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9月, 2015の投稿を表示しています

「中井久夫の流儀は『希望』を処方することだった」

『中井久夫の臨床作法』日本評論社  2015/09/09 に出版されたばかりのムックです。 「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、「希望」を処方することだった──その卓越した治療観から学んだ人びとによる中井流対人作法のエッセイ決定版!」 「看護できない患者はいない」 中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院  看護という職業は,医者よりもはるかに古く,はるかにしっかりとした基盤の上に立っている。医者が治せる患者は少ない。しかし看護できない患者はいない。息を引き取るまで,看護だけはできるのだ。  病気の診断がつく患者も,思うほど多くない。診断がつかないとき,医者は困る。あせる。あせらないほうがよいと思うが,やはり,あせる。しかし,看護は,診断をこえたものである。「病める人であること」「生きるうえで心身の不自由な人」──看護にとってそれでほとんど十分なのである。実際,医者の治療行為はよく遅れるが,看護は病院に患者が足を踏み入れた,そのときからもう始まっている。 (2頁)

「落柿舎 京都 嵯峨野」

向井去来は、松尾芭蕉の門人で、 “蕉門十哲”のうちの一人に数えられています。嵯峨野にある去来の草庵、「落柿舎」で「落柿舎制札」の拓本を求めました。いま我が家の応接間に、自分で裏打ちをしてピンで留めてあります。愉快な制札です。 落柿舎制札               一、我家の俳諧に遊ぶべし                 世の理窟を謂ふべからず               一、雜魚寝には心得あるべし                 大鼾をかくべからず               一、朝夕かたく精進を思ふべし                 魚鳥を忌むにはあらず               一、速に灰吹きを棄つべし                 煙草を嫌ふにはあらず               一、隣の据膳をまつべし                 火の用心にはあらず                           右條々                 俳諧奉行 向井去来 訪れた際にいただいた季刊誌「落柿舎」には、 「落柿舎制札」は、元禄七年五月、落柿舎での俳席で、即興に芭蕉が作ったものともいわれ(支考編「本朝文鑑」)、また、その十年前に、去来が元案を作ったともいう。」 と書かれています。 凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり  虚子 その後、「去来」とのみ刻まれたかわいらしいお墓に参り、落柿舎を後にしました。

如月小春「渡岸寺 十一面観音 湖北」 その一

向源寺の十一面観音に寄せた、如月小春さんのエッセイ「春 観音さまが笑った」を読み返したくて、 NHK取材班『NHK 国宝への旅〈1〉』日本放送出版協会  を買い直しました。散逸してしまった書籍の内の一冊です。 学生時代 キャンパス内で如月小春さんの講演をお聴きする機会がありました。何十となく演劇のサークルがある早稲田で学生時代を過ごしたならば、私は演劇の道には進まなかったような気がしています、東京女子大で過ごしたからこそ演劇の道を選んだのだと思います、とおっしゃられていました。他のお話の内容についてはすっかり忘れてしまいました。しかし、如月小春さんの「渡岸寺の観音さま」についてのエッセイ 「春 観音さまが笑った」 のことは忘れようにも忘れようがありません。 幾度となく「渡岸寺の観音さま」を拝観しました。もう十回近くになるかと思います。如月小春さんのエッセイ「春 観音さまが笑った」がご縁で、私は「渡岸寺の観音さま」のことを知り、その後たびたび足をはこぶようになりました。如月小春さんは若くして急逝され、そのずっと後になって、私は如月小春さんの訃報に接しました。それ以来「渡岸寺の観音さま」は常に如月小春さんとともにあります。「渡岸寺の観音さま」を観ては、如月小春さんをしのび、如月小春さんをしのんでは、「渡岸寺の観音さま」に思いをはせています。

「くるぶしソックス」

ハーフパンツに裸足、外出時には裸足にサンダル履きという恰好で一夏を過ごしましたが、この季節になるとさすがに寒く、靴下をはきローカットのトレッキングシューズで出かけるようになりました。足元を見ると、すねの下まで間のびした靴下はどうしようもなくだらしなく不恰好でしたので、くるぶしソックスを買ってきました。くるぶしソックスに挑戦するのは、これが二度目です。はじめてのときには、あまりの違和感に耐えきれず、一度足を通しただけで他人にあげてしまいました。今回の試みは今日で三日目になります。しだいに違和感は薄れてきたとはいえ、全く払拭されたというわけではなく、くるぶしの辺りが圧迫され、また涼しく感じられ、心もとない感じがして います。「膝っ小僧がさむい」のは年中のことですが、くるぶしまでもがさむいのはいかにも頼りなく、しかし、足元を見るといかにも精悍でいかにも軽やかで、くるぶしソックスは手離せそうにありません。くるぶしソックスの着用前後では心のもち方が、立ち姿が、歩く姿勢が明らかにかわりました。衣服のデザインや色づかいが人の心に影響を与えるのと同じことです。足取りも軽やかに、時にはこのまま駆けだしたいような気持ちになることもあります。

TWEET「神無月によせて」

明日から神無月です。神様がいなくなる月です。「神様はどこに行っちゃったの?」と子どもたちに尋ねると「出雲殿」という答えが返ってきました。「出雲殿」とは当地域を中心にして冠婚葬祭の事業を展開している会社です。「出雲殿」さんに全国から神様が続々と集まってきてはさぞ窮屈だろうな、と思いました。 明日から禁漁です。今シーズンもまた渓流には行かずじまいでした。歌にも歌い夢にも見て、本を読み道具と戯れていただけでしたが、これも釣りのうちで、じゅうぶんに楽しみました。来シーズンの解禁日に向けて、ベイトリールの調整だけはしておきたいと思っています。 明日からテスト週間です。2015/10/08,09 に第三テストが組まれています。今週末には雨天で順延となった新人戦が行われます。時間の制約のある中、いかに仕上げるか、戦略を練っています。 テストごとに私の興味・関心事は裁断され分断され、テストをはさんだ前後で、趣向ががらりとかわってしまったことが過去何度かありました。一週間、10日という空白の時間は大きく、生活をかえるにはじゅうぶんな時間です。今の興味関心はもっぱら作文にありますが、はたしてテスト後にはどうなるのか見当もつきません。

