佐藤春夫「一牀書屋」

 2018年度 国語 大問2 の問題文には、『去来抄』が引かれている。
「去来(きょらい)はすぐれた俳句作者であり、その作品だけでも蕉門(しょうもん)の一翼を担う役割を立派に果たしているが、それに加えて『去来抄(しょう)』という書物を後世に残して、芭蕉(ばしょう)の俳句理論や指導法を私たちに教えてくれた功績が大きい。」
「このエピソードは、作者(去来)自身の解釈よりも、読者(芭蕉)の解釈のほうが上回った例ということで有名である。」(大輪靖宏「なぜ芭蕉は至高の俳人なのか」より)

   岩鼻やここにもひとり月の客   去来
短詩型は殊更、「創造的誤読」を俟っている、といえなくもないだろうが、それにつけても、芭蕉の解釈は卓越している。

「落柿舎制札」
向井去来は、松尾芭蕉の門人で、 “蕉門十哲”のうちの一人に数えられています。嵯峨野にある去来の草庵、「落柿舎」で「落柿舎制札」の拓本を土産に買いました。いま我が家の応接間に、裏打ちしてピンで留めてあります。愉快です。


落柿舎制札

              一、我家の俳諧に遊ぶべし
                世の理窟を謂ふべからず
              一、雜魚寝には心得あるべし
                大鼾をかくべからず
              一、朝夕かたく精進を思ふべし
                魚鳥を忌むにはあらず
              一、速に灰吹きを棄つべし
                煙草を嫌ふにはあらず
              一、隣の据膳をまつべし
                火の用心にはあらず
         
                右條々
                俳諧奉行 向井去来


 訪れた際にいただいた季刊誌「落柿舎」には、
「落柿舎制札」は、元禄七年五月、落柿舎での俳席で、即興に芭蕉が作ったものともいわれ(支考編「本朝文鑑」)、また、その十年前に、去来が元案を作ったともいう。」
と書かれています。
   凡(およ)そ天下に去来ほどの小さき墓に詣(まい)りけり   虚子
 その後、「去来」とのみ刻まれたかわいらしい墓前で手を合わせ、落柿舎を後にしました。


さんま、さんま
さんま苦いか塩つぱいか。
館内には、「秋刀魚の歌」を朗読する佐藤春夫の声が絶えず流れていました。

八角塔の書斎 

 外から見ると塔のようにそびえるこの部屋は、八角形をしていることから「八角塔」と呼ばれています。ここは2畳のごく小さな書斎で、春夫自身は“慵斎”(ようさい)と称していたようです。
 春夫は、狭い書斎を好み、「参考の本などすぐとれるし、片付けるのにも早いし、冬は暖かい」と自賛していたそうです。また、「芥川の書斎も狭い、傑作は狭い所から生まれるものだ」とも言ったと伝えられています。

一牀書屋 
 晩年、春夫は陶芸家・河井寛次郎に“一牀書屋”(いちじょうしょおく=ごく小さな書斎を表す)の題字の揮毫を頼みました。書は、春夫の没後に届けられ、春夫は目にすることができませんでした。

 佐藤春夫邸には、「2畳のごく小さな書斎」が設(しつらえ)られていました。嵯峨野の「落柿舎」にも一坪ほどの小さな書斎が設けられていたように記憶しています。二畳の無垢の間に文机を置き、気になる空間です。

◇「京間」一畳
「191.0cm × 95.5cm」
より一回り大きなテント、
◇「ESPACE MAXIM ミニ 1〜2人用」
「間口210×奥行110×高さ110cm」
の中で毎日うつらうつらしています。私の方丈の間です。
 一坪の書斎から生まれるものがあれば、一畳強の天幕から生まれるものもある、と固く信じています。