『翼 武満徹ポップ・ソングス』_武満徹さんの四つの詞によせて


私は、今ではもう、武満徹さんの書かれた四つの詞を詩として、純粋な言語作品として読むことができなくなってしまっています。曲を伴った形でしか読めなくなってしまっていますので、「武満徹さんの四つの「曲をまとった詞」によせて」ということにさせていただきます。


 二つの詞には、悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ、という言葉が出てきます。涙、は二回出てきます。武満徹さんの書く「悩ミ」は、すでに昇華された「悩ミ」であって、それは内容を伴った「悩ミ」ではなく、実態のない、どこかつきぬけたところの感じられる透明度のある「悩ミ」です。それは、苦シミ、悲しみ、悲シミ、の三つのどの言葉についても言えることです。武満徹さんは、もはや、悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ、といった世界の住人ではなく、遠いはるか彼方からこの世界を見つめていらっしゃるような気がしてます。それは詞を書くための単なるスタンスやポーズではないような気がしてなりません。
 『翼』には、夢、希望、自由という言葉が見られます。武満徹さんの手にかかると、夢、希望、自由、といった言葉さえ、昇華され実態を失くしてしまいます。「悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ」が昇華され実態を失くしたわけですから、彼岸から見たとき、「夢、希望、自由」が昇華され実態を失くすのは、至極当然のことです。
 武満徹という「空っぽ」な人が書いた「空っぽ」な詩、私はこんな風に、武満徹さんご自身と武満徹さんが書かれた四つの詩を受け止めています。

石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON

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