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「奈良大和路行_いのちの律動の音調」

 2023/06/05 心穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。  まず唐招提寺を目指した。  金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝、拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書さ れた立札を前にして目を疑った 。6月6日は鑑真和上の命日だった。  平成14年(2002)2月に名古屋市博物館で「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝見したが、今回拝した鑑真和尚は、所在を得て祈りの対象そのものだった。  東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。  出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、 いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経 だった。鑑真和上感得の伝来の、音調のような気がしてならなかった。  それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」 ) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。  その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。 紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。  そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか」(63頁) 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(...

「富嶽遥拝の旅_富士宮巡拝」

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   天気予報とにらめっこをし、確信のもとに11時に出立した。しかし、私の確信ほど当てにならないものはなく、承知の上での道行きだった。 2022/05/17 ◆「東京庵 豊川店」 「水車天ざる定食」をいただいた。いきなりの腹ごしらえだった。いい気なものだった。 ◆ 「EXPASA 浜松(上り)」  さらにデザートに、「ソフトクリーム」をいただいた。 ◆「新富士 IC」  小雨が降りだし、あわてた。 ◆「富士山本宮浅間大社」  一日おいての参拝だった。帰宅したのが悔やまれた。 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫  「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す」(28-29頁) 「古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった」(11頁)  以来、「卑しさ」とは手を切った。その「尊さ」, 「 辱(かたじけな)さ」に、ただ参拝するばかりである。 ◆「イオンモール富士宮」 ◇「倉式珈琲店」  さわやかな味わいの「東ティモール サンライズマウンテン」をいただく。気づくと寝ていた 。見苦しい寝姿をさらした。 「レストラン ステーキ DADA」 「極みステーキ 150g」をいただく。 ◆「マクドナルド 富士宮店」  若者の集まるマクドナルドでの車中泊には、一抹の不安がともなう。コンビニでの車中泊にしても同様である。が、寝てしまえばそれだけのことである。  今回は、モンベルの ◇「U.L.コンフォートシステムピロー」 「空気を入れやすい逆止弁付き空気注入バルブを備えた枕です。頭部にフィットするデザインで、枕の高さも空気量を調節することで簡単に変えられます。肌当たりの良い起毛地を使用したカバーが付属。カバーは速乾性に優れ、旅先でも容易に洗濯できます」 を忘れた。寝つきが悪く、睡眠の質にも関わる事故だった。  ちなみに私は、日常生活においても、 「U.L.コンフォートシステムピロー」のお世話になっ ている。 変幻自在の、 オーダーメイドのマイ枕である。 2022/05/18 ◆「富士山本宮浅間大社」  開門の5時と同時に参拝した。    待望の雄姿だった。  神田川の流れは、湧水(霊水)である。 「富士山本宮浅間大社」を巡...

「富嶽遥拝の旅_小夜の中山_たなびく雲」

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晴れると信じていた。疑う余地は微塵もなかった。 2021/12/09 いまだ明けやらぬころ出立した。 ◆「EXPASA 浜名湖」  ひと眠りし、目を覚ますと、雲ひとつない青空が広がっていた。湖面は静まり、冬の陽光を反射して、まぶしかった。対岸には舘山寺温泉が見晴らせた。 観覧車の半円が小高い山の上から顔をのぞかせ、また一方の頂では、「浜名湖オルゴールミュージアム」がたたずんでいた。  幾度もお邪魔した 「ホテル 九重」 さんから見た景色を、ちょうど反対の位置に立って望んでいる格好だった。  2021/10/31 をもって、「ホテル 九重」さんは、営業を終了した。もう新たな思い出を紡ぐことはできず、過去の思い出だけが残された。  陽だまりのベンチに座り、去来する思いに身をまかせていた。 ◆「道の駅 掛川」  駅内の「山の坊」さんで、「遠州そば」と「自然薯とろろ汁」をいただいた。 ◆「小夜の中山」  再訪だった。前回は、2021/09/29 に訪れている。 「2021/09/29_富嶽遥拝」    あるべきはずの富士の嶺(ね)が見当たらず、あわてた。しばらくすると頂上の一角が見えはじめた。山全体をすっぽり覆っていた白雲が南西の風に吹かれ、右から左へとゆっくり動いていた。棚びく雲の切れ切れから、頂上が姿を現しはじめた。想像以上に雄大だった。その雄姿は神々しかった。 「2021/12/09_富嶽遥拝」   二時間ばかり見つめていたが、たなびく雲は間断なく続き、晴れわたることはなかった。 この夏、 ◇ 小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫 ◆「西行」 を読み、 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 を読んだ。 「「彼(西行)は、歌の世界に、人間孤独の観念を、新たに導き入れ、これを縦横に歌い切った人である。孤独は、西行の言わば生得の宝であって、出家も遁世(とんせい)も、これを護持する為に便利だった生活の様式に過ぎなかったと言っても過言ではないと思う。」(小林秀雄「西行」100頁) 「『山家集』ばかりを見ているとさほどとも思えぬ歌も、『新古今集』のうちにばら撒(ま)かれると、忽(たちま)ち光って見える所以(ゆえん)も其処にあると思う。」(小林秀雄「西行」91-92頁) 「  風になびく富士の煙の空にきえて行方も知らぬ我が思ひかな  これも同じ年(西行 69歳)の行脚のうちに詠...

