投稿

TWEET「領空侵犯」

 先日は途中で投げ出した格好での幕引きになってしまいましたが、その後上手く解決されたことと拝察しております。スキャナーが保存先に「Google ドライブ」や「Dropbox」を指定してくることに、少なからず驚きを覚えています。  秋の行楽シーズンも、雲行きがあやしく、自粛ムードが漂っていますね。ステイ ホームには慣れっ子になっているものの、余儀なくされるとやはり困惑します。引きこもりという非社会的な行為に陽が当たり、「在宅」という言葉に換言され認知されつつあるいま、非社会的であることが第一義である私にとって、次なる非社会的な居場所を探す他なく、少なからずコロナ禍の下に身を置いています。死活問題です。悠長に構えているわけにはいかず、スクランブル発進の必要を感じています。 連日 真夏の陽気ですね。 くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「花火で描いたハートのマーク」

イメージ
 今朝の予想最低気温が 5℃とは驚きましたが、ご無事でしょうか。富士山頂なみの気温ですね。いったいどこにお住まいのことか、と頭を抱えています。 「手持ち花火」で、二人で描いたハートのマーク、この夏一番のすてきな思い出ですね。幸せな気分に浸っています。  昨夕の夏ハゼ釣りは、このところの日照り続きで「苦潮(にがしお)」が発生し、川は一様に濁り、ハゼは酸欠で食い気なく、やる気なく、ルアーを泳がせて帰ってきました。大水が出ないかぎりこの濁りは消えないものと思っています。  川辺から子どもたちの姿が消え、釣り人の姿が消えてから幾星霜かが経ち、流れの相が変わり、岸辺の相がすっかり変わってしまいました。   朱に染まった夕雲と南西の空高くにかかった三日月がきれいでした。 今日からは子どもたちと、過ぎゆく夏を存分にお楽しみください。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「女満別のひまわり畑」

イメージ
こんにちは。 みごとな「ひまわり畑」ですね。黄に染まった地平の上に広がっているのは、紛れもなく北海道の空で、合成写真でも見ているかのような錯覚にとらわれています。目の覚めるような画像、どうもありがとうございました。  最高気温は 4℃ほど下がりましたが、いぜん 33℃前後を行ったり来たりしています。しかし、昨日より雲行きがあやしくなり、断然楽になりました。  週末には早くも定期テストが組まれていて、休日返上です。中学は意地悪ですね。  夕方 目と鼻の先を流れる豊川(とよがわ)にハゼ釣りに行こうと思っています。今春生まれたばかりのかわいらしい夏ハゼ釣りです。ハゼは高級魚です。ご来豊時に何度か素通りした天ぷら屋さんでは、2尾で 500円は下らないと思っています。  ふぐの味は淡白で、味覚音痴の私にはわかりません。先日、「ふぐ刺しはポン酢の味がした」という変な人と話しました。ご一緒した 「ホテル 九重」 さんの、地元 舞坂港(まいさかこう)に水揚げされた「遠州灘天然とらふぐ料理」は名が通っています。季節限定です。お二人でお越しください。ポン酢の味を堪能しにお越しください。歓待いたします。 すてきなお便り、また父へ変わらぬお気づかい、どうもありがとうございました。 残暑厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「処暑に寄せて」

 明日 は二十四節気の「処暑」です。「暑さが落ち着き始める頃」です。そろそろ処していただけないものか、と連日の猛暑に天を仰いでいます。 「処遇はいつのことですか」 と P教授にお尋ねすれば、 「空のことは空に訊け」 と涼しい顔をしているばかりで、取り付く島もなく、一蹴された格好です。  コロナ禍といいこの猛暑といい、平らけく安らけく鎮まることを祈るばかりです。

TWEET「受験生のいない夏」

「受験生のいない夏」は気楽です。心労が半減したかのような開放感を覚えています。「コロナ禍の夏」は、オーバーフローの懸念と常に隣りあわせだった、と想像しております。  また、およそ三か月間に及んだ臨時休校中には、一年間分のカリキュラムを半年でこなせることを自覚しました。私が、また子どもたちが、いかに学校に目を奪われ、よそ見をしていたかの証左です。  これを機に「ご維新だ」と叫びはしたものの、終息までは陋習に甘んじ、「stay loose」を決め込もうと、意気地のないことを考えております。

「拝復 P教授様_一陣の涼風」

イメージ
「P教授の秘技_その一」 「残暑お見舞い申し上げます。 写真添付しました。 P教授」 おはようございます。 どこの溪谷なのでしょうか。 被写体も構図も陰影も申し分なく、すてきな写真に目を奪われています。 さわやかな一陣の涼風が吹き抜けました。 「いの一番」、どうもありがとうございました。玄人はだしの 添付画像に舌を巻いています。 残暑厳しきおり、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 「秘技_その二」 こちらの溪は打って変わって厳しい表情をしていますね。「厳父」と「慈母」ほどの差異を感じています。 『陰翳礼賛』。 順序がすっかり狂ってしまいました。いまシャワーを浴びました。これから洗濯機を回し、その後 午睡。目覚め次第物干し、ということにしました。 添付していただいた二枚の写真には、少なくとも私の今日の都合を変えるだけの力がありました。 度々のご送付、どうもありがとうござました。 FROM HONDA WITH LOVE. 「秘技_その三」 滝に打たれる白装束のP教授の影が見え隠れしています。 ご一緒させていただいた、那智の滝は尊く、御神体でした。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: 「その二,三」の画像は、「秘すれば花なり」ということにさせていただきました。「メール文章作法 練習帳」が続きます。書くことに事欠いています。あっぷあっぷしています。

TWEET「ステイ ルーム」

おはようございます。  昨日から二学期が始まり、早くも 2020/08/26,27,28 には定期テストが組まれています。昨夕 何十枚かのコピーを撮りましたが、残暑厳しき折 廊下のどん詰まりは過酷でした。コロナ禍の「はじめての夏」は冷房なしには過ごせず、「ステイ ルーム」の缶詰め状態を余儀なくされています。  昨日までは最高気温が 37℃前後でしたが、今日からは 33℃界隈で推移するとの予報です。この温度差を体感できると誠にいいのですが。エアコンの設定温度の 1℃の高低差は確実に分かります。その温度設定が外気の温度差を知る目安になるのかも知れませんが、その相関関係を上手く思い描くことができず、と柄でもないことを考えているうちに、体に熱を帯びてきたので止めました。  冷気が床を這い、長居をすると足首のまねき(三河弁でしょうか?)が悪くなり、アキレス腱が硬化し痛みを感じます。危険信号を察知した際には、庭に出て暖をとっています。  いまマクドナルドに籠城していますが、過冷房で、長袖のシャツを重ね着し、その上にウィンドブレーカーを羽織り、靴下を履き、膝掛けを掛け、と重装備です。首筋に直接風が当たる際にはフードをかぶっています。季節外れの格好をしているのは私ひとりで、不思議に思っています。長居厳禁、というマクドナルドさんの戦略かと邪推してみたりもしています。 お気づかい、どうもありがとうござました。 コロナ禍収束とはほど遠く、心労も絶えないことと拝察しております。くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 また。 K さんによろしくお伝えしてください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:ジム通いの都人 はだいじょうぶでしょうか 。

「残暑お見舞い申し上げます_決意の夏です」

おはようございます。 ご無沙汰しております。 以下、父の近況です。   ソーシャルワーカーさんは転院したその日(2020/07/03)から、私の顔さえ見れば決断、決断と、たいそうな言葉で “決断” を迫ってきます。なぜ経過をみる時間を与えてくれないのか、不思議に思っていました。先週の火曜日には電話がありました。   その翌日リハビリの様子を見に行ってきました。歩行器を押しての、左手で手すりを右手で杖を突いての、よく見かける段差の、数段の階段の昇り降りもしていました。Nさんには遠来、お見舞いにお越しいただいた「江崎病院」さんでの退院時のリハビリと同程度のメニューをこなしていました。  帰宅後に備えて衣服の着脱の練習等々もしていただいています。右肩が痛く右腕があまり上がらないとのことでした。  これ以上の回復は望めないのか、望めないとしたら退院の時期は、とそんなことを思いながら見ていました。  土曜日に「介護老人保健施設 みのり」さんの相談員の方とお話ししました。今回が転倒での4回目の入院ですが、今後も転倒を繰り返す恐れがありますので、入所して「みのり」を拠点に、ここと自宅とを行ったり来たりするのがいいと思います、と言われ、また、威夫さんは私が説得しに行きます、とまで言われました。  その後、お父さんと相談し、また父も了解し、いま入所の手続きを進めています。「みのり」さんは同じ中学校区内にあります。  昨日 市内で2名の感染者が見つかりました。計48名です。車内にマスクが入れてあるのですが、無警戒、無防備、無頓着の「3つのM」が常態化し、毎回マスクを着け忘れ車に取りにもどっています。  それにしても暑いですね。エアコンもなくだいじょうぶでしょうか。結構 熱中症注意報が出ていますよね。くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 また。 残り少なくなりました夏休みを、北海道の短い夏を存分にお楽しみください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 TWEET「不蝶」 です。

