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「山本空外,青山二郎_『道具茶』再び」

龍飛水編『いのちの讃歌 山本空外講義録』無二会 「わたくしの地平を越えて」 「わたくしの地平を越えて」は、三日間にわたって行われた「授戒会(じゅかいえ)」での「75分 × 9回」の「講義録」である。しかし、ここにいたっては、「空外先生」,「空外上人」とよぼうが、「講義」,「講話」といおうが、差しつかえのないものである。 白洲正子『いまなぜ青山二郎なのか』新潮文庫 「『道具茶』といふ言葉は偶像崇拝の意味だらうが、茶の根源的な観点は空虚にある様に思はれる。真の意味で、道具の無い所に茶はあり得ないのである。一個の道具はその道具の表現する茶を語つてゐる。数個の道具が寄つて、それらの語る茶が連歌の様に響き合つて、我々の眼に茶道が見えるのである。何一つ教はらないのに、陶器に依(よ)つて自得するのが茶道である。」(青山二郎『日本の陶器』) 「何一つ教はらないのに」といっているように、青山さんは茶道のことなんか、何一つ知らなかった。ひたすら陶器に集中することによって、お茶の宗匠の及びもつかぬ茶道の奥儀を極めたのだ」(83頁) 「わたくしの地平を越えて」 「茶席へ行った場合はその器が大事です。」「半分は器を見せて頂くことが茶席の仕事です。第一は、茶席に入ったら床の間の掛けものを拝見することです。わたくしは掛けものに書いてある「南無阿弥陀仏」を随分多く見ていますが、その殆(ほとん)どは、字になっていない。それは人間がなっていない証拠です。書は、心画だといいましたが、その方の心をずばり形に出すのです。人間はさとっているが字だけは迷っている、というような芸当はできない。字を書かせてみたら本物かどうか一発です。 (中略) 器だけではない、床の間に掛けてある字がわからなければいけません。主人の心づくしが掛けものにうかがえるからです。それから、釜でも水差でも茶碗(ちゃわん)でもです。茶杓(ちゃしゃく)はなおさら、茶入や棗(なつめ)でも、しかも、釜を掛けてある五徳がありますが、あれがまた大事です。だから、炭手前を拝見するときには、五徳を見るのが大切です。五徳の芸術がある。すばらしいです。ただ上に釜をのせればいいというものじゃない。 (中略)  お茶は中国あるいは中央アジアからきているけれども、それを茶道といえるところまで精励してまとめあげていく力は日本人ならではの力です。  ちょうど、いろは歌をう...

「法華堂_東大寺域」

2023/06/14  まもなく拝観時間(8:30〜16:00)が終わりを告げようとしていた。私は、「東大寺・法華堂(三月堂)」に設(しつら)えられた台座の、「 不空羂索観音像」の正面に腰をかけ、ひとりくつろいでいた。ようやく訪れた平安だった。  そんな折もおり、4人の中学生が私の目の前を突っ切った。 「人の前を通るときは会釈くらいしろ」 「そこに座り合掌しろ」 私は中学生を叱咤した。中学生たちは素直に従った。と、そのとき職員がやって来た。 「大きな声がするので来た。 中学生にはなにをいっても仕方ない」 といわれた。そういうものかと思い、 「申し訳ありませんでした」 と、私は謝罪するほかなかった。 「 不空羂索観音像」の前に畏まり、私は合掌・一拝し外に出た。  外には私を待ち受けている女性がいた。 「お水取りでいただいた炭を納めに参りました。母は「法華堂」が好きなんです」 その「法華堂」で、私の狼藉の一部始終を目にしたのであろう。しかし、私にはまったく覚えがなかった。 「あの子たちには忘れられない思い出になったでしょうね」 さりげない女性の言葉に、私は救われた思いがした。  その後、「東大寺」または「東大寺ミュージアム」においてある、 ◇ 森本公誠編『善財童子 (ぜんざいどうじ)求道の旅』朝日新聞社 を読むように勧められた。  また、昨年末来病気がちであること、父を亡くして日が浅いことを告げると、「 東大寺」もしくは「東大寺ミュージアム」で、「薬湯」を購入し、災厄を払うようにいわれた。  彼女は、高野山に参拝し、 また 四国八十八ヶ所霊場の幾 ヶ 寺かを拝観していることを知り、「女人高野 室生寺」を、また「大野寺」を訪ねることを勧めた。その際には、 ◇ 土門拳の四分冊になっている『古寺を訪ねて』小学館文庫 を紹介した。土門拳についてはよく知っているようだった。  また、 ◇ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 についてお話しし、 ◇ 河合隼雄『明恵 夢を生きる』京都松柏社 ◇ 白洲正子『明恵上人』講談社文芸文庫 ◇ 白洲正子『西行』新潮文庫 についても、話題にした。  今夜は京都に宿泊し、明日は「伊勢神宮」を訪れる とのことだった。明日の夜には、黒田清子(くろださやこ)様が、 天皇陛下の御言葉を読まれます、直接その場に立ち会うことはで...

