると困惑するばかりです 。ましてや、フレデリックは詩人です。原文を意識しすぎているように感じています。谷川

TWEET「読むということ」

「読む」とは、筆者の文章にしたがって読み継ぐことであり、そこに私情をはさんではならない。また、「読む」とは、筆者の論理の展開を意識して読み進む ことであって、いま、目前で繰り広げられている話題を論理の内に位置づけることである。  こういった訓練が、たとえば学校教育でなされていないから、入試の現代文でつまずくことになる。  文章には緩急があるので、それに合わせて、ひと息つけばいい。  英文解釈についていえば、直訳では間に合わず、意訳し、さらにその前後の文の行間を埋める必要が生じる。和訳ができれば終わりかといえば、それを出発点として「解釈」がはじまる。以下は、(日本語で)「読む」ことと同様である。英語(外国語)は、日本語との仲介役をするにすぎない。要は、日本語である。  活字を厭わず、「読む」ことができれば、自学自習ができる。いまの時代には、インターネットという強力な手段がある。  ある分野のことについて学ぼうと思えば、Amazon を数回検索すれば、その分野の中枢をなす専門家や専門書を知ることができる。昔は、図書館に行き、司書の人に教えていただき、他所の図書館から取りよせていただくことが多かった。学生時代は、国立国会図書館に通った。地方都市の書店は、壊滅的である。基本的な文献は、手元において、傍線(アンダーライン)を引き、付箋を入れながら読むのがいい。再読の際に圧倒的に有利である。この手間は惜しまない方がいい。(602文字)  英語を聞き、英語で考え、英語で話すようになると、語彙数の少ない英語で考えることになるので不便だった、と白洲正子が、どこかに書いていたのを思い出す。 「レオ・ヴァイスゲルバーと井筒俊彦の言語観」 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「先の引用にあったレオ・ヴァイスゲルバーは井筒俊彦が深い関心を寄せた二十世紀ドイツの言語学者である」(222頁) 「ヴァイスゲルバーは、人間と母語の関係に着目する。母語が世界観の基盤を形成し、誰もこの制約から逃れることはできないことを強調する。すなわち全人類は不可避的に言語共同体的に「分節」されている。人間の基盤を成す共同体はまず、「言語共同体」であることを避けられない。彼はこれを「言語共同体の法則」あるいは「言語の人類法則」と命名し、人類が生存する上での不可避な公理だと考えた」(227頁) 「わざわ

TWEET「試金石上の人」

 今年の6月以降に書いた、「自由作文」の末尾に文字数を加えた。あまりにもみじめな数字に驚愕している。  小林秀雄、また井筒俊彦は、言葉が浮かぶのを待つ、と同じことをいっている。私も、言葉が浮かぶのを待つことがあるが、その間には、立ったり座ったり、寝たり起きたり、うろうろしたりと、とにかくやかましい。浮かんだ言葉を契機に、文章があらぬ方向へと進むことがあるが、私はそれを尊重している。  黙読とはいえ、頭の内では声が聞こえる。その意味において音読とかわらないが、音読中に違和感を覚えた箇所は、きまって推敲を要するところである。体に刻まれた 日本語のリズムが 、誤りを見逃さないのだろう。  作文が書けるかどうかは、私の試金石である。いまはお稽古中だが、「小鳥のさえずり」で終わることもじゅうぶんにあり得る。  何事をするにつけ、私に欠けているのは、 緊張感と覚悟 である。(378文字)

TWEET「ちょっとかわった」

 起きると雨が降っていた。廣重の「大はしあたけの夕立」を髣髴とさせる雨脚だった。たいそうな量の降水だった。ぼんやりした頭で、しばらくの間 眺めていた。  猛暑から解放され、ひと息ついた。その後、しばらくの間 雷鳴がとどろき、いま空にはぶ厚い雲が低く垂れこめている。  シャワーを浴びて、さっぱりした。  夜、書店に行った。この1年で、5回目のことだった 。異例のことである。読みたい書籍のない、注文すれば10日もかかる書店に、未練はない。 「私は本を買う、というよりも、書店に行くのが好きなんですね」 とは、もう少しで80に手が届く、精神科医の言葉である。 「村上春樹が好きだな。でも、ちょっとかわってるなあ」 とは、意表をつかれ、 「似た者同士ということですね」 と言うと、声をたてて笑っていた。  わき目もふらずに、絵本のコーナーに向かった。絵本のコーナーは、書店の奥まった一隅に設けられ、書棚で囲まれ、目隠しされた、隠れ家のようである。また 、子ども用のソファーが並べてあり、至れり尽くせりである。  5回目の絵本のコーナーだった。昨夜は、 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 を買った。幾たび目かの購入であり、本も開かずにレジに行き、精算した。  5月の下旬には、 ◇ かがくいひろし『だるまさんが』ブロンズ新社 ◇ かがくいひろし『だるまさんの』ブロンズ新社 を購入した。上記の絵本は、書店ではじめて知った。  シリーズものである、 ◇ かがくいひろし『だるまさんと』ブロンズ新社 は、冴えがなく、見合わせた。 ナンセンスものである。  姪の、生後11か月に満たない長女が、 ◇ かがくいひろし『だるまさんが』ブロンズ新社 ◇ かがくいひろし『だるまさんの』ブロンズ新社 をみて、笑った。目的は達成された。私には、それでじゅうぶんだった。  姪夫妻に読んでもらいたい絵本もあり、 ◇ レオ・レオニ著,谷川俊太郎訳『フレデリック ー ちょっとかわったのねずみのはなし』 好学社 は、そのうちの一冊であり、すでに送ってある。  絵本にまつわる話はいくつかあり、それらについては、またの機会に書かせていただくことにする。  年間3冊も買えば、立ち読みも、長居も許されるものと信じている。(916文字)

