「自分を釣る」


何度か自分を釣ったことがあります。何度か自分を釣ったのを見かけたことがあります。

時には魚の痛みを知るのもいいことですが、鈎がカエシの部分まで入っているのを見ると泣けてきます。プライヤーでつかみ一気にひき抜けばいいことはわかっているのですが、女々しい私にはそれができません。

プライヤーで恐る恐る鈎を持ち上げるとそれにつれて皮膚が盛り上がってきます。鈎のカエシと皮膚の引っぱり合いっこを、力を加減しながら、息を詰め、痛みに耐えながら、顔をゆがめて見つめています。鈎が外れる時にはイヤな音がします。イヤな感触が手に伝わってきます。

くるぶしの周りに三本のキスバリが刺さったことがありました。小さなキスバリのことですから、容易に抜けるかと思いましたが、そうはいきませんでした。満身に創痍を負ったような凄惨な結果になりました。

中一生の男の子のひとさし指の腹にハゼバリが刺さったことがありました。自分で抜こうかとも思いましたが、病院で抜いていただくことにしました。一部始終を見学していた私は、釣りバリの扱いに不慣れな先生の手さばきに、「代わりましょうか」という言葉をかけたくなりました。五千円近くの治療費がかかりました。

魚体への、また自分へのダメージを少なくするために、今ではカエシのない、カエシをつぶした(バーブレスの)鈎を使うようにしています。イカリの形をした三本バリ(トレブルフック、トリプルフック)ではなくシングルフックを使うように心がけています。

釣りの醍醐味は、意のままに釣ることだと心得ています。大物が欲しいとはゆめゆめ思っていませんが、時おり大物がかかり、泣くハメになります。