倉本聰「井上のじっちゃんは時々哲学的言辞を吐く」


 チャバが東の横綱ならば西の横綱は、「井上のじっちゃん」である。先にご登場いただいたあのじっちゃんである。
 「井上みどりさんは造園業である。
 みどりという名から想像してはいけない。七十余年の土との闘いが赤銅色の肌にしみこんだ世にもきたなげなじいさんである。いつもMボタンをしめ忘れ、ズボンの前はダラリと開いている。しかし歌人である。粋人である。そうしてチャバをそのまま老けさせたような子供のような純粋な目をしている。
(中略)
 じいさんは時々哲学的言辞を吐く。
 『人は裏切るからやだ。植物がいい?・』
 『盆栽。ありゃあんた見とったんじゃ育たん?・ 睨まにゃダメだ?・ 毎日睨むんだ?・ そうすると相手も緊張してよく育つ』
 『話しかけるのも一つの手だよ。植物、ちゃんときくよ。人の話を』
 『アインシュタインのアイタイセイゲンリから学んだ結果、人には絶対の勝者なンておらん?・ 敗者もおらん?・ だからオラいつも落着いておるの。ヒッヒッヒッ』
 四十数年の僕の人生の中で、こんな哲学を云うものはいなかった。僕は今次第にじいさんに感化され哲学的人間に変りつつある。」(47)
「森はダムだよ、判るか先生(倉本聰をさす)。それも一つや二つ分でない。何十何百のダムを合わせたその位のどでかい水がめだわさ。しかもその水がめは神様が管理しとる」、「神様の管理は凄いもンだよ。近頃はダムもコンピューターつうんかい。プラグラムたら何たら偉そうに云っとるが、神様のプログラムにゃ太刀打ちできねえ。太刀打ちできねえのに偉そうにまァ、水がめ作れ、村つぶせ、それで一方で別の役人がもっと開発だ、森の木ィ伐れ。森伐ることが神様の水がめをよ、ぶちこわしてることにちっとも気づいてねぇ。心臓けずっといて血が出んて騒いどる。判るか?」(48)
 井上のじっちゃんの「吐く」「哲学的言辞」の数々は活字からの借りものではない。それらは自分の肌に直接ふれたもの、自らの実感としてあるもの、自身の内からわき出てきたものである。それらには「七十余年」の人生に裏打ちされた持ち重りのする重みがある。松のことを松から習った確かさがある。竹のことを竹から習った明らかさがある。
 井上のじっちゃんは、自分を超えた大いなるもの、大いなるものにつながった自分をはっきりと見据えている。じっちゃんの「吐く」「哲学的言辞」の数々は、大いなるもの、換言すれば、「空」、「玄」、「本来なる自己」から聴き、学んだものである。私には、そんな気がしてならない。だからこそ、じっちゃんは安心しきって「ヒッヒッヒッ」と高笑いしていられるのである。
 観念を弄することなく、分別知に頼ることなく、実存として生きる井上のじっちゃん。
 「じっちゃんはイモの花だ。ラベンダーじゃない」(49) 
  陸に沈み埋もれるままになっていた井上のじっちゃん、そんなじっちゃんをすくい上げたのは倉本聰であった。
 
 仲世古 おっとし、井上のじっちゃん、市の文化奨励賞受けた。そのとき、先生祝辞を述べたんですが、「井上のじっちゃんが受賞するなんてことは札幌や東京では考えられない。まさに富良野だから」と言ってた。感動しましたね。いい話だった。
 宮川 井上のじっちゃん、先生ずいぶん買ってるね。われわれは全然そんなふうに思わなかった。人を見る目が違う。
 相澤 味のあるじっちゃんだからな。(50)

 「まさに富良野だから」である。
 倉本聰のお膝もとだからである。
 井上のじっちゃんにはかなわない、そんな思いが倉本聰の内でこだましている。
 倉本聰にとって、井上のじっちゃんとは眩(まばゆ)いばかりに輝く「大きなる存在」である。

(註)
(47) 倉本聰『北の人名録』新潮社(221-222頁)。
(48) 倉本聰『ニングル』理論社(55頁)
(49) 仲世古善雄、相澤寅治、茶畑和昭、宮川泰幸  司会・今野洲子「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」北海学園北海道から編集室『倉本聰研究』理論社)205頁。仲世古善雄談。
(50) 前掲「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」198頁。

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。