岡潔,司馬遼太郎「無為にして化す」

司馬  政治をなさらないのが日本の天皇さんだと思うのです。大神主さんであって、中国や西洋史上の皇帝ではなかった。あの存在を皇帝にしたのが明治政府ですが、どうもまずかった。(34-35頁) 岡 (前略)上に立つ方は、無である方がよいのです。 司馬  無であるというのが日本史上の天皇ですね。 岡  無であるということは、武士であるということを不可能にすることです。 (35頁) 司馬  そうでしょうね。明治以後の天皇制は日本の自然な伝統からみると間違っていますね。 岡  信長はよくやってるんだがボスになる。秀吉もよくやってるんだがボスになる、いくらやっても、結局ボスになる。この傾向を除き去ることはできないでしょう。それゆえ、天皇は是非いるのです。私は、そういう見方をしています。 司馬  それはたいへん結構ですね。 岡  書きにくいのですがね。私はそう思っております。全く無の人をそこへ置くべきです。 司馬  老荘のいう無の姿が、日本の天皇の理想ですね。 “無為にして化す”…。 岡  老荘のいう無であって、禅のいう無ではすでに足りません。禅のいう無はその下に置くべきです。   “無為にして化す” 全くそのとおり です。 司馬  自然と日本人の心の機微が天皇というものをうんだのですね。 岡  しかしね、この意味は匂わすだけでなかなか書けないのです。あんまり機微に触れたことは書けません。 司馬  よくわかります。 岡  わかっていただけるでしょう。それとなくいうのが一番いい。全く無色透明なもを天皇に置くのが、皇統の趣旨です。これなくしてはボスの増長を除くことはできません。 司馬  是非いりますね。(後略)(36-37頁)  私は、たとえば政治や経済等の、世の中の現象については、あまり興味がない。ゆえに疎い。  今回は偶然にも、信用のおけるおふたりの対談を読み、天皇制の核心部分について知った。「 無為にして化す」ことが絵空事でないことを知るにいたった。日本とは、日本民族とはたいしたものであると思った。  私は政治や宗教等の、人のこころの最もやわらかな 部分にふれることを極端に忌む者である。 “勧誘 ” などという勇ましい言葉を見聞きすると総毛立つ。そのつもりで読んでいただければ、と思っている。