TWEET「慶祝!慶賀!!神宮初登板」

イメージ
井澤駿介君の雄姿、確と拝見いたしました。 東大野球部と聞くと、 司馬遼太郎「国友鍛冶」 を思い出します。 渡岸寺の十一面観音像を拝観しに行く途中、国友の町を二回訪ねたことがあります。信長が鉄砲 500丁をあつらえたと伝えられる鉄砲鍛冶の町です。司馬遼太郎の『街道をゆく 二十四』「国友鍛治」の一節を刻んだ愉快な碑があります。国友は清潔な町です。 司馬遼太郎「国友鍛冶」_01 司馬遼太郎「国友鍛冶」_02 資料館で訊ねると、ご両親は亡くなられ、また国友充範氏は、NHKを退職され東京在住とのことでした。「鉄砲火薬商 / 国友源重郎商店」は現在 空き家です。 以下、 「国友鉄砲ミュージアム」 です。 ご丁寧なご連絡、どうもありがとうございました。 東大を応援することになるとは、ゆめゆめ思いませんでした。 最後は「陸の王者慶應」さんの矜持が優った、との感想を抱いています。 井澤君の今後に期待もし、また楽しみにもしています。 残暑厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:1543年 種子島に鉄砲が伝わりましたが、その数はわずかに二丁だけでした。

TWEET「おほめに預かり、慌てる」

以下、 「かまなび 第三の選択 集団か 個別か かまなびか」 さんのサイトからの無断引用です。 「自分の子どもを通わせたい塾」  以下のチラシの一部は全てコンビニ塾がばらまいている最近の広告です。ポストに入っていました。「無料」「0」のオンパレードチラシが目立っています。  個別指導の授業の価値はゼロだと自らうたっています。これら全て大手のコンビニ塾です。無料で新規のカモを釣り上げることに力を入れるのではなくて、今いる子達をどうするかを最優先に考えてほしいですよね。  これらのようなどこにでもあるコンビニ塾に対して、ここだったら自分の子どもを入れてもいいなと思える塾もあります。そんな全国の塾を見つけて勝手に紹介してみようと思います。 まずは、愛知県の塾です。 【塾・ひのくるま・本多塾】  ここの先生は、「塾をさっさと辞めて欲しい」とHPに書いているところがいいですね。やっぱり自学が大事なんだと認識されています。  また、「最短でできるようにする」ためにオリジナルプリントを作って指導されているようです。プロだったら最短でなんとかさせる手法を考えるのが普通なんですけど、コンビニ塾ではそうではありません。 「これができるようになるにはこれだけの授業を買ってくれ」というスタイルなんです。  それだけ授業を買わせてできるようにさせるのはプロの仕事ではないと僕は思いますね。  集団塾でも生徒を長時間拘束して無理させるところもありますけど、それもプロの仕事とは言えないでしょう。短期的な効果を出すために生命力を削らせるというのは受験で結果を出せても、それは後になって反動が起こることがあります。  グリグリ力まかせに治すようなヤブ整体のようです。以前私がお世話になった整体は、ほとんど力をかけずに指で軽くトントン押したりするだけで治してくれて大変驚きました。  僕が通っている歯医者の先生も、1・2回通えば直してくれます。  本当にすごい先生は少ない回数で、身体への負担をかけずになんとかしてくれるようです。  最短をうたうここの塾では、おそらく相当入念な準備をされているのでしょう。コンビニ塾では到底真似できない芸当だと思います。  2016/ 03/05 に書かれたものです。うかつにも昨日気づきました。おほめに預かり、慌てております。「ここの先生」とは自分のことか、と驚きました。過大評価...

TWEET「符牒」

イメージ
 必要に迫られ、「入院診療計画書」の解読という難題をつきつけられた。私にとって記された文字は符牒だった。 「入院診療計画書」 その昔、S病院のS先生に、 「読めません」 と言うと、 「そんな不足があるなら、来なければいいじゃん」 と言われ、仰天したことがあったので、今回は恐々看護師さんに伺いに行った。符牒を付箋上に転換していただき、解らない言葉を説明していただいた。解読作業はあっ気なく終わった。慣れということもあるだろう、また専門用語を共有しているということもあるだろう。  しかし、“転成文字” での筆記は困りものである。学生時代、変体仮名で苦労した覚えがあるが、それには明らかな意味があり目的があった。そして何よりもそれは美しかった。

「前略 浅井よしたか様_祈!ご当選!!」

イメージ
 昨夜はさわやかな弁舌に聞き入っていました。どうもお疲れさまでした。  帰宅後早速、ヘッドライトの明かりを頼りにポスターを貼りました。コロナ禍終息、暑気払いに効果覿面と信じております。 「2020/11/08 豊橋市長選挙」 選挙までの三か月、カウントダウンしながら過ごす毎日は早いですね。 暑さ厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。 ご自愛ください。 また。 ご家族の皆様によろしくお伝えしてください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 GOOD LUCK!  FROM HONDA WITH LOVE.  運転手さんを待たせてしまっての、久しぶりに聞く浅井節、痛快でした。またの歓談、談笑を楽しみにしております。  今朝一番で、同種の「結束バンド」を「ダイソー」で仕入れ補強しました。「アメニモ負ケズ / カゼニモ」、野分ニモ負ケズ、「デクノボートヨバレ」、これで完璧か、と思っています。  二人分の給付金の半分を「国境なき医師団」に寄付しました。残りの半分の給付金の、それに見合った嫁ぎ先を探していました。「カエサルのものはカエサルに」,「お上のものはお上に」ということで、「東三河広域連合」のために託すことに決めました。近日中にお届けいたします  当時 当塾の塾生のお母さん方は、給付金を手にして、やる気満々でした。 お忙しいなか、ご丁寧なご挨拶どうもありがとうございました。 立秋を過ぎたとはいえ、残暑厳しき折、くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:今日「老健」さんの相談員の方にリーフレットを差し上げました。残り 54枚です。2時間ほど世間話をしてきました。さすがに相談員の方だけあって、沈黙には慣れていますね。 以下、 「浅井よしたか 公式サイト」 です。

「高山寺にかかる月」

 2019/05/19 に訪れた栂尾山 高山寺は、台風24号の被害で大規模修復工事中でした。わずかに石水院しかのぞむことができませんでした。高山寺の新緑はすばらしく、ぜひ来年の新緑の季節にいらしてください、と受付の女性にいわれました。  現在サイトには、令和2年3月31日をもって改修工事が完了した旨の、 「台風災害復旧工事完了の御挨拶」 が掲載されています。  新型コロナ禍の下、県境(けんきょう)をまたいでの旅行ははばかられ、明恵上人が友とした高山寺にかかる月を拝するのはいつの日か、とそんなことばかりを思っています。  今日は立秋です。残暑厳しき折、高山寺で求めた 「扇子〈国宝 鳥獣戯画〉」 をぱたぱたしています。 「高山寺慕情」 白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫  彼はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁) 「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。

TWEET「風に順う」

 2015/08/03 から書きはじめたブログが 5年目を迎えた。今日から五歳児の作文である。脈絡もなく 書き散らした感を抱いているが、これも幼児の性向と思い納得している。  帆に風をはらみ、風に順うことにする。