TWEET「高値で推移しています」

「狐」さんの『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫 の古本に、2400円、7983円、と高値がついています。私のとびっきりの「推薦図書」とはいえ、あまりの高値に驚いています。筑摩書房さんから再販されることを切に願っています。 狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫

TWEET「1+257=258 円也です」

『国宝への旅 5 西国巡礼』NHKライブラリー  がつい今しがた届きました。折り目のついていない新品同様の本です。定価1円+送料257円、計258円で手にした古書です。今までに何冊か の古書を「1+257=258 円」で手に入れています。1円の重みを感じています。 『国宝への旅 5 西国巡礼』NHKライブラリー  は、「 “もったいない”本舗」さんから送っていただきました。納品書には、「〜日本の「もったいない」をすべて引き受けます〜」との触れ込みが書かれています。 本への愛情がなければできないことですよね。頑張っていただきたいと思っています。応援しています。

三遊亭金馬「江戸前の釣り・ハゼ」

三遊亭金馬『江戸前の釣り』中公文庫 「江戸和竿で釣る 木更津沖のハゼ」 「ぼくは毎年一二月いっぱいでハゼ釣りをしまい、中通しの糸を抜いて真水につけて塩出しをし、竿も真水でふいて油ぶきをして竿袋に入れ竿棚へあげておく。」 「昭和二十五年ごろまでは、上方で中通しのハゼ竿は売っていなかった。ハゼ釣りの乗合舟もなく、自分で舟を借りて手こぎで出るか、船頭をたのんでも舟をねって(こぐこと)くれない。イカリをおろして釣らせる。フナ竿のこわ目の竿先に糸を結びっきりで、おもしろ味もない。」 ハゼを「中通しの和竿」で釣るとは意外でした。中通しですから、感度もよく、ハゼをかけた際には竿はきれいな弧を描きますよね。舟で出て水深を合わせるには工夫が必要にななります。「中通しの和竿」とは、調べれば調べるほどに所有欲をかきたてられます。 数を競う釣り、大きさを競う釣りはもう卒業しました。お気に入りの道具仕立てで、思いのままに釣ることを心がけています。釣り味、釣趣などという言葉も最近になって覚えました。 「昔の釣り師はハゼの大きさに針素を合わせろとといって、二寸のハゼは針素二寸、魚が五寸になれば針素を五寸と教わっていた。」 ハリスをできるだけ短くして「夏ハゼ」を釣っていましたが、どうやら理にかなっていたようです。昔からの釣り師の言い伝えには重みがあります。

シリーズ授業「愛」の対義語は? その二

「愛」の反対は「憎悪」ではなく、「無関心」です。相手と関わりを断ち、興味を示さないことです。無情です。非情です。 以下、マザーテレサが来日したときの言葉です。 日本に来てその繁栄ぶりに驚きました。日本人は物質的に本当に豊かな国です。 しかし、町を歩いて気がついたのは、日本の多くの人は弱い人、貧しい人に無関心です。 物質的に貧しい人は他の貧しい人を助けます。 精神的には大変豊か な人たちです。物質的に豊かな多くの人は他人に無関心です。精神的に貧しい人たちです。 愛の反対は憎しみと思うかもしれませんが、実は無関心なのです。 憎む対象にすらならない無関心なのです。 上記、孫引きです。 マザーテレサ『生命あるすべてのものに』 講談社現代新書 には記述がありませんでした。 目下 出典のありかを探しています。 以下、 日本人の「愛」の反対語は「無関心」 です。

TWEET 須賀敦子「遠い霧の匂い」その四

明日には、 須賀敦子『ミラノ 霧の風景』白水社  が届くことと思われますが、どうしても待ちきれずに、図書館へ「遠い霧の匂い」をコピーしに行こうと思っています。図書館にあることは確認しました。9:30 開館です。朝一番で行こうと考えています。 朝一番で行ってきました。会社勤めの人たちの出社風景のように、 「ぞろぞろぞろぞろ」と 皆足早に 朝 一番の図書館に入っていきました。静かな朝を想像していましたので、 意外でした。 コピーはやめて、 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出書房新社 をお借りしてきました。 須賀敦子「遠い霧の匂い」(全文) 帰路、デニーズさんに立ち寄り早速読みました。感想は頁を改めて書きます。

須賀敦子「遠い霧の匂い」その三

狐『水曜日は狐の書評 日刊ゲンダイ匿名コラム』ちくま文庫 「いきなり現れ、去った文学者の残したもの」(104-105頁) 須賀敦子『須賀敦子全集 第1巻』河出文庫 十年前の一九九0年、須賀敦子という聞き覚えのない著者が出したエッセー集『ミラノ 霧の風景』(白水社)を読んだ者は、だれもが目をみはらされた。どうやら処女出版らしい。しかしすでに作家の確信ともいうべき力が文章の内にこもっている。イタリアという異邦の風土をめぐる思いが、書き手の内部ですっかり熟成しているのを感じさせられる。つまり私たちの前に、いきなり文学者が現れたのだった。 そうした日常の局面を、須賀敦子はおどろくべき多彩さでエッセーに書いた。そのエッセーの魅力を知るのに恰好の一文といえるのが、本書所収「ミラノ 霧の風景」の冒頭に置かれた「遠い霧の匂い」だろう。このたった六ページの短文には、霧という自然現象をモチーフに、異郷ミラノの土地の感触が、そしてそこに生きることの哀切、痛み、喜び、希望などが、しんしんと身にしみるように書かれている。その後の須賀敦子のおそらくすべてがこの六ページに凝縮されているといっていい。神品。何度読んでもすばらしい。 須賀敦子「遠い霧の匂い」(全文)