TWEET「風に吹かれて」

 この数日間、朝目覚めても体が重く、起きる気がしなかった。目を覚ましては寝ることを繰り返し、さすがに 8時をまわり、9時ちかくになると、いつまでも寝ているわけにもいかず、重い体のままに起きあがった。  加齢にともなう倦怠感ならば受け容れるしかなく、厄介なことになったものである。  つらつらと考えてみるに、だるさは主に脚にあり、脚は常に扇風機の風にさらされ、冷やされていることに思いをいたした。冷房病ならぬ、 “扇風機病” である。  ハーフパンツから薄手のスウェットパンツに着替え、靴下を履いた。清涼感には欠けるが、暑苦しいというほどではなかった。  今朝起きるのを楽しみにしていた。倦怠感もだるさもなく安心した。やはり、邪(よこしま)な風が原因だった。  昨夜は9時すぎに寝て、今朝は5時に起床したが、 9時に寝て、3時に起きるのが理想である。それには肌を風にさらさないことである。 「春風のいたずら」といえば、どこかほほえましいが、「夏風のいたずら」 といえば、いまいましい。(424文字)

TWEET「喉もと過ぎれば」

白洲正子『現代日本のエッセイ 明恵上人』講談社文芸文庫 「仏法に能く達したりと覚しき人は、いよいよ(くの字点)仏法うとくのみなるなり」(「遺訓」124頁) 「我れ常に志ある人に対していふ。仏になりても何かせん。道を成じても何かせん。一切求め心を捨てはてて、徒者(いたづらもの)に成り還りて、ともかくも私にあてがふことなくして、飢え来たれば食し、寒来れば被(かぶ)るばかりにて、一生はて給はば、大地を打ちはづすとも、道を打ちはづすことは有るまじき』(125頁) 『墨美 山本空外 ー 書論・各観 1979年7月号 No.292』墨美社 「(竜樹の説くように)仏教要語のすべてにわたって、これを一辺としか認めず、したがって仏・菩薩・菩提・般若波羅蜜までもこれを一辺として、どこまでも「無量般若波羅蜜の相」に迫らなければやまない」( 41頁)  明恵上人の言葉にしろ、竜樹の、また空外先生の言葉にしろ、ともに味わい深い。喉もと過ぎれば、それらは方便にすぎなかった。  真理とは身辺 にあった。明恵上人にとって、それは生活信条だった。  行き着く先を、私たちは よくわきまえておく必要があると思っている。(483文字)

TWEET「達人は」

 達人は足の裏で呼吸をする、という。  私はいま、「般若波羅蜜多心経」を身体(からだ)の各部、たとえばそれは、額であり鼻の頭であり、臍下丹田、手のひらであって足の裏であり、等々で唱えることを試みている。二百六十二文字ばかりの短いお経とはいえ、誦読中には、どうしても 雑念がわき面白くない。頭に「般若心経」に障らせないための方策である。 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書 「それでは最後に、以上の意味を忘れて『般若心経』を音読してください」(194頁) 「自分の声の響きになりきれば、自然に『私』は消えてくれるはずです」(198頁) 「 声の響きと一体になっているのは、『私』というより『からだ』、いや、『いのち』、と云ってもいいでしょう。むろんそれは宇宙という全体と繋がっています」(199頁) 「自分の声の響き」と「私」が和すればいい。  いま襟足のあたりで、「般若心経」を唱えている。頭の障りがなくて、心地いい。  頭を使わない練習である。が、 やはり、最終的には、「達人は」ということになるのかもしれない。(444文字)