「山賊の岩魚釣り」

伊藤正一『定本 黒部の山賊 ー アルプスの怪』山と渓谷社  林平の岩魚釣りはまさに名人芸だった。彼はどこの岩魚は、それぞれの時期にはどんな虫を食べているかをよく知っていたので、その虫の色に合わせて、毛針を自分で巻いた。  彼は流れのはたを、上流に向かって静かに歩きながら針を投げた。針を投げつつ歩く速さは常人がふつうに歩く程度だった。彼の手もとが軽くかすかに動くと、針は生きたもののように彼の思うところに落ちた。すると、まるで磁石にでも吸いつけられるように魚が吸いつけられてきた。つぎの瞬間、岩魚は空中をひらひらと舞うように飛んで、左手の手網の中へ飛び込んだ。そしてそのときには針がはずれているのである。万一途中で針がはずれても、岩魚だけは手網の中へ飛び込んでくる。まさに見惚れるほどの名人芸である。「拾うよりも早い」と彼は言っていた。  六月ごろまで黒部の谷にも雪渓がだいぶ残っている。雪渓の下にいる岩魚を釣るときは、彼は針を水平に振った。魚は水平に飛んで手網の中に入った。あまりのみごとさに私はしばしば見惚れていた。後日政府のある高官が「無形文化財にしようか」と言ったほどである。  調子のいいときは半日で十貫ほど釣ったこともある。そんな日にはそれ以上は釣らなかった。残りの半日で釣った岩魚を燻製にするためである。  通常、岩魚はだれかの釣ったあとしばらくのあいだは絶対釣に釣れないものだが、不思議に林平の釣ったあとは、直後でも釣れた。彼はぜんぜん魚をおどかしていなかったからである。  林平は漁をするだけでなく、山と魚を愛していた。釣りの往復にはかならず鎌を持って行って道端の草を刈りながら歩いた。また絶対に小さな魚は釣らなかった。まちがって小さなのを釣ったときは「来年まで、でかくなっていろよ」と言って逃してやった。 (中略)  その彼はもしだれかが毒などを流して岩魚を獲ろうものなら、怒り心頭に発して徹底的にこらしめた。「毒を流すと、幼魚や、岩魚の餌になる川虫までが死んでしまうから、当分岩魚が絶えてしまう」と言うのである。  したがって彼らのいたころは、悪い猟師が入らず、黒部は荒らされなかった。その点は、むしろ山賊のよい半面であった。(58-59頁)     遠山林平は、四人の「黒部の山賊」の一人である。 山賊とは良識ある山人、哲人のことだった。 「半日で十貫ほど」とは「半日で...

TWEET「一枚のフィルム」

 水面とは、水中と空中を分かつ一枚のフィルムです。釣りとは、一枚のフィルムをはさんでの、釣り人と魚との攻防です。 田上八朗『皮膚の医学―肌荒れからアトピー性皮膚炎まで』中公新書 「皮膚のいちばん表面にある、20ミクロン(1ミクロンは1000分の1ミリ)の薄さしかない角層とよばれる膜」(2頁)は、体内と体外を分かつ一枚のフィルムです。生体とは、一枚のフィルムをはさんでの攻防によって成立する活動主体です。 「このような薄い角層のシートで、水をいっぱいにいれた瓶の口を塞いでみると、何日たっても、水はちっとも減りません。つまり角層は、ゴム袋と同じように、水のような小さな分子でも通しにくい、生体がつくりあげたバリア膜、防御膜です。角層の上に細菌はもちろん、ウィルスのような小さな微生物をべったりと塗りつけたとしても、なかには入ってゆけません。このように、害をおよぼすものは通しにくい性質の膜でからだ全体を包んで保護し、さらにその内側を、繊維や細胞組織が裏打ちをしているのが基本的な皮膚の姿である、といってよいでしょう。」(4頁)

TWEET「バーサタイル(versatile)」

「バーサタイル(versatile)」という釣り用語がある。「バーサタイルロッド」といえば、「汎用性のある釣竿」というほどの意味である。特化した点 のない「バーサタイルロッド」ほど釣趣に欠けたロッドはない。「バーサタイル」とは面白みがなくつまらない、と私は解釈している 。  いまなぜ「バーサタイル」かといえば、卒塾生で釣友の H君にソルトウォーターフィッシングに再三誘われ、ついにその気になり、この数日間釣り道具と戯れているうちに、ふとそんなことを思った、ということだけの話で ある。  2020/08/02 AM3:00時 集合である。  釣りの世界には魔物が住んでいる。H君の悪魔のささやきを機に、釣りに現を抜かすことを恐れているが、人生を賭する覚悟がなければ面白くなく、釣果も上がらないのもまた事実である。  「そぞろ神の物につきて心を狂はせ」「取るもの手につかず」、早くも釣りと心中する勢いである。

井上靖『本覚坊遺文』_「冷え枯れた磧(かわら)の道」

井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  ーーあの道は余ひとりの道。本覚坊などの入ってはならぬ道。  ーーどうしてでございましょう。  ーー茶人としての利休の道。他の茶人には、それぞれ別の道がある。師紹鷗には 師紹鷗の道がある。宗及どのには宗及どのの道。本覚坊が昵懇な東陽坊どのには東陽坊どのの道がある。が、いいか悪いかは知らぬが、利休は戦国乱世の茶の道として、あの冷え枯れた磧の道を選んでしまった。  ーーあの道は、一体、どこまで続いているのでございましょうか。  ーー際限なく伸びている。しかし、合戦のなくなる時代が来ると、誰にも顧みられなくなってしまうだろう。あれは利休ひとりの道だから、利休と共に消えるが いいと思っている。  ーー師お一人の道?  ーーと言っても、少し先きを山上宗二どのが歩いて行っている。わしのあと、もし歩く者があるとすると、古田織部どのということになろうか。まあ、それで終わる。  ここでぷっつりと師利休の声は切れた。そしてもう二度と師の声は聞えて来なかった。(190頁) “無ではなくならん、死ではなくなる” と山上宗二さまがおっしゃったあの茶室(山崎の妙喜庵)で、本覚坊は、御自刃直前の師利休にお目にかかり、そしてお話を伺ったのである。師利休のお話には、本覚坊の理解できるところもあり、理解できないところもあるようである。しかし、師は、本覚坊がこのところ、日夜考えに考えているところに沿って、それを御自分の言葉で話して下さったようである。  あの冷え枯れた淋しい道の上に、師利休をまん中にして、山上宗二さまと古田織部さまが、前と背後を歩いていらっしゃる。そのことの意味を、師利休はおっしゃりたかったのではないかと思う。今になると、しきりにそのように思われてならない。宗二さまも、織部さまも、死を賜った時、師利休と同じように、茶人として、初めて何ものかをお持ちになり、そこで静かに茶をお点てになって、そこから脱け出すことはお考えにならなくなったのかも知れない。しかし、こうしたことは本覚坊などの立ち入ることのできない世界のようである。 (195-196頁) ー 目録・終り ー 「終章」最後の「日録」,「二月七日、癸酉、天晴 ー 註、元和八年、陽暦三月十八日 ー 」からの引用である。 “最終章” である。本覚坊の「醒めるために見た夢」(白洲正子「 昭和と私」)のことど...

井上靖『本覚坊遺文』_「茶人として刀を抜くしかありません」

 ーーよく覚えているな。  ーーそれは覚えております。宗易(利休)、生涯での記念すべき日でございます。あれ(坂本の茶会で初めて太閤さまの御茶頭という資格で席に臨んで)から今日まで足かけ八年、上さまにお仕えしてまいりましたが、いよいよお別れの日となりました。永年に亘っての御愛顧、御温情のほど、お礼の申し上げようもございません。  ーーなにも別れなくてもいいだろう。  ーーそういうわけには参りません。死を賜りました。  ーーそうむきにならなくてもいい。  ーーむきにはなりません。上さまからはたくさんのものを頂いてまいりました。茶人としていまの地位も、力も、侘数寄への大きい御援助も。そして最後に死を賜りました。これが一番大きい頂きものでございました。死を賜ったお蔭で、宗易は侘茶というものがいかなるものであるか、初めて判ったような気がしております。堺へ追放のお達しを受けた時から、急に身も心も自由になりました。永年、侘数寄、侘数寄と言ってまいりましたが、やはりてらいや身振りがございました。宗易は生涯を通じて、そのことに悩んでいたように思います。が、突然、死というものが自分にやって来た時、それに真向うから立ち向った時、もうそこには何のてらいも、身振りもございませんでした。侘びというものは、何と申しますか、死の骨のようなものになりました。  ーーそれはそれでいいではないか。むきにならない方がいい。  ーーでも、上さまは今はそのようにおっしゃいますが、上さまは上さまとして、本気で刀をお抜きになりました。お抜きになってしまいました。そうなると、宗易は宗易で、茶人として刀を抜くしかありません。(183-185頁)  ーーお気に召さないといって、死を下さいました。堺追放をお言渡しになった時、見栄も外聞もなく、上さまは本当の上さまになられました。茶がなんだ、侘茶がなんだ、そんなものは初めからたいしたものとは思っておらん。付合ってやっただけだ。そんなお声が聞えました。上さまが本当の上さまになられたことで、宗易もまた本当の宗易にならねばなりませんでした。お陰さまで宗易は本当に、長い長い間の夢から覚めることができたように思います。(185-186頁)  ーー侘茶の世界。それはなんと長い間、私にとっては不自由な世界であったことでございましょう。でも自分の死を代償として、それを守ろうとした時、それは...