須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫 その二

須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫 「葦の中の声」 (アン・リンドバーグのエッセイを読んで)やがて自分がものを書くときは、こんなふうにまやかしのない言葉の束を通して自分の周囲を表現できるようになるといい、そういったつよいあこがれのようなものが、あのとき私の中で生まれたような気もする。 (107-108頁) 半世紀まえにひとりの女の子が夢中になったアン・モロウ・リンドバーグという作家の、ものごとの本質をきっちりと捉えて、それ以上にもそれ以下にも書かないという信念は、この引用を通して読者に伝わるであろう。何冊かの本をとおして、アンは、女が、感情の面だけによりかかるのではなく、女らしい知性の世界を開拓することができることを、しかも重かったり大きすぎたりする言葉を使わないで書けることを私に教えてくれた。徒党を組まない思考への意志が、どのページにもひたひたとみなぎっている。 (113-114頁)

TWEET「十六夜の月」

TWEET「十六夜の月」 2015/09/28 仲秋の名月から一夜明け、十六夜の月を愛でながら竿を出そうと思っていましたが、あいにくにも風が強く様子をうかがっています。西にかかる有明の月を待とうかとも考えています。 トラウトミノーイングのタックルで、ルアーでブラックバスを、とカタカナ語ばかりが並ぶ釣りには情趣も釣趣もありませんね。

TWEET「釣り人は…」

三遊亭金馬『江戸前の釣り』中公文庫 「魚釣りと人生は実によく似かよったところがある。女は男を釣り、男は女を釣ろうと思って釣られている」…古今亭志ん生、桂文楽らとともに落語の一時代を築いた生粋の江戸っ子名人が、釣ってから食べるまでの「醍醐味」を語り尽くした名エッセイ。 「釣り人は魚を釣ったと 喜び、釣具に釣られたと後悔する」 トータルすると釣った数と釣られた数では、どちら方が多いのでしょうか!?

TWEET「閲覧数1のロングテール」

閲覧数1のロングテールが気になります。毎日楽しみです。

TWEET「You Tube」

「You Tube」を観るのは、年に数回あるかないかのことです。 古今亭志ん生さんの落語もたくさんUPされていますし、小林秀雄さんの講演もUPされていて、驚いています。小林秀雄さんの「現代思想について」の講演は、 四回に分けられてそのすべてがUPされています。著作権の問題はだいじょうぶなのでしょうか。共有財産、ということなのでしょうか。 「You Tube」を有効に活用したいと思っています。UPすることも視野に入れています。

古今亭志ん生 / 小林秀雄「大自在の域 / 遊戯三昧」(You Tube)

(落語や浪曲、講談などの)語りものの世界には天才といわれる人がいますが、お笑いの世界には天才はいません」と西川きよしさんが話されていました。  古今亭志ん生さんの、また小林秀雄さんのあの味わいのある声は天賦のもので、真似しようにも真似のできるものではありません。  お二方にあっては、聴衆はいてもいなくても同じようなもので、ひとり遊戯三昧の世界に遊ばれていらっしゃるかのようです。 以下、YouTube へのリンクです。 古今亭志ん生「火焔太鼓」 小林秀雄「現代思想について」  京都・大原にある、「天台声明」で名高い「来迎院」さんをお訪ねしたことがあります。寂光院さんが消失し再建されている時期のことでした。琵琶湖(湖西)から足をのばしました。朝一番の拝観で、静かなたたずまいの来迎院さんでゆっくりさせていただきました。

秋の夜長は「鈴虫と志ん生」

 一昨日  P 教授から「鈴虫と志ん生」と題するメールをいただきました。カセットテープをデジタル化したものをお送りしたことへの返礼です。「いま日本回帰です」の言葉で結ばれていました。   P 教授に触発されて、志ん生の落語を聞きました。「無精床」を聞き終え、「風呂敷」の途中から記憶がなくなり、「水屋富」の終わる寸前で目を覚ましました。  志ん生のあの味わいのある声は、小林秀雄が奏でる“ララバイ  ” と同様に、人を眠りに誘います。話芸にかけては、志ん生は小林秀雄の師です。

Tweet「2600個/日のドーナツ」

今夜も豊川アクロス内の「ミスド」さんで過ごしています。椅子に腰かける前に、テーブルを拭いていただきました。その際にドーナツを作っているとおぼしき青年と少しだけお話をしました。 今日は2600個のドーナツを作った、とのことでした。週末は家族連れのお客さんが多く、テイクアウトするお客さんはウィークデイと比較すると少なく、半々くらいです、とのことでした。「アクロス内にある店の中では、一番売り上げが多いんですよね」と尋ねると、「ウチより売り上げている店はないように思います」との何ともひかえめな答えが返ってきました。 2600個/日のドーナツの数には、驚かされました。

TWEET『告知「改名いたします」

「塾・ひのくるま/ 随想」のタイトルを、HPとブログの二つにまたがって使っています。ブログのタイトルを「塾・ひのくるま/ 折々の記」に改名いたします。そして、「塾・ひのくるま/ 折々の記」を「「塾・ひのくるま/ 折々の記選集」に改めますので、よろしくお願いいたします。

TWEET「進展」

その後、進展しました。 下記の二冊を Amazon さんに注文しました。基本文献になると思っています。 竹内 整一『「かなしみ」の哲学―日本精神史の源をさぐる』NHK出版(2009/12) 竹内 整一 『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』ちくま新書(2009/01) あわせて、 三遊亭金馬『江戸前の釣り』中公文庫 も注文しました。必読書です。