TWEET「井筒俊彦『事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと』」

昨日、 ◆ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 を読み終えた。 「華厳の世界」(284-290頁)の項に引かれた井筒俊彦の文章は明晰で、際立っている。 次回の読書は、 ◆ 井筒俊彦『井筒俊彦全集 第九巻 コスモスとアンチコスモス』慶應義塾大学出版会 「事事無礙・理理無礙 ー 存在解体のあと」 である。明恵上人が信仰してやまなかった、華厳(哲学)についての考察である。ようやく一巡した感を抱いている。

TWEET「良 識」

  いま第7波の最中(さなか)にあり、ピークも分からないままに、グラフは日々 急伸するばかりである。「社会経済活動」,「ウィズコロナ」の名のもと、施策らしい施策は、ほとんどとられていないのが現状である。感染症と馴れ親しみすぎているようなきらいがある。  不要不急の外出をひかえるくらいの良識は、私にもある。  2時間も読書を続けると、集中力を欠くようになる。第2ラウンド目の読書は、場所を移し、ファーストフード店の片隅ですることが多かったが、いまそれがかなわなくなった。回を重ねるごとに、集中できる時間が半減し、次第にストレスを感じるようになった。  積極的な引きこもりは苦にならないが、それが半強制的になされると音を上げることになる。  気分転換には散歩がいいとされているが、真夏の太陽のもとでの散歩は気後れする、それにもまして怖いのが、近所のお年寄りの方たちの、1時間、2時間と容赦なく続く、話し相手にされることである。よほど暇人に映るらしい。 「今後 は、距離をおかせていただきます」 と、二人には話したが、いまだ強敵が残っている。  ストレスにさらされるのは精神衛生上よくなく、常軌にもどした。  お客さんの少ない時間帯に行くこと。見込みちがいで、もし混み合っていたり、大きな声でおしゃべりに興じている人たちがいる際には、早々に立ち去ること。これらは私の良識ではなく、普段からの心がけである。  あえなく私の良識は潰えた。  誤算だった。(601文字)

TWEET「情報の一元化」

 父はいま介護老人保険施設に入所しているが、情報が一元化され、共有されていないために、傍迷惑を被っている。誰を信用すればいいのか、ひいては誰も信用できない、という状態にある。いまの時代、情報の一元管理は容易なことである。陋習への固執は、信用の失墜であり、自滅行為である。(134文字)

河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社_幾度目(いくたびめ)かの

 夢分析とは特別に訓練を積んだ専門家だけに許される 行為であり、素人が安易に手を出せるような分野ではない。夢のなかでは、もの・ことが象徴化されて現れるのが一般的であり、分析家には相応な目配り、連想、想像力が要求されることを実感している。  河合隼雄の、今回の明恵上人の夢分析に関しては、河合は事前に明恵の生涯を知悉しており、もし河合が明恵と同 時代に、明恵につき添う形で、逐次 夢を分析したならば、また違った格好になったことが予想される。しかし、私たちが知りたいのは明恵の生涯と、人生と夢との交錯であり、その意味においては、河合が後世に、明恵の夢を分析したことは、確からしく、明らかで、安心して読み継ぐことができた。 「彼(明恵)は世界の精神史においても稀有と言っていいほどの大きい資産をわれわれに残してくれた。それは、彼の生涯にわたる膨大な夢の記録(『夢記(ゆめのき)』)である」(7頁) 「明恵は 十九歳より夢の記録を書きはじめ、(六十歳で)死亡する一年前までそれを続けた」(8頁)  明恵が 十九歳にして 、『夢記』を書きはじめたのは、明恵が夢を招いたのか、それとも明恵が夢に招かれたのか。招かざる客ならば、厚遇されることはなかっただろう。明恵が夢に招かれたことに、私は彼の天才をみる思いがする。 論拠はなく、文学的な表現に終始するばかりであるが、私にはそのような気がしてならない。  234頁には、 「これらの夢体験に続いて承久二年(一二二0)、明恵の夢は爆発的に発展し、頂点に達する感があるが」 との表現がみられる。明恵 48歳のときのことである。  明恵の境地と夢は、並行して矢継ぎ早に拓かれていく。 「 上田三四二が『明恵は一個の透体である。彼はあたうかぎり肉体にとおい』と適切に表現したような存在へと、(明恵は)徐々に近づいてゆくのである」(275頁)  明恵の美しさばかりに眼が魅かれる。人はこれほど美しくあることができるのかと、読むたびに思う。  一個の孤高の清僧が誕生するための、内的な困難を、危機を、やはり思う。幾度目かの読書だったが、こうしているいま、ふらふらし、心もとないが、 解らないままに悠然としていることに決めた。

