倉本聰「『諦める』とは『明らめる』ということ」
「諦める」とは「明らめる」ということであり、それは「諦観」へとまっすぐにつながっていく。
「それとね、これもいえるんですよ。天災にたいしてねーーあきらめちゃうですよ。何しろ自然がきびしいですからね。あきらめることになれちゃっとるですよ。だからーーたとえば水害にやられたとき、ーー今年やられましたよ北海道さんざん、ーーめちゃめちゃにやられてもうダメッちゅうときーーテレビ局来てマイクさし出されたら、みんなヘラヘラ笑っとるですよ。だめだァって、ヘラヘラ笑っとるですよ。あきらめちゃうですよ神様のしたことには。そういう習慣がついちゃっとるですよ。だからねーー」。(39)
「北海道の人々は自然の中で暮しているから、ある天災が起きたときあきらめる術(すべ)を知っている。神の所業に、運命に対し、甘受すること、あきらめること、それを習慣として身につけている。だから。もしそれが天災でなく、仮りに人災であったとしても、運命として呑みこむ、事態を甘受する。
都会ではどうか。そうはいくまい。
都会は、都会のマスコミたちは、あらゆる事態に責任者を求める。犯人を求める。犯人を決めねばどうしても気がすまない。犯人を制定し、その名を掲(かか)げ、徹底的に彼をしごきあげ、彼を社会から葬り去るまで叩きに叩いて潰(つぶ)さなねば気がすまぬ。
殺伐陰惨たる村八分の儀式。
正義のマスコミはそれを完遂する。
都会では今やその如く見える。だが村はちがう。村はむしろちがう。
村には運命を甘受する智恵、度量、風習、胆力が生きている。」(40)
倉本聰のいう「諦める」とは、大いなるものに身を任せるということである。ものごとに執着しないということ。拘泥しないということ。これはこれでよし、とすること。それはそれでよし、とすること。過去を引きずらないということ。未来を引きこまないということ。今に留まるということ。今に丁寧に生きるということ。今を感じるということ。
倉本聰は「神」といい、「仏」とは決していわない。しかし、私には、倉本聰の「神」は、どうしても「仏」と響くのである。
「人は仏心の中に生まれ
仏心の中に生き
仏心の中に息を引きとる」(41)
円覚寺の朝比奈宗源老師が口癖のようにいわれたことばを、紀野一義が書き留めたものである。
「諦める」とは任運自在に生きるということである。私たちは、今、ここに、安心してたたずんでいれば、それでいいのである。
(註)
(39) 倉本聰『北の国から 後編』理論社(294頁)。
(40) 倉本聰『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』新潮社(38-39頁)。
(41) 紀野一義『「般若心経」講義』PHP研究所、一九八三年(140頁)。
「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。
「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。