「白洲正子の本領_中山寺 馬頭観音」

「若狭紀行」
白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫
 山門を入ると、目の前にすばらしい眺望が現れた。今通って来た若狭湾から、和田の海、青戸の入江などが、微妙に入組んで一望のもとに見渡される。自然の環境は、人間の上にも影響を及ばすのか、中山寺の住職夫妻も、まことに闊達な方たちで、直ちに本堂の扉をあけて迎え入れて下さる。本堂は檜皮葺(ひわだぶき)のゆったりした建築で、広々とした風景の中にぴったりおさまって見える。
 やがて、厨子の扉が開かれたとたん、私は思わず眼を見はった。そこには実に美しい馬頭観音が端座していられたのだ。馬頭観音は、三面八臂(はっぴ)の憤怒相で、逆立つ頭髪の上に、馬の首を頂き、凄まじい形相で睨みつけているが、その姿体は柔軟で、気負ったところが一つもない、ことに手足の美しさは、さわってみたい衝動に駆られるほどで、そこには柔と鋼、静と動が、みごとな調和を保って表現されている。それは理屈ぬきで、観音の慈悲というものを教えるようであった。この本尊は、三十三年目に開帳されるとかで、十月には厨子を閉ざすと住職はいわれたが、最初から計画したわけではないのに、偶然このような仏にめぐり会えたことは、何という幸せであることか。私は仏教信者ではないけれども、「結縁(けちえん 仏道の因縁)」という言葉を想ってみずにはいられなかった。(25-26頁)

「姿態」は、どこにも力みがなく、弛緩している。すべてを投げうって、重力に任せきっている。いかにもふくよかな体つきをしている。