「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」2/3
「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる」
この章では、『北の国から』の代表的な場面を追うことによって、倉本聰の好んで描く人物像をみつめたいと思う。また、『北の国から』、ひいては倉本聰の代表的なテレビ・シナリオに登場する人物たちに共通する特徴を浮き彫りにしたいと考えている。
「1. 恋」
“北の国”は、恋まっ盛りである。いずれもいずれも大自然に育まれたおおらかな恋であり、自ずからなる心のままの恋である。倉本聰が“北の国”でみつめた原初の恋である。
こごみと草太にみられる恋はその典型である。
こごみは母性が強く、情の深い女性である。「あわれな男の話をきく」と「押しつけとか」「恩きせがましくとか」「そういうのとぜんぜん無関係に」「ごく自然に」「なンかしたやりたくなる」女性である。スナック「駒草」に勤める「本当に気だてのいい女」性である。
こごみをだましてもて遊ぶ男がいる。
「どこに飛んでってはじけるかわかンない」、そんなこごみを「ネズミ花火」と呼ぶ女がいる。
気だてが「よすぎてちょっとうまくない」と噂する男がいる。
ここみはとかく世間一般からは理解されにくいタイプの女性である。しかし、こごみは他人(ひと)の口の端にのぼることにはいっさい無頓着である。そして、一つの恋が終われば、心の命ずるままに新たな恋をはじめる。こごみは、恋の不条理をわきまえた女性である。人の不可解さを承知した女性だからである。
こんなこごみに魅かれた五郎は、ことあるごとに「駒草」に彼女を訪ねる。令子とつらい別れをした後、離婚届の受理通知書を受けとったその夜、令子が再婚することを知らされた日。また、雪子を見送った後。つらい心を抱えた五郎の足は、自ずと「駒草」へと向かう。「さびしいね」、「つらい話だね」、「心配してた」「まいってるンじゃないかって」、「大変だったンだってね」ーー五郎の気持ちを察し、こごみの口にするとっさのひと言は優しさに満ちている。こごみの優しさにくるまれるようにして、子どもにもどる五郎。五郎はなんの不安もなく、安心しきって心のうちのすべてを、こごみの前にさらけだす。やがて、五郎は癒され平安のときをむかえる。
五郎 「むかしーー女房のあやまちを見ちゃって」
こごみ「ーー」
五郎 「そのことに以来ずっとこだわって」
こごみ「ーー」
五郎 「何度も何度も手をついてあやまるのを、どうしてもオレ許すことができなくて」
こごみ「ーー」
五郎 「子どもたちまでまきぞえにして」
こごみ「ーー」
演歌。
五郎 「だけど最近ずっと思ってた」
こごみ「ーー」
五郎 「人を許せないなンて傲慢だよな」
こごみ「ーー」
間。
五郎 「おれらにそんなーー権利なンてないよな」
こごみ「ーー」
五郎。
ーー煙草を口にくわえる。
こごみ、マッチをすってやる。
目が合う。
五郎、かすかに笑う。
五郎 「ありがと」
演歌。(1)
こごみは聴く女性(ひと)である。受容する女性(ひと)である。彼岸の住人である。こごみの恋は天衣無縫に天翔る女性の恋である。
こごみに対して、草太の恋はやんちゃ者の恋である。
雪子と出会うや否や、草太の心は一気に燃えあがる。そして、周囲の心配をよそに、まっすぐに雪子のもとへとかけよる。結婚の口約束を交わしているつららの気持ちは痛いほど理解しているものの、自分のすなおな心にはさからえない。理性は感情の前にひれ伏す。いったん走りだした者に自らの心を御する術はない。純といえば、これほどまでに純粋な恋はないだろう。
恋に破れ、家を出たつららが、「トルコ」で働いていることを知り、「オンオン泣き出す」草太。二年と八ヶ月、雪子と合わないことを自らに課した草太。そして、なによりも、雪子にふられたとき、
草太「純」
純 「ーーハイ」
草太「お前らがオラに同情して、雪子おばさんを見送らなかったならそりゃあ筋ちがいだ。お前らはまちがってる」
草太「雪ちゃんはあの人が好きだったンだ。八年間ずうっと好きだったンだ」
純 「ーー」
草太「これはすごいことだ。大したもンだ」
純 「ーー」
草太「オラはそういうーーしつこさに感動する」
純 「ーー」
草太「オラなンか出る幕じゃない。オラの完敗だ」
純 「ーー」
ストーブの火、がバチバチ音をたてだす。
草太「オラは簡単に女の子に惚れる。だがまた簡単に次の子に移る」
純 「ーー」
草太「雪ちゃんはちがった。雪ちゃんはえらい」
純 「ーー」
草太「オラは勉強した」
純 「ーー」
草太「ああいうのが恋だ」
純 「ーー」
草太「オラは雪ちゃんにーー」
戸の開く音。(2)
純、不純を嗅ぎわけるやんちゃ者の嗅覚は鋭い。ひたむきさにおいて、雪子に一蹴された草太は、実に潔く雪子との恋に終止符を打つ。やんちゃ者の恋は、その終わりにおいてもなおすがすがしいのである。そして、疲れをしらないやんちゃ者は、飽くことなく、自ずからなる恋心をひきさげて、新たなる恋へと一直線につっ走るのである。
つららの結婚、幸せな新婚生活を知り感涙にむせぶ草太。婚前にもかかわらず、アイコに子どもができたことを手ばなしで喜ぶ草太。
北村牧場
五郎の車とまり、一升瓶を持って五郎下りる。
「おじさーん!!」
走ってくる草太、物もいわずに五郎の手をとって陰へ。
五郎「な、なンだ」
草太「(嬉しげに舞いあがって)人にいうなおじさん!絶対人にいうな!」
五郎「何だよ」
草太「大成功だおじさん!感動だ!ついに交配に成功した!絶対ムリだっていわれてたのに、ついに種ツケに成功したンだ!」
五郎「バイオの牛か」
草太「ンもオッ。おじさんはッ。牛でないアイコだ!オラとアイコの交配だ!」
五郎「アイコちゃん!!?」
草太「そうだよ!アイコが妊娠したンだ!」
五郎「ニンシンてお前ーーだ、だって結婚式は二月の予定だべ!」
草太「そんなの少しくらい早くたってかまわん!めでたいことは早いほうがいい。あいつもうできンていわれとったンだ。前に何回か中絶しとるから。それができたから喜んじまって、ア、ーーアイコ!!」
ネコ車を押して現れるアイコ。
草太「(とんで行って)ダメだお前働くな?そんなことオラやる?」
アイコ「(嬉し気に)だいじょうぶだって」
草太「いい、いい、オラやる!それより今おじさんに話した。おじさんすごく喜んでる」
アイコ「アリガトウ!」
五郎「ア、イヤ(口の中で)オメデト」(3)
私はこんな草太に感動をおぼえる。時事刻々の自ずからなる感情にすなおにしたがい、それがそのまま“ことば”となり表情となり、全身がその刻々の感情で一色に彩られた、どこをとっても嘘のない体。
草太の恋は、今を生きる自然児の恋である。
令子と雪子の姉妹は、情念に縁どられた「いい女」の恋をする。生命を賭して吉野の立場を守り通した気丈な令子。冷たい仕打ちをも忍び、八年間のいちずな想いを遂げ、井筒のもとへ嫁した雪子。二人の熱情の前に、離婚直後の同棲、婚約の解消等の“文化的悪”の立つ瀬はない。“文化的悪”は悪たりえないのである。
「人間は自己本位であるか否か」
倉本聰は、恋をこの命題の俎上にのせる。恋は盲目、恋は闇。恋心を抱くことは、人間の生理と結びついているだけに、恰好の題材となる。
人は罪を負うことなしに、他人(ひと)を恋することはできないのだろうか。倉本聰の描く恋は、人間であることの哀しさに満ちている。
こごみは彼岸に生きる女性(ひと)であり、自然(じねん)に背中を押されて歩む女性である。ただ無為自然な恋をするだけである。「人間は自己本位であるか否か」ーーこごみはこの種の問いかけに対して、ふりむきもしないほど今を生きている。しかし、一歩引き、やんちゃ者の恋に目を向けたとき、そこにはもう人間であることの哀しみの影がちらつきはじめる。令子、雪子姉妹の恋に目をやれば、その影は如何ともし難く、五郎にいたっては影の正体が形をとって現れる。五郎は妻のたった一度のあやまちを許せなかった。五郎は、「文化という檻」にからめとられた男(ひと)である。このような五郎がこごみと出会ったことのもつ意味は大きかった。人であることの哀しさを受容することを知り、他人(ひと)許すことをを学び、ひいては自分を許すこと、自ずからなるものにしたがい、今を生きることの美しさを感触しはじめた。
『北の国から』では、とかく純と螢の成長ばかりがとりざたされ、五郎の心の軌跡はかき消されがちだが、このテーマのもつ意味は深長であり、素通りするのはあまりにも忍びない。
自ずからなる恋心に生きる恋。自ずからなるが故に、善悪の判断を俟たない恋。まっすぐな恋。不条理と向き合い、人であることの哀しさを受けとめる人々の織りなす恋ーー倉本聰お墨付きの恋ばかりである。
『昨日、悲別で』において、「規格外れ」の恋をする母・春子に対して、息子の竜一は、
イメージ
働く母。
語り「周囲の人たちが何といおうと、あなたが一人で懸命に生き、懸命に働き懸命に恋をする。それはあなたのまさに権利です。
他人がとやかくいう資格なンてありません。
母さんーー。
僕はあなたを許します。
噂をするやつより、されても耐えているあなたを本気ですてきだと思います。
母さんーー」(4)
竜一の口を借りていわしめた、まぎれもなく倉本聰のことばである。
「恋は、さらには人は自己本位であるか否か?」
「悲別の問題児」、春子の愛人であり、「大人物」の異名をもつ末吉は、いみじくも言い放った。
末吉「それは君、しかしねーー答えが出ないンだ」
竜一「ーー」
末吉「古来さまざまな文豪偉人が、その問いにぶつかって敗退している」
竜一「ーー」
末吉「それは答えの出るもンじゃないンだ」
竜一「ーー」
間。(5)
