倉本聰「職人」


 「『職人』。何とうれしい言葉だろう。最近は悪い代名詞のように使われる。彼はまァ云ってみりゃ職人ですからね。(中略)自分について云うならば、どんなに他人から悪い意味で、『あいつは職人だよ』と噂されても、僕は職人になりたく思っている。そりゃァ金も欲しい、ダメな男だから色んな欲もある。只しかし一点、己の脚本を書く仕事に関しては、たとえ一人をでもそのホンが誰かを心底摶ってくれさえすれば何もいらないと考えちゃう所がある。泣いて下すった旦那がいたら、あたしゃもういいよとそんな感じである。その一点に人生を絞り、他の全てには無知無学、お前馬鹿かなんて云われて生きたい。」(12)
 倉本聰の創造の美学の頂点に立つものは、昔気質の「職人」である。
 「昔の職人には、少なくとも自分の職業に対してだけ激しい情熱と誇りがあった気がする。彼らはたとえば柱一本、植木の刈込み一つにも、金銭を度外視した、いわば自分が納得できるまでの徹底的なこだわりがあった。それが職人の意地であり、他のことなどどうでもよかった。そして又それら職人の仕事を、理解(わか)ってくれるいい旦那がいた。今その旦那はいるンだろうか。(中略)職人は決して文化人じゃないし人の範となる人でもない。だからこそ職人は職人でいられたのだと、僕は今なつかしく思うのである。」
(13)
「決して文化人じゃないし人の範となる人でもない」市井の人、「職人」を頂点に立たせることにこそ、倉本聰の倉本聰のたる由縁がある。

(註)
(12) 倉本聰『さらば、テレビジョン』(冬樹社、一九七八年)一四七ー一四八頁。
(13) 倉本、前掲『さらば、テレビジョン』一四八ー一四九頁。

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 1. 創る」(17/21)より。