井上靖『本覚坊遺文』_「死の固めの式」

井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  ーーそんなものは茶ではない。茶人と茶人が尤もらしい顔をして茶を飲んだって始まらぬ。雪が降ったのは、恰好がつかないので雪の方で降ってやったのだ。わしは一生のうちに、これが茶会だなと思ったことが一度だけある。  そう切り出されて、本覚坊の話は向うへ押し遣って、ご自分の話をそれにお替えになった。  ーー大坂夏の陣に於て河内でいち早く討死した木村長門守重成どのを、その半歳前に大坂の余の茶室に迎えたことがある。客は既に半歳先きに迫っている死を覚悟していた。木村長門守にとっては今生最後の茶であった。それが余にはよく判った。何と言うか、それは自分が死んでゆくことを自分に納得させる、謂ってみれば死の固めの式であった。それに余は立ち合わせて貰った。茶はこのようなものであったかと思った。  有楽さまはおっしゃった。その時の有楽さまの、有楽さまらしからぬ固いお顔が眼に浮かんでくる。めったにお見せにならぬ生真面目なものがお顔を走っていたと思う。 (中略)  このようなことにあれこれ思いを馳せている時、師利休もまた有楽さまと同じようなことを言われたことがあったと、思いは師利休に移った。  ーー永禄四年に堺で物外軒(三好実休)どののために茶を点てたことがある。一年先きの死を予感されていた。囲(茶室)に入ってから出るまで終始見事であった。客より五、六歳ほど年長の亭主であったが、亭主の方が及ばなかった。押されづめに押されていた。  師利休は言われたが、有楽さまと同じようなおっしゃり方だったと思う。そう言えば、師利休は、また高山右近さまの茶についても言われたことがあった。  ーー自分より三十歳も若い南坊(高山右近)どのであるが、今日はどうしても及ばないと思った。尤も今日に限ったことではない。いつも同じような思いにさせられる。どこかに自分を棄てて、これが最後といったところがある。あの静かさは普通では出て来ない。誰も及ばない。  天正十八年十二月の終りに、右近さまを一亭一客でお迎えになった日の夜のお話である。 (中略)  それはそれとして、師利休がお褒めになるように、本覚坊の眼にも高山右近さまはいつも御立派に見えた。もし茶室に於けるお姿の立派だった方を一人選ぶとすると、本覚坊の場合も亦、高山右近さまということになりそうである。バテレン信者というものがいかなるものであ...

井上靖『本覚坊遺文』_「太閤さまはその度に死を賜っていた」

 井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫  ーー狭いのは、狭いのでいいが、この茶室(「如庵」)はのんびりと遊べるところにした。狭いと、とかく真剣勝負になる。真剣勝負になると、勝ち敗けになる。利休どののようになる。死を賜りかねない。  また師利休が飛び出したと思っていると、  ーーどうして利休さまは死を賜ったのでございましょう。  大黒屋が言った。(織田)有楽さまにとっても、迷惑な質問であろうと思われた。すると、  ーーああ、なぜ死を賜ったというのか。表向きの理由は知らぬが、まあ、それは簡単なことだと思う。一体太閤さまはどのくらい利休どのの茶室に入っているかな。  有楽さまのお顔が、こちらを向いたので、  ーーさあ、どのくらいの数になりますでしょう。何十回、あるいは何百回。小田原役の頃などは、箱根で殆ど毎日のように師利休の席にお越しになりました。  そう答えると、  ーー何十回か何百回か知らぬが、太閤さまは利休どのの茶室に入る度に、死を賜っていたようなものだ。太刀は奪り上げられ、茶を飲まされ、茶碗に感心させられる。まあ、その度に殺されている。死を賜っている。太閤さまだって一生のうち一度ぐらいは、そうした相手に死を賜らせたくもなるだろう。そうではないか。  有楽さまはおっしゃった。どこまでが本気で、どこまで冗談か、ちょっと見当のつかないところがあった。  すると、大黒屋は重ねて訊いた。  ーー太閤さまにお詫びすれば助かったのに、お詫びしなかった。一時、そのような噂もございました。  ーーそう。  有楽さまはこの場合も少しも動じられず、  ーー利休どのはたくさん武人の死に立ち合っている。どのくらいの武人が利休どのの点てる茶を飲んで、それから合戦に向かったことか。そして討死したことか。あれだけたくさん非業の死に立ち合っていたら、義理にも畳の上では死ねぬだろう。そうじゃないか。  この場合も有楽さまは何でもないことのようにおっしゃった。そんなことは判り切ったことではないか。そうしたお顔である。しかし、そのあと、  ーーだが、利休どのは豪かった。天下に茶人多しと雖も、誰一人、肩を並べる者はない。自分ひとりの道を歩いた。自分ひとりの茶を点てた。遊びの茶を、遊びでないものにした。と言って、禅の道場にしたわけではない。腹を切る道場にした。  それから、  ーーまあ、この辺でやめよう。利休...

井上靖『本覚坊遺文』_「利休どのに殉じたのだ」

井上靖『本覚坊遺文』講談社文芸文庫 しかし、それとは別の理由で、わしもまた織部どのの死を予見していた。ただ口に出さなかっただけのこと。  ーー ーーー  ーー織部どのは死ぬ時を探しておられた。  ーー ーーー  ーー織部どのにお会いする度に、いつも、この人は死ぬ時を探しているなと思った。  ーー ーーー  ーーそうではなかったか。  (本覚坊は)そう言われても一言も口から出すことはできなかった。ただ小刻みに体が震えてくるのをどうすることもできなかった。右手を縁側の板の上につき、体を折って、目を瞑っている。  ーーが、人間というものはみな、念じればそのようになる。利休どのが亡くなられてから何年目か、そう、二十四年か、二十五年か、漸くその時を摑まれた。どうしてその時を逃すだろう。しかも、思いもかけないことだが、それは利休どのの場合と同じ形でやって来た。  ーー ーーー  ーー罪に服したのではない。利休どのに殉じたのだ。  それから。  ーーまあ、この話はこれだけにしておこう。誰にでも話せることではない。それにこれが真相であるかどうかは知らぬ。ただ(織田)有楽がそう思っているだけのこと。そこもとはどのように考えるか。  ーーわたくしには、そのようなことは、とんと判りません。織部さまのあのような御最期がただただ悲しいだけでございます。世間では御謀反などと、ーー。  ーー謀反か、そういうことになると難しい。本人に訊いてみないと判らぬ。が、おそらく織部どの自身は知らぬことであったろう。しかし、まわりにそのような動きはあったかも知れぬ。が、本人が知らぬことならば、いくらでも申し開きはできる筈、が、それはしなかった。  ーーどうしてでございましょう。  ーー面倒臭かったのだろう。茶を本気で点てていたら、そんなことは面倒臭くなる! それよりも、 折角の機会だから、利休どのが申し開きをしないで相果てたように、自分もまた、そのようにしようと思われたのではないか。それが殉じるというもの。  判るような、判らぬようなことではあったが、有楽さまのお言葉の中には、いささかも、織部さまを傷つけているところはなさそうであった。  ーーお辛かったでございましょうか。  ーー辛くはなかったであろう。 (118-120頁) 「面倒臭かったのだろう。茶を本気で点てていたら、そんなことは面倒臭くなる!」 の文...

