倉本聰「稚気(バカ)こそ貴重なのである」


 倉本聰は「バカ」に「稚気」という漢字を当てる。
 昭和五六年十月二六日、「空知川イカダ下り大会」でのことであった。
 「河原は既に花園のようだった。
 いい齢をした男たちが笑い、そうして夢中で夫々のイカダを組み、女たちは興奮し、そしてはしゃいでいた。
 田中邦衛が僕に囁いた。
『先生、これはすごいことだね。こんだけの大人がこんだけ夢中にさ、マジに稚気(バカ)やるべく集るっていうのはさ、ーー先生、富良野って素敵なとこだね』
 そうなのだ。
 稚気(バカ)こそ貴重なのである。
 大の大人たちが一文にもならない、かなりバカバカしいこの祭典に子供のように目を輝かし何日も準備して大真面目に参加する。
 すてきではないか。
 わくわくするじゃないか。
 何発かの花火が空に舞い上り、数百の稚気(バカ)たちの熱い興奮が一挙にぐうんとエスカレートした時、稚気(バカ)を代表するわれらのチャバ(茶畑和昭氏)のスタートを告げるアナウンスがあり、そうしてイカダたちは空知川に流れた。
 ダムを放流した結構な流れに、富良野の夏は一気にフィーバーした。」(42)
  他の箇所での表記はすべて「馬鹿」であり、「稚気(バカ)」は、この本(『北の人名録』)のこの箇所にだけみられる特有の“漢字づかい”である。しかし、倉本聰の書く「馬鹿」には、いずれも“稚気”の意味合いが色濃く反映されており、「馬鹿」は「稚気」と表記されても一向にさしつかえのないものばかりである。
 「稚気(バカ)」は、倉本聰を解く際のキーワードである。
 倉本聰は「稚気(バカ)」が好きである。そして、軽率にも「稚気(バカ)」に感じ入り、感動さえ覚えてしまうのである。
 「宴が果て宿まで帰るべく、一同が小雨の中へ出て行くと、トシオがキャッと声を立てた。
 森の中の闇の太い木の枝から、等身大の人形が下っていた。
 それはざんばらの首を吊り、白いかたびらを着た一件であって恨めし気に目を剥き風に揺れていた。
 『コレデスヨコレデスヨ。これだからイヤですよ。あんちゃん(倉本聰のことである)これチャバがやったンでしょう』
 先刻闇の中に見た二つの影を僕は思い出し思わず吹出した。風呂から上って寝るとこだったチャバは僕らの宴に花を添えるべく、雨の中をわざわざ夫人同伴で幽霊を吊す為にやってきたらしかった。
 こういうところがチャバの偉さである。
 三十五歳にもなってるくせに、こういう馬鹿を徹底的にする。馬鹿の為には骨惜しみしない。そこに感動する。
 馬鹿の鑑である。」(43)
 「馬鹿の鑑」とまで謳われた偉大なるチャバ。そのチャバはあろうことか、倉本聰を軽快に笑いとばす。「稚気(バカ)」の「稚気(バカ)」たる由縁である。
 「なァンも先生、誰だって二度目から始めることは出来ねべさ。一回目は誰だって初体験だ?・」。(44)
 「先生はいつも物事をハナから深刻に考えるからいかん。これまで何だって何とかなっとるべ?・ 何でも最後にゃ何とかなるもンです」。(45)
 「悪い方向へ考えるンでない?・ 悪い方向へ物事を考えると人間段々暗くなる。」(46)
  チャバは徹底して“陽の人”である。
 ことを前にしてことに臆することのない“動の人”である。
 「云うことは常にホラだらけだが、引受けたとなると忽ち寡黙になる。能書きは並べない。黙々と実行する」、“全うの人”である。
 やるときは考えることなく「ただする」、“集中の人”である。
 体を頭の支配下におくことなく、今という刻(とき)に溶けこむ、“ただ今の人”である。
 物事にひっかかることなく生きるチャバ。自然に育まれた自然(じねん)の人。倉本聰は、こんなチャバのなかに一つの理想をみているのである。
 チャバが東の横綱ならば西の横綱は、「井上のじっちゃん」である。先にご登場いただいたあのじっちゃんである。

(註) (42) 倉本聰『北の人名録』新潮社(228-229頁)。
(43) 倉本、前掲『北の人名録』(126-127頁)。
(44) 倉本、前掲『北の人名録』(63頁)。
(45) 倉本聰『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』新潮社(264頁)。
(46) 倉本、前掲『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』(269頁)

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」

「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。