「白洲正子と小林秀雄と南方熊楠と」

「浄の男道」
白洲正子『両性具有の美』新潮社
 南方熊楠は今でこそ大変なブームになっているが、小林(秀雄)さんに勧められて、私がはじめて読んだのは四十年ほど前の話で、最初の全集が乾元(けんげん)社から出版された時であった。全集といっても、紙のない頃だから藁半紙に刷ったようなみすぼらしい本で、作品の全部が集められていたわけではない。
 小林さんの読後の感想は、「あんなに記憶がよくて、いつ物を考えるのだろう」といったのが、奇妙に印象に残っている。たしかにその記憶力たるや抜群で、十何ヶ国かの外国語を知っていたと聞くだけでも驚いたが、やたらに知識を並べたてているのがうるさくて、その時はいいかげんにしか読まなかった。
 その中でただ一ヶ所、熊楠が愛していた青年と、日高川で別れる場面が何ともいえず美しく、朝霧にまぎれて東と西に消えて行く二人の姿が、「幽玄」とはこういうことをいうのかと、長く私の心に残った。今でも淡彩の絵巻物を見るように鮮明に覚えている。(132頁)

 熊楠という人は、綿密である反面、大ざっぱなところがあり、まとまった論文や評論集は残さなかったが、手紙や座談の中には興味つきせぬものがある。ひと口でいえば彼は稀代の「お喋り」で、そのお喋りの中から独特の思想は生れた。要するに沈思黙考するたちではなく、いつも人間を相手にして、とめどなく流れ出る知識の奥に彼のほんとうの顔がかくされていると、そう私は思っている。
 熊楠について書いていると、つい私までお喋りになってしまうが、今までいったことは既に周知の事柄であるから、ここらへんで止めておきたい。(133頁)

 岩田準一あての手紙のはじめの方に、「浄愛(男道)と不浄愛(男色)とは別のものに御座候」とあり、そういう話になるのかと思っていると、また古今東西の知識が邪魔になって、ギリシャやペルシャから中国に至る同性愛の種々相があげられ、どれが浄愛か不浄愛か判然としなく成る。
 かと思えば、「さる大正九年、小生ロンドンにむかしありし日の旧知土宜法竜師高野山の座主たり」と突然話は日本の昔へ飛ぶ。その座主からある時弘法大使請来の大日如来の大幅を見せられたことがあった。
 「何ともいわれぬ荘厳また美麗なものなりし。その大日如来はまず二十四、五歳までの青年の相で、顔色桃紅、これは草堂(画師の川島草堂)噺(はなし)に珊瑚末を用い彩りしものの由、千年以上のものながら大日如来が活きおるかと思うほどの艶采あり。さて例の髭鬚など少しもなく、手脚はことのほか長かりし、これは本邦の人に気が付かれぬが、宦者の人相を生写しにせしものに候。日本には宦者なきゆえ日本人には分からず候。」(133-134頁)

『両性具有の美』は、白洲正子最晩年の単行本である。最後にしてはじめて、白洲正子が、また小林秀雄が、南方熊楠に関心をよせていたことを知った。思いもかけぬことだった。

以下、
「南方熊楠 生誕150年」
です。