河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社_はじめに

私の内では、 ◇ 白洲正子『明恵上人』新潮文庫 と、 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 とは、ひと続きの図書となっている。が、 ◇ 白洲正子『明恵上人』新潮文庫 を読み、ブログも書き終えた翌日(2022/07/15)には急遽、父の、豊橋市民病院・総合診療科の受診につき添うことになった。「抗原検査」からはじまり、会計を終える までに 6時間あまり、帰宅するまでには、悠に 9時間を越える長丁場だった。  消耗し、昨日・一昨日は、読書をする気力がなかった。  さていまから、 重い腰を上げての「読み・書き」である。 読書が寸断されずに済んだのは、幸いだったと思っている。 『明恵 夢を生きる』は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人をはじめて知り、井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)の項に引かれた井筒俊彦の文章は明晰である。その後、井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』を求めた。『明恵 夢を生きる』には、白洲正子『明恵上人』新潮社 からのいくつかの引用があるが、白洲正子の作品に親しむようになったのは、ずいぶん経ってからのことである。またその前年には、河合隼雄『宗教と科学の接点』岩波書店(1986/05/15)を読んだ。  明恵上人は、「十九歳より夢の記録(『夢記(ゆめのき)』)を書きはじめ、死亡する一年前までそれを続けた」。それには、「今日で言う夢の解釈に相当するものを書いている場合もある」。「明恵の『夢記』は、世界の精神史のなかにおいても稀有なものである」と河合隼雄は述べている。  また河合隼雄は、 「明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう」(76頁) との、白洲正子『明恵上人』の中の一文を引いているが、この一文ほど明恵上人を明らかに評した文を私は知らない。  ユングのいう「個性化」といい「自己実現」というも、死と再生の物語であり、ときには死を賭す場面もあり、困難な長く険しい道のりである。  本書は論文調の体裁をとっており、多くの「参考文献」、また「本文索引」が付されているのはありがたい。

明恵上人「釈迦という美しい人間に恋をした」

◆ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫     記憶のなかにある、白洲正子の幾つか文を訪ねての読書だった。 「明恵が逃れたのは、俗世間だけでなく、仏教からも、宗派からも、『出家』しようとした。そこに彼の独創性はあると私は思っています」 (45頁) 「極端なことをいえば、明恵が信じたのは、仏教ではなく、釈迦という美しい一人の人間だったといえましょう」(43頁) 「明恵にとっては、ただ仏だけが真であり、その他のものはすべて、あえていうなら仏法すら、方便の一つにすぎなかった。事新しくいうまでもなく、これは明恵の一生を通じて変らぬ思想であったのです」(172頁) 「( 白上の庵室からのぞむ湯浅湾の) 美しい風景は(自然のなかに文殊菩薩を見たいと願った)彼にとって、ただ楽しむためのものではなく、たえず『見ること』をしいた過酷な存在だったかも知れないのです」(66-67頁) 「心理学者と違う所は、彼の夢は生きていることです。研究の材料ではなく、信仰を深めるための原動力なのであって、夢と日常の生活が、不思議な形でまじり合い、からみ合っていく様は、複雑な唐草文様でも見るようです」(179頁) 「『我ガ死ナムズルコトハ、今日ヲ明日ニツグニコトナラズ』明恵の仏教をついだ人はいなかったかも知れないが、明恵という一つの精神は、数は少なくともそれを伝えた人々によって、私達日本人の中に、『今日ヲ 明日ニツグ 』が如く生きつづけるでしょう。私はそう信じております」(186頁)  これらの文は、白洲正子の、明恵上人についての “実感 ” である。白洲正子の明らかさを、目の当たりにした。 「韋駄天お正」の異名をもつ白洲正子の、現地に赴いての見聞は当書においても健在だった。紀行文の要素を多分にもつことは、白洲正子の作品群の大きな特徴となっている。  最後に引用した文の、「 私はそう信じております」にみられる、「おります」の言葉づかいは美しい。これほど美しい「おります」を、私は知らない。白洲正子の言葉に対する感性に敬服する者である。