TWEET 「男もしてみむとてするなり」

 祖母の遺品の日傘が幾つかある。この夏はじめてさした。雨傘よりもよほどおしゃれである。 「男もしてみむとてするなり」。  勝手口から目と鼻の先の駐車場まで、意気揚々と日傘をさして歩いていると、ご近所の方に、 「これくらいの距離、傘ささなくてもだいじょうぶじゃないの」 と話しかけられましたので、 「デリケートですから」 とお応えておきました。  日傘がなす陰影は同行二人の世界である。陽に背をむけて、というのがいいですね。

TWEET「井上靖『本覚坊遺文』_その間の読書はつなぎだった」

井上靖『本覚坊遺文 』講談社文芸文庫 師千利休は何故太閤様より死を賜り、一言の申し開きもせず従容と死に赴いたのか?弟子の本覚坊は、師の縁の人々を尋ね語らい、又冷え枯れた磧の道を行く師に夢の中でまみえる。本覚坊の手記の形で利休自刃の謎に迫り、狭い茶室で命を突きつけあう乱世の侘茶に、死をも貫徹する芸術精神を描く。文化勲章はじめ現世の名誉を得た晩年にあって、なお已み難い作家精神の輝きを示した名作。日本文学大賞受賞作。  1981/11/01 に出版されるとすぐに読んだ。二十歳のときだった。感銘を受けたのは確かだが、内容については全く覚えていないという為体(ていたらく)である。  2020/07/04 に「株式会社 BOOKRIVER」さんに注文し、2020/07/06 に発送され、今日届いた。古書である。その間の読書はつなぎ だった、といえば失礼に当たるのだろうか。 以下、 ◇  井上靖『天平の甍』 ◇ 「令成元年 秋空の下_覚書き」 です。

「拝復 Dr.T様_雨間(あまあい)に時折セミが鳴いています」

 一日に「40分×3回」のリハビリにより、(父の)希望どおり自宅で生活ができるようになることを願っています。 「施設は現状維持のためのリハビリ、当院(整形外科)は積極的に歩けるようになるためのリハビリ」 と以前江崎先生からお聞きしました。 「みのり」は「デイサービス」のみの利用者は受け入れず、リハビリとセットになった「デイケア」のみの利用者に限られますので、整形外科でのリハビリと併用できないのがネックになっています。  今週の水・木曜日には、大雨警報のため小学生は自宅待機でした。中学生は木曜日には大雨警報のため5時間で帰宅しました。水・木曜日の朝方と木曜日の夕方にはかなりの量の雨が降りました。洪水警報も出ましたが、夜には小止みになり、授業を行いました。その後は大した量の雨は降っていません。とにかく不快指数が高くてやりきれません。  学校の授業の進度が早く、完全に置いてきぼりを食っています。再来週の四連休と、08/01〜16 の夏休みで追いつくしかありません。  毎年梅雨明け前には荒れた天候が続きます。梅雨明けは、07/20 前後、「祇園祭」の頃です。  私は、夕食後の18時前後に(父に)電話をすることに決めました、 (父には) その旨告げてあります。 ご丁寧なご連絡、またお気づかい、またお電話、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:豊川は「旧堤防」上まで水に浸っています。「堤防」のかさ上げと「豊川放水路」、また雨水の排水のための「下地ポンプ場」によって、かろうじて浸水から免れています。昔のように「ドブ」が溢れることはなく、覗くとまだ50cmほど余裕があります。 雨間に、時折セミが鳴いています。

「拝復 P教授様_再読は友情の証_團伊玖磨篇」

35年ぶりの『パイプのけむり』 塾長のブログでバックナンバーを紐解いていると、 (團伊玖磨) 『パイプのけむり』 (朝日新聞社) が…。 いま この全巻は研究室の書棚に眠っています。 35年の熟成を経た再読が楽しみです。 「再読は友情の証」 長田弘『読書からはじまる』日本放送出版協会 おはようございます。 團伊玖磨さん公認のウェブサイト、 「團伊玖磨ノート」 が、見つかりません。残念です。 閲覧、どうもありがとうございました。 顧みる、また推敲するいい機会になりました。 では、では。 すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:不快指数が高くてやりきれませんね。 以下、 ◇  團伊玖磨『パイプのけむり』朝日新聞社 page 01 ◇ 「動詞_食す その一」 ◇  団伊玖磨「食_料理って?」 ◇ 「團伊玖磨、ちいがわかる男の哀しみ_『トルコ・コーヒー』」 ◇ 「團伊玖磨の七転八倒 _『薬研堀』」 ◇ 團伊玖磨『パイプのけむり』_三題 です。愉快です。痛快です。

臼井吉見「言わでものこと 敬愛する現場の指導者へ」

「国語教科書批判」 丸谷才一『完本 日本語のために』新潮文庫  ーー(湯川豊)丸谷さんの中学生時代も教科書は文部省の検定制で、何種類かから先生が選んで採用していたんですか。 丸谷 そうですよ。そのうち『岩波国語』は、第一に文学的に質が高くてしっかりしたいい文章が載っていた。第二に皇国史観的、軍国主義的な文章がなかった。一年のときに教わった他の社の教科書は『岩波国語』と対蹠(たいせき)的にひどいものでした。  国語教科書で僕がいままでに感心したのは、明治時代に坪内逍遥がつくった『国語読本』、それから僕が教わった『岩波国語』、戦後のものでは筑摩書房の教科書がかなりいい。しかし、一番いいいのは谷川俊太郎や大岡信がつくった小学一年のための『にほんご』(福音館書店)で、これは検定を受けようという気持ちがなくてつくったものらしく、すばらしい出来です。その四つです。  教科書批判をやるときに全部の教科書を集めて目を通したのですが、筑摩の教科書は突出してよかった。しかし、採択率は問題にならないくらい、一番低い。  筑摩の編集者に会ったとき、その教科書をやんやと褒めて、しかしどうしてあんなに採択率が低いのかと聞いたことがある。すると彼がいうんです。地方自治体の教育委員が東京に出てくるとなると出版社にあらかじめ連絡がある。東京にくると、後楽園球場に連れていって野球を見せて、それからキャバレーに連れていって、接待をするんですって、各社こぞって。もちろんそのあとの面倒も見る。それで「うちの営業の連中はそんなことをするより帰って本を読みたいってのが揃(そろ)ってますから、まあ仕方がない」というんですね。僕はそれを聞いて、「もし俺が筑摩の営業だったら、日本中の子どものために、毎晩後楽園にも行き、キャバレーにもいって教科書を売るがなあ。会社のためにじゃなく、子どもたちのために」といった記憶があります。  ーー(湯川豊)うーん、ただ唸(うな)るのみですね。(324-324頁) ◇『にほんご』福音館書店 再読、遅読の必要を感じています。 また、 ◇『名指導書で読む 筑摩書房 なつかしの高校国語』ちくま学芸文庫 が気になっていました。市内の書店で手に取ってみるのは絶望的で、筑摩の営業の方たちの頑張りに期待するほかありませんが、期待薄と悟り、注文し、いま手元にあります。 『名指導書で読む 筑摩書房 なつ...

佐藤春夫「一牀書屋」

◇ 『2021年度受験用 豊田工業高等専門学校(国立高専)』英俊社  2018年度 国語 大問2 の問題文には、『去来抄』が引かれている。 「去来(きょらい)はすぐれた俳句作者であり、その作品だけでも蕉門(しょうもん)の一翼を担う役割を立派に果たしているが、それに加えて『去来抄(しょう)』という書物を後世に残して、芭蕉(ばしょう)の俳句理論や指導法を私たちに教えてくれた功績が大きい。」 「この(以下の)エピソードは、作者(去来)自身の解釈よりも、読者(芭蕉)の解釈のほうが上回った例ということで有名である。」(大輪靖宏「なぜ芭蕉は至高の俳人なのか」より)    岩鼻やここにもひとり月の客   去来  短詩型は殊更、 「創造的誤読」 を俟っている、といえなくもないだろうが、それにつけても、芭蕉の解釈は卓越している。 「落柿舎制札」  向井去来は、松尾芭蕉の門人で、 “蕉門十哲”のうちの一人に数えられています。嵯峨野にある去来の草庵、「落柿舎」で「落柿舎制札」の拓本をお土産に買いました。いま我が家の応接間に、裏打ちしてピンで留めてあります。愉快です。 落柿舎制札               一、我家の俳諧に遊ぶべし                 世の理窟を謂ふべからず               一、雜魚寝には心得あるべし                 大鼾をかくべからず               一、朝夕かたく精進を思ふべし                 魚鳥を忌むにはあらず               一、速に灰吹きを棄つべし                 煙草を嫌ふにはあらず               一、隣の据膳をまつべし                 火の用心にはあらず                           右條々                 俳諧奉行 向井去来  訪れた際にいただいた季刊誌「落柿舎」には、 「落柿舎制札」は、元禄七年五月、落柿舎での俳席で、即興に芭蕉が作ったものともいわれ(支考編「本朝文鑑」)、また、その十年前に、去来が元案を作ったともいう。」 と書かれています。    凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり   虚子  その後、「去来」とのみ刻まれたかわいらしい墓前で手を合わせ、落柿舎を後にしま...

