TWEET「整理する」

 整理をはじめた。
 本宅の解体時には余裕がなく、顧みることもなく処分したが、今回は “買取” を利用している。お金の多寡 云々よりも、リユースしていただけるのがうれしい。

「KOMEHYO 買取センター バロー豊橋」さんの女性の店員さんは、
「この商売は殺伐としています」
としきりに口にされていた。「買取」という商売には、興趣も情感もないということだろうか。
「現代の刀工さんの刀や刀剣は、2万円前後で売り買いされています。価値があるのは、平安・鎌倉時代の銘のあるものだけです」
とは、何ともやりきれない話である。
「いま 高値がつくのは、金だけです」
とも言われていた。

開高健「文房清玩」
2021/05/13
 今朝 開高健の記した色紙ことを思った。
 起き抜けに検索した。
「漂えども沈まず」
「悠々として / 急げ」
「毒蛇は急がない」
「朝露の一滴にも / 天と地が / 映っている」

「小説家 開高健
オリジナルグッズのご紹介」
文房清玩。物を愛し、物に愛された稀有な小説家
亜熱帯の戦場で、氷雨の原野で、深夜の書斎で一本の指となり、創造の起爆剤ともなるライター、パイプ、ナイフ、万年筆、ジーンズ、帽子・・・。
 昔の中国の文人が硯や筆や紙に凝って一人で書斎で楽しんでいた様子を「文房清玩」と表したと、小説家開高健は自著の中で何度か語ってきた。彼にとって、彼の人生に常に寄り添っていたさまざまな「静物」たちは、まさに「文房清玩」そのものだったであろう。

 整理中には、かつて「清玩」した「文房」類が何点も見つかった。
 かつて胸をときめかせた、同じ「文房」類を眼にして、いまも胸騒ぎがするから不思議である。
 当然 整理するつもりはなく、「清玩」する品々を、ひと所に集めた。

白洲信哉 [編]『小林秀雄 美と出会う旅』(とんぼの本)新潮社
2017/12/03
 秦秀雄君の家で、晩飯を食っていると、部屋の薄暗い片隅に、信楽(しがらき)の大壷がチラリと見えた。持って行けよ、と壷は言っているので、鎌倉まで自動車に乗せて来た。どんな具合にだか知らないが、いずれ、秦君は勘定を附けにやって来るだろうが、この程度の壷は、ともかく一応は黙って持って還らないといけない。(壷)
 私は、壷が好きだ。……古信楽の壷は、特に好きだ。その「けしき」が、比類がないからだ。「けしき」という言葉も面白い言葉である。これも、実体感、或は材質感のなかに溶けこんだ一種の色感を指していうものだ。(信楽大壷)
 「壺中天(こちゅうてん)」という言葉がある。焼き物にかけては世界一の支那人は、壷の中には壷公という仙人が棲んでいると信じていた。焼き物好きには、まことに真実な伝説だ。私の部屋にある古信楽の大壷に、私は何も貴重なものを貯えているわけではないが、私が、美しいと思って眺めている時には、私の心は壺中にあるようである。(信楽大壺)(88頁)

 私も「壺公」に魅入られているのかもしれない。

 夏風邪をひいている、夏でも冬でも、馬鹿でも馬鹿でなくてもかまわない。一刻も早く、この微熱から解放されたい。
 また、明日の午後には、アウトドア用品 買取専門の「買取侍」さんが自宅に来てくださることになっている。

 2026/06/07
「東大寺・法華堂」参拝後、「幡・INOUE 夢風ひろば東大寺店」さんで、

「ざっくり麻 トートバッグ(黒)」

を購入した。私に迷いはなかった。「幡・INOUE」さんにはよく立ち寄る。
 これがごく最近の、私の「清玩」品である。