『北の国から ’87 初恋』、『北の国から ’89 帰郷』は、純と螢の恋の季節である。「トキメクゼ」、「ドキドキしていた」のことばに象徴される思春期の恋である。恋する若者たちの胸のときめき、鼓動の高鳴りは醇なるもので、上気した顔、高揚した気分は、どこまでもいちずである。
「ゴンドラの唄」
1915年(大正4年)吉井勇作詞。中山晋平作曲。
いのち短し 恋せよ乙女
あかき唇 あせぬ間に
熱き血潮の 冷えぬ間に
明日の月日は ないものを
いのち短し 恋せよ乙女
いざ手をとりて かの舟に
いざ燃ゆる頬を 君が頬に
ここには誰れも 来ぬものを
いのち短し 恋せよ乙女
波にただよう 舟のよに
君が柔わ手を 我が肩に
ここには人目も 無いものを
いのち短し 恋せよ乙女
黒髪の色 褪せぬ間に
心のほのお 消えぬ間に
今日はふたたび 来ぬものを
哀しくも、思わず応援したくなるような恋である。
青春の香気ただよう恋。倉本聰の描く恋の原点である。
倉本聰は、恋する人々を描く。恋愛ではなく、愛でもなく、恋というひびきこそがふさわしい人たちの織りなす恋である。
「2. 別れ」
「人と人とが別れるっていうこと。それは本当に大変な出来事よ」(6)、「おばさんもこれまでいくつかの別れを、つらい形で経験してきて」ーー。(7)
別れの季節はつらい。そして、それはときに残酷でさえある。
『北の国から』には、いくつも別れの場面が描かれ、そしてそれらは劇的に構成されている。
男女の別れがあり、また故郷との別れがある。東京との別れがあり、東京の先生との訣別がある。廃屋、丸太小屋、分校との別れがあり、「一九九0年」との別れがある。さらには、馬との別れの描写があり、ボクシングとの別れの描出がある。親離れ、子離れといった別れもあれば、また、死別という別離もある。
この節でのテーマは、「別れ」である。
偶然に左右されがちな出会いに対して、別れは必然的に人を訪う。別れの際には濃密な時間が流れ、それぞれが個性的である。別れは互いの人間を如実に語り、相互の関係を雄弁に物語る。出会いに比し、別れが丹念に描かれる理由である。
『北の国から』には、多くの別れの場面が描かれている。
倉本聰は、ドラマ臭さをを払拭するために、「事件そのもの」は書かずに、「事件の始まりと終わりを書くという枷を(自からに)課した」というが、「枷」の真意ははたしてこれだけなのであろうか。私には、ことに流されることなく、人に迫り、人を描くための「枷」であるような気がしてならない。描きすぎることへの弊、ふくみの創出、「終り」にむけての時間の凝縮による演出効果の高まり等々、「枷」の効果は大きい。「始まり」のない「事件」はないが、その過程は、「終わり」の描写しだいで補足可能である。このように考えたとき、倉本聰のこの「枷」は十分に納得がいく。
富良野駅ホーム
発車のベルとアナウンス。
純の顔。
デッキに立った令子。
五郎の顔。
すこし離れている雪子の顔。
令子、純に手を出す。
純ーー手を出す。
握手。
令子「頼んだわよしっかり、螢のこと」
うなずく純。
ーーけん命に涙をおさえている。
雪子。
ベルふいにやみ、ドアが閉まる。
純の顔。
一切の音消えてなくなる。
五郎。
令子。
純。
列車、ーー動きだす。
凍結したように動かない純と五郎。
しだいにスピードを増し、ホームをはなれる列車。
遠くなる。(8)
別れの場面の大部分は、ト書で占められている。ともすれば安っぽくなりがちな場面における倉本聰の勝因は、多用された体言止め、助詞の省略。極力抑えられた感情、抑制のきいた台詞。「マ」、沈黙の中での感情の交感。ト書に託された万感。静寂のとりまき。はりつめた時の流れ。さらには、巧みに仕組まれた場面構成にあると考えられる。
「この人(倉本聰)の脚本の特徴は何といっても理詰めの構成の巧みさにある。構成が完璧だという点では映画の橋本忍氏と双璧だ。私(石堂淑朗)みたいにザルみたいな脚本しか書けぬ人間には驚異である。」(9)
隙のないきめ細やかな構成。幾重にも重なった手のこんだ仕掛け。ものごとへの集中。その有機的なつながり。これらを前にして、我々の感情は、倉本聰の手中に完全に掌握されてしまうのである。
別れの場面は、『北の国から』の高みをなすものである。
本編(『北の国から 前編』、『北の国から 後編』)におけるそれらは一話一話の結び、もしくは小段落の終わりに配され、令子の死とその後をもって幕が閉じられている。また、一話完結のスペシャル版(『北の国から ’83 冬』、『北の国から ’84 夏』、『北の国から ’87 初恋』、『北の国から ’89 帰郷』)でのそれらには、各作品の結末部にその座が用意されている。そして、各所に散りばめられた決して少なくない出来事は、別れの場面を足がかりにして、終局にむかって(別れの場面が、作品のエピローグとなっている場合にはそれにむかって)一気呵成にまとまりをつける。その躍動感にあふれた運びと、哀調を帯びた空間、息つく暇をあたえないスピード感と静まりかえった時間との対照。さらには、ひとつひとつの点を一本の線で結び、ダイナミックにたぐりよせ、一気にまとめあげる倉本聰の手さばきはみごとである。
また、別れは常に思いの外である。
子ども恋しさに突然来富した令子。娘のパジャマを「しっかり」胸に抱く母。パジャマのにおいから敏感に母を感じるとる螢ーーパジャマのにおいを通しての確かな親娘の交感ーー退化した五感の最たるものである嗅覚に目をつけ、においにすべてを託した倉本聰の手柄である。パジャマのにおいにさえ母を感じざるをえなかった螢の母乞いは、読む者を圧倒する。
また、今生のお別れといわんばかりに令子の乗る汽車を追い「延々と」「川っぷち」を、涙を流れるままに走る懸命な螢。帰宅後の嗚咽。眠る螢の顔にかかるラベンダーの花束、「目じりから頰をぬらしている涙のあと」。
さらには、『北の国から ’87 初恋』における、純が納屋の外に見た「もういちど立ちどまってふり返ったらしい」れいの足跡ーー倉本聰は、れいの純との別れを雪原をカンバスにみごとに描いた。雪上にきざまれた足跡はことばを俟たない。ことばは一蹴され、雲散し霧消する。ことばの介在を許さない力がこの足跡にはある。
そして、父と螢とつらい別れをした純は、トラックの車中で、「荒っぽい顔をした」「無愛想」な運転手に、
走る車内
純。
そのイヤホンが突然抜かれる。
純 「ハ?」
運転手を見る。
純 「すみません、きこえませんでした」
運転手、フロントグラスの前に置かれた封筒をあごで指す。
純 「ハ?」
運転手「しまっとけ」
純 「ーー何ですか」
運転手「金だ。いらんっていうのにおやじが置いてった。しまっとけ」
純 「あ、いやそれは」
運転手「いいから、お前が記念にとっとけ」
純 「いえ、アノ」
運転手「抜いてみな。ピン札に泥がついている。お前のおやじの手についてた泥だろう」
純。
運転手「オレは受取れん。お前の宝にしろ。貴重なピン札だ。一生とっとけ」
純。
ーー。
恐る恐る封筒をとり、中からソッと札を抜き出す。
二枚のピン札。
ま新しい泥がついている。
純の顔。
音楽ーーテーマ曲、静かに入る。B・G。
純の目からドッと涙が吹き出す。
音楽ーー
エンドマーク(10)
エピソードの豊富さとその意外性による悲しさ、哀しみの増幅。倉本聰の意表をつく展開でのだめ押しは、数々の別れの場面を我々の脳裏に焼きつけて離れない場面に仕立てている。登場人物を自在に操る倉本聰の手腕にはうならされるばかりである。
『北の国から』には、三人の死の描写がある。杵次の死、令子の死、そして大里の妻の死の描写である。(大里の妻は、大里の身代わりに死んだ、とのとらえ方を私はしている。)
三人には共通項がある。
杵次は、ヘナマズルイ(“ズルイ”の最上級。ちなみに“ズルイ”の比較級は“ナマズルイ”である)ことで有名であった。令子は“あやまち”を犯すことで、離婚の原因をつくり、大里は「きらわれ者」を地でいっていた。
これらの三人を、倉本聰は死に追いやったのである。
倉本聰は「悪人」書けない、という。
「悪人のつもりで最初は書くのですけどね。つまり悪役というのはつくるんですけど、悪人の一分の理というやつを少ししつこく書きすぎちゃうのですね。つまり悪人の言い分も聞いてやろうというところが多すぎちゃうのですね。」(11)
「『それがボクの欠点なんですねェ。悪者を書こうと思うけど、書いていると、その人を弁護する部分がどんどん増えてきて…。』(中略)『どうもボクは感情移入しやすいタイプでして…』」(12)
倉本聰は三人を死に追いやることによって、三人を救ったのである。三人の優しさを描き、人間であることの哀しさを書くことによって、三人を「弁護」しながら救ったのである。
「いろいろ許せんこともあったンだろうけど、ーー令子も、もう、きれいになっちゃったンだしね」(倉本、前掲『北の国から 後編』二九一頁)
死によって此岸でのすべてが許され、「きれい」になってしまうのである。此岸が彼岸までもちこまれることはない。死によってすべてが清算されるのである。
倉本聰の死生観の顕われである。
「倉本さんは人間についても冷たく対立する関係を描きませんね。憎悪で傷つけ合うのではなく、憎しみを悲しみに変えていって対立感情を調和させてしまいます。」(13)
全く同感である。人は哀しみの囚われの身である。“北の国”の住民、さらには倉本聰の作品に登場する人物たちは、人間であることの哀しみをしかとみつめ、お互いがその哀しみの部分において共感し合う、まさにそうい人々なのである。
作中での対人関係は、また読者と作中人物との関係でもある。登場人物とふれあったとき我々の感じるものは、同情や憐憫の情ではなく、同じ人間に由来する当人と同種の悲しさである。同じ地平に立っている同じ人間であることに由来するどしようもない哀しみである。
