「白洲正子の本領_那智の滝」
「熊野詣」
白洲正子『十一面観音巡礼』講談社文芸文庫
翌朝起きてみると、雪が降っており、昨日とうって変った寒さである。私達は、本宮へお参りし、昨夜来た道を下って、那智へ行く。
こんなお天気にも関らず、飛滝神社の前には、観光バスが四、五台、止っている。神社といっても、ここには社はなく、滝が御神体である。大勢の人にもまれながら、石段を下って行くと、目の前に、滝が現れた。とたんに観光客は視界から消え失せ、私はただ一人、太古の時の流の中にいた。
雪の那智の滝が、こんな風に見えるとは想像もしなかった。雲とも霞ともつかぬものが、川下の方から登って行き、滝の中に吸いこまれるかと思うと、また湧き起こる。湧き起っては、忽ち消えて行く。それは正しく飛龍の昇天する姿であった。梢にたゆたう雲烟は、空と山とをわかちがたくし、滝は天から真一文字に落ちて来る。熊野は那智に極まると、私は思った。(288-289頁)