TWEET「受講」

つらつらと講義名を見るにつけ、ペラペラと頁を繰るにつけ、また「引用・参考文献」を眺めるにつけ、どうしようもなく、 竹内 整一 『〈かなしみ〉と日本人 ( NHKこころをよむ)』 NHK出版(2007/03) が、気になりはじめました。1コマ40分、13回の「〈かなしみ〉と日本人」についての竹内整一先生の講義を受講することにしました。これほどまでにお歴々がそろっているのを見ると、じっくりと腰を据えて対峙しないわけにはいきません。久しぶりの聴講です。たまには生徒になるのもいいことです。

TWEET「実況中継 その七」

四日前に書いた「さだまさし『北の国から 遙かなる大地より~螢のテーマ』」がただ今躍進中です。過去30日間の閲覧数の4位、全閲覧数の8位に位置しています。 そろそろ卒論で書いた「倉本聰さん」について、また『北の国から』について書こうかな、と思っています。

「Apple is the most design-savvy company in the world.」

「Apple is the most design-savvy company in the world.」 Ray Riley アップルは世界中でいちばんデザインサビーな会社だ。 スティーブ・ジョブズがいるからだ。 アップルはカルト(な会社)だけれど、 デザインチームはもっと強烈にカルトだ。  レイ・ライリー これは元アップルのデザイナー、レイ・ライリーの言葉です。デザインサビーとは、デザインに精通しセンスがよくてクールだ、という意味です。カルト(狂信的教団)とは穏やかではありませんが、アップルを離れて「普通の会社」に行くと、かえってアップルの尋常でない感覚を改めて痛感するのかもしれません。 梅田望夫『ウェブ時代5つの定理 』文春文庫 (160-161頁)

「iPhone 6s_その美しさを体感してきました」

ベーカリーショップ「ぶどうの森 豊川店」さんでの one session 後、隣接する「ケーズデンキ 豊川店」さんに、期待を胸に足を運びました。今日発売されたばかりの  iPhone 6s、iPhone 6s Plus が、各携帯キャリアのテーブルの上に並んでいました。新色のローズピンクの iPhone 6s が最も多く、その美しさを体感してきました。 発売早々に  iPhone 6s を 確と この目に焼きつけ 、 発売と同時に  iPhone 6s Plus に 触れたというだけで十分に満足しました。 携帯性云々ということを言わなければ、 iPhone 6s Plus  の方が断然有利ですね。

Tweet「いよいよ発売されますね」

いよいよ今日、iPhone 6s、iPhone 6s Plus がおめみえしますね。楽しみですね。購入する予定こそありませんが、とても気になります。早い時期に対面し、ためつすがめつ、そしてナデナデしてきたいと思っています。

「30gの差異の感触」

昨夜「ミスド」さんでの one session に先立って、釣具のイシグロ アクロス豊川店さんに「30gの差異の感触」を確かめるためにお邪魔しました。比較したとき 30g の差異は実感として確実に伝わってきましたが、二つのうちの一つだけを手にとって、比較しなければ、それはそれで終わりです。 巻き心地の差異も明らかに感触として伝わってきます。「15 ストラッディク2500HGS」はザラザラしています。「15 ルビアス 2506H」「15 ツインパワー 2500HGS」の巻き心地はシルキーです。ただ、 個体差もあり一概には言えないのかもしれませんが、 「15 ルビアス 2506H」の立ち上がりは、「15 ツインパワー 2500HGS」のそれよりも重く感じられました。 リフレクションバイト(反射食い)してしまいました。みごとに釣られてしまいました。悲しい性です。村岡昌憲さんと聞くとどうしても手が伸びてしまいます。堀田光哉さんとくるとどうしても釘づけになってしまいます。値段も手頃なこともあって「ソルティステージ バウンシー」(フラッシュピンク)と「熱砂 スピンビーム」(ヒラメゴールド)を衝動買いしてしまいました。「えっ、今シーズン サーフに行くつもりあるの?」という内なる声が聞こえてきましたが、今をときめくルアーやワームを時季はずれの三年後、五年後に使うと、たくさんのいいことが待っていることは、バス釣りで経験済みですので、構いません。熟成させておけばだいじょうぶです。

「猜疑の目」

父のブラウンのシェーバー の、皮膚と接触する網の部分が破れてしまったので買い換えました。説明書きには「約18ヶ月ごとの網刃、内刃交換をおすすめします。」と書かれています。 2014/02/03 に 1.5424円で購入しました。19ヶ月と17日後にダメになりました。 5623円と結構な値段がついていましたので、本体ごと買い換えようかとも思いましたが、今回は見合わせました。 保証期間の一年なり二年なりが過ぎるととたんに壊れてしまった、ということをかつて自分も経験し、また他人からもよく耳にします。これだけ技術が進んだ今の時代に、保証期間が過ぎるのと期を同じくして不具合を生じさせることはたやすいことだと思います。時限装置を一つ組み込めばいいだけのことです。あまりの頃合いのよさに、 私は猜疑の目で見ています。いぶかしく思っています。 切れ味がよく、父は喜んでいます。今回の場合は替え刃は消耗品であり、いたしかたのないことなのかな、と無理に納得してます。