許すとか許さないとか、認めるだの、認めないだのを超えたところでの哀しさへの共感ーー倉本聰は「規格外れ」の人々を哀しみでくるむことによって、彼らを私たちと同じ土俵の上で七転八倒させるのである。
“北の国”には、いい別れがあった。
いい別れ方のできる人々がいた。
倉本聰は別れを神聖な儀式にまで高めた。
“北の国”とは、神聖なことを神聖に行うことのできるすてきな人々の息づく地である。
雲
さまざまな雲の姿。
その雲をバックにこのドラマに関係したすべての人びとの名がアイウエオ順でゆっくりと流れるーー。
エンドマーク(14)
「あの番組の初めや終りにスタッフキャストの名前を出すあれ。(15) ーー本編の最終回での倉本聰のクレジットタイトルへの注文である。
「しかしねアンチャン(倉本聰)イヤ先生、実際問題プロデューサーにとってタイトル程頭の痛いものはないわけでして」、「まずその順番。どの役者をトップに持って来て誰をラストに持ってくるか、これを決めるのが一大事業。出演交渉をマネージャーとするとき、ギャラとタイトルでまず大もめになる」(16)
「『前略おふくろ様』パートIIのラストに、主題歌にのせてパートIパートII、番組に関係した全ての人間を、スタッフもキャストも全部ひっくるめてアイウエオ順に流した」(17)、「それを見ながら僕はその時、これこそタイトルだ、本当のタイトルだ!何かその『前略』に関った二年の、あらゆる苦労やいやな想い出が体中から溶けて流れ出、そうして只闘ってきた戦友たちとの連帯のみがふつふつと蘇り、目頭を熱くしたものなのであります。」(18)
番組に関係したすべての人々への平等の感謝、また作品との惜別。いかにも倉本聰らしいお別れの仕方だと思う。
雲に託された詩情と静かに流れるタイトルクレジット。その中で「戦友たち」に取り巻かれた「倉本聰」の小さな文字を見つけたときの感動は今も鮮やかである。
小さな文字は、ひときわ輝いていた。ひときわやさしかった。
これこそ、倉本聰の「別れ」の真価なのである。
「3. 故郷(ふるさと)」
「血につながるふるさと / 心につながるふるさと / 言葉につながるふるさと」(19)
「幼な馴染ってありがたいね」、「故郷って結局ーー。それなンだろうね」、「中島みゆきの“異国”って歌知ってる?」、「何ともたまンない歌なンだよね」、「忘れたふりをよそおいながらも、靴をぬぐ場所があけてあるふるさとーーってさ」(20)
悲喜こもごものつまった年月のあるふるさと。風景を前にたたずみそれが絵になるふるさと。
“北の国”とは、思い出のもち方のすばらしい人々が住むくにである。他人(ひと)をなつかしむがゆえに、他人(ひと)からなつかしがられる人々の息づくくにである。古きよき時代の情感にくるまれたふるさとの代表。郷愁をかきたてられずにはおかない日本人の心の故郷(ふるさと)。
かつて五郎は、こっそりくにを抜け出した。故郷を捨て一人東京へと急いだ。東京には何かあるにちがいない。東京に行けばなんとかなるにちがいない。東京に行けば…。東京には…。そんな五郎が「異国」でみた夢は、捨てたはずの「麓郷」のことばかりであった。「麓郷に帰ってみんなと暮らすこと」、それだけが五郎の心の「ハリ」だった。五郎にとっては重すぎた東京。妻の情事。虚ろな心をかかえての帰郷。しかし、五郎を迎えた人々のまなざしはあたたかかった。五郎は昔とかわらぬ視線に感じ入った。
外からくにを感じた五郎の故郷によせる思いは熱い。自らの傷のもち方が他人(ひと)に対する優しさとなる。
連帯保証人になったばかりにばかをみせられた、みどりに対してさえそうであった。
「(笑う)何いってンだバカ。くにじゃあないか」、「みどりちゃん」、「冗談いうなよ」、「おたがいこんな小っちゃいころからずっと一緒にやってきたンじゃないか」、「土地がなくなろうと何しようと、大事なもンは消えるもンじゃないぜ」、「中ちゃんがみどりちゃんを怒鳴ったンだってーー活(かつ)入れるつもりでやったンだと思うぜ」、「当り前じゃないかそのくらいわかれよ」、「だいいちオレが怒ってないンだ」、「帰れないなンて、そんなこというなよ」、「くにはもうないなンてーー淋しいこというなよ」、「くにはここだよ。ーーいつだってあるよ」。(21)
「いつだかみどりちゃんいったことある。中島みゆきの歌のこと覚えてるか」、「オレ東京で偶然聴いてさ」、「“忘れたふりをよそおいながらも、靴を脱ぐ場所があけてあるふるさと”」「ーー泣いちゃったよオレ」、「忘れちまったか」、「え?そうなンだぜ」、「金のことなンてもう忘れろよ」、「帰れないなンてそんな、バカなこというなよ」。(22)
また、高校進学のために上京する純に向かって、
「純」、「疲れたらいつでも帰ってこい」、「息がつまったらいつでも帰ってこい」、「くにへ帰ることは恥ずかしいことじゃない」、「お前が帰る部屋はずっとあけとく」、「布団もいつも使えるようにしとく」、「風力発電もーー。 / ちゃんとしておく」、「おれたちのことは、心配しないでいい」、「中富の定期便が東京まで行くから、それに乗れるようにたのんどいてやる」、「卒業式が終ったらすぐ行け」、「(笑う)雪子おばさん、愉しみに待ってる」。(23)
ある視座に立ってみたとき、『北の国から』は、純と螢のふるさとさがしの物語であり、くに創生の物語であるといえる。
原風景を有する五郎の目に映った東京は、あまりにも荒れた地だった。子どもたちのふるさとと呼ぶにはあまりにも乾き、底冷えのする地だった。五郎は、子どもたちにくにをもたせてやりたかったのである。できることならば、自分と同じ地をふるさととしてあたためてもらいたかった。
「いずれ、あいつらがおとなになったらーーイヤーー二年でもいい、一年でもいいーー時期がきたらあいつらにーー自分の道は自分でえらばせたい。ただーー」、「その前にオレは、あいつらにきちんとーーこういう暮らし方も体験させたい」、「東京とちがうここの暮らしをだ」、「それはーー」、「ためになるとオレは思ってる」。(24)
くには創ってやれないにしても、せめて自分を育んでくれた空気に浸らせてやりたかったのである。優しく吹く風にあたらせてやりたかったのである。
ここが私のふるさと、父を思うあまり、螢は移住当初から自分に無理強いしたが、純は違った。いつまでも東京を引きずっていた。純が東京と縁を切るためには、相応な時間をまつ必要があった。純が富良野へとなびいたのは、母を見舞いにいった際の東京での体験であった。そして、母を野辺に送ったとき、純は(螢も同様に)きっぱりと東京と訣別したのであった。以降、純にとって東京は、「異国」になりさがったのである。
純の高校進学のための上京は、旅装を整えての出立にすぎなかった。東京で生まれ、幼少期を過ごした東京。頭に描いたとおりの血沸き、胸おどる東京ではあったものの、決して旅装を解くところではなかったのである。うそら寒い風の吹く、荒涼とした地でしかなかった。
時がひとり歩きする東京。
時が暮らしをせかす東京。
時がいたずらにかたわらを駈けぬけてゆく東京。
時が自然な感情の発露を断つ東京。
時間ばかりが気になる東京。
時に振りまわされ、時にひきずりまわされる「異国」の時の流れの中で、純は右往左往するばかりだった。絶えず緊張を強いられる生活のなかで、純が消耗していくのは当然のことであった。
「父さんーー!ぼく今富良野に帰りたい!こっち(東京)に来て初めてそう思っています。父さん逢いたい。螢に逢いたい。草太兄ちゃんや、中畑のおじさんや、ーーそれから山とか、雪とかをみたい!あの雪の中で、ーーゆっくり眠りたい」。(25)
帰郷した純は、「死んだように」眠った。母親の抱きとられた子どものように、一抹の不安もなく、眠りほうけた。
「信じられない眠さだった。こんな深い眠りって何年ぶりだ」。(26)
やはり東京には空はなかったのである。なんの気がねもなく暮らせ、自分が自分でいられる地は、富良野をおいて他にはなかったのである。
五郎の何気ない心配り、何気ない仕草のうちに温かさをみる純。この図式は、帰省した子どもと親との関係にみられる典型である。にも関わらず、我々の心は動く。当たり前のことが当たり前のようになされることがうれしい。それは我々の心の渇きに由来するものなのかもしれない。癒されたいという欲求のあらわれなのかもしれない。
故郷に想いをはせたとき、一人の老人のことが気になる。少々呆けてくにに帰ってきた松吉のことである。
「(ちょっと笑う)知らないかみどりちゃん、沢田の松吉さん」、「帰ってきてるンだ。その話きいてない?」、「だいぶ呆けちゃってトンチンカンなンだけどさ、でもーー本当にうれしそうなンだ」、「悪いことは全部忘れちゃってね」、「自分が女房子捨てて逃げたことも。土地も財産も何もないことも。それでーー何ちゅうかーーいい顔してンだ、ああ」、「そうなンだ。何ともーー、いい顔になってンだ」、「あれはなンかな。あのいい顔は」、「くにに帰ってーーしあわせなンだな」、「いつか帰ろうとずっと思ってたンだな」。(27)
『北の国から ’83 冬』において笠智衆演ずる松吉は、実に「いい顔」をしている。すっきりした顔をしている。
「人は死に臨み、それまで身につけた余分なものを捨てさるがゆえに、老いて呆ける。呆けは死への準備である。生きるなかで余計なものをためこんだ人ほど呆けやすい」との話を聴いたことがある。
人が捨てきれない大切なものとはなんなのであろうか。余計なものを捨てさった後に、なお残る確かなものといったいなんなのであろうか。
捨て去り、捨て去りした挙げ句、少々呆けてくにへ帰ってきた松吉。稚魚の時代を過ごすうちに染まった懐かしい匂いを求めて、川を遡るサケのように、帰巣本能のままに帰郷した松吉。ふるさとは当人にとって彼岸に近いものなのかもしれない。故郷への郷愁は、彼岸への郷愁、松吉の帰郷は、死地を求めての帰郷なのかもしれない。
