茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』_「美」の生まれ出ずるところ


「美」の生まれ出ずるところ

茂木 (前略)そこで、まさに江村さんが曲を書いているときに脳の中で何が起こっているかということに繋がります。いかに「超える」か、いかに「際に立つ」か、いかに「疾走する」かということは特別なことで、どうしたらそれが可能になるかをわれわれは考えがちです。この逸脱が人格の変容にもつながるわけですが、自分の人格が変わるような人生の転機で起こっていることって、むしろホメオスタシスなのではないかと気づいたのです。いろんな事態が襲ってきて、自分がどうしようもなくなったとき、必死になって自分を保とうとする。その中で起こるある種の精神運動とかダイナミクスは恒常性の維持であって、その結果気づくと新しい自分ができている。

江村 なるほど。さっき「危険」と言ったのはそれですね。

茂木 (前略)フロー状態のときというのは、無理をしているという感じがないですよね。努力なしに時間が流れている。でも実は、脳の中では大変な騒動が起こっていて、荒波の中で、木の葉のように揺れる小舟みたいに、くねくねとうねっている。その中で何とか姿勢を保とうとしている。自我の働きとしては、ホメオスタシスを志向しているのだと考えられるわけです。
 大変な嵐の中にさらされて、脳内に大変な運動が起こっているという状況のなかで、その軌跡として出てくるものが創造性だとすると、それを得るために必要なものは何かがわかります。まず一つは、嵐の中に身をさらす自分の勇気。もう一つは強靭な自我。この両方がそろったときに、創造性というものが生まれるのではないか、という仮説に行き着いたわけです。

江村 おもしろいですね。危険に身をさらすことができるときというのは、何かを創り出そうという志向性が後押ししているのではないかと思います。脳内がパニック状態であるという重大な局面において、何とか自分を立て直そうとするプロセスの中から、新しい曲を生み出そうとしている。

茂木 だからその大激動が終わった後って癒されているというか、満足をしているんじゃないですか。

江村 そう、文字通り心からの満足を感じています。だけど不思議なのは、僕は意識的にそれができるわけではなくて、「なっちゃった」という状態なのです。(後略)

茂木 意識していてはそういう状態にはいけないでしょう。無意識のうちに働く作用なのではないかと思います。

江村 (前略)社会的には非日常の体験なのですよね。日常的には、安全地帯にいる。安全地帯はもちろん必要なのだけれど、そうではない場所も世の中にはあるということを知っているのも大切ですね。

茂木 そこに、美というものが存在しているのがまた不思議なことです。荒波の中でホメオスタシスを一所懸命に保っていると、美が生まれてくるという。

◇茂木健一郎 / 江村哲二『音楽を「考える」』ちくまプリマー新書