「富嶽遥拝の旅」

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2021/09/27(月) 夜が明けやらぬころ出立した。 ◆「富士川SA」 走行中見え隠れしていた富士の高嶺がついに全貌を現した。一昨日に初冠雪が観測されたばかりの、新雪を戴いた富士の山を遥拝した。 ◆「富士山本宮浅間大社」 全国に1300社ある「浅間神社」の総本社である「 富士山本宮浅間大社」にまず参拝した。 ◆「白糸ノ滝」 年間を通し水温 12℃、1.5トン/秒の湧水は、私の想像をはるかにこえている。 壮大な「雨漏り」だった。 昼食に定番の「富士宮焼きそば」をいただいた。 ◆ 河口湖畔の「ニューブリッヂキャンプ場」  P教授と14時に待ち合わせた。 はじめてのオートキャンプ、はじめての焚火体験だった。  P教授は、焚火用品を「CAPTAIN STAG」でそろえ、登山用具一式を「mont-bell」で統一してきた。未開封の物ばかりでさすがに慌てた。  Nさんから送っていただいた「北見牛」「北見産豚」の各部位は新鮮で極上、絶品だった。  焚火に恐怖を覚えた。燃えて灰になる現実を注視していた。この事実をどのように受容し昇華すればいいのだろうか。  薪のはぜる音、上昇する火の粉が美しかった。  久しぶりの野営だった。 2021/09/28(火) ◆「道の駅 富士吉田」 「mont-bell 富士吉田店」さんで「 ご当地デザインTシャツ」 「朝日に赤く染まる富士山」を購入し早速着替えた。P教授はウェストバッグを求め悦に入っていた。 ◆「 北口本宮冨士浅間神社」 参詣後、「Air Tag」で駐車した車を探した。「見つける天才」ぶりを発揮した。 ◆  富士山溶岩の湯「泉水」 ◆ 吉田のうどん「玉喜亭」 ◆「御殿場プレミアム・アウトレット」  はじめてのアウトレットだった。ブランド品店街に終始キョロキョロしていた。  P教授とはここでお別れした。  その後 再び「Air Tag」のお世話になった。やはり「天才」だった。 ◆「JR 足柄駅」   駅前の無料駐車場で車中泊と洒落込んだ。美しい駅舎だった 。検索すると「新国立競技場」を手がけた「隈研吾建築都市設計事務所」さん設計の建築だった。  夜明けを待たずに洗面をすませた。 「歌枕」を訪ねての旅のはじまりだった。 2021/09/29(水) ◆「 小夜の中山」 二つの歌碑に、三つの歌が刻まれていた。  あづまのかたへ、あひ...