「拝復 P教授様_片山恭一『世界の中心で、愛をさけぶ』小学館(2001/04)」

㋐ 2020/07/05 「才能なぞ努力の一部でしかない」 こんなことを言えるようになりたいです。憧れです。 ㋑ 2020/07/07 「物書きにとって “悩んでいる” とは、 “考えているふりをして休んでいる” に過ぎない」 言ってみたい、やってみたい!! 「世界の中心で、㋐㋑をさけ」んでください。「愛をさけぶ」より、断然高尚です。

小林秀雄「無私な全的な共感に出会う機会を待つ」

 書店の参考書売り場で、通りがかりに、 ◇『2021年度受験用 豊田工業高等専門学校』英俊社 を手に取り、レジへ向かった。時期尚早のため、「国立高専」の過去問しか並んでいなかった。2860円というお値段に慌てた。  国語 大問2 の問題文を幾度 か読んだ。引用した古文を題材にしての考察(鑑賞文)である。  以下、その出典を最近のものから順に並べたものである。 ◇ 中西進『ことばのこころ 』東京書籍 ◇ 藤田正勝『日本文化をよむ 5つのキーワード 』岩波新書 ◇ 大輪靖宏『なぜ芭蕉は至高の俳人なのか』祥伝社 ◇ 小林一彦『NHK『100分de名著』ブックス 鴨長明 方丈記』NHK出版 ◇ 森朝男『読みなおす日本の原風景 古典文学史と自然 (はなわ新書)』塙書房  うかつにも中西進しか存じ上げなかった。「三夕の歌」が二つの問題文で話題になっている。明恵上人の名が見えるのもうれしい。  なかでも 中西進の作品が際立っている。『紫式部日記』の冒頭部分,「三夕の歌」を引いての「秋」についての随想 である。  「特段にどこの何が秋めくというのでもなく、それでいて秋のけはいがたつという季節の体感こそが、じつはこの国の秋の感触なのだろう。  空もおおかたの様子が艶だといい、秋のけはいとともに感じるものは、これまた風のけしきだという。  とくに涼気が漂ってきた、天地宇宙の全体が緊張へと向かっていく、そんな季節の移行が秋なのであろう。」  「こうした作者の目や耳に、あれこれの景物が一つの生命体をなして感じられることこそ、自然の季節を深めゆく営みとの、いちばん深い対面なのであろう。  この文章が、名文をもって聞こえる理由も、そこにあるにちがいない。  自然は人事を包含してしまうものだということを、この文章を見ながら、わたしはつくづくと思う。」  「また三首に共通することば遣いは、「なかりけり」「なき」「なかりけり」という否定である。秋の風景は否定の言い方と、心の深奥(しんおう)の部分で、無意識的に結びついているのにちがいない。」  古文の出題はなく、「大問2」がそれに相当する。受験時に古典を楽しんでもらうには格好の題材となっている。心憎い演出であるが、受験生泣かせの問題であることは想像に難くない。  理科の天体分野、公民の需要供給曲線の問題を各一題ずつ解いた。「 大問2」 を含めて後は手...

「拝復 P教授様_理趣経」

「この素晴らしき時代を味わい尽くしましょう。」  常に多少のことは茶飯事で、確かに「素晴らしき時代」ですね。「味わい尽く」すのは義務ですね。 「理趣経」、検索しました。 リハビリ専門病院への転院のすべてをいま終えました。 「不要不急以外の『面会禁止』(?)」です。 入院日数は90日以内です。 「施設への入所をどの時期に決定されますか」 「どこに入所されますか」 等々、ネガティブなことばかり聞かれました。 「父の希望通り、自宅での生活を望んでいます」 と答えておきました。 感染症、暴風雨。都は危なっかしいですね。 くれぐれもお気をつけください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「前略 Nさんへ_以下,『資料』です』」

おはようございます。 お父さん曰く、以下、「資料」です。 「【手記全文】大規模な院内感染 経験した医師ら3人が語ったこと」 FROM HONDA WITH LOVE.  クラスターが発生するような病院は如何ともし難く、とばかり思っていましたが、誠に申し訳なくも、今更ながら認識を新たにしました。 「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」 の横断幕が、永寿総合病院のすべてを物語っていますね。  塾の子どもたちには、「使命」,「献身」,「懸命」という言葉の意味をさらりと説明しました。私の出る幕ではありません。 不快指数が高くてやりきれません。今朝はじめて、送っていただいた「北のかおり ハッカ油 ひんやりふくだけシャワー」のお世話になりました。刺激的でした。 父へのお見舞い、応援、またご丁寧なご挨拶、どうもありがとうござました。 すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「手記全文」

「【手記全文】大規模な院内感染 経験した医師ら3人が語ったこと」 NHK 2020年7月1日 18時57分 新型コロナウイルスの大規模な院内感染が発生し、患者43人が死亡した東京 台東区の永寿総合病院の病院長が1日、記者会見しました。この中では、大規模な院内感染を経験した看護師や医師、3人の手記が紹介されました。対応に追われた看護師と、患者23人が亡くなった血液内科で勤務する医師、そして、みずから感染して一時は人工心肺装置ECMOを使った治療を受けた内科の医師の手記全文です。 看護師「仲間を戦地に送り出しているような気持ちに」 患者さん109名、職員83名もの感染者を出し、原疾患で闘病中の患者さん43名が亡くなられました。亡くなられた患者さんのお荷物から、これまでの生活や大切になさっていたもの、ご家族の思いなどが感じ取られ、私たち職員だけが見送る中での旅立ちになってしまったことを、ご本人はもちろん、ご家族の皆様にもおわびしながら手を合わせる日々でした。 感染の拡大が判明した当初は、患者さんが次々と発熱するだけでなく、日に日にスタッフにも発熱者が増え、PCR検査の結果が病院に届く20時頃から、患者さんのベッド移動やスタッフの勤務調整に追われていました。なかなか正体がつかめない未知のウイルスへの恐怖に、泣きながら防護服を着るスタッフもいました。防護服の背中に名前を書いてあげながら、仲間を戦地に送り出しているような気持ちになりました。 家族がいる私も、自分に何かあったときにどうするかを家族に伝えました。幼い子供を、遠くから眺めるだけで、抱きしめることができなかったスタッフ、食事を作るために一旦は帰宅しても、できるだけ接触しないようにして、ホテルに寝泊りするひとり親のスタッフもいました。家族に反対されて退職を希望するスタッフも出てきましたので、様々な事情を抱えながら、永寿が好きで働き続けてくれるこの人たちを何とかして守らなければ、今の業務を統けていくことはできないと強く感じました。 4月4日、「頑張れ、永寿病院 地元有志一同」の横断幕が目に入り、「まだ私たちはここにいてもいいんだ」と思えました。涙を拭きながら非常口を開けたのを覚えています。支えて下さった地元の皆様には、本当に感謝しかありません。 私たちは、今回のウイルス感染症で多くのことを学びました。人の本質は、困難な状況...

TWEET「身過ぎ世過ぎで 日が暮れて」

2020/06/24 に、 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 のはじめの二編を読み、そのままになっていた。そして、昨日全十編を読み終えた。その間に父の入院、またテスト週間があったとはいえ、一週間のブランクは大きい。 小林秀雄最後の対談「歴史について」考える人 2013年 05月号 新潮社 「繰り返して言おう。本当に、死が到来すれば、万事は休する。従って、われわれに持てるのは、死の予感だけだと言えよう。しかし、これは、どうあっても到来するのである。」ー『本居宣長』(32頁)より。 小林秀雄の強い言葉である。 身過ぎ世過ぎで 日が暮れて / 山のお寺の 鐘がなる 「予感だけ」が充満している。 ◆「ブラック・ジャック - 昭和新山 - 」 ◆「火の山」 の二作品では、昭和新山が取り上げられている。三松正夫 夫妻を知ったのは大きな収穫だった。 以下、 「三松正夫記念館」 です。 明日 父が転院し、また定期テストが終わります。項を改めて書かせていただきます。悪しからず!!

