土門拳「走る仏像」

下記、土門拳「走る仏像」よりの引用です。

「仏像は静止している。伽藍は静止している。もちろん境内の風景は静止している。と、誰しも思うだろう。仏像や建築や山や木というものは、写真の対象のうちでは、スタティックな被写体に属するはずである。わたしも長い間そう思っていた。ところがある日、宇治の平等院へ撮影に行った帰り、鳳凰堂に別れを告げようとして振り返ってみたら、茜雲を背にたそがれている鳳凰堂は、静止しているどころか、目くるめく早さで走っているのに気がついた。しばし呆然としたわたしは、思わず「カメラ!」とどなった。すっかり帰るつもりでいた助手たちは、げっそりした顔でカメラの組み立てにかかった。その間にも鳳凰堂は逃げるように、どんどん、どんどん走っている。「早く。早く。」とわたしはじだんだ踏んだ。そして棟飾りの鳳凰にピントを合わせるのももどかしく、無我夢中で一枚シャッターを切った。たった一枚。そしてもう一枚と思って、レリーズを握ったわたしは、シャッターを切るのをやめた。さっきまで金色にかがやいていた茜雲は、どす黒い紫色になり、鳳凰堂そのものも闇の中に姿を消していたからである。それは全くどこかへ逃げ去ったとでもいうほかない早さで、姿を消していた。」

「それにしても、茜雲の平等院以後、わたしには、仏像も建築も風景も、疾風のような早さで走るものになってしまったのには閉口である。」



◇K大のP教授の「暗黙のご指導とご鞭撻の旅」のつれづれ / 覚書
◇紀ノ国と巡礼の旅 
◇2006年 / 春
◇熊野古道
◇熊野三山めぐり
◇室生寺での一喝 (土門拳「走る仏像」)
◇和歌山県白浜町の南方熊楠記念館
◇吉野山での一泊
◇三重県松坂市の本居宣長旧宅・本居宣長記念館
◇松坂市の「和田金」さんでは極上の松坂牛の「すき煮」ではなく本当の「すき焼き」をごちそうになり帰路につきました。