「歌を忘れたカナリアは_二日前の処暑の日に思う」

前略 H様
 夏期講習に現をぬかし、読書習慣をすっかり失くしてしまいました。一昨日の日曜日には、夏の疲れからか、昼過ぎまで寝たり起きたりして過ごしました。

昨夜には、
◇ 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社
 「匠たちの手仕事」(82-107頁)
 「『韋駄天』お正の美食案内」(108-127頁)
を、読むともなく、見るともなく、二時間ほどぼんやりながめていました。秋の読書習慣への呼び水としては、いまだじゅうぶんとはいえませんが、しばらくの間、「ぼんやりながめるという読書」を続けます。
 思うのは、京都という町の伝統ということです。いまなおそれらを担い、継承している人たちがいるということ、そしてそれらの人たちは、自己を主張することなく、分限をわきまえて生きているということです。
 秋の古都めぐりに思いをはせています。いつになく欲張りな秋です。
 早々