岡潔,司馬遼太郎「仏によって神を説明していたのですからね」

岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 司馬  こういう連中が出てきてだめになってきたのです。日本の天皇は気の毒なことになってきたのです。 岡  明治維新のために必要になってきたのでしょうが、国学者の平田篤胤(あつたね)、あそこから間違ってきていますね。また宋学の尊王攘夷の王というのを日本の天皇にあてはめた朱子学、陽明学の徒もやはり間違っている。しかし、平田篤胤がもっともいけません。 司馬  平田篤胤は困る。(38頁) 司馬 (前略)明治になって、彼らに報いなきゃいけないというので神祇院をつくったのです。神祇院をつくりまして、神祇院に平田門下を全部入れました。神祇院で神主さんのことを取り扱わせる。ところが、神主のことをやっているだけでは満足しなくて、排仏毀釈(きしゃく)を実行したのです。それは明治政府、最大のミスです。 岡  廃仏毀釈をすれば、神道を説明する言葉がなくなってしまう。 司馬  仏によって神を説明していたのですからね。 岡  そうですよ。そのために聖徳太子が仏教をお取り入れになったのです。 司馬  神道はボキャブラリイを失ったわけですね。 岡  ボキャブラリイがないわけです。あと、お稲荷さんだの、なんだのいっても、全然神道にはなりません。(40頁) 「神 道 (7) 」 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫 「神道に教義がないことは、すでにふれた。ひょっとすると、神道を清音で発音する程度が教義だったのではないか。それほど神道は多弁でなく、沈黙がその内容にふさわしかった。  『万葉集』巻第十三の三二五三に、  「葦原(あしはら)の瑞穂(みづほ)の国は神(かむ)ながら、言挙(ことあ)げせぬ国」  という歌がある。他にも類似の歌があることからみて、言挙げせぬとは慣用句として当時ふつうに存在したのにちがいない。  神(かん)ながらということばは、 “神の本性のままに” という意味である。言挙げとは、いうまでもなく論ずること。  神々は論じない。アイヌの信仰がそうであるように、山も川も滝も海もそれぞれ神である以上は、山は山の、川は川の本性として ー神ながらにー 生きているだけのことである。くりかえすが、川や山が、仏教や儒教のように、論をなすことはない。  例としてあげるまでもないが、日...

岡潔「くそ坊主は追い払いましょう」

岡潔 司馬遼太郎「萌(も)え騰(あが)るもの」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫  昨日のブログで、「三日坊主」という言葉を使いましたので、せっかくですから、おふたりの対談を引用しておきます。 司馬 (前略)禅とはそれそのものはたいへんなものですけど、これはやはり生まれついた人間がやらなければいけませんね。道元、白隠にしてやれることであって、あとは死屍累々(ししるいるい)ですな。 岡  まあ、せいぜい一万人に一人。 司馬  その割合はあるいは甘いかもしれませんね。十万人に一人です。 岡  禅に限らず、僧侶は十万人いる。ところが本物は百人だと、薬師寺の前管長橋本凝胤(ぎょういん)もいっています。 司馬  そんな割合なら、うどん屋の同業組合のなかで選べますからね。 岡  選べますとも。巷(ちまた)にそのくらいはおります。 司馬  だけどお坊さんを改悛(かいしゅん)させて俗人にしなきゃいかんことが、岡先生のご任務じゃないでしょうか。奈良に住んでらっしゃるから。 岡  仏教廃止にしましょうか。 司馬  仏教廃止もよろしゅうございますね。えらいところで共鳴してきたな。 岡  でも、いろんな仏たち、たとえば法隆寺でいえば救世観音、新薬師寺の十一面観音、みんな残さなきゃいけません。 司馬  仏たちは尊うございますからね。お坊さんと仏たちとは違うんだから。 岡  くそ坊主は追い払いましょう。お前たちにはご用ずみだ、迷信と葬式仏教によって食べていこうとするな。(44-45頁)  過激な対談と言うことなかれ、溜飲がさがる思いを抱いている。「お坊さんを改悛させ」ると「俗人に」なるところが面白い。  両氏の対談「 萌え騰るもの」からは、多くのことを学んだが、理解のおよばないことも多々ある。これを機に再読することにする。  今回の「古社寺巡礼の道ゆき」では、救世観音の秋の特別展は終わり、また新薬師寺へは行く時間がなかった。 “美” の前に立ちつくすと、時間の感覚があやふやになる。計画など立てようがない。