TWEET「蝦夷梅雨」

 「蝦夷梅雨」という言葉をはじめて知りました 。「梅雨」と「蝦夷」が手を結ぶと、野生味を帯びてきますね。芬々と獣の匂いがしてきます。  地理の教科書には、梅雨は「北海道をのぞく」と記載されていますので油断していました。それとも K市は番外地ということなのでしょうか。  雨もまたよし。「蝦夷梅雨」を存分にお楽しみください。

TWEET「慶祝! iPhone SE デビュー!!」

慶祝!慶賀!! iPhone SE デビュー!!! 2017/01/17 に、 ◇ 「精選版 日本国語大辞典」(iOS アプリ) が、リリースされました。破格のお値段です。  2018/12/03 には、 「コトバンク」 にも追加されましたが、インストールしてオフラインで使用できるかどうかは、使い勝手が断然違います。 以下、ご参考まで。 ◇ 「日本国語大辞典」小学館 ◇ 「精選版 日本国語大辞典」小学館 第一世代の「iPhone SE」を使用しています。「SE」とは「Steve Jobs's Edition」の略称と、勝手に決めこんで、一人悦に入っています。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「脈絡なく」

数日前に、以下の二冊が届きました。 ◇ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 いずれも予約しておいた新刊本です。 ◇ 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく ー 12社54冊、読み比べ』中央公論新社 を、つい先ほど読み終えました。  教科書を読む習慣のある中学生は10%に満たない、と感じております。活字を読むことさえ厭わなければ、自学自習ができることを思うと残念でなりません。 「超多忙な大人のための 学びなおしプロジェクト」(帯より) 中学校の教科書を大人の専有物にしてしまうのはもったいなく、主客が転倒しています。中学生諸君の奮起に期待しております。 そして、 ◇ 手塚治虫,手塚プロダクション『手塚治虫の山』ヤマケイ文庫 を、読み始めました。 「ヤマケイ文庫(2010年刊)」.「ヤマケイ新書(2014年刊)」の創刊を知ったのは、2019/07/14 のことでした。「モンベル 豊橋店」さんの書籍コーナーで目にしました。ときに「山と広告」と揶揄される月刊誌「山と溪谷」とは一線を画し硬派です。その充実ぶりに、先鞭をつけられた編集長の萩原浩司氏に敬意を表しております。 脈絡なき読書です。 詳細は近日中に、ということにさせていただきます。 以下、2020/05/09 のブログ、 池上彰,佐藤優『人生に必要な教養は中学校教科書ですべて身につく 」 です。

「拝復 Nさんへ_五歳児なみ」

 当塾の、おかしな塾ランキングの偏差値はかなり高いですよ。  僕のことを変態と呼ぶ子どもたちが結構いますが、せめて変人にしてほしいとお願いしています。変態は犯罪者、と簡単に説明しています。  その都度、中学生の理解できる言葉に換言するのは疲れますね。縄文人の言葉の数は、 500〜600語程度だったといわれています。 五歳児の語彙数がおよそ1200語。中学の三年間で学ぶ英語の単語数が 1200語前後ですから、五 歳児なみということになります。どう解釈すればいいのか、途方に暮れています。 ご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 時節柄くれぐれもご自愛ください。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 Nさんへ_一週間ぶりの面会でした」

おはようございます。  二交代制の看護師さんたちの引き継ぎ、また夕食の時間帯を避けて出かけましたので、比較的余裕があり(病室での面会が)許可されたのかもしれません。ただし、次回も面会可能かどうかの保証はありません。   携帯電話は父のものです。父から電話があると、何か不測の事態が、と冷やりとします。  当塾はかなりユニークですよ。市内では敵なし、県内上位。全国制覇を目指しております。ユニークとは、風変わりな、尋常ではなく摩訶不思議な、 といった意味合いです。授業参観、お待ちしております。卒倒するかもしれませんね。  マイ枕でないと眠れないと、マイ枕持参の子どもたちがかつていました。やる気なく、寝る気満々、ということです。寝る子は育つ、と黙認しました。  昨年度、小中学校にエアコンが完備されましたが、ウイルス対策のため、窓を開けて、換気しながらの使用となりますので、かなり暑いと思われます。  これ以上、気をつかっていただかなくって結構ですよ。もう十分以上のことをしていただいており、有り難く、また申し訳なく思っております。粗食は学生時代から、鍛え抜いていますのでいっこうに平気です。  当地では、2020/08/01〜16 が夏休みです。短い夏に夏期講習があり、夏休み明けには定期テストが組まれています。先生方の夏休みであって、休み明けにはテストがありますから勉強しなさいよ、学習塾の方々も頑張って、ということです。   たびたびのご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございまし た。父にはその旨、伝えておきます。 今日は夏至ですね。朝から真夏の太陽に照らされています。 部分日蝕も見られそうですね。 ひき続き、すてきな週末をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:キャンプ、楽しみですね。自立したテントの雄姿、楽しみにしています。 いつも寝袋で寝ています。寒暖は着衣で調節する、というだらしなさです。時には子どもたちの午睡用の掛け布団になったりもしています。私の愛に包(くる)まれて、ということです。重宝しています。

「拝復 P教授様_黄泉の国への道すがら」

「結局、自分の心身を使い切って冥土へ行くことです。」 枯渇するまで使い果たして余蘊をとどめず、という生き方。枯死という死。黄泉の国への道すがら、肝に銘じておきます。 どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:P教授との呼応が続きます。

「拝復 P教授様_無彩色の世界で羽を伸ばす」

 季節の彩りなく、喜怒哀楽の起伏なく、蕭蕭と雨が降るのを眺めています。  新型コロナ禍の下、面会制限が設けられています。14:00〜20:00(休日 12:00〜20:00)の時間帯に、家族二人に限り、デイルームにて10分程度、となっております。父は自力では移動できず、面会禁止ということです。  殊更心配するほどの病状ではなく、さして気づかっているわけでもないのですが、弛緩して力なく蕭然としています。  無彩色には無彩色の趣があるものと、この際無彩色の世界で羽を伸ばそうと思っております。 父への病気見舞い、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「前略 P教授様_高齢期の2週間の寝たきり生活は…」

おはようございます。  昨朝、ご機嫌をうかがいに行くと、父が玄関の上がり框のところで、うつ伏せの状態で倒れていました。私一人では起こせず、また両膝に痛みを訴えていましたので、119番通報し、搬送していただきました。軽度の肺炎、また腰椎のMRI 検査のため、現在入院中です。  8:49 に通報、帰宅したのは20:00 少し前でした。父は数時間転倒したままの状態だったと思われます。 「高齢期の2週間の寝たきり生活は7年分の筋肉量を失う」と、 東京大学高齢社会総合研究機構が作成したリーフレットには記載されているそうですです。リハビリに時間がかかりそうです。   転倒による 4回目の 入院です。本人には歩き方を正すようにと、再三再四、執拗なまでにいっているのですが、聞く耳をもたず、最終的には私がすべてを負う格好になります。 「舟遊び、焚き火、テント泊。古寺巡礼。  2020/07/02,03 に一学期の中間テストが行われることを知った。テスト明けの休日には、近江路、奈良大和路、京都へと、『夢は枯れ野をかけ廻』っている」。  すべては夢物語に終わりそうです。「醒めるために見た夢(白洲正子「昭和と私」)ということでしょうか。 ただ気晴らしに送らせていただいたまでのことです。 ご返信ご不要です。ご心配ご無用です。 うっちゃっておいてください。 では、では。 すてきな休日をお過ごしください。 また。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_味気なく,彩りなく」

「禁酒中ですか」  禁酒中です。  日本酒のない生活は、面白みに欠け、味気なく、彩りなく、無味乾燥としていますが、潔く断酒しました。  気がつけば、もう上半期の講評の時期なんですね。新型コロナウイルス禍の下にあって、特異な生活を余儀なくされましたが、私の場合、八割の接触削減では覚束なく、 九割の接触削減を目指しています。  井戸端会議の禁止。返礼もなく、 後々不愉快な思いをすることの多いご依頼ごとの辞退。  巧みに遠ざかること、遠ざけること。 「面会謝絶」ということ。 お便り、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:今日も惰眠を貪っています。 以下、 「百閒先生の寝姿_はじめに」 です。

