「高山寺にかかる月」

 2019/05/19 に訪れた栂尾山 高山寺は、台風24号の被害で大規模修復工事中でした。わずかに石水院しかのぞむことができませんでした。高山寺の新緑はすばらしく、ぜひ来年の新緑の季節にいらしてください、と受付の女性にいわれました。
 現在サイトには、令和2年3月31日をもって改修工事が完了した旨の、「台風災害復旧工事完了の御挨拶」が掲載されています。
 新型コロナ禍の下、県境(けんきょう)をまたいでの旅行ははばかられ、明恵上人が友とした高山寺にかかる月を拝するのはいつの日か、とそんなことばかりを思っています。
 今日は立秋です。残暑厳しき折、高山寺で求めた「扇子〈国宝 鳥獣戯画〉」をぱたぱたしています。

「高山寺慕情」
白洲正子『私の古寺巡礼』講談社文芸文庫
 彼はお寺(高山寺)が騒がしくなると、いつも裏山の楞伽山(りょうがせん)へ逃げて行った。「この山中に面の一尺とあらんほどの石に、予が座せぬはよもあらじ」といっているが、前述の「座禅像(明恵上人樹上座禅像)」は、その姿を写したものである。その姿が私には、菩提樹の下で成道したお釈迦さまのように見えてならない。明恵上人は、華厳宗にも、真言密教にも、禅宗にも通じていたが、ほんとうに信じていたのは、仏教の宗派ではなく、その源にある釈迦という人間ではなかったか。(164-165頁)

「釈迦という人間」、明恵上人、そして白洲正子、この三者の響き合いは美しい。