倉本聰は、アイヌ民族の思想に少なからぬ関心をよせている。
「父親が老化して、その言葉がわかりにくくなったとき、知能検査の言語能力のスケールに照らし合わせて測定する科学の知に対して、父親もそろそろ神の国の世界に行くことになって、われわれの理解し難い神の言葉で話すようになったという神話の知に頼る方が、はるかに自分と父親とのかかわりを濃くしてくれるのではないだろうか。事実、アイヌではまだまだ老人が尊重されているのだが、そこでは老人のわけの解らぬもの言いを『神用語』という。『あの世への旅立ちの準備で、神に近くなってきたからそうなると考えるのである。』(28)」。(29)
「科学の知は、自分以外のものを対象化してみることによって成立しているので、それによって他を見るとき、自と他とのつながりは失われ勝ちとなる。自分を世界のなかに位置づけ、世界と自分とのかかわりのなかで、ものを見るためには、われわれは神話の知を必要とする。ギリシャ人たちは太陽がまるい、高熱の物体であることを知っていた。にもかかわらず、太陽を四輪馬車に乗った英雄像として語るのは、人と太陽とのかかわり、それを基とする宇宙観を語るときに、そのようなイメージに頼ることがもっとも適切であるから、そうするのである。」(30)
以上は、臨床心理学者の河合隼雄の言である。
倉本聰がこのアイヌ神話を知っていたかどうかは定かではないが、このアイヌ神話と、「私の思う倉本聰の考え方」の間には似かよった点が認められる。松吉の言葉を「神用語」としてとらえたとき、松吉の「ほとけ様みたいな顔」、「人間のでかさ」、慈悲にも似た他人への思いやり等々が、私の中で落ち着きをみせる。
『北の国から ’83 冬』の最後の場面において、倉本聰は松吉を幻想の世界に遊ばせる。幻想については次章で詳述するつもりであるが、倉本聰における“幻想の世界”とは、“聖なる地”なのである。つまり、倉本聰は神にも似た松吉を作品の最後で、彼此の渾然とした聖なる地に導くことによって、松吉を救ったのである。それが倉本聰の松吉に対するせめてもの優しさであって、思いやりだったのである。こんなところにも、「悪人が書けない」という倉本聰の、人を粗末にあつかえないという倉本聰の、本領が顔をのぞかせている。
杵次もまた郷愁とともに死んでいった老人である。
杵次は、くにに背を向けて住んでいる老人である。杵次はヘナマズルク生きることによって自己を防衛し、自らの内なる古きよき時代にしがみついて生きている。杵次のヘナマズルさは、故郷を想うがゆえのヘナマズルさである。杵次は時折、五郎親子に対してだけは、昔ながらの「仏の杵さん」の素顔をみせた。それは、五郎親子に、またその暮らしぶりに、古きよき時代をみたからである。杵次とって、五郎親子は今と昔とをつなぐ媒介者だったのである。
馬を手離したその晩。不慮の死をとげた杵次。杵次は馬にまつわる思い出、またそれと重なるふるさとへの思いを抱きつつ黄泉の世界へと旅立ったのである。
松吉の死といい、また杵次の死といい、ふるさとに殉じたといえばいいすぎであろうか。
“北の国”とは開拓者によって拓かれた地であり、農産、林産によって生計を立てている地である。過疎の喘ぐくにであり、廃屋が点在するくにである。現代が暗く影をおとすくにである。
夢を追い、希望をひっさげて、なにかにとり憑かれたかのように、こぞって都会をめざす若者たちの群れ。草太との恋に破れくにを後にしたつらら。大里父子の夜逃げ。廃校に追いやられた分校。ダムの底に沈む村。深刻な嫁不足。生産調整。出稼ぎ問題。
倉本聰の描くふるさとは、けっしてユートピアではない。現代を内包したくになのである。
「わしらは都会の娘さんを見ると疑ってかかる習慣がしみついとる」、「これァ習慣だ。長い間の」。(31)
「見送りにはなれてるよ」、「なんどもここでーー見送ったからな」(32)
重くこたえる清吉のひと言である。
「(叫ぶ)ガタガタいうなよ、何したっていいべさ!!」、「いてやってんだ!!オラはこの土地に!!」(33)
我々の耳にも痛く響く草太のひと言である。
「血につながるふるさと / 心につながるふるさと / 言葉につながるふるさと」
しかし、ふるさとは不動の位置から微動だにしない。ふるさとはいまだに孤高の位置を保つ。
日本的情緒あふれるふるさとの原型に、時をこえてかわらないふるさとに原型に、“北の国”でみた実情をふまえ、倉本聰は今様のふるさとを創生したのである。
「4. 告白」
「セリフが生き生きしていて、一対一のやりとりの場面なんかすごくうまい。(中略)追いつめられた一人の人間が、極限状況で本心を吐露する場面なんてのは、彼(倉本聰)の独壇場みたいなところがある。」(34)
『北の国から』には、幾つもの告白の場面がある。いずれも感動的な場面である。その素地をなしているのは、深い愛情で結ばれた人と人との絆である。また、そこには人をみつめる確かな目が息づいている。
五郎親子の間で交わされる告白は、その典型である。
告白の場面での私の関心は、いつもきまって聴き手のあり様にある。
あたたかな人柄が醸しだす自由な場、ささいなことにも耳を傾ける真摯な態度。相手の心のままを黙って受け容れる包容力。
人はこのような聴き手を前にしたとき、はじめてすなおな気持ちになる。心を許す気になる。他人(ひと)に心の内を話すことは、自らの心の内をのぞき自省することにつながる。
「はじめに聴き手ありき」である。
私のなかで主役の座を占めるのは、きまって聴き手の存在である。
聴き手は話し手の心の痛みを聴く。共感的な態度でただ聴く。聴き手は話し手の内なる叫びを聴く。我が身にひきよせてただ聴く。聴き手は話し手の心のうずきを聴く。受容しつつただ聴く。大切なことは、話し手の今、ここでの気持ちであり、過去や未来のそれではない。
安っぽいことばは、けっして口にしない。自分の内なることばだけが力をもつ。一般論をふりかざしたお説教はしない。一般論はあくまで一般のものであり、個のものではない。力をもって相手をねじ伏せること、知をもって相手を制することはしない。事実に目を向けて、相手にそっと寄り添う。善悪の判断は下さない。いや、下せないのである。
聴き手は「する存在」ではなく、ただ「ある存在」なのである。
『北の国から ’89 帰郷』には、好対照をなす二つの場面の描写がある。「傷害事件」を起こした純に「対する井関」と、純と「向き合う五郎」のそれぞれを描いた場面である。井関、五郎のそれぞれを描いた場面である。井関、五郎、両者のとる態度の差異は、その結果において決定的な相違となる。
警察・表(深夜)
井関と雪子にともなわれ、うなだれた純が出てくる。
井関家・居間
純。井関、雪子。
煙草にゆっくり火をつける井関。
間。
井関「(ポツリ)相手が命に別状なくてよかった。一歩まちがってたら殺人犯だ今頃。わかるか?」
純 「ーー」
間。
井関「純」
純 「ーー」
井関「おれは今まで黙って見ていた。大人としてお前を扱いたかったからな。だけどーー」
純 「ーー」
井関「いつからお前は不良になったンだ」
純。
雪子。
井関「深夜出歩いてバイク乗りまわして、まじめな人間のやることじゃない」
純。
井関「まして人様を傷つけるなンて」
純 「ーー」
間。
井関「その赤い髪を鏡で見てみろ。その髪で富良野にお前帰れるのか」
純 「ーー」
井関「その髪見たらおやじさんどう思う」
純 「ーー」
井関「何も知らずにお前に期待して、一人でがんばってるおやじさんどう思う」
純 「ーー」
井関「そういうことを考えないのか」
純 「ーー」
純。
純「(かすれて)けんかの原因は、ーーきかないンですか」
雪子「純」
純 「けんかの原因はきいてくれないの」
井関「原因とか何とかそういう問題かね」
純 「ーー」
井関「今度のけんかの原因は何だとか、そんな次元の問題じゃないだろう」
純 「ーー」
井関「お前がいつからこうなったのか。どうして不良になっちまったのか」
純 「(低く)おれは不良じゃない!」
雪子。
井関。
井関「自分で思っても世間から見れば」
純 「人を傷つけたのはたしかに悪いけどーーほかには何も悪いことしてない」
間。
井関「断言するのか」
純 「おれは不良じゃない」
純の目からホロッと涙がこぼれる。
雪子。
井関。
純、スッと立ち玄関へ。
雪子「(立つ)純!」
同・表
雪子とび出す。
走り、向こうの石の電柱に、ガンガンこぶしを叩きつけている純。
走り寄る雪子。
雪子「純、わかったから!」
ボロボロ泣きながら、全身の力でこぶしを石柱に叩きつける純。
純 「(小さく)おれは不良じゃない。ーーおれは不良じゃない」
こぶしが切れて血が飛び散っている。
雪子「わかったから、やめて。おばさんわかったから」
純 「おれは不良じゃないーーおれは不良じゃないーー」
音楽ーー静かにイン。(35)
反感は反感をかい、反発は反発を招く。声高に子どもの頭を押さえつけることによる最善の結果は、後になにも残さないことでしかありえないのである。「人を傷つけた」ことに対する自省という根幹は棚に上げられ、切実な自分自身の問題として認識されることはない。二人の間には埋めるべくもない溝が生じ、ことばによって受けた傷のみが一人歩きをはじめる。
それに対し、五郎は。
風呂
中で、入っている五郎の水音。
焚き口お純。
五郎「(中から)螢どうした。」
純 「二階に行ったみたい」
五郎「うん」
間。
純 「ぬるくない?」
五郎「いい湯だアー!」
長い間。
純。
純 「父さん」
五郎「あ?」
純。
純 「ぼく早くいおうと思ってたンだけどーー東京でちょっと、事件起こしたンだ」
間。
五郎「どんな」
間。
純 「けんかして人に、けがさしたンだ」
間。
純 「たいしたことなくて済んだみたいだけど」
間。
