TWEET「桂離宮、そして西芳寺」

 先ほど、「桂離宮」、そして「西芳寺(苔寺)」の参観、また参拝の予約を終えた。
「桂離宮」:2026年7月30日 15:00
「西芳寺」:
2026年7月31日 10:30
である。
 他に予定はない。他の予定は必要ないだろう。
「梅雨明けの夏空の下」で、上質な時間を過ごすことを楽しみにしている。

「桂離宮_石橋のある風景」
俵万智,十文字美信 他『桂離宮』(とんぼの本)新潮社
2022/08/23
 桂離宮は華奢である。
 各部材は建物の荷重をかろうじて支え、各室は枯淡の美に蓋われている。それは、庭に配された飛石や延段、池に掛けられた石橋と相即不離の関係にあり、それらの石材によって補償されているかのようである。
 襖に目を奪われる。それだけを取りあげて話題にしたとき、困惑するような色づかいも、大胆なその意匠も、それぞれに適所を得てみごとに鎮まり、各所に調べを添えている。
 美は常に危うさをはらんでいるが、桂離宮は、すんでのところで、高次の調和を呈している。
 本書には、三つの石橋の写真が載っている。いずれも一つの石材から成るもので、上面はきれいな平面を成している。その美しさは縦横の比、また高さの比率からなるものであろう。石橋の寸法に合わせて、池を補正したかのようにさえ思われる。
「5m 余りの大石橋」は、力学的な関係からか厚みがあり重厚である。側面には凹凸が刻んであるが、単調になることを避け、見る者を飽きさせない工夫であろう。池の狭い箇所に掛けられた「反橋」は、橋を反らせることによって長さを補完しているのであろう。もう一つの石橋にはこれといった特徴はみられないが、この石橋を基本形と考えてよさそうである。私は細工の施されていないこの石橋が一番好きである。
 桂離宮は贅を尽くして簡素に作られた建築である。理にかなわないことはないはずである。
 彼のブルーノ・タウトが称えた美を前に立ちつくしていたい。美を体験するとは、すなわち「純粋な自足した」沈黙の内にあることにほかならない。

「西芳寺と洛北・洛西」
土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫
2022/08/09 
西芳寺に行って、
今日はこれを撮らねばならないといった
義務感にとらわれたことや、
どうしてもあれを撮ってやろうといきおいこんだことはない。
毎度毎度まず参道に真っ直ぐにカメラを向け、
次に数歩行って築地を撮り、
玄関前の一尺四方石に
「こんにちは」をいって庭園に入るわけである。

「西芳寺と夢窓疎石」
土門拳『古寺を訪ねて 京・洛北から宇治へ』小学館文庫
2022/08/09
「延べ十年にわたり、何十日かは苔寺に通っているにちがいない」(69頁)ぼくは「西芳寺(苔寺)をあくまで夢窓疎石(むそうそせき)の庭として撮ってきたつもりである」(72頁)
という土門拳の頭に「一つの疑問が去来」した。
 西芳寺は何回もの災禍に遭い、浸水の憂き目に見舞われた。「果たして、この一尺四方石は夢窓の据えたものだろうか。あるいは池中の石は暦応(りゃくおう)二年(一三三九)の夢窓作庭以来、浮沈移動なく現在に至っているのであろうか。苔はどうだろうか、竹はどうだろうか」(72頁)
「ここに至ってぼくの写真に夢窓の庭、あるいは夢窓自身が写っているのだろうかとの疑問にいきついたわけである。極論すれば、明治のあるいは昭和の庭師の手になる庭を撮り、読者の目にさらすへまをやっているのではないか、ということである。」(73頁)

 この疑問は深刻である。疑問は疑問を呼び、疑心は暗鬼を生ずる。土門は着地点を見いだせるのか。結論いかんによっては、土門は撮りためた写真を反故にするのにやぶさかでないことは容易に察しがつく。土門が撮りたかったのは「夢窓の庭」であり、「夢窓自身」であった。
 土門の後ろ姿に、ひとりのストイックな求道者を見る思いがする。岡潔風にいえば、土門は、情緒が深まれば、写真が濃やかになる体の写真家だった。
 かつて、私は、「土門拳は被写体の生気を撮った写真家だった」と書いたが、「土門拳は被写体の霊性を撮った写真家だった」と書き換えておく。

「真贋」
小林秀雄『モオツァルト・無常という事』 新潮文庫
「では美は信用であるか。そうである。」(233頁)
 ひと言でいえばこれが土門が出した結論だったといえよう。