白洲正子「明恵上人総覧編」

◆ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 の、第一章「樹上座禅」は、 “ 明恵上人総覧 ” の体を成す美しい章段である。 『我は後世たすからんと云ふ者にあらず。ただ現世に先づあるべきやうにあらんと云ふ者なり』(栂尾明恵上人遺訓)(12頁 ) 『凡そ仏道修行には何の具足(くそく)もいらぬなり。松風に睡(ねむり)をさまし、朗月(ろうげつ)を友として究め来り究め去るより外の事なし』(遺訓)(13頁) 「『 何の具足もいらぬ』人間には、本願寺のような大組織も打立てられなかったかわり、古今を通じて、個人的な、信者が絶えぬ所以でありましょう。もっとも、彼の場合、信者というのも大げさなので、徳を慕う人、もしくは単に、好きな人、と呼んだ方がふさわしい。仏教の知識があれば、それに越したことはありませんけれども、私のような学問のないものにも、明恵の人間の美しさは充分うかがえる。何ら媒介を必要としない、この直接的・個人的なところに、自力の僧の面目があ」る。(16-17頁)  なお、明恵上人と親鸞は、序安 3年(1173年)、同じ年に生まれている。 『我は師をば儲たし、弟子はほしからず。尋常(よのつね)は聊(いささか)のことあれば、師には成たがれども、人に随つて一生弟子とは成たがらぬに や。弟子持て仕立(したて)たがらんよりは、仏果に至るまでは我心をぞ仕立つべき』 (遺訓)(17頁) 『心の数寄(すき)たる人の中に、目出度き仏法者は、昔も今も出来(いでく)る な り。詩頌(しじゅ)を作り、歌(うた)・連歌(れんが)にたづさはることは、あながち仏法にては な けれども、かやうの事にも心数寄たる人が、やがて仏法にもすきて、智恵 も あり、やさしき心使ひもけだかきなり』 (15頁) 「もし明恵が生れながらの『仏法者』でなかったら、どんなに優れた芸術家に育っていたか。樹上座禅像の他にも、鳥獣戯画とか華厳絵巻とか、絵画彫刻の類を沢山蔵している高山寺は、あたかも美術品の宝庫の観を呈していますが、明恵の存在をぬきにしては考えられないことです」(15頁)  文庫にして、わずか 12頁である。立ち読みでじゅうぶんに間に合う。明恵上人にふれてみてほしい、と思うが、こればかりはご縁だから仕方がない。  白洲正子は、「です」「ます」体の丁寧語で、当書を書いている。新鮮で、好感がもてる。

西行「虚空の如くなる心」

つい 今し方、 ◆ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読み終えた。  2022/07/05 から読みはじめた。一冊を、これだけの長い時間をかけて読むのは異例のことである。精読したからではない。あらぬ方から横槍が入ったからである。  三読目だったが、消化不良に終わった。西行の和歌の心映えが解らず、にも関わらず、努力を怠ったからである。またそれは、西行が漠々としてとらえどころがないことにも起因している。  西行は、大峯修行をし、熊野三山を詣で、 空海を遠く仰ぎ、 高野山に草庵を結び、生誕の地 讃岐に長逗留した。また、伊勢 の「二見の浦」で侘び住まいをし、その後 鎌倉を経て、平泉に向かっている。  これらは西行の仏道への精進の表れではなく、西行の天性の数寄心の軌跡である。   明恵(上人)の遺訓の中に、このような言葉がある。 「心の数寄(すき)たる人の中に、目出度き仏法者は、昔も今も出来(いでく)るなり。詩頌(しじゅ)を作り、歌・連歌にたづさはることは、あながち仏法にてはなけれども、かやうのことにも心数寄たる人が、軈(やが)て仏法にもすきて、智恵もあり、やさしき心使ひもけだかきなり」(16-17頁)  「 東(あづま)の方(かた)へ修行(すぎやう)し侍りけるに、富士の山をよめる  風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて  ゆくえも知らぬわが思ひかな 」(268頁)  西行は、「これぞわが第一の自讃歌」と述べている。西行は天来の数寄心によって、数寄、和歌によって救われた。西行 69歳のときの歌である。  白洲正子『西行』は、   そらになる心は春の霞にて   世にあらじともおもひ立つかな の歌からはじまっている。 「うわの空なって落着きのない心は、春の霞さながらである」(岩波古典文学体系)(22頁)  西行の凄みは、この年になるまで、「そらになる心」,「いかにかすべき我心」から眼を離すことなく保ったことにある。  また、白洲正子の成果は、西行の「そらになる心」から、「虚空の如くなる心」に至るまでの心の内の変遷を、常に歌に寄り添う格好で明らめたことにある。 ◆ 久保田淳,吉野朋美校中『西行全歌集』岩波文庫 を注文した。これで、西行の歌の理解が進むであろう。 次は、 ◆ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 です。「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯」さんまで携えていきましたが、それどこ