井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋_目次

昨日の午前中、足元のいくつかの積読の山を、見るともなく見ていると、 ◆ 井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 に目が留まった。購入した経緯(いきさつ)も年月も、なにもかもが不明だったが、これほどうれしい出会いはない。検索すると、 2021/12/05 に Amazon を通して購入した古書であることが分かった。 ◆ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 を読んでからというもの、井上靖と急に近しい間柄になった。岡潔の “人選” の妙である。 以下、目次である。 「昭和48年6月25日 第1刷」の奥付がある。 井上靖『美しきものとの出会い』文藝春秋 「室生寺の五重塔」 「浄瑠璃寺の九体佛」 「秋の長谷寺」 「東大寺三月堂」 「法隆寺ノート」 「渡岸寺の十一面観音像」 「東寺の講堂と龍安寺の石庭」 「鑑真和上坐像」 「日本の塔、異国の塔」 「水分神社の女神像」 「漆胡樽と破損仏」 「タジ・マハル」 「バーミアンの遺跡」 「扶余の旅、慶州の旅」 「飛鳥の石舞台」 「十一面観音の旅」  本書のような目次はデジタル データ化しておくにかぎる。旅の途上の荷にならず、また容易に検索できるのがうれしい。  さて、読むべきか読まざるべきか、それが問題である。昨日、「 ひき続き無為という殊更な毎日を送ることにします」と高らかに宣言した以上、武士道に悖(もと)る恥はさらしたくない。が、三日もすれば、なまくらな坊さんくらいにはなることができる。坊主になることに決めた。私には三日坊主くらいがちょうどいい。

芭蕉「此の道や行く人なしに秋の暮れ」

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2022/11/23   2022/11/27 08 時に「大阪新阪急ホテル」前にて、P教授と待ち合わせ、「三徳山 三佛寺 投入堂」へ 登拝に向かうことだけが唯一の旅程だった。しかし、土門拳の、また井上靖の随筆で知った、奈良県内のいくつかの堂塔・仏像を拝観したいという漠然とした思いはあった。  22:30 に出立した。小雨模様だった。  奈良に車で向かうのははじめてのことだった。駐車場が心配だった。 2022/11/24 ◆「東名阪自動車道(下り)EXPASA 御在所」 車中泊。 ◆「法隆寺」 「日本仏教のあけぼの」を「振り仰ぐ」ことを旅のはじめとした。 「法隆寺と斑鳩」 土門拳『古寺を訪ねて 斑鳩から奈良へ』小学館文庫 金堂にせよ、五重塔にせよ、 振り仰いだときの厳粛な感銘は格別である。 古寺はいくらあっても、 その厳粛さは法隆寺以外には求められない。 それは見栄えの美しさというよりも、 もっと精神的な何かである。 そこに飛鳥を感じ、聖徳太子を想い見る。 いわば日本仏教のあけぼのを 遠く振り仰ぐ想いである。  釈迦三尊像をはじめて美しく尊いと感じた。境地が、趣向がかわったからだろうか。  百済観音像を側面から仰いだ際の、その体躯の頼りなさに哀しみを覚えた。さらにそれは、 209.4 cm の像高と相まって増長され、哀しみがつのった。  救世観音を拝観することはできなかった。二日前に秋季特別展は終了していた。 ◆「中宮寺」  菩薩半跏像の美しさをはじめて知らされたのは、 前回の参拝時 (2020/10/15)での ことだった。時の経過をまたなければ見えない世界がある。岡潔ならば 「情緒が深まった」というだろう。 長い間 畏まり仰ぎ見ていた。 去りがたかった。 ◆「平宗 法隆寺店」 柿の葉寿しをいただく。 ◆「聖林寺」  観音堂の改修事業を終え、8月から新観音堂での一般公開がはじまった。観音さまを四辺から仰ぐことができるようになった。  聖林寺の十一面観音立像については、 ◇ 白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫 の口絵にある、右側面から撮られた白黒の写真が圧巻である。「単行本」や「愛蔵版」では同じ構図のカラー版 が表紙を飾っている。  闘いを終え、満身に創痍を負った勇者が、傷を癒すために深い瞑想に入っているかのようにみえる。表情は厳しく、体躯は剛健そのものである...