五郎「どうしてけんかしたンだ」
純。
ーー右手のこぶしをゆっくり開閉する。
純 「大事なものをそいつにとられたから」
五郎「ーーそうか」
純。
間。
五郎「それは、他人をけがさすくらい、お前にとって大事なものだったのか」
純 「ああーー(涙がつきあげる)」
五郎「それなら仕方ないじゃないか」
純 「ーー」
五郎「男にはだれだって、何といわれたって、戦わなきゃならん時がある」
純 「ーーああ」
純の頬を涙がボロボロ流れる。
純、懸命にその涙に耐えて、
純 「父さん」
五郎「ーーああ」
純 「それにボクまだこれもいってないけど、東京で三べんも職をかえたンだ」
五郎「ーー」
純 「永つづきしなくてーー三べんもかえた」
間。
五郎「オレは昔六ぺんーーいや、七へんかわった」
純 「ーー」
五郎「東京にいる間に七へんかわった」
純 「ーー」
五郎「これは家系だ。気にするな」
純 「ーーああ」
間。
五郎「学校は行ってるのか」
純 「学校はちゃんと行ってる」
五郎「ならいいじゃないか」
純 「ーー」
純。
間。(36)
この場面は、入浴中の五郎と風呂の焚きつけををする純という構図のもとに設定されて
おり、二人の間には物理的な壁がある。二人を隔てるこの壁は、二人の“伝え合い”の手段を“ことば”だけに限定する。
他の告白の場面と比較したとき、聴き手(五郎)のことば数が多いのはそのためであろう。しかし、基本的には他の告白の場面と軌を一にしている。
まっ先にけんかの原因をたずねる五郎。問いただすこと、追いつめることをしない五郎。「対する井関」に対して、「向き合う五郎」。五郎には純を信じて一任しておく度量がある。自ら告白する気になった純を受けとめるだけの胆力がある。
是非を問うことは、自らの良心において行われたとき、はじめて意味をもつ。開かれた場こそがそれを可能にする。
東京でのあれもこれもをひと抱えにして帰郷した純にとって、故郷とは、また家庭とはまさにその場であった。あたたかな陽だまりのなかに身をおいた純は、去来するさまざまなことを思っただろう。それは自らをみつめるときであり、自己を問う時間であったことだろう。それが五郎への告白という形で結実したのである。
告白後の純の様子を示す記述はないが、父親に受容されたことは、“自省の場”への呼び水となったことだろう。ここに「わかる人」のいることの意義があり、人の不思議さがる。
「“わかる”ということを一層正確に言い表わすには、それは“知ること”と“感じる”という客観的な経験と主観的な経験に分けることが出来るだろうが、その二つを同時に一つの単語で表わすために、ここでは“わかる”という語を使用することにしたいのだ。」(37)
西江雅之いうところの“わかる”である。
“わかる”ことのおよそは“感じる”ことにあると思う。ことに日本人間での“伝え合い”における“わかる”ことの深浅は、“感じる”程度の如何によって左右される。
一を知り十を感じる豊かな感性をもちあわせた人々。人情の機微に触れながら日々を暮らす人たち。倉本聰は、感じること、察することに長けた人物を作品の中心に据える。
それは『北の国から』とて例外ではない。
主だった登場人物たちは、“気配り”をする人々ではなく、“心配り”をする人たちである。“気づかい”をする人々ではなく、“心づかい”をする人たちである。“気をつかう”人々ではなく、“心をつかう”人たちである。そして、感じ、察することによって相手のことを理解した人々は、事情の大きさに目をみはり、沈黙するのである。わかった人たちは、けっしてわかったようなことは口にしない。ことばを失くすほどのわかり方でなければ、わかったことにはならない、といわんばかりのわかり方である。
頭で理解するのではなく、腹の底からわかること。倉本聰のわかり方である。
二階
きき耳たてている純と螢。
居間
五郎「まァ茶でも飲めよ。酒は出さんぜ」
杵次「五郎」
五郎「ああ」
杵次「あの野郎、感づきやがった」
五郎「ーーあの野郎って」
杵次「馬よ」
五郎「ーー」
杵次「今朝早く業者がつれにくるってンで、ゆんべ御馳走食わしてやったンだ。そしたらあの野郎ーー。察したらしい」
五郎。
杵次「今朝トラックが来て、馬小屋から引き出したら、ーー入口で急に動かなくなって、ーーおれの肩に、首をこう、ーー幾度も幾度もこすりつけやがった」
五郎「ーー」
杵次「見たらな」
五郎「ーー」
杵次「涙を流してやがんのよ」
五郎「ーー」
杵次「こんな大つぶのーー。こんな涙をな」
二階(インサート)
純と螢。
居間
杵次。
杵次「十八年間オラといっしょに、ーーそれこそ苦労さして用がなくなってーー」
五郎「ーー」
杵次「オラにいわせりゃ女房みたいなあいつを」
五郎「ーー」
間。
杵次「それからふいにあの野郎自分からポコポコ歩いてふみ板踏んでーートラックの荷台にあがってったもンだ」
五郎「ーー」
間。
杵次。
杵次「あいつだけがオラと、ーー苦労をともにした」
五郎「ーー」
間。
杵次「あいつがオラに何いいたかったか」
五郎「ーー」
間。
杵次「信じてたオラにーー。何いいたかったか」
とつぜん杵次の目に涙が吹き出す。
五郎。
音楽ーーテーマ曲、静かにイン。B・G。
杵次。
とつぜん立ちあがる。一升びん下げて外へ出る。
五郎「とっつあん」(38)
杵次とその馬は、深いところで響きあっていた。
馬のものわかりのよさもすばらしければ、杵次のわかり方もすばらしい。杵次の話にじっと耳を傾ける五郎もすばらしければ、「目に涙をためて」聴きいる純や螢の感じ方もすばらしい。幾重にも重なりあったわかりあいの世界。しなやかな心をもった者たちによって織りなされた美しい関係。自他の区別さえあいまいな一つに溶けあった世界。
わかることとは是でもなければ非でもない。是非を超えた世界で分かちあうこと。お互いがお互いの哀しみをみすえ、それをまっすぐに受けとめあうこと。認めあうこと。畏れを抱くこと。
私のいう、人間を見つめる確かな目とは、この一点に収束されていくものなのである。
「5. 男であること」
倉本聰は“その筋の方々”が好きである。
「世の中には色んな人がいる。色んな人がいるがやっぱりどこかでみんな共通した人間である訳で。
父親参観日に出かけるやくざ。リポビタンD のオンザロックを飲む組長。そういうはんぱな人間たちの意外な人間味をふと見せられるとどうしてもいけません。僕の血は騒ぐ。つい感動し好きになりたくなる。
しかしやっぱり、やくざはやくざ、好きになってはいけない人でありーー。」(39)
「やくざ」を生業(なりわい)となさっている方々は、「男であること」へのこだわり、見栄が人一倍強い方たちである。が、悲しいかな、「やっぱりどこかでみんな共通した人間であるわけで」、ふとした折に、ふとしたことで、「意外な人間味」を露呈してしまうのである。やくざな方々とは、男の哀しさを一身にうけたような方たちである。
石橋 倉本さんはどちらかというと、男を書く作家ですね。
杉田 そうですね。レイモンド・チャンドラーに「強くなければ男じゃない。優しくなければ、生きていく資格がない」という言葉がありますが、男に対する憧憬みたいなものが強い。
石橋 男は強くて優しくなければならない。そして、女に対してそうでなければならない。見栄なんだな。そういう少年のような見栄が倉本さんの脚本のすみずみまで、漲っているものね。決してヒーローじゃないが、強くて、優しさを求めて懸命に努力している人間を、最終的には描いていると思いますが。(40)
確かに倉本聰は「男を書く作家」である。競争社会で生きる男たちではなく、絶えず共存の道をさぐっている男たちを書く。
「男には大きく分けて『二つの生き方』があるのかもしれない。たえず人を意識し、ライバルに打ち勝とうとする生き方であり、上昇志向の強いタイプである。そして、もう一つの生き方が、他人よりは自分に厳格に対峙し、自分自身の生きる姿勢を常に問い詰めるタイプである。倉本さんのそれは、後者ではないだろうか。」(41)
「つまり大局を考えすぎる日本人というものがいて、インテリというものがいて、大局に対して小局しか考えない姿勢の人間たちがいるときに、どっちがいい悪いっていうよりも、どっちが好きかっていわれると、ぼく(倉本聰)は小局のほうが好きなわけです。」(42)
倉本聰は、明らかに後者のタイプの男を好んで描く。
五郎「雪ちゃん」
雪子「ーー」
五郎「同情ってやつは」
雪子「同情じゃないわ」
五郎「同情ってやつは男にはーーつらいんだよ」
雪子「ーー」
間。
五郎「つらいんだよそういうのは、ーー男の場合」
雪子「ーー」
間。(43)
五郎は、ことあるごとに“男であること”に気づかいする。
あるときは五郎は男であり、男でありうる。が、あるときには五郎の男は空回りし、男であろうとするがゆえに、大きな哀しみを抱えこんでしまう。それは、人間であることに由来する哀しみというよりも、むしろ男であろうとすることに端を発する男の哀しみである。
離婚の原因とてそうであった。
また、『北の国から ’87 初恋』における純との確執とてそうである。
純は父(五郎)を思うがゆえに、中学校卒業の進路について、五郎にだけは言い出せないでいた。周りの者には相談をもちかけることができても、父にだけはどうしても相談できずにいた。そんな純の気持ちを察しつつも、五郎は、
「お前にききたいことがある」、「ーー東京に行くのか」、「行くンだろ来春中学をでたら」、「行きたければ行けばいい。反対なンかしない」、「ただーー」、「オレはーー」、「ーー」、「オレは心のせまい男だから、お前のやり方にひっかかってる」、「どうしてオレに何の相談せず、ほかのみんなには相談するンだ」、「なぜ父さんにだけ相談がない」、「オレはそんなに頼りにならんか」。(44)