小林秀雄「批評の神様はかくも熱く、分かりやすく、親切で、面白かった。」

小林秀雄_「批評の神様はかくも熱く、分かりやすく、親切で、面白かった。」 小林秀雄『学生との対話』新潮社 今春出版されたばかりの書籍です。本箱の中に眠っていました。並べておいても、積んでおいても、電子書籍としてしまっておいても、どうしても忘れてしまいます。時折ぐるりを見わたす必要を感じています。しかし、手もとにあるのとないのとでは、再会できる確率がおおよそ異なってきます。懲りることなく、投資という名の散財を繰り返します。 P教授にあって僕にないものの一つは「再読」の習慣です。あてもなくさまようのも旅ですが、常宿で辺りを味わい尽くすのも旅の醍醐味です。 さて、さて。本題です。 以下、帯に書かれている文章です。 「僕ばかりにしゃべらさないで、諸君と少し対話しようじゃないか」 「何か、僕に訊いてみたいことはありますか?」 「本当にうまく質問することができたら、もう答えは要らないのですよ。(略)僕ら人間の分際で、この難しい人生に向かって、答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない。ただ、正しく訊くことはできる」(昭和49年の対話より) 「昭和36年から53年にかけて、小林秀雄は五たび真夏の九州へ出かけ、学生たちに講義をし、対話を重ねた。〈人生の教室〉、初の公刊。」 「批評の神様はかくも熱く、分かりやすく、親切で、面白かった。」 「質問する」とは「自問する」ということであろう。「答えを出すこと、解決を与えることはおそらくできない」以上、疑問は疑問として負って生きるしかない。ただその「質問」が生涯にわたって「自問」するに足る一大事かどうか、よく考えなさい。徒労に終わるだけのつまらない「質問」ならばしないほうがましである、と小林秀雄はいっているように聞こえてなりません。

「哀しみ」

「もののあはれ 個人的な感慨」の項で、 「以下、草稿です」 「目下 沈思黙考中です」 のお断り書きの下、下記のように書きました。 「もののあはれ」とは、 「人に触れ、自然に接し、そのどうすることもできない哀しみを分かち合い共有すること。万物は流転し、諸行は無常であることに思いをいたし、彼我のはかなさに感じ入ることによって、人や自然とつながること」 と、私なりに考えています。 「哀しみ」は私にとってとても大切な言葉です。 一昨日 乱雑に積んである本の中から下記の二冊の本を引っぱり出してきました。拾い読みしただけの、手つけずに等しい本です。 竹内 整一 『〈かなしみ〉と日本人 ( NHKこころをよむ)』 NHK出版 山折哲雄『幸福と成功だけが人生か「悲しみ」の日本精神史』PHP研究所  山折哲雄さんの『幸福と成功だけが人生か「悲しみ」の日本精神史』という陳腐な題名は好きになれません。『悲しみの日本精神史』を新書版で復刻・再販する際に『幸福と成功だけが人生か「悲しみ」の日本精神史』に改めたとのことですが、いかにも「PHP」好みの題名、といったところでしょうか。  詳細は後日、ということにさせていただきます。まずはご紹介まで。

Tweet「ホームページビルダー 20」

先週「ホームページビルダー 20」のご案内が郵送されてきました。関心はなく、封を切ることもなくそのままにしてあります。 「ホームページビルダー 19 バリューパック」を使ってHPを作成しました。 手ほどき用のソフトであり 拡張性がありません。改訂版のソフトが出るたびごとに、購入する人がいるとはとても思えません。何かにつけて動作が遅く、イライラがつのります。挙動が不審で信憑性 に欠けます。フリーズすることも多く、おまけに自動で保存されませんので、何度やり直したことかわかりません。「return」 キーを押すと段落が改められてしまいます。「control+return」 のホットキー操作で改行されるのが偶然わかったのは、使いはじめてから、ずっとずっと後のことでした。文字の大きさをそろえることさえママなりません。書くための道具としては発展途上のできそこないです。「一太郎」や「ATOK」のような優秀なソフトを世に送り出している徳島産のソフトだとはとても思えません。また、Windows PC 仕様のソフトですので、使い勝手の悪さが増幅されています。 以上が、「ホームページビルダー 19 バリューパック」に関しての私の率直な感想です。お値段程度の働きはしてくれたのかな、といぶかしく思っています。

「秋分の日に思う」

また一つ季節が巡りました。秋の装いを呈してきました。 今年は作文が釣りにとってかわって、読書の秋です。作文の秋です。惰眠の秋です。そして、実りの秋、収穫の秋にしたいと思っています。 近年、こと私に関していえば、食欲の秋は欠落しています。 追伸: 豊川河口のハゼの数釣り、豊川本流の海へと下るシーバス、良型の落ちギス。そして、サーフでのヒラメとマゴチ。釣具のイシグロ 豊川アクロス店さんの釣果情報にも確かな秋の訪れを感じています。

TWEET「気配を読み取る iPad mini3」

iPad mini3 を使っています。 クリックしようとして指を近づけると、その気配を察して反応することがあります。それが意に反した動作であることもママありますが、その都度その感性に目を見張っています。その感受性は「ブタヤマさん」をはるかに超えています。

TWEET「DAIWA 15 ルビアス 2506H」

DAIWA から「15 ルビアス」が発売されたのをはじめて知りました。不覚でした。SHIMANO から発売されて間もない「15 ツインパワー」と「15 ストラディック」、「15 ルビアス」の三機種の巻心地を比較すると、お値段通りの順でした。各社各機種、ぬかりなく定価が設定されていることがわかりました。 「15 ルビアス 2506H」の自重 200g は魅力的です。 バスを中心としたフィネスフィッシング対応モデル。フィネス(単板ドラグ)仕様のATDは、魚の引きの変化にも滑らかに追従してラインブレイクを防止し、独特の粘りで魚に主導権を与えない。山上湖のディープに潜むファイターにフロロ2lb.で対峙するための大きな武器となるはずだ。また、従来モデルからさらに軽量化されたことで、ロッドバランスもこれまで以上に向上、リグの操作性や感度向上に大きく貢献してくれる。ハンドルノブは、軽くつまめ、手首の回転でラインスラックをスムーズにとりやすいコルクシェイプ仕様。 「フィネスフィッシング対応モデル」、「フロロ2lb.で対峙するための大きな武器」との説明書きに釣られそうです。 「15 ルビアス」は 発売されたばかりですし、SHIMANO の同じ価格帯の対抗機種として参戦してきたわけですから、 今後値下がりするのは目に見えています。冷めた目で、動向を見守りたいと思っています。 釣り道具を目にすると、釣り道具に触ると、どうしようもなくワクワクし、ドキドキしてしまいます。 気分が高揚します。「ミスド」さんでの one  session の気晴らしに、釣り具のイシグロさんに 日参しそうです。主従が逆転しそうです。