井上靖 岡潔「文明というイズム」

  一昨日の午前中には、岡潔『夜の声』新潮社 を読み終えた。 井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  魔物の正体がわからんと小説(『夜の声』)の主人公にいわせているのですが、先生自身、不思議だなあと思っておられることもあるんでしょうね。 井上  ええ、ございます。 岡  そうでしょうね。そこがたいへん実感があって、おもしろい。あれについて、ずうっと考えどおしで、汽車んなかも、そればかりでした。 井上  そうでございましたか 。 岡  それで、私なりに考えてみた。あれは文明というイズムじゃないかと…。 井上  そうでございます。 岡  イズムちゅうのはこわいですよ。顔の形まで変わる。イズムができる場所が(ひたいをたたいて)ここなんです。つまり、万葉が宿る場所と同じなんでしょうね。だもんだから、ひどい影響がある。あの仏教の六道輪廻(りんね)の宿る場所も、ここなんでしょうね。 井上  そうですか。 岡  『ある偽作家の生涯』のああいう形で出たり、イズムの形で出たり、それから万葉の形で出たり、つまり (ひたいをたたいて)ここなんでしょうね。 中国のことばで、ここを泥おん宮(ないおんきゅう)っていうんです。これは有無を離れる戦いという意味です。だから、ここにあるものは、どれも実体がないんですね。だからして、実体のない思想なんかがあると思ったら、だめなんです。つまり、日本人はすみれの花を見ればゆかしいと思う。それから、秋風を聞けばものがなしいと思う。そのとき、ここには、すみれの花とか秋風とかいうものはない。しかし、ゆかしいもの、ものがなしいものはある。 井上  なるほど。 岡  こういう思想は、東洋にはずっとあるんですが、西洋にはないんです。西洋では、まずそこに実体があるとしか考えられない。 井上  逆になっているんですね。 岡  逆なんです。実際見ているのに、そうなんです。(69頁) ◆「ないおんきゅう」の「おん」は「氵に亘」です。  また、「実際見ているのに、そうなんです」とは、「実際見ている」ものには実体がないことが見えていない、というほどの意味であろう。  けっして他人事ではなく、また「有無を離れる戦い」とは凄絶である。  人心は乱れ、自然は破壊されつくし、昼夜もなければ季節感もなく、この乱脈な「文明と...

井上靖『夜の声』新潮社

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 岡  あの、この前の御作『夜の声』、感心いたしました。 井上  おそれいります。(67頁) 岡  (前略)それにしても、ほんとうに『夜の声』は、あれは実にいい本ですなあ。 井上  ありがとうございます。こんなうれしいことないですね。 岡  みんな、それほどほめませんでしょ。 井上  ええ、ほめません。(笑い) 岡  わからんだろうと思う。(78頁) 一昨日の夕方、 ◇ 井上靖『夜の声』新潮社 が届けられました。古書です。 ◇  岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 からの引用はいったん 中止し、読書にいそしみます。