「困る?ーーどうして」、「どうしてオレが困る」、「それは金のことをいっているのか」、「はっきりしよう。父さんはそんなに頼りないのか」。(45)
「何?」、「(つかむ)何が情けない」、「オレがどうしてなさけない!」、「ちょっと待て」(46)
五郎の頭には、いったん走り出した男をコントロールする術はない。つい五郎は男を通してしまうのである。執拗なまでに男にしがみついてしまうのである。男であることに片肘を張ってしまうのである。そして、必ずや、このような「つまらぬ激情」の後には他人(ひと)を傷つけたことによって、自らもが傷つき、自己嫌悪にかられることになる。ひどく落ち込むことになるのである。
男であることへのその痛ましいまでのとらわれ、ーーこれは五郎にかぎらず、倉本聰の手になる男たちが、倉本聰によって吹きこまれた宿業とでもいうべきものなのである。
「男にはだれだって、何といわれたって、戦わなきゃならん時がある」
雪子の帰りを毎日「ボソッ」と待つ草太と、中川との「盛大なる」なぐり合い。
祖父(杵次)の悪口を言いふらされたと信じて疑わない正吉と純との「勝負」。
父(五郎)を「ぶじょくされた」とき、正吉の「アソコ」をつぶれよとばかりに握る純。
五郎と雪子の仲を云々する男に「けもののようにつかみかかりはりとばす」草太。
つららとの一件で草太を「いきなり思いっきりひっぱたく」辰巳。
泥のついたピン札を盗ったアカマンの「胸ぐら」をつかみ締めあげる純。
バールを手にした純の水谷への「猛然」たる「突進」。
男たちは男を傷つけられたとき、男らしくない行為を目の当たりにしたとき、単純にして明快、実に歯切れのよい解決策をとるのである。
が、その反面、男たちは弱い者に対しては、とてつもない優しさを発揮する。
つらい立場にたたされた凉子先生をかばう男たち。杵次の遺体に自分のジャンパーをそっとかけてやる和夫。雪子のやり切れない気持ちをまるごとを受けとめてやる五郎。五郎のみどりへのいたわり心くばり等々ーー男たちはみごとなまでにさり気なく、すんなりと弱者に対して優しさを投げかけるのである。
そして、何よりも何にもまして、男同士のわかり合いは感動的である。
五郎の困惑の極み、ここぞという時分には、必ずや顔をのぞかせ、陰で五郎をそっと支える清吉。五郎と純、螢。また、令子との間にたちみごとな櫂さばきをみせる和夫。また、五郎と杵次との、五郎と草太との、五郎と辰巳との、五郎と松吉との、わかり合い等々、それは“北の国”の男たちの組み合わせ通り分だけある。
「俺の出しゃばる話じゃないだろう」(48)
彼ら男たちの距離は近からず、かといって遠からず、彼ら男たちは心にくいまでのバランス感覚で、実にみごとな距離をとりつつ、相手の男を傷つけないように、相手の男に障らないように、と心がけつつ、さり気なくお互いがお互いに手をさしのべあうのである。彼らは男であることの哀しさを分かちあえる男たちなのである。
純はこのような環境のなかで男を呼吸していった。純にとって最高の教師は五郎であった。最大の教師は草太であった。
狐の一件でのことである。
「オイ、純」、「二度とオラにむかって、そういうハンカクサイこというんでない」、「いいか」、「男だらぜったいにいうな」、「いったら兄ちゃんただですまさん」、「どこの世界にてめえの子どもをーー分けへだてするような親がいる」、「男のくせにあまったれるな」、「お前のおやじはお前のそういうーーあまっちょろいところをたたき直したくてーー一生けん命冷たくしてるンだ」、「お前のおやじは不器用な男だからーーそういうふうに冷たくみえるンだ」、「勉強ができるならそれくらいわかれコノッ」。(49)
また、五郎とこごみとの恋のことであった。
「お前もつまンねえこと考えるな」、「お前のおやじだってもともと男だぜ。男はときどきさびしくなるンだ。いくつになったってそれァ同じだ」、「それくらいお前もすこしわかってやれ」(50)
そして、卒業後の進路の件でのことであった。
「(ポツリ)おやじさんの気持、オラにはわかるぞ」、「男は見栄で生きてるもンだ」、「いくつになったって男は見栄だ」、「お前が、おじさんが困ると思って相談しなかった気持ァわかる。したっけおじさんのいちばんつらいのは、そういうふうに見られるってことだ」、「息子のお前にいたわられるってことだ」、「男はだれだっていたわれりゃ傷つく」、「それが男だ」、「本当の男だ」、「そこをよく考えろ(顔起こす)」(51)
草太の純に対する男への教育は無骨に、手荒くほどこされれる。そして、そこに垣間みられる男の照れ。
「本当は反論したかったンだけどーーぼくは反論することをやめた。/ なぜかというとお兄ちゃんのいい方がとってもやさしくぼくにはきこえたので」、「いい方は乱暴でもお兄ちゃんという人はーーとても男っぽくぼくには思われ」。(52)
男による、男のための、男への教育であるがゆえに、効くのである。
男をいっぱいに深呼吸した純は、しだいしだいに男への理解を示しはじめた。そして、’89年の帰郷の際に純は、もっとも身近な存在である父の姿に男としての「すごさ」をみいだした。
「男っていうより、おやじがすごいンだ」、「今度そのことが、ーー少しだけわかった」。(53)
「あの頃、ぼくら二人をつれて、母さんと別れて富良野へ来た父さん。あの時父さんは、もう四十を過ぎてたはずだ」、「あの頃ぼくはまだ幼くて、父さんの気持なンて何もわからず」、「ヘラヘラだらしない父さんのことをいつも心で軽べつしてたわけで。だけどーー父さん。今、少しわかるよ。今少し父さんがわかりはじめてきました。ーー今まで考えたこともなかったけど、あの頃父さんが耐えていた苦しみ。父さんの悲しみ。父さんの痛み。父さんの強さ。あの頃の父さんの男としてのすごさが、初めて今だんだんわかってきたわけで」、「世間は父さんをただヘラヘラした、百姓のおやじと思うかもしれないけどーー今のぼくには到底かなわない、まぶしいばかりの存在になりつつあり」、「父さんーーぼく今初めて父さんを」。(54)
お手本はお隣にあったのである。
「女の涙は請求書っぽいが大の男の涙は人の心を摶(う)つ」。(55)
日頃「男であること」を引っさげて、精一杯つっぱって生きている男たちではあるが、それにも自ずからなる限界がある。「男」が破綻をきたすことがある。男としての誇りをかなぐり捨て、人前に弱みをさらけだし、悲しみをさらさざるをえない刻が、突如男たちに襲いかかることがある。その最たるものは悲嘆の涙にくれる男たちの姿である。それは日頃男への強いこだわりをもつ男たちの涙だけにいっそう哀しく響き、我々の「心を摶つ」。
わけても草太はよく泣く。その涙のおおよそはつららと結びついたものである。
それも恋、とはいえ、恋におぼれ、一人の女性をもて遊ぶ結果を招じてしまった草太。一人の女性のその後に影をおとしめ、少なからぬ影響をおよぼしてしまった草太。そんな草太は、つららの傷の深さを思いやり「どうしようもないわたし」に涙するのであった。拭おうにも拭いきれない罪の意識にかられての自罰の涙を流すのであった。
『北の国から ’87 初恋』における、つららの結婚を、またその後の倖せな結婚生活を聞きおよんだ草太のその眼にゆらめく涙は印象的である。それは喜びとも安堵ともさびしさともつかないもろもろの感情が涙腺をまっすぐに駆け上り、草太の眼(まなこ)に湛えられたものである。純粋にして無垢、澄みきった許されの涙である。草太の人となりの凝縮された涙である。
「人はそれぞれ悲しいときにーー悲しさを表す表し方がちがう」、「人前で平気で泣けるものもいればーー、涙を見せたくない、そういうものもいる」(56)
草太は「人前で平気で泣ける」男である。しかし、五郎は、令子の葬式の日、悲しみの絶頂期にしてなお、エプロンをかけ台所で忙しなく立ち働いてしまう男なのである。忙しなく立ち働く五郎のその後ろ姿はあまりにも哀しい。それは周囲の冷たい視線に耐えてまで、忙しなく立ち働くことに唯一救いを求める、あまりにも不器用な男の抜き差しならない姿である。令子とはいまや離婚した仲であること、令子の愛人・吉野との絡みともあいまって、五郎はこの期におよんでなお、すなおに感情を表出できないままでいる。
そして、その晩。
ひとり五郎は令子の「遺骨」と向きあい、「肩をまるめ、声を殺して慟哭」するのであった。周囲への気がねから、それまで抑え続けてきた悲しみのほとばしるままに、悲しみに我と我が身を任せるのであった。我々の予想をはるかに超えた五郎の悲しみ。また、これほどまでに抑圧せざるをえなかった五郎の男であることの哀しみ。これらは相乗積の形をとって我々に襲いかかり、たちまちのうちに我々をのみこんでしまうーー五郎の悲しさ、哀しみは、それほどまでにすさまじいものなのである。
五郎「純」
純 「ーー」
五郎「まいってるか」
純。
ーー首をふる。
純 「(小さく)だいじょうぶです」
五郎「そうか」
純 「ーー」
五郎「強いな」
純 「ーー」
五郎「父さんはまいってる」
純。
ーー父を見る。
すぐ目をそらす。
五郎「男が弱音をなーー」
純 「ーー」
五郎「はくもンじゃないがな」
純 「ーー」
五郎「しかしなーー」
純 「ーー」
五郎「まいってる」
純 「ーー」
五郎「いまだけだ」
純 「ーー」
五郎「許せ」
純。
間。
五郎「つらいなァ」
純 「ーー」
五郎「え? 純」
純 「ーー」
五郎「(かすれる)つらいなァ」
純。
間。(57)
令子の葬式から帰ってきた純と螢を迎えたその夜、廃屋内でのことである。五郎が純に「弱音を吐く」のははじめてのことである。が、この場面に螢はいない。そして、その直後、廃屋の外からの「螢の声」に対し、五郎は、
五郎。
ーーとつぜん、明るさをつくって、
五郎「どうしたンだ!」
螢の声「しッ。キツネが来てる!それがーー足が変!!ーーねえ!三本しかない!