TWEET「庇を貸して」

  一昨日、 開高健「文房清玩」 について書いたが、 (昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。) 「文房清玩」には順位があり、まず自室を清浄に保つ必要がある、との思いから、昨日部屋を入念に掃除した。足元に散らかしてあった書籍をベッドの上に乗せることからはじめた。調度品は掃除がしやすいように並べてあるが、日頃の運動不足(運動皆無)がたたって、すぐに疲れ、一服ばかりしていて、いっこうにはかどらなかった。午前中の早い内からはじめて、終わったのは夕刻だった。  その後、愛玩用の、 ◇「 ペリカン 万年筆  M205 DUO イエローデモンストレーター」 ◇「ペリカン 万年筆 M205 DUO シャイニーグリーン」 と、卒業論文を書く際に購入した、ひどく傷んだペリカンの万年筆に加えて、二本の吸入式の万年筆を洗浄した。こちらの手入れはいっこうに苦にならなかった。いま陰干し中である。  さらにその後、「釣具清玩」。禁断のルアーボックスの蓋を開けた。 日がな矯めつ眇めつ、あるいは手に取って戯れ、ニタニタし、飽きもせず、開高先生におかれましても、なかったとは到底考えられない「清玩」癖である。  時計に眼をやれば深更で、あわてて寝ようと思えば、ベッドの上は書籍にすっかり占有され、庇を貸して、すっかり母家を取られた格好だった。 かたずけるのも面倒で、テントマットを敷き、シュラフ(寝袋)を被って畳の上に寝た。この事態も「清玩」と思えば「清玩」であり、折角なので、今夜からは「ヘリテイジ トレイルシェルター」内で寝ようかと思っている。上等なひとり寝である。  「清玩」とは、行住坐臥、これ気品に極まる、と独り合点している。

「言葉の一々である」

 ことば、言葉、コトバ、いま「ことば」の渦中にある。神、神々、霊、仏、に四囲を囲まれている。  学生時代からの関心事が一同に会した。  いくつもの偶然が重なっていまに至った。私に系統だった読書ができるはずもなく、道順を聞く人もいなかった。が、インターネットには、ずいぶん助けられた。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「ことば」が一気に心底にまで達した。思いもよらぬことだった。これ以上の慶事はなかった。私の趣向のすべてが一括りに括られた。 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 は、1987/04/25 に出版され、間もなく読んだ。学生時代のことだった。明恵上人を知り、白洲正子を知った。井筒俊彦と出会い、はじめて華厳の世界に触れた。「華厳の世界」(284-290頁)に引かれた井筒俊彦の文章は明晰だった。コピーしてもち歩いた。 そして、 ◇ 井筒俊彦『叡智の台座 ー 井筒俊彦対談集』岩波書店 を求めた。河合隼雄がとりもつ縁だった。しかし、それ以降井筒との接点はなかった。 2018/01/22 のブログには、 井筒俊彦『東洋哲学覚書 意識の形而上学 ー『大乗起信論』の哲学』中公文庫  週末を読書に充てた。  井筒俊彦を読むということは、 「一文を読み、その文の理解が適当であったかどうかを、以下に続く文章を丹念に読むことによって、確認しながら歩を進めるということ」 だった。  私にとっては持ち重りのするものだった。意を尽くして書かれた『覚書』だったが、おぼつかなく、再読を促されている。  詳細は後日あらためて、ということにさせていただく。 とあり、 また、2018/01/19 のブログには、 「井筒俊彦というさやけさのなかで_井筒俊彦 読書覚書」  井筒俊彦の文章には彩(あや)がある。論文に私情をはさむことは許されないが、井筒俊彦の精緻な文章には、自ずからなる情(こころ)がある。明晰な文の重なりのなかで、文章は美しい形をなす。  井筒俊彦というさやけさのなかにあることを、私は好む。 とある。  入院中だった父の病室で読んだ記憶がある。 Amazon の「注文履歴」を見ると、 その後井筒俊彦づいていることが分かる。わずか三年あまりのおつき合いにしかならない事実に慌てている。  ここ数年で小林秀雄の文章が読んで解るようになり、白洲正子の文章をまとめて 読むよう...