岡潔 井上靖「あのお念仏の変な人」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  欧米文化を受け入れていって日本はどうなったと、いろいろと現代史や近代史が書かれていますけれど、確かに欧米文化を受け入れて日本はそれで大きいプラスになった面もありますけれど、とんでもないマイナスになっている面もいっぱいございますね。 岡  そのほうが、むしろ多いんじゃないか。 井上  中国文化も、インドの文化も、同じようにいえると思いますね。 岡  明治以後の日本といったら、なんていうか、学問のために魂を売ったっていうような感じですね。 井上  明治の人たちで、いま考えると、なかなかいい仕事をしている人もおります。たとえば、明治の洋画家が描きました洋画というもの、あれはなかなかいいと思うんです。 岡  ごくはじまりのころは、よく描いていますね。はじまりがよくって、いつもだんだん悪くなるのは、不思議だなあと思う。 井上  そうなんですね。いまでも、日本の美術史の上でも、明治の洋画家というのは、いやおうなしに高く買わざるを得ないんです。あれは、やはり日本人の心というものを失わないで、その上でヨーロッパ風のリアリズムというものを自然に受けとったと思います。それですから、ああいう洋画が描けた。 岡  リアリズムというのは、なんというか、習作なんです。ほんとうは、それから上へ出るためのものであることを忘れているんですね。欧米人は、実在性はけっして抜けないんですよ。実在を確かめてからでなければ、人は思想し、行為はできないと思っている。ところが、日本民族や漢民族の住んでいるところは、実在性を抜いたエキスだけの世界、それが泥おん宮(ないおんきゅう)でしょ。それが、初めのうちはあるが、いつのまにか天上から地上におりてしまう。 岡  地上に住むのは、日本人はへたで適していません。いつもそうだと思う。あの、明治維新以後悪くなったと思っているんですよ。日本歴史を少し調べてみますと、応神天皇以前と以後と違うらしい。応神天皇以前の日本人って、だいたいこんなものだろうとは想像するけど、とてももう見られないと思っていた。ところが近ごろ、私のところへ一人の人が訪ねてきた。六十ぐらいかな。その人は学校はまるでできなかった。よく卒業させたと思うくらいだが、いろいろ学校へは行ったらしい。明治の文科へ行...

井上靖 岡潔「郷里」

井上靖 岡潔「美へのいざない」 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫 井上  私は昨年の暮、飛鳥(あすか)へまいりましたんですが、上代では、何回も何回も飛鳥の都へ戻っております。たとえば難波へ都を移しても、またその次は飛鳥へ帰っている。またその次は近江(おうみ)へ都を移します。するとまたその次には飛鳥へ戻っているのです。 岡  どうしても戻りたいという気持が強かったんでしょうね。 井上  どうしてあんなに飛鳥へ戻るのか、なぜ戻るのか。歴史のなかでなんとなく疑問だったのです。学生時代にももちろん飛鳥へ行っておりますけれど、何回となく…。昨年の暮にまいりましたら、初めてあれは大和朝廷のくにだな、郷里だなと思ったんです。それで疑問がとけたような気がしました。 岡  ああ、なるほど。 井上  私の家の一族は、父も祖父もみんな町へ出て働いていましたが、必ず伊豆の山の中へはいっていくんです。それと同じようなもので、あれは郷里だったなと思いますと、飛鳥へ帰ることは自然なんです。そういう気がいたしましたね。それでないと、あんなにたびたび…。 岡  はあ、そんなに戻ってきますか。戻るんですなあ。 井上  くにだなあ、という気がいたしました。 岡  いっぺん日本人を応神天皇以前に戻さなきゃいかんと思うのですがね。ご協力くださいませんか。 井上  もう、ほんとうに…。 岡  これはぜひやらなきゃいかん。私近ごろ、あのお念仏の変な人に会って、いよいよ一度このかすをとりのぞかなきゃだめだと思いました。これはちゃんとしたかたにやっていただかなきゃいかん。私なんか、それが大事だと思ってもどうやるかわからない。ほんとうにそれをやらなきゃ、日本はどうなるかわかりゃしませんよ。(114-115頁)  時代が飛鳥を求めた。飛鳥に 風土と化した日本民族 の原風景をみたのであろう。それは飛鳥の地に立てば、いまも感じられるに違いない。 “郷里” に日がなたたずんでいたいと、いましきりに思う。