TWEET「後ろ手を組む」

 私は後ろ手を組み、頭(こうべ)を垂れて人の話を聞き、また同じ姿勢で歩いている。決して、宮沢賢治を気取っているわけではなく、楽だからである。しかし、後ろ手を組んで人の話を聞くのは、相手に偉そうな印象をあたえ、失礼な行為に当たるそうである。  右手の上に左手を添え、前で組むのが正式である、とのことである。  私の場合、頭を垂れているから、偉そうというよりも、奇異な印象を相手にあたえているのかもしれない。私が手を前で組むように心がけても、きっとうつむいた姿勢はそのままであろう。私の、相手の話に傾聴している態度だから仕方がない。  相手の眼を見て話を聞く、といった離れ技は、私には恥ずかしくてできない。  まずマナーに則って手を前で組み、それでも変な人と思われているように感じたら、後ろ手を組む、楽な姿勢にもどそうと思っている。同じ 変なと思われるならば、楽な方がいい。 「変な」は「ルール」をしのぐらしい。「変な」は稀有であり、希少価値があるならば、世間にそっぽをむけ続けようと思っている。 そっぽをむくとは、そっぽをむかれることである。願ったりかなったりである。千載一遇の機会であると、とらえている。(490文字)

「浮世絵美術館 夢灯_小夜の中山」

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2022/07/08  17時に出立。「小夜の中山峠」までは 2時間もあれば行けるが、前日に出発した。読みかけの、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を、旅先で読み了えるのが目的だった。折りしも「富士の煙」の章にさしかかり、「小夜の中山」の記述もみられる。 ◆「東京庵 豊川店」 「水車天ざる定食」をいただいた。 ◆「EXPASA 浜名湖(上り)」  仮眠後、うつらうつらした頭で、文庫を数十頁ほど読み、気分転換に浜名湖を見にいった。いまだ明けやらぬ湖である。湖(うみ)は凪いでいた。いつになく静かだった。 2022/07/09 ◆「道の駅 掛川」  人混みにまぎれるのがいやで、場所を変えた。「道の駅 掛川」から「小夜の中山」までは、ほんの10分ほどの距離である。車中で本を読んでいた。蒸し暑く、冷房が必要だった。 ◆「小夜の中山」  曇り空のもと、富士の高嶺は望めないことは分かっていたが、いつもの私の「遥拝所」に立たなければ気がすまなかった。  帰り際、夏アザミにとまるチョウを見つけた。チョウは羽を閉じたり開いたりし、息をついているかのようだった。チョウはギリシア語でプシケ、 “魂 ” を意味する。チョウは霊峰富士の使者か、と思った。 ◆「小夜の中山 浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」  開館の 10時を過ぎてもドアは開かなかった。 峠の茶屋「扇屋」さんを切り盛りしている女性が、先生はもうすぐ来ると思うよ、と声をかけてくださった。あきらめて帰る寸前だった。  今回のテーマは、 「袋井・見附の宿展」 だった。  はじめは私ひとりだったが、その後 女性二人組が来て、さらに男性ひとりが加わった。館長さんの、あちこちに気を配りながらの解説は、みていて気の毒だった。  私が探しにきた「緑色」は、松の緑でもなく、山の緑でもなく、今回は見つからなかった。  収集歴50年、収集のすべてを並べると、700m になるそうである。  髪の毛の生え際の、虫メガネで見なければ、それとは分からない細線、桜の版木の年輪が写った絵、後ろ手を組んだ人物の手のひらと手の甲の描き間違い、廣重と北斎の対比、幕府の検閲の印(いん)についての解説。私は疲れて中央に置かれていたソファに座りながら聞いていた。館長さんはいままでに際限なく同じ解説を繰り返し、しかし館長さんの関心は他のところにあるに違いなく、なんという辛抱強さ

TWEET「七夕の日に_こころと体との幸せな出合い」

 七夕の日の今日、こころと体との幸せな出会い、ということを思った。  たとえばあなたが、あなたの傍らにいる人の姿勢をまねると、案外その人の心の内が分かるものである。  こころを正そうと思い、こころと直接対峙するのは得策ではない。常に自縄自縛に陥る危険をはらんでいる。体の歪みを正すことによって、こころに働きかける方がいい。生体の歪みを正すには、橋本敬三「操体法」があり、野口三千三「野口体操」がある。  こころというつかみどころのないものを相手にするよりも、体 という実体を対象にする方が賢明である。  七夕の日の今日、私 はいつにもまして詩情がなく、即物的である。(272文字)