TWEET「梅の実の入る候」

  午前中に梅雨入りした。梅の実の入る候である。昔は、夜店や(定期)市に並んでいたのを思い出す。  梅雨寒で眠りに入る候、とばかり眠り惚けていた。今日で二日目になる。体が睡眠を欲しているかぎり眠ろうと思っている。  厚い雨雲の向こうでは、真夏の太陽が用意されていることを思うと総毛立つ。  新型コロナ禍の下に迎えた、はじめての梅雨である。

TWEET 「『無印』というブランド」

 先週末、「ノート型はがせるルーズリーフ B5」と「二穴パンチ」を買いに、「無印良品 クロスモール豊川」店へ行った。いまや人後に落ちない、「無印」というブランドである。   ソファーに座り、前々 から気になっていた「BGM」を、一巡するまで聞いた。  その後検索すると、 ◇ 「無印良品のBGM」 「暮らしの中から生まれ、親から子へ、ベテランの演奏家から若い演奏家へと受け継がれてきた音楽を、世界各地で収録しました。 店内音楽としてなじみのあるBGMのCDです。」 との記載が間もなく見つかった。入念であり、また商品でもあった。  ちなみに、私が聞いた「 BGM」は、最新の24枚目のアルバムに収録されている音楽だった。 ◇ 「BGM 24 Finland」 「森と湖の国フィンランド。地元のミュージシャンによる美しく透明感のある音楽を収録しました。」  手抜かりなく、「BGM」にさえこれまで目配りする姿勢は天晴れで、脱帽した。

「拝復 P教授様_真理がわれらを自由にする」

「還暦を機に心配事は世間へお返しすることにする」 「還暦から、軸足を世間から私へと移します。問答無用。我が意のまま」 「たかが知れた自分だが、世間もたかが知れている」 「自宅待機は、『創造の休暇』」 おはようございます。  世 間に追従するつもりはない、と思えども、世間がお膳立てをして待ち構えています。  ご相談のご依頼主たちからの、あって然るべき返信がなく、私の眼前から行方をくらませています。保護者の方たちの思惑だと考えております。君子危うきに近寄らず、子どもに自由は認めません、ということだと勝手に解釈しています。  詮ない思いをしております。 「私は貝になりたい」といった心境です。 「真理がわれらを自由にする」 国立国会図書館に行った折に知りました。お隣に刻まれている外国語は何語かを、職員の方にお尋ねしたことを思い出しました。 私の非常事態宣言です。九割の接触削減、ステイホームに徹します。 早起き? 宵っ張り?ですね。 FROM HONDA WITH LOVE.

「昨夜 ひとり螢狩りです_その三」

 二日置いての、今季三度目の「螢鑑賞の夕べ」に盛会を期したが、茂みのなかの定点で、一匹の螢が時折明滅を繰り返すばかりだった。恋の季節の終わりを感じた。  が不意に、水面(みなも)の上 50cm ばかりのところを、一匹の螢が光跡を引きながらこちらにやってきた。みごとな飛行だった。間際を過ぎた後、行方を見失った。これを今季のフィナーレとした。  恋の旅路ののぞき見は、螢にとってさぞ迷惑だったことだろう。

TWEET「いちいちのうち」

 2020/06/02 の「NHKニュース おはよう」で、テレワーク環境の先進都市として、北見市が紹介された。   山崎亮さんは、「過疎」ではなく「適疎」という言葉を使われていた。  またその際には、田川とまたさんの漫画、 ◇ 田川とまた『ひとりぼっちで恋をしてみた』講談社  が紹介された。そして、早速「1」,「2」を注文した。  昨日届いた。「 2」の帯には、 「北海道北見市を舞台に贈る精一杯のしあわせ物語」と書かれている。  今日の午前中 手にした。「1」の 1/3 ほどまで我慢して読んだが、それ以上は無理だった。無理強いして読むほどの本でもなく、一人踊らされた格好に終わった。  これも本との出会いの いちいちのうちかと思っている。

麻生太郎「民度のレベルが違う」

以下、「朝日新聞 DIGITAL」からの引用です。 「日本で新型コロナウイルス感染症による死者が欧米主要国に比べて少ないのは、「民度のレベルが違う」から――。麻生太郎財務相が4日の参院財政金融委員会で、独自の説を展開した。そして、この認識が国際的にも「定着しつつある」と説明した。」 「さらに、死者数の割合が高い米英仏を例に挙げ、「こういうのは死亡率が一番問題。人口比で100万人当たり日本は7人」と強調。他国の人から「お前らだけ薬を持ってるのか、ってよく電話がかかってきた」と明かし、「そういった人たちの質問には『お宅とうちの国とは国民の民度のレベルが違うんだ』と言って、みんな絶句して黙るんですけれども」と語った。「このところ、その種の電話もなくなりましたから、何となく、これ定着しつつあるんだと思います」との見方も付け加えた。」 「新型コロナウイルス感染症による死者数をめぐり、麻生太郎財務相が「民度のレベルが違う」と言及したことに対し、ツイッター上で、野党議員からの批判が相次いだ。立憲民主党の蓮舫副代表は「貴方(あなた)はどれだけ偉いのでしょう、麻生大臣」と投稿した。」 「この発言に、蓮舫氏は「国籍を問わずコロナ感染症で亡くなった方、そのご家族のお気持ちに寄り添わず、『民度』の違いとの認識を国会で披露。日本の財務大臣発言として海外に発信されてほしくない」とツイート。」  麻生氏の発言は多分に政治家としての発言であり、蓮舫氏のそれはキリスト教的な倫理観に基づいたものであって、土俵の違いを感じる。麻生氏は一向に平気で、どこ吹く風、といったところであろう。 「八割の接触削減」が、 「ステイホーム」が、 新型コロナ禍を収束へと導いたが、集団意識への迎合は日本人のお家芸であり、「 国民の民度のレベルの違い」と喜んでばかりはいられない面も持ち合わせている。  菅義偉内閣官房長官の、波風を立てない穏やかな応答ぶりは見事である。  また、 政治力学の蚊帳の外にある 小池百合子都知事の独創、歯切れのよさは際立っている。  以上、門外漢のひとり言でした。 「中西(健治)氏がアジアで日本が経済の勢力を伸ばす好機だと主張すると、麻生氏は日本の金融機関について「今の頭取とか重役とか見ていて、とてもじゃないけれど国際金融なんて顔じゃないですなぁ。もう、全然ピント...

「パンデミックの最中(さなか)にあって_ “愛” について その二」

2020/05/17 に、 「パンデミックの最中(さなか)にあって_ “愛” 三題」 を書きましたが、今回は、日本語学者の側から大野晋さんのご登場です。再掲です。 「愛」を「大切」と訳した、室町時代における宣教師たちの見識 大野晋『日本語の年輪』新潮文庫 「愛」という言葉は、古くから日本に入って来ている中国語であり、言葉の上だけから見れば、日本語の中で「愛する」という言葉が使われたのは、実はそんなに新しいことではない。 (中略)  もっとも、これらの例は、親が子に対していう場合、姫君が虫を可愛(かわい)がった場合など、小さい物を愛玩(あいがん)し、いとけないものを大切にするという意味であり、「彼女は彼を愛していた」というような、成人した女が男を愛していたという例はない。  室町時代の末に日本に来てキリスト教を広めようとした人々は、キリスト教の愛、神の愛を説こうとしたときに、愛という言葉を避けて「大切(たいせつ)」という言葉をもっぱら使った。それは、当時すでに「愛」という言葉にしみついていた、そういう「小さいものを可愛がる」というような意味から遠ざかろうとしたためであろうと思われる。  女と男が互に平等な人間として、愛し合ということが、果して、現在の日本のように、相手の人格を尊重するという程度の考え方で出来ることなのかどうか。ヨーロッパで、男女が愛し合うというときには、その証人として「神」が大きな役割をしている。 (中略) キリスト教の神は、唯一(ゆいいつ)絶対の審判官である。その保証のもとにおいてのみ、対等な人間の愛がありうるとされている。 (中略) キリスト教の神の観念を消化せずに、果たして、ヨーロッパ風の「愛」が日本人にわかるようになるかどうか。(102-103頁)