いつかトラばさみにやられたやつみたい!」
五郎「ちょっと待て!餌さがす!」
五郎、あわてて戸棚をさがす。(58)
五郎は、螢にはつらい顔は見せられないのである。それは螢が幼いからではなく、小さいながらも女だからである。息子には弱音を吐けても、娘にはまいった顔はみせられないのである。五郎は純を一人前の男として認め、純に男同士の「もののわかり」を期待したのである。息子を前にこれまでひた隠しに隠してきた弱い自分をさらけ出したこと、ここに五郎の中年が兆す、老いがみてとれる。
「僕は男が好きである。特に中年が好きである。何といっても中年男には、青年の活気を粧いつつ、その実内心肉体の衰えを察知しているーー裏返していうなら、察知しているのに必死にかくしてつっぱっているーー男の原点たる愛らしさがある。
この作品〈『ばんえい』(59)〉のモチーフは、父が息子に体力的に敗北する日ーーということである。同じこのモチーフを僕はこの前年 NHKBK の『ぜんまい仕掛けの柱時計』(60) でも書き、別の作品でも扱った。これからもまだまだ厚かましく扱うつもりでいる。」(61)
令子の死を期に中年の哀愁、哀感が五郎を抱きすくめる。
『北の国から ’84 夏』における五郎の「卑屈で、力なく」、「しぼんでしまった」姿に純はいらだち、嘆く。
「それは、こっちに移ってきた当時の、あのたくましい父さんとはちがっていた」、「父さんどうしたの」、「あの頃の父さんはどうしたの」、「水道や電気を誰にもたのまず、たった一人でやりとげた父さん。/ あの頃の父さんはどこに行ったの。/ 僕ら父さんを尊敬してたのに」(62)
五郎は寄せる年波に押し切られた格好で、疲れきった男の「中年」を露呈する。そして、それは、『北の国から ’87 初恋』において決定的となるのであった。
五郎と純との子ばなれ、親ばなれの季節である。
ここには思春期を迎えた純と五郎との確執、また五郎の「中年」のみごとな描出がある。
五郎は「受持の先生」に向かって、
「先生、オラにはよくわからんのです」、「あいつだら、本当に近頃ァオラが、話しようとしてもスッと避けるし」、「進学のことだって何度もいっとるです。都会とちがって高校へ行くときが将来まで決める大事なときだぞって」、「したっけあいつは何も答えんです」、「先生、どうも情けない話だが、オラにはあいつが最近どうも、わからんようになってきとるンです」。(63)
また、和夫に向かって、
「中ちゃんあいつは最近オレとは、ほとんどまともにしゃべろうとしないンだ」、「正直オレにはわからないンだ」「あいつが本心何考えてるのか」(64)
そして、純は純で、
「傷ついていた。父さんにいわれたことにじゃない。」、「怒鳴っても父さんが怒らないからだ」、「最近父さんはぼくに遠慮する」、「そのことにぼくは傷ついていたンだ」。(65)
さらに、純はれいに向かって、
「(卒業後上京して夜間高校で学びたいという希望を)いったら父さん、黙って無理して金作ったりいろいろやると思うンだ」、「最近父さん何でもそうなンだ」、「オレにたいして変に遠慮して」、「ときどき何だか情けなくなるよ」、「オレが怒鳴ったっていい返さないことあるーー」。(66)
「父親はいつまでも父親なのに、ーー。子どもに遠慮なンかして欲しくないよ」。(67)
誕生日のプレゼントに娘から老眼鏡を贈られる年齢(とし)になった中年の悲哀。父親の老いを敏感に感じとる息子。この図式はかつて倉本聰自身が父親との関係において体験したものである。
「僕(倉本聰)は激しく傷ついておりました。
かつて弱かったものが弱るのはまだいい。しかしその昔強かったものが、男が惨めに衰え弱気になり、昨日の誇りまで捨てるのはたまらない。それを見せられるのは子としてたまらない。僕は異常に傷ついたのであります。
思えば、
あれがわが家の世代交代のまぎれもない瞬間であったのでありましょうか。」(68)
ただあたりまえのように忍びよる男の秋に、肌寒さを感じる。老眼鏡にもの哀しさがつのる。
『北の国から ’89 帰郷』における、螢に恋人ができたことを知った五郎の相当なるショック。娘を手元においておきたい一心からの五郎のあたふた。老後の夢を純に愉しそうに語る五郎。スナックにおける哀調を帯びた口調での五郎の息子自慢、娘自慢。
「中年の男が好きである」という倉本聰の中年を描く腕は、『北の国から』においても、また冴えわたっている。
随所にみられる男たちの黙々と働く姿。寡黙な男たちとその朴訥とした会話。草太のボクシングへの取り組み。新吉のボクシング談。吉野のボクシングのまねごととそのひと言。純が便乗させてもらったトラックの運転手の男気。そして、恋。
第二章・第一節で述べたように五郎はことあるごとにこごみのもとに通う。それはこごみが五郎の気持ちのままを深いところで感じてくれる女性だからである。母性が強くすべてを受け容れてくれる包容力のある女性だからである。男が男でいられるのも、女性の優しさ、ぬくもり、柔らかさがあってからこそ、のことであろう。男は女に抱かれ、女をよりどころにして、懸命に男であることにすがって生きてゆくものなのであろう。これも男の大きな哀しみの一つである。
また、『北の国から ’84 夏』でのことである。
「やっぱりお前はキッタネエやつだなァ!」
「あい変わらずお前は汚い野郎だなァ!」(69)
「わかった」、「みんな正吉だな」(70)「悪いのはみんな正吉だな」、お前はもういい。正吉を呼んでこい」(71)
正吉の言い放った、「やっぱり」、「あい変わらず」のひと言に託された重み。五郎が投げつけた、「悪いのはみんな正吉だな」のひと言の鋭さは、純の「男」を終始さいなむ。純の、ことばから受けた痛手を軸に、『北の国から ’84 夏』は展開し、ラストシーンでの純の、また五郎の告白へといたるのであるが…。
純の内なる葛藤は男であろうとするがためのものであり、またそれに続く五郎の告白は、非を非とさとったとき、非を非と認める男の潔さに由来するものである、といえよう。
男たちの告白は、人としての誠実さゆえの告白なのか、それとも男としての義侠心ゆえの告白なのかは、混然一体としている。
このように、『北の国から』には、男の美学が渦巻き氾濫している。
「6. まとめ」
第二章を総括してみたいと思う。『北の国から』に登場する主な人物に共通の特徴をさぐってみようと思う。
彼らは「青春的」である。
「『青春的』という言葉は、倉本聰が『前略おふくろ様』で用いた造語だそうだが」(72)
「青春的」ということばが、倉本聰の造語であるかどうかは、定かではないが、確かに、『倉本聰コレクション1 前略おふくろ様』PART1・・・(1)』(倉本聰、理論社、一九八三年)八二頁 において、倉本聰は利夫に、「青春的」ということばを使わせている。
利夫「てめえにあの人(海)の良さがわかるか!三十一になって初めてわかるンだ!いっとくぞ。オレァ惚れたからなッ。いいかいったぞ!オレァいったぞッ」
サブ「(半分悲鳴)ハイ!」
利夫「これからオレァ、徹底的に青春的に行くからな!」
サブ「青春的ーー」
利夫「忘れないでくれなッ。ヨッ。お兄ちゃんッ!!」
サブ「ハイッ」
(中略)
語り「前略おふくろ様。東京は広いです。恐怖の海ちゃんをステキだという男が、オレの目の前につっ立ってます。三十一歳ーー青春的です」(73)
利夫の恋はまことに「青春的」で、利夫は海にせまるのであった。
「青春的」とは、青春期の郷愁にかられ、青春まっただ中の若者たちのようにふるまう、だから「青春的」、なのではなく、年齢(とし)は青春期を大きく逸脱していても、今にしてなお青春そのもの、だから「青春的」、なのである。
青春には未来への慄(おのの)きがある。夢がある。希望がある。ものごとへの、人々への、また自分への疑問符があり感動詞がある。自己との絶えざる葛藤があり、また自恃がある。青春はつねに矛盾にみちている。問題はその矛盾といかにつき合うか、である。
“北の国”の人たちの共通項は、矛盾を矛盾としてかかえて生きているということである。内なる矛盾から目をそらすことなく、内なる矛盾を確と見すえて生きている。内なる矛盾を安っぽいことばで割り切ることなく、矛盾は矛盾のままに生きている。彼らは斜に構えた生き方をよしとせず、迷いながら、つまずきながら、つねに前向き、つねに前進、滞ることなく、乾くことなく生きている。彼らは「青春的」悩みを生きているのである。
「役者やライターが持つべき疑問。常に自分に問うべき疑問。
既成の役者やライターたちが、準備を即席に終えてしまうのは、己に対する疑問がないからだ。疑問の数が途絶えてしまうから、それ以上の思考を進めることが出来ず、だから準備はそこでストップする。従って上昇もそこで終了する。
学ぶとは己れに無限の疑問を、次々と投げかけ思索することである。演劇に関しては少なくともそうである。」(74)
主要な人物たちには、常に「己れに対する疑問」がある。自己を省みる姿勢がある。が故に、「変わる」ことができるのである。柔軟な心をもった彼らは、絶えず成長し続ける人々である。
「その半年の授業の中で、僕(倉本聰)のくり返し訴えたことは、ライターも役者も“他人の中に入る”仕事であり、従って他人の心の中を、理解することから始まるという一点だった。
他人の中に入るということ。
他人の気持に立ってみること。
(中略)
シナリオを書くことは人に入ることだ。
他人の心情になり切ることだ。
役者とてそれは勿論同じである。」(75)
主要な人物たちは、「人間の中に入る」ことに長けた人々である。感情を移入することによって人の痛みを嗅ぎわける、並はずれた嗅覚をもった人々である。
そしてなによりも、「人を傷つけまい、傷つけまい」と絶えず心を配る人々である。細やかな心配りのできる人々である。心づかいの厚い人々である。
「いい方をしらんから、かんべんしてくれ」、「わしはことばの使い方を知らん。だからーーきついいい方にしかならんが」(76) と前おきする清吉。
「おらァ、しゃべるのが上手でないからーー」、「気をわるくしないできいて欲しいンだ」(77) と前もって断わる新吉。
「あのことは私がわるかったのよ」、「純君には何の責任もないの。それより、螢ちゃんだいじょうぶだった?」「テレビのことーー見たンでしょ、純君も」、「(うなずく)純君も螢ちゃんを信じてあげた?」、「人に信じてもらえないのは辛いわ」、「螢ちゃんに先生、わるいことしちゃった」(78) と純をかばい、螢を心配する凉子先生。
「そうだ。先生はかわいそうだった。/ だけど、ーー。/ それとは別に、かわいそうだったのは正吉君だ」、「正吉君はさっきの騒ぎのとき、チラと見たら涙を浮かべていたんだ。/ 正吉君はーー。/ つらかったろうな」(79) 、と正吉を思いやる純。
「この四、五日町に出かけてないね」、「行ってくれば?」、「蛍は平気だよ」、「蛍はーー父さんにーー好きな人ができても」(80) 、と、こちらの胸が痛くなるほど、できすぎた螢。
清吉も、新吉も、凉子先生も、純も、蛍も、皆すてきである。彼らはけたはずれの思いやり、優しさを内面にたたえた人たちである。
海 「お兄ちゃん」
サブ「ーー何スか」
間。
海 「お兄ちゃんは神様?」
サブ。
間。
サブ「(低く)それはいったいどういう意味ですか」
海。
海 「何でもできちゃうみたいだからさ」
サブ。
ーーその顔に怒りが吹上げる。
海 「海は人だからーーうまくいかないよ」
サブ「ーー」
間。
(後略)(81)
帳場
サブ入って伝票を置く。
語り「オレは海ちゃんにいいすぎたかもしれず」
回想
海 「お兄ちゃんは神様?」
帳場
サブ。
裏
ゴミのバケツを外へ出すサブ。
語り「オレは神様でも何でもなく。
人に説教などする資格はなく」
もどりかけるサブ。
(後略)(82)