TWEET「天網恢恢」

 父と私は、同じ敷地内に別棟で暮らしている。  父は、2020/09/09 に、「介護老人保健施設(老健)」に入所した。私にはテレビをみる習慣はなく、テレビはない。父は、NHK と地上放送と衛星放送の契約を交わしていた。  2022/07/01、解約することを思い立ち、NHK「ふれあいセンター」に何十回となく電話をしたが、混雑していてつながらなかった。その日はあきらめ、 翌日 受付開始時間と同時に電話をするとつながった。 「お父さまの場合、施設にテレビを持ち込んでいらっしゃいますので、地上放送は解約ではなく、住所変更になります。また、施設によっては、受信料が免除される場合がございますので、衛星放送の件とともに、施設にお問い合わせしていただき、私宛にご連絡ください」 とのことだったが、ここはひき下がる場面ではなかった。 「再び何十回となく、お電話するのは、時間の無駄で、とても納得するわけにはいきません」 というと、 「順番ですから」 という言葉が繰り返された。押し問答のすえ、 「施設には、こちらからお問い合わせをして、 2022/07/04 の午後、ご連絡させていただきます」 ということになった。  07/04 12:10 には、「名古屋放送局」の女性から連絡があった。 「『老健』さんは、受信料免除の対象にはなりません。また、衛星放送につきましては、施設にお問い合わせしてください。書類をお送りいたしますので、衛星放送をみることができないようでしたら、必要事項をご記入のうえ、返送してください。なお、今後は『名古屋放送局』にお電話をしていただければ、お待たせすることなく対応させていただきます」 とのことだった。施設に電話で確かめると、 「衛星放送はみることはできません」 とのお応えだった。  NHK の応接の様子が次第に変わってき た。場面場面で機転をきかせて、とはとても思えず、マニュアルがあるのだろう。  施設内に持ち込んだテレビにまで、受信料がかかるとは思わなかった。知っていれば、 「 テレビはありません」 といえば済むことだった。 「天網恢恢疎にして漏らさず」という言葉を思った。 ちなみに、 ◇ 地上放送契約:2500円 / 月 ◇ 衛星放送契約:1900円 / 月 である。結構なお値段である。 「天網恢恢疎にして漏らさじ」。NHK さんには、強い意志を感じた。(9

TWEET「浮世に色を求めて」

 小夜の中山峠(静岡県掛川市)を登りきったところに、「浮世絵美術館 夢灯(ゆめあかり)」さんはある、とは先日書いた通りである。  個人の収集である。一年を四期に分け、各テーマにそって浮世絵が展示されている。七月から、「袋井・見附の宿展」へと展示が変わった。  いつのころからか、緑色が好きになった。  浮世絵の色づかいには特徴がある。深みがあり、滋味がある。作品のうちの “緑” に会いたくて、「夢灯」さんを訪ねようと思っている。  土・日曜日と祝日のみの開館である。 「 年たけて又越ゆべしと思いきや   命なりけりさやの中山 」                                            西行 「 風になびく富士の煙(けぶり)の空に消えて   ゆくえも知らぬわが思ひかな 」                               西行  もちろん、霊峰遥拝の旅の途次である。巡拝の道行きである。 (315文字)

TWEET「台風4号 接近中につき」

 嵐の前の静けさのうちにある。喧騒の夏をやり過ごし静謐の秋へと、めぐる季節のなかで、物思いにふけっている、といった風 である。  旅のうちにあった時期があり、その後には、認知症について書かれた本を読みふけった時間があった。そしていま、「書く」ことに専念している。この間(かん)に思ったのは、本についてのことばかりだった。再読をうながされている本が、幾冊か、ときには何冊も、頭に浮かんでは消えた。 「書く」ことは労力と時間を要 する。その後には、延々と繰り返される 推敲が待っている。いまの私にとっては、いかにも惜しい気がする。「書く」ことに比し、いまは「読む 」ことの充実感を思う。 「読む」と「書く」のバランスが悪いことは承知しているが、性格に依るものだから改まらないだろう。改まらないと分かっていることに時間を割くのは無駄である。  800 字程度の「自由作文」を、との思いから、「書く」ことをはじめた。これで10作目になるが、徒に無駄な時間を過ごしたような気がしてならない。(428文字) さて、待望の読書です。 ◆ 白洲正子『西行』新潮文庫 から、はじめます。

TWEET「野分めく」

 昨日までの猛暑日とはうって変わり、すっかり野分めいた。うらめしかった夏空は、厚い雲におおわれ、時折雨が降っている。体が弛緩し、眠気を催す。  進路予想によれば、当地は、数日後に、台風4号に直撃される公算が大きい。この時期に発生した台風は大陸へと向かうのが一般的であるが、今回は異例である。水不足の解消は有り難いが、災害は怖い。  気まぐれ、迷走、あてどなく、といえば、我と我が身をさすようであり、決して他所(よそ)ごととは思えない。(212文字)