TWEET「おほめに預かり、慌てる」

以下、 「かまなび 第三の選択 集団か 個別か かまなびか」 さんのサイトからの無断引用です。 「自分の子どもを通わせたい塾」  以下のチラシの一部は全てコンビニ塾がばらまいている最近の広告です。ポストに入っていました。「無料」「0」のオンパレードチラシが目立っています。  個別指導の授業の価値はゼロだと自らうたっています。これら全て大手のコンビニ塾です。無料で新規のカモを釣り上げることに力を入れるのではなくて、今いる子達をどうするかを最優先に考えてほしいですよね。  これらのようなどこにでもあるコンビニ塾に対して、ここだったら自分の子どもを入れてもいいなと思える塾もあります。そんな全国の塾を見つけて勝手に紹介してみようと思います。 まずは、愛知県の塾です。 【塾・ひのくるま・本多塾】  ここの先生は、「塾をさっさと辞めて欲しい」とHPに書いているところがいいですね。やっぱり自学が大事なんだと認識されています。  また、「最短でできるようにする」ためにオリジナルプリントを作って指導されているようです。プロだったら最短でなんとかさせる手法を考えるのが普通なんですけど、コンビニ塾ではそうではありません。 「これができるようになるにはこれだけの授業を買ってくれ」というスタイルなんです。  それだけ授業を買わせてできるようにさせるのはプロの仕事ではないと僕は思いますね。  集団塾でも生徒を長時間拘束して無理させるところもありますけど、それもプロの仕事とは言えないでしょう。短期的な効果を出すために生命力を削らせるというのは受験で結果を出せても、それは後になって反動が起こることがあります。  グリグリ力まかせに治すようなヤブ整体のようです。以前私がお世話になった整体は、ほとんど力をかけずに指で軽くトントン押したりするだけで治してくれて大変驚きました。  僕が通っている歯医者の先生も、1・2回通えば直してくれます。  本当にすごい先生は少ない回数で、身体への負担をかけずになんとかしてくれるようです。  最短をうたうここの塾では、おそらく相当入念な準備をされているのでしょう。コンビニ塾では到底真似できない芸当だと思います。  2016/ 03/05 に書かれたものです。うかつにも昨日気づきました。おほめに預かり、慌てております。「ここの先生」とは自分のことか、と驚きました。過大評価...

「拝復 Dr.T様_あわてる」

明日午前10時から(愛知県公立高校入試の)合格発表が行われます。時間をずらし分散して見にいくように、との県教委からのお達しですが、さてどうなることでしょうか。 「これだけやって受からなかったら親を恨むしかない」 と子どもたちには伝えました。 と、その後。 あるお母さんから、 「子どもに私恨まれても仕方ありません」 と書かれたメールをいただき、あわてました。 度々のご配慮に感謝しております。 何かと気苦労も多いことと拝察しております。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「冬至の日に自転車講習です」

おはようございます。 今日(2019/12/21)から冬期講習です。いまから大慌てで準備をします。自転車操業です。 たいへん遅ればせながらも…。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「4時半起きですか? 自転車講習ってなにをするんですか?」  その後、6:30 から1時間ほど寝ました。いま 9〜12時の授業を終え、14〜17時の午後の部に備えています。家庭学習ゼロの受験生たちを、私がやむなく拘束しています。  自転車「講習」ではなく、 「自転車『操業』」 です。悲しいかな、私には自転車に関する知識も技術もなにもなく…。  笑いのご提供、どうもありがとうございました。今年の笑い納めかとも思っております。 「自転車講習」は、大晦日の午前中まで、6時間×10日間「英文解釈漬け」です。毎年 暴挙に出ています。自爆テロです。 改めてお便りします。今回はこれにて失礼いたします。 ひき続きすてきな休日をお過ごしください。 今日は冬至ですね。ゆず湯につかって体をいたわってください。 度々のご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH 💕.

