白洲正子「吉越立雄_梅若実『東岸居士』2/4」

「吉越立雄(たつお)能の写真」
白洲正子『夢幻抄』世界文化社
 あるとき、吉越さんは、ふとこんなことを口走った。
 ー 舞台と見物席の間で、カメラを構えていることはたしかに辛い。またさまざまの(お能以外の)制約にしばられることも、忍耐が要(い)る。が、それとは別にシャッターを「押してりゃ写っちゃう」ときもある。
 そして、その一例として、梅若実の『東岸居士(とうがんこじ)』をあげた。これは実の晩年、老人だから面をつけないでも構わないだろうといって、直面(ひためん)で演じた、そのときの写真である。
 『東岸居士』というのは、十五、六歳の少年の能で、それを八十になんなんとする老人が、面なしで舞うというのだから、ずいぶん思い切った演出である。が、『東岸居士』という曲が、そもそも皮肉な着想なので、年端(としは)も行かぬ少年が、老僧のような悟りを得ており、世の中はすべてこれ「柳は緑、花は紅」、本来空(くう)なれば家もなく、父母もなく、出家してわざわざ坊さんになるまでもない。されば髪もそらず、衣も着ず、飄々として自然のままに生き、興にのったときは羯鼓(かつこ)を打ち、笛を吹いて舞い遊べば、それが即ち極楽ではないか。
「何とたゞ雪や氷とへだつらん、万法みな一如なる、実相(じつそう)の門に入らうよ」
 と、舞いおさめて終わる。筋もなく、劇もない。いわば人間のぎりぎりの姿、ひいては「万法みな一如なる」お能の真髄を語ったものに他ならない。技術の上でも、大してむつかしくないくせに、演じにくいことでは、五指のうちに数えられるお能である。
 お能にはときどき、老人か子供しか演じられないものがあるが、『東岸居士』もそういう種類の一つといえる。
(中略)
実さんはときどきそんな風に、見物の意表をつく演技をし、その度毎に成功したが、もうこの頃は、そんな気持ちもなかったであろう。根が軽い曲のことであり、囃子方もあまりよくはなく、地謡も若い連中で、面をつけることさえ億劫だったのではあるまいか。その幾分投げやりな気持ちが、『東岸居士』の思想とはからずも一致し、みごとな演技に開花した。いうまでもなく、手放しで舞える力量を具(そな)えていたからだが、それは「芸」だけが独り歩きをしているような、たぐい稀(まれ)なる見ものであった。
 吉越さんの言葉を借りれば、だからシャッターを「押してりゃ写っちゃう」ほどの出来栄えだったので、ある人々は「純金のようだ」と褒めたたえた。老人の知恵を体得した少年という、皮肉きわまりない着想は、直面の名人によって、より深く、より美しく、表現し得たといえよう。もしかすると、この演出は、梅若実という鬼才が、無意識のうちに温めていたとっときの切り札で、やかましい習い物や秘曲より、ある意味でははるかに至難な業(わざ)を、人知れずそっとこの世に遺したかったのではなかろうか。文学にたとえるなら、それは梶井基次郎の『檸檬』に匹敵する危険な遊びであり、お能の危機感ともいうべきものを裸形にして見せた演技であった。
 自然に動いた吉越さんのシャッターは、その純金の如き映像を定着させた。写真というものは、相手の芸がいくら巧くても、老残のみにくさを強調してしまうが、この素顔はいかにも美しい。特にそのうつろな眼は美しい。お能は少し巧くなって、身体がきまって来ると、眼のつけ所も定まる。
(中略)
『東岸居士』の説によれば、そんなもの(物に憑かれたような眼)は「松吹く風」、「白河の波」にさらっと流してしまうにかぎる。そのとき、はじめて人は自由な魂を得るであろう。変ないい方だが、お能はお能にも執着してはならないのだ。(117-120頁)