TWEET「生命の連続のなかの結節点」

 小林秀雄におけるベルグソン、井筒俊彦におけるイブン・アラビー。あるいは中井久夫におけるサリヴァン。三氏が依頼する人物が、明らかにみてとれるのは面白い。小林秀雄については不明だが、井筒俊彦、中井久夫は原書で読み、その後中井久夫は翻訳を出版している。
 三氏が「私淑」したともいえる、生涯にわたった関係のはじまりは、めぐり合いという偶然も手伝ったのであろうが、三氏の嗅覚のなせる技であったように思う。
 昨日乱読中に、
「あらゆるものは生命の連続のなかに生きる。その連続の過程をどれだけ充たしてゆくことができるのか、そこに生きることの意味があるといえよう」(白川静『漢字百話』「31 生と命」96頁)
との、白川静の言葉に出会った。三氏は、また白川静は、「生命の連続のなか」に結び目を作った。ふり返ると思いがけずも結節点ができていた、といった方が正確かもしれない。渦中には顧る余裕もなく、ただ充溢した時間の中にあったのだろう。