「白洲正子の本領_明恵,美しい釈迦という人間に恋をした」

「高山寺慕情」
白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫
 彼はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁)

「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。