TWEET「秋の積読週間」事始め

 路上の枯れ葉が風に舞い、カラカラと音を立てている。窓を開け放てば、金木犀のにおいに包まれ、部屋中に香りが立ち込める。いつしかそんな季節になった。  我が「秋の読書週間」は、あえなく一日で潰(つい)えた。気の流れが内に向かうのを常とする、私の気が外に向かって霧消している。今日もどこかで私を呼ぶ声がする。そして、私は外縁に追いやられ、腐っている。  そんななか、「秋の積読週間」をはじめた。 ◇ 岡潔『風蘭』角川ソフィア文庫 ◇ 岡潔『春風夏雨』角川ソフィア文庫 ◇ 岡潔『一葉舟』角川ソフィア文庫 ◇ 岡潔『夜雨の声』角川ソフィア文庫 ◇ 岡潔『紫の火花』朝日文庫 ◇ 岡潔『岡潔対談集_司馬遼太郎,井上靖,時実利彦,山本健吉』朝日文庫  また、2022/09/29 に亡くなられた大村百合子さんをしのんで、 ◇ なかがわりえこ,おおむらゆりこ『ぐりとぐら』福音館書店  そして、今日発売の ◇ 空木哲生『山を渡る 三多摩大岳部録 5』ハルタコミックス  岡潔の広範な読書歴には、目をみはらされる。自分探しの旅路は美との出会いでもあった。この用意あっての数学者 岡潔であることを忘れてはならないと思っている。

「長浜行」

心急き、以下「旅の覚書き」です。 2022/10/11 出発 ◆「養老 SA(下り)」 車中泊 2022/10/12 ◆「Hotel & Resorts NAGAHAMA(喫茶室)」 ◆「渡岸寺(どうがんじ)」 ◆「十割蕎麦 坊主bar 一休」  湖北で栽培された、籾(もみ)のままを挽き、打った蕎麦は、ほんのり甘かった。手作りのログハウスでの営業と、こちらも手抜かりはなかった。 ◆「国友鉄砲ミュージアム」 ◆「伊吹 PA(上り)」 ◆「養老 SA(上り)」  仮眠 帰宅

「富嶽遥拝の旅_富士宮巡拝」

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   天気予報とにらめっこをし、確信のもとに11時に出立した。しかし、私の確信ほど当てにならないものはなく、承知の上での道行きだった。 2022/05/17 ◆「東京庵 豊川店」 「水車天ざる定食」をいただいた。いきなりの腹ごしらえだった。いい気なものだった。 ◆ 「EXPASA 浜松(上り)」  さらにデザートに、「ソフトクリーム」をいただいた。 ◆「新富士 IC」  小雨が降りだし、あわてた。 ◆「富士山本宮浅間大社」  一日おいての参拝だった。帰宅したのが悔やまれた。 司馬遼太郎『この国のかたち 五』文春文庫  「古神道というのは、真水(まみず)のようにすっきりとして平明である。  教義などはなく、ただその一角を清らかにしておけば、すでにそこに神が在(おわ)す」(28-29頁) 「古神道には、神から現世の利をねだるという現世利益(げんぜりやく)の卑しさはなかった」(11頁)  以来、「卑しさ」とは手を切った。その「尊さ」, 「 辱(かたじけな)さ」に、ただ参拝するばかりである。 ◆「イオンモール富士宮」 ◇「倉式珈琲店」  さわやかな味わいの「東ティモール サンライズマウンテン」をいただく。気づくと寝ていた 。見苦しい寝姿をさらした。 「レストラン ステーキ DADA」 「極みステーキ 150g」をいただく。 ◆「マクドナルド 富士宮店」  若者の集まるマクドナルドでの車中泊には、一抹の不安がともなう。コンビニでの車中泊にしても同様である。が、寝てしまえばそれだけのことである。  今回は、モンベルの ◇「U.L.コンフォートシステムピロー」 「空気を入れやすい逆止弁付き空気注入バルブを備えた枕です。頭部にフィットするデザインで、枕の高さも空気量を調節することで簡単に変えられます。肌当たりの良い起毛地を使用したカバーが付属。カバーは速乾性に優れ、旅先でも容易に洗濯できます」 を忘れた。寝つきが悪く、睡眠の質にも関わる事故だった。  ちなみに私は、日常生活においても、 「U.L.コンフォートシステムピロー」のお世話になっ ている。 変幻自在の、 オーダーメイドのマイ枕である。 2022/05/18 ◆「富士山本宮浅間大社」  開門の5時と同時に参拝した。    待望の雄姿だった。  神田川の流れは、湧水(霊水)である。 「富士山本宮浅間大社」を巡...