彼らは、自らが「神様」ではなく、「人」であることをわきまえた人々である。「人」の分際を心得た人々である。余計なお説教はしない。もっともらしいことは口にしない。えらそうなことばは、決して吐かない。ところが、悲しくも、そこが「人」。軽率にもそのようなことばを口走ってしまった際には、彼らは、後で必ずや自己厭悪にかられるのである。ひどく落ちこむのである。
「(ふいに)知ったようなこというンじゃないよッ」、「だけどねッ、人にはそれぞれ自分のーー理屈にならない気持ちだってあるンだ!」、「それを知らないでガタガタ他人が、心ン中まで踏みこむもンじゃないよッ」。(83)
彼らは「人」は「人」を裁けないことを熟知した人々である。「人」の善悪、生き死にを決める権利は、「人」にはないことを得心した人々である。それぞれにはそれぞれの事情があり、それぞれがそれぞれに懸命に生きていることを知っている。それぞれの内では、すべてが完結しているのである。人に深く入ることによって、事実の重みに感じ入った彼らは、その重みをまっすぐに受けとめ、そっと他人(ひと)に寄り添うーー彼らは「する存在」ではなく、「ある存在」である。
彼らは、表情の豊かな人々である。心と体が分裂をきたしておらず、、自分の感情に忠実な人々である。彼らは楽しむ術を知っており、悲しむ術を心得た人々である。彼らには、腹の底からの、一物もない笑いがあり、透きとおった涙がある。彼らの内は感動詞に満ちている。邪気がなく、こだわりがなく、いたってさわやか、彼らは、痛ましいまでの純粋さを内に秘めた人たちなのである。
倉本聰のいう「青春的」群像である。
私の察する「倉本聰像」である。
青春とは、また、失敗が許されるときでもある。
「とにかく、国づくりの哲学を一つだけつくろうということになる。かんかんがくがく、その結果、この国は、国を富ませるということを考えるのをやめよう。そして『イフ』をやめよう。飢餓がきたら、そのときはみんな苦しむ、それでよい。それに備えようとするから富もうとする発想になる。富まなくてもいいんだ。」(84)
彼らには「イフ」ということばがない。「富もうとする発想」がない。彼らは手探りしながら、今を生きる人々である。どこまでも青春の美学にのっとって生きる人々である。
「こったらコツコツ働いていれば人間だんだん謙虚になる」。(85)
彼らは日常の人である。大自然と袖触れ合わせ、手を汚し、額に汗して黙々と仕事にいそしむ「謙虚」な人たちである。
彼らには知的な鋭さはないが、人をみる目の確かさがある。人をあたたかく包みこむしなやかさがある。純朴にして無私、無欲。いやみのない個性をもち合わせた人たちである。どこをとっても憎めない愛すべき人々である。
C・W ニコルは、富良野塾の塾生たちを「クリン・アンド・クリア」であると評した。
倉本聰は、塾生に対して「偉大なる平凡人になれ」という。
「クリン・アンド・クリア」。
「偉大なる平凡人」。
『北の国から』の主だった作中人物たちは、こんなことばがぴったりの人々である。
「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる_註」
〔註〕
- 倉本、前掲『北の国から 後編』二六五一ー二六六頁。
(2) 倉本、前掲『北の国から ’84 夏』一三六頁ー一三七頁。
(3) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一六ー一七頁。
(4) 倉本聰『昨日、悲別で』(理論社、一九八五年)一五五頁。
(5) 倉本、前掲『昨日、悲別で』一九六頁。
(6) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一一八頁。
(7) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一一九頁。
(8) 倉本、前掲『北の国から 後編』一二三ー一二四頁。
(9) 石堂淑郎(シナリオ作家)「シナリオライター / 倉本聰について思うこと」(『シナリオ』三三巻、一二号、一九七七年、八頁)。
(10) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一八九一九0頁。
(11) 前掲「対談=山口瞳 VS 倉本聰」三0九頁。
(12) 鈴木敏「『北の森』」に住みつく 倉本聰·アンチ東京の世界」(『週刊朝日』一九八二年三月五日号、三一頁)。
(13) 「(シンポジウム)『北の国から』研究 報告者 高橋世織(北大文学部助教授·現代文学)、多見本泰男(新劇場·代表)、中村久子(昴の会·代表)、合田一道(北海道新聞·編集長)、司会 菱川善夫(北海学園大学教授·短歌評論家)」(北海学園、前掲『倉本聰研究』一三八頁)。中村久子談。
(14) 倉本、前掲『北の国から 後編』三二三頁。
(15) 倉本聰『新·新テレビ事情』(文藝春秋、一九八三年)一八二頁。
(16) 倉本、前掲『新·新テレビ事情』一九一頁。
(17) 倉本、前掲『新·新テレビ事情』一九三ー一九四頁。
(18) 倉本、前掲『新·新テレビ事情』一九四頁。
(19) 島崎藤村のことば? 出典不明。
(20) 倉本、前掲『北の国から 後編』九九ー一00頁。
(21) 倉本聰『北の国から ’83 冬』(理論社、一九八三年)一三七ー一三八頁。
(22) 倉本、前掲『北の国から ’83 冬』一四一ー一四二頁。
(23) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一七八ー一八0頁。
(24) 倉本、前掲『北の国から 前編』二一四頁。
(25) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一二三頁。
(26) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一三0頁。
(27) 倉本、前掲『北の国から ’83 冬』一三八ー一四0頁。
(28) 藤村久和『アイヌ、神々と生きる人々』(福武書店、一九八五年)一七0頁。
(29) 河合隼雄『生と死の接点』(岩波書店、一九八九年)一三六頁。
(30) 河合、前掲『生と死の接点』一三五ー一三六頁。
(31) 倉本、前掲『北の国から 後編』二七九頁。
(32) 倉本、前掲『北の国から 前編』七四頁。
(33) 倉本、前掲『北の国から 前編』二六九頁。
(34) 大山勝美「大山勝美の / テレビドラマ内緒ばなし 連載22 名作家·倉本聰」(『週刊文春』二五巻一七号、一九八三年、七七頁)。
(35) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一一四ー一一八頁。
(36) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一六五ー一六八頁。
(37) 西江雅之「“伝え合い”の人類学(六)“メッセージ”をめぐる話題」(『言語』五巻七号、一九七六年、九三頁)。
(38) 倉本、前掲『北の国から 後編』七七ー七八頁。
(39) 倉本聰『新テレビ事情』(文藝春秋、一九八三年)二三二頁。
(40) 前掲「(対話)倉本脚本との格闘〔撮影の現場から〕」一七一頁。
(41) 「人物クローズアップ 倉本聰「北の国」に根を下ろして十年」(『プレジデント』一九八九年九月号、一七頁)。
(42) 倉本、前掲『北の国から 前編』六三ー六四頁。
(43) ?
(44) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一三五ー一三七頁。
(45) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一三七ー一三八頁。
(46) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一三九ー一四0頁。
(47) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一六七頁。
(48) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』二三頁。
(49) 倉本、前掲『北の国から 前編』一三0頁。
(50) 倉本、前掲『北の国から 後編』二二二頁。
(51) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一四二ー一四四頁。
(52) 倉本、前掲『北の国から 前編』一三0頁。
(53) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一八五頁。
(54) 倉本、前掲『北の国から ’89 帰郷』一八六ー一八七頁。
(55) 倉本聰『北の人名録』(新潮社、一九八二年)三七頁。
(56) 倉本、前掲『北の国から 後編』一三0頁。
(57) 倉本、前掲『北の国から 後編』三一二頁。
(58) 倉本、前掲『北の国から 後編』三一三頁。
(59) 倉本聰『倉本聰コレクション8 幻の町』(理論社、一九八三年)、所収。
(60) 倉本聰『倉本聰コレクション16 坂部ぎんさんを探してください』(理論社、一九八四年)、所収。
(61) 倉本聰「ばんえい ●記」(倉本、前掲『倉本聰テレビドラマ集1 うちのホンカン』一五七頁)。
(62) 倉本、前掲『北の国から ’84 夏』九四ー九五頁。
(63) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一一頁。
(64) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』一二七頁。
(65) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』八八頁。
(66) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』九二ー九三頁。
(67) 倉本、前掲『北の国から ’87 初恋』九四頁。
(68) 倉本聰『いつも音楽があった』(文藝春秋、一九八四年)二三八ー二三九頁。
(69) 倉本、前掲『北の国から ’84 夏』五0頁。
(70) 倉本、前掲『北の国から ’84 夏』一二三頁。
(71) 倉本、前掲『北の国から ’84 夏』一四一頁。
(72) 志賀信夫(放送評論家)「倉本聰における“新進”について」(北海学園、前掲『倉本聰研究』一五五頁)。
(73) 倉本聰『倉本聰コレクション1 前略おふくろ様 PART I···(1)』(理論社、?年)八二頁。
(74) 倉本聰『谷は眠っていた』(理論社、一九八八年)二一八頁。
(75) 倉本、前掲『谷は眠っていた』二一八ー二一九頁。
(76) 倉本、前掲『北の国から 前編』二九三頁。
(77) 倉本、前掲『北の国から 後編』二三五頁。
(78) 倉本、前掲『北の国から 後編』二一0頁。
(79) 倉本、前掲『北の国から 後編』七六頁。
(80) 倉本、前掲『北の国から 後編』二四一頁。
(81) 倉本聰『倉本聰コレクション4 前略おふくろ様 PART II···(4)』(理論社、一九八三年)二0八ー二0九頁。
(82) 倉本、前掲『倉本聰コレクション4 前略おふくろ様 PART II···(4)』二一三ー二一四頁。
(83) 倉本、前掲『北の国から 前編』二二六頁。
(84) 「(インタビュー)倉本聰ーー歩いてきた道、そして今ーーインタビュアー·山根對男」(北海学園、前掲『倉本聰研究』五六頁)。
(85) 倉本、前掲『北の国から 前編』三六頁。