Tweet「ハゼング」が正解でした。

豊川アクロス内の「ミスド」さんで夜の one  session。 one  session 二時間が限度です。 豊川アクロス内には釣具の イシグロ アクロス豊川店さんがあり、昨夜久しぶりにのぞいてみました。入り口を入って正面には「ハゼング」のコーナーがあり、Lucky Craft の 「Deep Cra-Pea Bell」 「アカキン」がずらりと並んでいました。「ハゼイング」の表記が、いつの間にか「ハゼング」に改められていて驚きました。早速インターネットで調べると「ハゼング」が正解のようです。ブログの表記をすべて「ハゼング」に改めました。「ハゼイング」で検索すると Google のトップに表示されますが、「ハゼング」では順位を大幅に下げ四頁目にやっと出てきます。「ハゼイング」をクリックすると「ハゼング」のサイトが表示され、リンクは切れていませんでした。

Tweet「英語で学ぶ」

「英語で学ぶ」ために「英語を学ぶ」必要性を感じています。中学英語では通用しません。三度目の学び直しです。五十の手習い、です。

梅田望夫,飯吉透『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命』ちくま新書

梅田望夫,飯吉透『ウェブで学ぶ オープンエデュケーションと知の革命』ちくま新書 今日届きました。触発されます。

シリーズ授業「愛」の対義語は?

「無関係」です。「憎しみ」ではありません。相手との 相手と関わりを絶つことです。無情です。非情です。 犬養道子さんの『新訳聖書物語』を通して知りました。私にとって大切な本です。 犬養道子『新訳聖書物語』新潮社 追伸:私の記憶違いかもしれません。自信がなくなってきました。出典にあたります。

村上春樹「僕の作品は誤読の集合」

梅田望夫,茂木健一郎『フューチャリスト宣言』ちくま新書  2007/05/08  初版 茂木 (前略)へんな人も確かにたくさんいるんだけど、そのへんなベクトルの向く先が人によって皆違う。村上春樹さんが、「僕の作品は誤読の集合」と書かれていた、とおっしゃっていましたが、一個一個つきあっていくと大変なんだけど、全部集めてみると、ある姿を取り始めますよね。 (143頁) 本の読み方には、その人となりが出て、著者の手の届かない「あなたまかせ」の世界であることは想像に難くありませんが、共通項としての「ある姿」というのは、作者の意図と、おおよそにおいては似通ったものになるのでしょうか。 興味の尽きないところです。

TWEET「光ケーブル」

 光ケーブルを敷設していただきました。つい今しがた工事が終わりました。光とはいえ、上り・下りともに100Mbps です。ルーター側が追いついていませんので1Gbps の速さは無意味です。今までは、上り35MBps、下り2MBps でしたので、十分に速さを体感できることと思っています。クラウドとのやりとりが多くなった現在、上りが速くなりありがたく思っています 。  ようやく4G回線に追いついたというだけのことなんですが…。

さだまさし「北の国から 遙かなる大地より~螢のテーマ」

「倉本聰私論」 私の卒業論文の題名です。シナリオ文学です。『北の国から』がその中心です。生存中の著者の作品は認めないという暗黙の了解に背を向けて書きました。ペリカンの万年筆に青色のインクを入れ、形から入りました。留年し一年と半年をかけて、400字詰の原稿用紙に150枚書きました。卒論については後日あらためて書きたいと思っています。たくさんの思い出があります。思い入れがあります。 調べてみると300枚の誤りでした。大作(?)です。こんな大切なことまで忘れてしまっているとは、情けなくなります。 さだまさしさんの歌う「北の国から 遙かなる大地より~螢のテーマ」を聴くと、切なくなります。哀しくなります。 倉本聰さんは、 「"あ~"と"う~"だけで、あれで『作詞 さだまさし』もないもんだよね」 「作詞だよ!?」 「図々しい」 とおっしゃられています。 「あ〜」と「う〜」は、富良野の大自然を前にしたさだまさしさんが、言葉を失くし、言葉は邪魔にしかならないと考えた末に出した結論です。倉本聰さんが知らないわけはありません。倉本聰さんのご自宅での出来事なんですから、意地悪ですね。

Tweet「テンプレート」

シンプルなテンプレートを使用していますが、文章が主体のブログですので気にしていません。重くなるのは困ります。バックアップにも時間がかかります。

宇多喜代子「中学生諸君」日本経済新聞社編

下記の頁で、志村ふくみさんと 群馬県水上の藤原中学校の高野先生と 12名の2 年生の 生徒さんたちとの心温まる交流をご紹介しましたが、 H24年度Aグループの愛知県公立高入試では、宇多喜代子さんと国東市立国東中学校の三年生の生徒さんたちとの交流を描いた随筆が出題され驚きました。 宇多喜代子さんは、光村図書出版の中学三年生の教科書に「俳句の可能性」と題する文章を寄せています。その文章がとりもつ縁で、 宇多喜代子さんと国東市立国東中学校の三年生の皆さんとの 交流がはじまりました。授業で学習した 教材の「つづき」が入試問題として出題され、懐かしく思い出した受験生もたくさんいたと思います。 下記の過去問の大問2の問題文が、宇多喜代子さんが書かれた随筆です。 H24A_愛知県公立高校入試_宇多喜代子「中学生諸君] 以下、群馬県水上の藤原中学校の高野先生と 12名の2 年生の 生徒さんたちと志村ふくみさんとの心温まる交流を描いた文章です。クリックしてぜひご覧になってください。 大岡信「言葉の力」_今夜のミスドさんでの成果です。 「語りかける花」~藤原の桜~より