TWEET「あれから幾星霜かが過ぎ」

 中学校・理科「天体分野」で、伝えたいことが上手く子どもたちに伝わらず苦戦している。明日三回目の授業に挑む。「天体分野」は立体的、相対的な観点に立って眺めなければならず、時間を要する。 「せめて私だけの時間と労力を費やせば、理解できるはずです」 といってみたところで、今時の子どもたちに「自学自習」といった心がけはみられず、 「私はなんでも解っているような顔をして授業をしていますが、実のところなにも解っていません。私が揺らげば君たちが動揺しますので、ただ精一杯突っ張っているだけのことです」 と、本音を口にしてみたところで、家庭学習ゼロ、受験勉強はすべて塾任せ、といった安易な 学習態度は改まらず、先々には、私が揺らぐか、時間切れでやむなく出題予想に奔走するか、といった結末は見え透いており、先の見えたゲームほどつまらないものはない。 小林秀雄『学生との対話』国民文化研究会・新潮社編 「小林秀雄はかくも親切で、熱く、面白く、分かりやすかった! 」 「まあ、学問をしたいというのは、人間の本能ですからな。学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです。(会場笑)。 今は、ただ黙っていたって教えてくれるのだから、学問への欲望がなくなるのですよ。 」(75頁)  私が教えているのは決して学問ではないが、その入り口へと導くもの、との認識はある。 「 学問をしたいのが本能じゃなくなったのは現代ぐらいのもんです」。それ(昭和36年8月15日 於 長崎県雲仙) から幾星霜かが過ぎ、「現代」とは永遠の今のことであり、小林秀雄のそれを見越しての発言は正しかった、ということなのだろうか。 追伸:「 昭和36年8月15日  」とは、私が生まれて間もなくのことであり、決して他人事ではなく、慌てて自戒の言葉とした。 以下、 小林秀雄「学問をしたいというのは、人間の本能ですからな」 です。

「拝復 Nさんへ_熊も眠りにつくという最果ての」

おはようございます。 御地の銘菓の詰め合わせを送っていただきありがとうございました。散財させてしまい、申し訳なく思っております。なかでも「菓子處 大丸」さんの「ふる里もなか」は逸品です。早速父とありがたくいただいております。 今頃 葦毛湿原に咲く 「ホソバリンドウ」 の花 です。 高貴な花です。  昨夜、過酷な環境の物置で一夏を越した灯油を、ファンヒーターに入れ点火すると、異臭が鼻をつき、鼻水が出て、くしゃみが出ました。また、頭まで痛くなりましたので、ストーブの電源を切り、換気しました。敏感に反応した自分の体に老いは認められず安心しました。今年はエアコンで暖を取ることに決めました。簡便でクリーンですし、灯油に比べ電気 の方が安くつく、とのことです。  暖房を入れると、とたんに子どもたちの居眠りがはじまります。授業をはじめる前にはいったん起こしますが、後は自由です。寝る子は育つ。子どもは寝ている間に育つ、と信じております。  かく言う私も授業をしながら、寝ることがあります。子どもたちにあきれた寝姿を披露しています。一瞬の出来事かと思われますが、前後不覚となり、さすがに慌てます。 熊も眠りにつくという最果ての御地は、もう真冬の候ですね。 くれぐれもご自愛ください。 たびたびのご丁寧ご返信、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「野分き前の湿原を行く_コバノカモメヅルをさがして」

 つる性の植物であることをたよりに、目線を上げて歩くと、程なく見つかりました。星の形をした「暗紅紫色」の花がたくさん咲いていました。やはり案内が必要です。  はじめてデイパックを背負っていきました。ショルダーベルト、チェストベルト、ウェストベルトを調節すると、いきなり姿勢がよくなり、あわてました。主客が転倒しています。矯正するのも、されるのもかないませんが、今回ばかりは心地よく、デイパックの意外な効能を知りました。  空はどんより曇っていました。絶えず吹く風に、長尾池の水面(みなも)が波だっていました。無事を祈るばかりです。

TWEET「受験参考書を繰る」

 十六夜の月が明るく、みごとです。  月の出が、一日におよそ一時間ずつ遅くなるのを知ったのは、一昨年の暮れのことでした。理解するまでに、結構な時間を費やしました。  受験勉強は人のためならず、と再認識しました。その年の公立高入試で出題され、なぜか、あわてました。

「シリーズ授業_思わず口をついてでた『馬鹿』のひと言」

中一生の授業で、「三大穀物」の話をしていました。  「とうもろこしは主に何になるの」 との私の問いかけに、すかさず、  「ポップコーン」 とのお答がMさんから返ってきました。 我知らず、  「馬鹿」 のひと言が、思わず口をついて出てきてあわてましたが、後の祭りでした。  「飼料」との答を期待していました。私の問いかけが舌足らずだったことは認めますが、それにしても今どきの中学生は抜け目なく、容赦なく、強敵です。  「『馬鹿(板書)』っていうのは、馬も鹿も区別できない人のことを『馬鹿』っていうんです」  「私、馬鹿かもしれない」  ことさらに愉快なMさんの動向からは今後も目が離せず、トリックスターとしての大活躍に期待を寄せています。

