「如何せん如何せん、名月を戴いて如何せん」

 小林秀雄を、白洲正子を読むにつけ、「観」も「観点」も明らかになった。それらは軌を一にするもので、再認識した格好である。井筒俊彦が「東洋哲学」として、教示してくださったことどもである。と、ここまで書いたところで、私の手は、はたと止まる。
「いかにかすべき我が心」 西行
 如何せん如何せん、名月を戴いて如何せん。
「名月をとってくれろと泣く子かな」 小林一茶
 いまの私は、「名月をとってくれろと泣く子」と、さしてかわらぬ。
 一通りの高校受験対策の授業はできるようになった。授業をすれば、それなりの満足感がないわけではないが、その満足感が曲者である、と思うようになったのが、ことの発端だった。
 さらに、この20年あまりの間に子どもたちが変わり、親たちが変わった。節度なく前後なく、入試後には、たちまちのうちに打ち捨てられる。その変わり身の早さはみごとである。それは目にあまり、度を越している。そういった関係にもうんざりしている。
 ただ、熱に浮かされていただけのことだったのかも知れない。いったん覚めたものに、熱を上げるわけにはゆくまい。必要以上のことはしないことと心に約しているが、見るに忍びなく、あいかわらずである。
 ブログを書きはじめて、2018/08/03 で三年になった。作文を修養の場にするほかないことは重々承知している。行方ははっきりしている。私が右往左往しているのは、そこに至るまでの、不分明な道のりゆえである。

以下、
白洲正子「いかにかすべき我が心」
です。