鷲田清一「聴くということ」

平積みの本の中に、 河合隼雄,鷲田清一『臨床とことば』朝日文庫 を見つけました。全く記憶にない本でした。「鷲田清一」、どこかで聞いたことのある名前でした。調べてみると、光村図書出版の中学三年生の国語の教科書『国語 3』に、鷲田清一さんの書かれた「聴くということ」と題する文章が載っていました。ゆとり教育の弊害が盛んに云々され、新学習指導要領に移行した四年前の教科書にはじめて採用された文章です。 「聴くということ」を読むたびに、いったい鷲田清一さんという人は、臨床経験があるんだろうか、といつも疑問に思っていました。そして、この文章は子どもたちにというよりも、先生方や家族の方たちに読んでいただきたいな、と思っていました。 文庫の帯に 鎌田實さんが、 「臨床哲学と臨床心理学という二人の横綱の名勝負は、リズムよく、わかりやすく、ときに詩的で、感動的であった。」と書かれています。また、「臨床の知」という言葉もあります。 私の持っている文庫は、2010年4月30日に出版された朝日文庫の初版本です。当時 鷲田清一さんは大阪大学の総長をやられていました。今になって知ったことばかりです。教科書に載っている、横山ノックさんに似た写真のオジ様には、うかつにも今まで全く無関心でした。

Tweet「900 yen/month はすてきです。その二」

昨夜深更のこと日付がかわり、自宅であやまってモバイル WIFI 経由でネットサーフィンをしていることに気がつきました。気づいたときには遅く、今日の割り当て分の 110MB/日 を使いきり、夜明けを待たずに通信制限がかかってしまいました。しかし、 最大 200KBps での通信は可能との触れこみでしたので、どんなものかと思っていましたが、少し待ち時間が長く気には なりますが、 モバイル WIFI があるのとないのとでは 大違いで、やはり、900 yen/month はすてきです。

Tweet「一青窈さん」

先日といっても、二ヶ月ほど前のことですが、病院の待合室のテレビで一青窈さんをはじめて拝見しました。小柄な方なんですね。結婚され妊娠されていらっしゃる んですね。思っていた通りの清楚な感じの女性でした。結婚式の披露宴で歌われる歌のトップは、ここ何年間も一青窈さんの「ハナミズキ」なんですね。ちょっと場違いなような気がしますが。 「ハナミズキ」を熱唱されていました。一つ一つの所作が、しつらえられたいかにもお仕着せの、お決まりのという感じで、不自然でいやらしく感じました。歌っている姿は見なければよかったなと思いました。 一青窈さんの『明日の言付け」はすてきな本です。お薦めの一冊です。 一青窈『明日の言付け』河出書房新社

河合隼雄が読み解く 長新太『つみつみニャー』あかね書房 その三

「大人にも読んでもらいたい子どもの本の数々ー」を紹介するのがこの本の目的ですので、その多くが『つみつみニャー』の内容の紹介に費やされていますが、関連づけて河合隼雄さんの心理臨床の事例もいくつかあげられています。 長新太は、このような突如として出現してくる非日常空間を描くことにかけては、希有の才能をもった人である。 題名を聞いただけで子どもが転げまわって喜ぶような、そんな題名を長新太はどうして思いつくのだろうか。その答は簡単である。長新太は考えついたり、思いついたりするのではなく、それは「自然に出てくる」のだと思われる。自然に出てくるものは、人間の浅はかな知恵を常に上まわる。子どもを喜ばしてやろうなどとして、何かを考えついてみたところで、それはまったく子どもにとって興味のないものになることだろう。 本当に考えてみると、三角と円とは実に根源的な形で、この二つを組み合わすとどんなものにでもなると言いたい位である。あるいは、現実をデフォルメして根源的な形を求めていったら、円と三角になるのかもしれない。このあたりは画家としての長新太の面目がよく出ているし、その発想が奇想天外であるが、いい加減でないことを示しているとも考えられる。有名な禅僧の仙崖の筆で、円と四角と三角とを描いて、世界と名づけたのがあったことも思い出す。 人間の知恵が行きづまったときは、動物の知恵がしばしば助けてくれる。無理に打開策を考え出そうとしたりせずに、ぼんやり待っていると動物が人間を助けてくれるのである。 それにしても、何とも驚くべき事件であったが、これほどのナンセンスを日常生活との関連のなかで、ある日曜日の出来事として描けるところに長新太の凄さがある。おそらく、その秘密のひとつは、その素晴らしいデッサン力にあるのではないかと思われる。長新太の描く空間は「はかりしれない空間」なので、そこに登場するものが、外的現実の世界と同じでは困ってしまう。従って、そこに出てくるものは、単純化されたり、デフォルメされたりしているが、、それはまた極めてリアリスティックなのである。おそらく、絵の確かさが、まったくナンセンスの世界をうまくバランスしていて、われわれを安心して、そのなかにはいりこませてゆくのであろう。よほど、現実吟味の力の強い人なのであろう。 以下、河合隼雄さんが紹介されている絵本です

