「白洲正子の本領_稚児灌頂」

「西岩倉の金蔵寺」
白洲正子『かくれ里』講談社文芸文庫
 たしかに不埒な想像だが、日本一の高僧を傷つけることにはなるまい。最澄も、空海も、想像を絶する偉大な人物で、古代仏教の頽廃の中から生れた天才なのだ。人間本来の欲望から、目をそむけるような狭量な人物ではない。一生不犯というのは、特殊な人物にしか望めぬ苦行で、凡夫の僧にしいるべきではないと思っていたかも知れぬ。そこに「稚児」という特殊な階級が生れた。むしろ自然に発生したとみるべきであろう。発生した以上、善導するにかぎる。「稚児灌頂」などという、おそらく日本にしかない不思議な儀軌ができたのも、ふしだらに流れるのを戒(いまし)めたために他ならない。花魁(おいらん)に絶大な見識を与えたように、稚児もみだりに犯すことのできぬ神聖な存在と化した。
(中略)
実際にも、男女の別のない少年には、観音や弥勒に通じる純粋無垢な美しさがあり、たとえば興福寺の阿修羅など、あの夢みるようなまなざしと、清純そのものの肢体は、天平時代の僧院にも、男色が行われたことを暗示しているように思う。観心寺のあの官能的な如意輪観音も、女ではなく、男であった。ほのかにゆらぐ灯のもと、密教の秘法をこらす僧侶たちが、そこに永遠の理想像を夢み、稚児を仏の化身と見たのも思えば当然のことである。夢にはじまり、その夢が現実となって現れる「秋の夜の長物語」は、よくその真髄をとらえているといえよう。(196-197)

以下、
白洲正子「南方熊楠にみる浄愛」
です。