「山の上ホテル」寿司とうなぎと天ぷらと
常盤新平『山の上ホテル物語』白水社(一五八頁-一六二頁)より。
吉田俊男(「山の上ホテル」の創業者)が寿司でもなく鰻でもなく、天ぷらの和食堂をつくったのは、彼なりの考えがあったからだ。日付はないが、山の上ホテルの便箋に吉田は書いている。
〈天ぷら屋のご主人にもよくお目にかかったが、ケレンがなく、何となしに昔からの日本人の見本みたいな方々が多い。
職人の方は年齢的に二つに分れる。四十歳前の人達は何か天ぷらだけではものたりない様な顔をしている。
俺は今でこそ天ぷらだけだが、今に日本料理全般の名包丁人になってみせるぞと言った様な感じの人もかなりある。
それが四十を越した人達は善かれ悪しかれ「揚げ屋」の座に坐りきった感じがするのです。
これが実は一番大切なんではないかと思ふのです。徹し切るためには、失望であろうと失敗であろうと、何でもしてみて、結局俺の本職は旨い天ぷらを揚げることだと、観念しない中には、穴子も揚げすぎたり、かき揚げの中が生だったりする訳でせう。
兎も角東京中で恐らく何千軒となくある天ぷら屋、どこに入って食べても、一応レベル以下の店と言ふものはあまりありません。〉
(中略)
(中略)
吉田俊男は天ぷらと鰻や寿司を比較して、「天ぷら裏話し」を便箋に書きしるした。
(中略)
〈天ぷら屋でもうけたという話しは聞かない。それよりも寿司屋の方が大通りに面しているし、又それよりもうなぎ屋の方が大通りの四つ角に近い。
だからお金をもうけようなどと山気のある者は天ぷら屋にはない。
ところで、天ぷらですが、現在の天ぷら屋程もうからぬ商売はありますまい。大通りに寿司屋はあっても、天ぷら屋を見つけることはむづかしい。四つ角にカバ焼きの煙りは立っていても、天ぷらの旨さにはぶつかりません。
総じて横町とか裏通りに細々と仕事を続けてゐるのがこの商売です。
例へばうちを例に取れば、今年の売り上げはやっと千五00万円位で、純益はたった六0万位でした。
利益が少ないからと言って、止める気にならないのも又天ぷら商売のたのしさでせうか。
例へば花むらさん、天國さんを始め私の知る限りでは、天ぷら屋さんのご主人には共通した個性があると思ふのです。
寿司屋の持つあの威勢のよさとか、うなぎ屋さんにあるあの気むづかしさに対して、天ぷら屋さんに通じる性質とは、リチギな、地味な、それに何とか天ぷらを旨く食べて頂こうかという気持ちだけに徹したものがあると思ふのです〉
(中略)
〈妥協を排し、自らの腕を信じ、まっしぐらに生きて行く姿はそれ自身芸術的な雰囲気をもってゐます。
(中略)
上野のある鰻屋さん。ここのうなぎは串を抜きとっても身くずれのしない上に、焼きあがりの色に深みがあり、皮も丁度よい蒸し方で、好物なのですが、これがこの二、三年いつも休みなのです。
心配になって先日出かけてみましたら、当節は良い小僧が居ませんで、このところ休んでゐますと言ふ訳です。
それが二、三年になり、気に入った下働きが居ないから閉店しているなどと言ったところはまことに偏屈です。
かうした人が未だ居るといふことは、僕には非常に嬉しいことなのです〉
(中略)
〈妥協を排し、自らの腕を信じ、まっしぐらに生きて行く姿はそれ自身芸術的な雰囲気をもってゐます。
(中略)
上野のある鰻屋さん。ここのうなぎは串を抜きとっても身くずれのしない上に、焼きあがりの色に深みがあり、皮も丁度よい蒸し方で、好物なのですが、これがこの二、三年いつも休みなのです。
心配になって先日出かけてみましたら、当節は良い小僧が居ませんで、このところ休んでゐますと言ふ訳です。
それが二、三年になり、気に入った下働きが居ないから閉店しているなどと言ったところはまことに偏屈です。
かうした人が未だ居るといふことは、僕には非常に嬉しいことなのです〉