長新太『つみつみニャー』あかね書房 その二

長新太さんの『つみつみニャー』を読み直しました。ゆっくりゆっくり時間をかけて読ませていただきました。「あとがき」に「文と絵の相乗作用が肝要なのです。」と長新太さんが書かれている通りに、文と絵が上手く響き合って、相乗効果が生まれ、愉快で、楽しくって、おかしくってたまりませんでした。絵は細部にいたるまで描きこまれていて、また筆の運びによる色の濃淡までが、はっきりとわかりますので楽しみは尽きません。「ほとんど天才」であり、「ナンセンスの神様」の異名に恥じない作品でした。 読んで楽しければそれがすべてであり、批評も批判も解釈もどうでもいいのですが、やはり河合隼雄さんが読み解かれた『つみつみニャー』は気になります。早速 河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫 所収の「長 新太 『つみつみニャー』他」を読ませていただくことにします。

TWEET 長新太『つみつみニャー』あかね書房 その一

長新太『つみつみニャー』あかね書房 が届きました。先日 図書館で読みましたが、もう一度読み返してから、河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫 所収の「長 新太 『つみつみニャー』他」を読もうと思っています。どんなことが書かれているのか、とても楽しみです。 長新太『つみつみニャー』あかね書房 河合隼雄『子どもの本を読む』岩波現代文庫

TWEET「推敲」

これが353個目のブログです。書きかけのまま放置してある文章もありますし、日をおいて読み返すとアラばかりが見え、手を入れなければならない文章や、日本語として破綻している文章もたくさんあると思っています。最初から順を追ってすべて、というわけにはいきませんので、閲覧されたブログから随時推敲していきたいと思っています。 「文は人なり」の言葉通り、文章にはいやおうなく私が表れます。私が、閲覧者の方々にとって、どんな人となりに映っているのか、興味のあるところです。

「ロングテール その二」

Google の Blogger には「統計」という項目があり、「現在時間・日・週・月・全期間」の上位のブログのタイトル名とその閲覧数がわかります。 私のブログの一日の閲覧数の推移をみると、最も最近の数日間のブログの閲覧数が90%を占め、残りの10%がそれ以前のブログであることが見てとれます。「2:8の法則」ならぬ「1:9の法則」です。 このロングテールをなす10%のブログのタイトル名を見ると、ことのほか思い入れのあるブログであることが多く、有り難くもあり感謝もしております。 しかし、なぜ? という感じが否めません。ロングテールをなすたくさんのブログの中から、閲覧者の方たちはどのようにして私にとって特別に意味のあるブログを選んでいるのでしょうか。タイトル名を見てたまたま偶然に、ということなのでしょうか。あるいは、タイトル名に私の意気込みが感じられるのでしょうか。あるいは、ひとえに閲覧者の方々の嗅覚によるものなのでしょうか。

「ロングテール その一」

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「Hatena Keyword」 より。 ネットビジネスにおいて、あまり売れない大多数の商品の売上が、少数のヒット商品の売上を凌駕する状態のこと。 タテ軸に売上げ、ヨコ軸にタイトル数で表をつくる。 表の左側が売れ筋商品、表の右に進むほど売上げが少ない。 この表の右側部分が恐竜のシッポにみえることから、マイナー商品の少ない売上げ部分をロングテールと呼ぶ。 従来の常識では、売上げの大半はメジャー商品が占めていた。つまり恐竜の首の部分(表の左側)に投資を集中させれば、商売が成り立っていた。 ところが、ネット販売の場合、実店舗とちがい、売り場面積のコストが低く、さらに発達した検索機能のため、顧客が簡単にマイナー作品に出会える。このため、Amazon をはじめとする、ネット通販業において、恐竜のシッポがどんどん、太くなっており、大きな収益を生む「ロングテール」として注目を集めている。 インターネットによって、これまで「2:8の法則」などといわれていた2割の商品が8割の売り上げを稼ぐ、という法則が成り立たなくなってきている、といった話。要するに実店舗などでは、2割の売れ筋商品が売り上げの8割となるところを、SEOが施された、アマゾンのようなメガショップは、8割のあまり売れない商品が全体の8割の売り上げになる。 lim→∞=0 こんな感じのグラフになる。 Longtail 「日本では 梅田望夫 の 『ウェブ進化論』 で取り上げられたことにより一連の Web 2.0 ブームと共に脚光を浴び、新聞の特集記事などを飾るほど一般的な用語となった。」 梅田望夫『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』ちくま新書  

梅田望夫「祝祭!!」

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下記、私の手元にある梅田望夫さんの著作です。2008/07/04,06 に注文したものがほとんどです。それは、一青窈さんの『明日の言付け』河出書房新社 が出版された時期と期を同じくしています。 七年前の夏のことです。願ってもないタイミングで、梅田望夫さんと茂木健一郎さん、そして齋藤孝さんの「祝祭のような対談」に出会っています。この時期に こそ、私が「IT革命」をする時宜でした。七年あまりが過ぎ去った今、やっとその端緒についています。悔いはありますが、ようやく機が熟したということなのでしょうか。 以下の新書については、頁をあらためて書きたいと思っています。「若き血に燃ゆる」、生気に満ちた内容の新書ばかりです。昨夜拾い読みをしました。寝つけませんでした。眠れませんでした。 梅田望夫『ウェブ進化論 本当の大変化はこれから始まる』ちくま新書  2006/02/07 初版 梅田望夫『シリコンバレー精神 -グーグルを生むビジネス風土』ちくま文庫  2006/08/10  初版 梅田望夫,平野啓一郎『ウェブ人間論 』新潮新書   2006/12/14  初版 梅田望夫,茂木健一郎『フューチャリスト宣言』ちくま新書  2007/05/08  初版 梅田望夫『ウェブ時代をゆく ─いかに働き、いかに学ぶか 』ちくま新書   2007/11/06  初版 梅田望夫,齋藤孝『私塾のすすめ ─ここから創造が生まれる』ちくま新書  2008/05/08  初版 2008/07/04 梅田望夫さんの書籍の注文表 一青窈『明日の言付け』河出書房新社