「落柿舎 京都 嵯峨野」
向井去来は、松尾芭蕉の門人で、
“蕉門十哲”のうちの一人に数えられています。嵯峨野にある去来の草庵、「落柿舎」で「落柿舎制札」の拓本を求めました。いま我が家の応接間に、自分で裏打ちをしてピンで留めてあります。愉快な制札です。
落柿舎制札
一、我家の俳諧に遊ぶべし
世の理窟を謂ふべからず
一、雜魚寝には心得あるべし
大鼾をかくべからず
一、朝夕かたく精進を思ふべし
魚鳥を忌むにはあらず
一、速に灰吹きを棄つべし
煙草を嫌ふにはあらず
一、隣の据膳をまつべし
火の用心にはあらず
右條々
俳諧奉行 向井去来
訪れた際にいただいた季刊誌「落柿舎」には、
「落柿舎制札」は、元禄七年五月、落柿舎での俳席で、即興に芭蕉が作ったものともいわれ(支考編「本朝文鑑」)、また、その十年前に、去来が元案を作ったともいう。」
と書かれています。
凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり 虚子
その後、「去来」とのみ刻まれたかわいらしいお墓に参り、落柿舎を後にしました。
落柿舎制札
一、我家の俳諧に遊ぶべし
世の理窟を謂ふべからず
一、雜魚寝には心得あるべし
大鼾をかくべからず
一、朝夕かたく精進を思ふべし
魚鳥を忌むにはあらず
一、速に灰吹きを棄つべし
煙草を嫌ふにはあらず
一、隣の据膳をまつべし
火の用心にはあらず
右條々
俳諧奉行 向井去来
訪れた際にいただいた季刊誌「落柿舎」には、
「落柿舎制札」は、元禄七年五月、落柿舎での俳席で、即興に芭蕉が作ったものともいわれ(支考編「本朝文鑑」)、また、その十年前に、去来が元案を作ったともいう。」
と書かれています。
凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり 虚子
その後、「去来」とのみ刻まれたかわいらしいお墓に参り、落柿舎を後にしました。