「哲学的信仰」

若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会 「井筒俊彦が根本問題を論じるときはいつも、実存的経験が先行する。むしろ、それだけを真に論究すべき問題としたところに、彼の特性がある。プラトンを論じ、「イデア論は必ずイデア体験によって先立たれなければならない」(『神秘哲学』)という言葉は、そのまま彼自身の信条を表現していると見てよい」(351-352頁)  井筒俊彦『イスラーム哲学の原像』岩波新書 「要するに、神秘家たちの哲学的立場は、ヤスペルスの表現を使えば一つの「哲学的信仰」(philosophischer Glaube)であります。しかしここまでくれば、どんな哲学もそれぞれの「哲学的信仰」の基礎の上にうち立てられたものといわざるを得ません」(109頁) 「信仰」には祈りがある。「神秘哲学」は、宗教、宗派、学派色から 袖を分かつものであり、そこに祈りは認められない。かといって、客観的かといえば、客観とは主体の眼がとらえた世界象のことであり、そうともいえない。  しかし、「神秘家たち」を、全人的に仰ぎ信じなければ、論究の端緒につくことさえできない。ここに、「哲学的信仰」という言葉の素地がみられる。 ◆ 井筒俊彦『意識と本質』 慶應義塾大学出版会 の跋文には、 「一度そっくり己れの身に引き受けて主体化し、その基盤の上に、自分の東洋哲学的視座とでもいうべきものを打ち立てていくこと」(307頁) との記載がみられるが、「そっくり己れの身に引き受けて主体化」するとは、すなわち井筒俊彦の実存的体験だった。そしてここにいたったとき、「哲学的信仰」という言葉の影は薄くなる。  幾座もが連なる山脈(やまなみ)を踏破するなかで、井筒俊彦はしだいに透きとおっていった。

「誤読と創造的誤読と」

梅田望夫,茂木健一郎『フューチャリスト宣言』ちくま新書  茂 木  (前略)へんな人も確かにたくさんいるんだけど、そのへんなベクトルの向く先が人によって皆違う。村上春樹さんが、「僕の作品は誤読の集合」と書かれていた、と( 梅田望夫さんは )おっしゃっていましたが、一個一個つきあっていくと大変なんだけど、全部集めてみると、ある姿を取り始めますよね。(143頁)  本の読み方には、人となりが出て、著者の手の届かない、「あなたまかせ」の世界であることは容易に想像がつくが、共通項としての「ある姿」とは、作者の意思と似通ったものになるのだろうか。 興味の尽きないところである。「読む」ことには、やはり訓練が必要である。 「読む」と「書く」 若松英輔『生きる哲学』文春新書 「また、井筒(俊彦)は「読む」ことの今日的意義にふれ、次のように語っている。  厳密な文献学的方法による古典研究とは違って、こういう人達の読み方は、あるいは多分に恣意的、独断的であるかもしれない。結局は一種の誤読にすぎないでもあろう。だが、このような「誤読」のプロセスを経ることによってこそ、過去の思想家たちは現在に生き返り、彼らの思想は溌剌たる今の思想として、新しい生を生きはじめるのだ」(255頁) 若松英輔『井筒俊彦―叡知の哲学 』慶應義塾大学出版会  「バルトの『読み』はときに、正確でないばかりか、強引に過ぎると思われることもある。だが、そこに不備と不徹底を見出すだけなら、この特異の文筆家が発見した鉱脈を見失ってしまう。恣意的であり、また、偶然性に導かれた『誤読』は、かえって意味の深みへと私たちを導くこともある、と井筒(俊彦)はいうのである」(218頁)  読むことによって、創造力がかきたてられる。そして、その誤読としての創造は、読み進めるにしたがって、裏打ちされ、確固たるものになるのだろう。「創造的誤読」とは、天才同士にみられる、稀有で、幸福な交感である、といえよう。

TWEET「徳島県産」

2015年に、「ホームページビルダー 19」を使用して、 ◇ 「塾・ひのくるま」 のホームページを作成した。日本語ワープロソフト「一太郎」を世に出している、徳島県の 「JUST.SYSTEMS」さんが作ったソフトである。「 ホームページビルダー 19」 は、いまだ発展途上の、できそこないのソフトだった。動作が緩慢で、なにをするにも待たされた。なにかと課金を要求してくるのも気に入らなかった。   2021/11/14  に メールアドレスを変更した。それにともなって、「URL」が変わった。そして、HP は姿を消した。  しかし、HP はあった方が都合がよく、昨夜 UP しようとしたが、なかなか手強く、今日の午前中までかかった。Windows PC にふれるのも久しぶりだった。 「ホームページビルダー 19」と  Windows PC  の相乗効果は、たいしたものだった。 いったん、PC のトラブルにまきこまれると、時間の経過が早い。 いまは、 「ウェブの43% が WordPress で構築されています」 ◇ 「WordPress」 を、使用する人たちが多いようである。  いま発売されている、 「ホームページビルダー 22」が、いかほどの実力のものかは分からないが、浮沈の激しいこのご時世に、ごまかしは、通用しないだろう。見苦しい姿をさらすだけである。(540文字)