須賀敦子「遠い霧の匂い」についての記述です。その六



平易な日本語、感情の表出に着目して、作品を読み直してみました。

「楽しかった」という感情表現が一度使われている以外には、須賀敦子さんの感情の表出を表す言葉はどこにも見当たりませんでした。そして、全文は平易な日本語で書かれています。直截的に喜怒哀楽を表現することによって、作品を規定してしまうのではなく、それらを行間に託し読者にあずけることによって、作品は深みのあるものになっているのだと思います。谷崎潤一郎のいう「含蓄」です。感受することにおいては、読者のそれは言葉をはるかに上回りますし、読者が何を考え何を思うかは、個々人の感性にしたがえばそれがすべてです。


須賀敦子さんは『遠い朝の本たち』ちくま文庫 の中で、
 「ここまで書いてきて、思いがけなくもうひとつの考えが浮かんだ。アン・リンドバーグのエッセイに自分があれほど惹かれたのは、もしかすると彼女があの文章そのもの、あるいはその中で表現しようとしていた思考それ自体が、自分にとっておどろくほど均質と思えたからではないか。だから、あの快さがあったのではないか。やがて自分がものを書くときは、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気もする。もちろん、それをそれとしてはまったく気づいていなかったし、そのまま学校の作文につなげて考えるには、教室は、あまりにも読書のよろこびや書くことの愉しさから隔離された場所だった。作文の時間というのが、私にはひどく面映ゆく、数学とは違った種類の苦しみだった。」(107-108頁)
と書かれています。

「中学生になったばかりの」頃の回想です。


「いきなり現れ、去った文学者の残したもの」(104-105頁)

 十年前の一九九0年、須賀敦子という聞き覚えのない著者が出したエッセー集『ミラノ 霧の風景』(白水社)を読んだ者は、だれもが目をみはらされた。どうやら処女出版らしい。しかしすでに作家の確信ともいうべき力が文章の内にこもっている。イタリアという異邦の風土をめぐる思いが、書き手の内部ですっかり熟成しているのを感じさせられる。つまり私たちの前に、いきなり文学者が現れたのだった。

「現れた」のは「いきなり」のことだったのでしょうが、中学生の時から、須賀敦子さんの内では、光が当たる日に備えての準備が、着々となされていたのは間違いのないことであって、必然だったのだと思います。

須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫

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