「奈良大和路行_いのちの律動の音調」
2023/06/05 心穏やかならず、奈良大和路行を決めた。喪中に旅は不埒か、私にはそのような了簡はなかった。 まず唐招提寺を目指した。 金堂ののびやかな甍を仰ぎ、参拝、拝観後 本堂へ向った。その際、 「国宝 鑑真和上坐像 / 東山魁夷画伯障壁画 / 御影堂特別公開」 と書さ れた立札を前にして目を疑った 。6月6日は鑑真和上の命日だった。 平成14年(2002)2月に名古屋市博物館で「唐招堤寺金堂平成大修理記念『国宝 鑑真和上展』」 で鑑真和上坐像を拝見したが、今回拝した鑑真和尚は、所在を得て祈りの対象そのものだった。 東山魁夷の障壁画はみごとだった。紺青の、また水墨の淡彩で描かれた『山雲』,『黄山暁雲』を前に茫然と立ちつくした。 出口に向かうころ、般若心経を耳にし、廊下に座し唱和した。それは、 いのちの律動の調べを彷彿とさせるような、ゆったりとした調子の読経 だった。鑑真和上感得の伝来の、音調のような気がしてならなかった。 それ以降 般若心経の唱え方が一変した。 「意味から響きへ、理解から感応へ。262文字のこころを体感する」( 玄侑宗久『現代語訳 般若心経』ちくま新書,「帯」 ) これらはいのちの脈動に和すればこそ、かなうことどもであろう。たいへんな体験をした。 その後 開山御廟にお参りに行った。供えられたまっ赤なお線香が印象的だった。 紀野一義「空を語る」 紀野一義『「般若心経」を読む』講談社現代新書 「『色即是空』が、くるりと転換して『空即是色』になる。この時の『空』は、大きな、深いひろがりとしての空、われわれをして生かしめている仏のいのちのごときものである。そういうものの中に私たちひとりひとりの『色(しき)』がある。存在がある」(126頁) 「『空』は、仏のいのちであり、仏のはからいであり、仏の促しであり、大いなるいのちそのものである。 そういうものがわれわれをこの世に生あらしめ、生活せしめ、死なしめる。死ねばわれわれは、その『空』の中に還ってゆくのである」(131-132頁) 「これ(「般若心経」)を唱えることは、大宇宙の律動を自分のものにすることになる。この真言とひとつになれば、自分が大宇宙そのものになる。そして、すばらしい輝きを発することになる。そう考えると、心が湧き立つようではないか」(63頁) 「盤珪禅師」 「それからの盤珪(...