「一枚の絵について書くことは難しい」

 「読む」ことの難しさが、「書く」ことに匹敵するならば、一枚の絵について「書く」ことは、「描(か)く」ことに相当する。
 「創造的誤読」(井筒俊彦)があるならば、「創造的誤見(誤認)」があってしかるべきである。小林秀雄こそその当人である。「批評」が、「創造的行為」ならば、訳ないことである。
 それは画家の手柄か、見者の手柄か。それとも相乗効果か。いずれにせよ、「創造的誤見(誤認)」とは、見者に用意があっての椿事である。

今日も、
◇ 白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社
に、掲げられている、「雪舟」「本阿弥光悦」「俵屋宗達」「富岡鉄斎」、そして「梅原龍三郎」「奥村土牛」「地主悌助」の絵をぼんやりながめています。
 言葉になるまでながめ続けます。