TWEET「五十有五歳 荷風老人」

 昨夜深更帰宅し、沓脱ぎで、右足に「オリーブ色に赤を基調とした靴ひものトレッキングシューズ」、左足に「黒ずくめのウォーキングシューズ」を履いてることに気づき、あわてました。とんだ履き違えでした。老化はいよいよ進行し、ついに末期症状か、と覚悟しました。  かぞへ見る日記の巻や古火鉢       五十有五歳 荷風老人            『断腸亭日乗』より  荷風は、「五十有五歳」にして「老人」を名乗り、「五十有六歳」になる私はもう立派な老人のお仲間入りか、などと感慨にふけっていた矢先の一撃でした。  まあ、笑ってすますに如くはなく、今回はのん気に陽気に笑ってすますことで落着しました。

TWEET「あわてて立ち去る」

 風のない日だった。たいそうな数の欅の紅葉が、重力のままに間断なく降りしきっていた。しばらくながめていたが、そのまま見つめ続けると、精神に異常をきたしそうな気がして、あわてて立ち去った。

内田百閒「長春香」_まとめて

「内田百閒『長春香』_まとめて」 千葉俊二, 長谷川郁夫, 宗像和重 編 『日本近代随筆選 2 大地の声』 岩波文庫 所収 ◇ 「この数日間ぼーっとしてます」 ◇  内田百閒「長春香」語学学習編 ◇  内田百閒「長春香」長野初の手紙 ◇  内田百閒「長春香」歯並みだけが白く美しく残っていた真黒な屍体 ◇  内田百閒「長春香」鳥の形をした一輪挿 ◇  内田百閒「長春香」お位牌を食す ◇  内田百閒「長春香」悲しみの間に間に ◇  内田百閒「長春香」慌てて立ち去る ◇  内田百閒「長春香」終わりに 他二編 ◇  内田百閒「そりゃ、あんたさん、死にもの狂いですぜ」 ◇  年のはじめに_「そりゃ、あんたさん、なりふりかまわずですぜ」

内田百閒「長春香」慌てて立ち去る

内田百閒「長春香」 千葉俊二,長谷川郁夫,宗像和重 編『日本近代随筆選 2 大地の声』岩波文庫  「それ(関東大震災)から今年で十二年目である。九月一日に東京にいなかった一年をのぞいて、私(百閒)は毎年その日になると、被服廠跡の震災記念堂から、裏門を出て石原町の長野(初)の家のあった辺りを一廻りして帰って来る」。「もと長野の家の」「筋向かいに」あった、初と連絡を取るためにたびたび「電話を借りた」、「大きな煎餅屋(せんべいや)」の「寺島さんも一家全滅して、その家のあった後に、今は、石原町界隈の焼死者をまつる小さなお寺が建っている。だから長野の霊も、そのお寺の中に祀られているのである」。 (69-70頁)  そして、「月日のたった今、うっかり考えていると」、百閒は錯乱する頭のなかで、当時のことを話す初の声を耳にする。「勿論そんな筈(はず)は」なく、  「私は年年その小さなお寺の前に起って、どうかするとそんな風に間違って来る記憶の迷いを払いのけ、自分の勘違いを思い直して、薄暗い奥にともっている蠟燭(ろうそく)の焔(ほのお)を眺めている間に、慌(あわ)ててその前を立ち去るのである。」 との一文を最後に百閒は「長春香」を終えています。 何年たっても百閒の悲しみは癒やされることはなく、ゆえんのない話をする初の姿をふりほどくことのできないままに、「薄暗い奥にともっている蠟燭(ろうそく)の焔(ほのお)を眺め」る。「蠟燭(ろうそく)の焔(ほのお)を」じっと見つめていれば、初のいわれのない昔語りは勢いを増すばかりで、もし「慌(あわ)ててその前を立ち去」らなければ、精神に異常をきたすことを、百閒は敏感に感じとっていたのであろう。