「どろ亀さん」こと高橋延清さん「倉さんはばかだから」


 「一九八一年十一月、『週間朝日』で、倉本さんと対談した。『森の博物誌ーー自然、動物、人ーー 』というテーマだった。その中からの抜粋・・・。」 
 高橋「ところで、倉本さんのいる文化村は、ぼくがデザインしたんだが、本当は、文化人というのは好かんのだよ。だけど、倉本さんはいわゆる文化人じゃないですよ。とにかくあそこでがんばっている。要領が悪いけれども、本物を追っているんだ」
 倉本「それは光栄です」
 倉本「自分は四十何年間、東京のめしを食っちゃって、能力もなくなっているし、いろんなことが退化しているんだけれども、少しずつ自分でやっていると、少しずつ何かが出てくるんですね。」
 高橋「倉さんはばかだから、あそこへ行って苦労してやっている。だけど、そうでなければならんよ。一つの作品を作るなら、いいかげんでつくってはいかんと同じようにね」

 対談のしめくくりが、乱暴な言葉になっていたのに、どろ亀さん、びっくりした。実は、対談前に一杯ひっかけてゆき、対談中もやっていたので酔いのなせる業でもあった。現代の代表作家に、こんな失礼なことをいって、すまなかったと思った。
 やがてできあがった『北の国から』は、すばらしいものだった。数々のシーンの強烈な印象は、どろ亀の目の中に心の中に、今も残っている。
 やっぱり、倉さんにはばかなところがあるから、いい作品ができたんだと、今も思っている。(58)

 「どろ亀さん」こと、高橋延清さんの書かれた文章である。
 倉本聰は、「ばか」でもあったのである。
 元 東大演習林長・東大名誉教授である、かのどろ亀さんのお墨つきであるから、間違いのないところである。
 倉本聰は、「稚気(ばか)」である。「ばか」でもあった。そして、どこかぬけているのである。放たれつつあるのである。

(註)
(58) 高橋延清(通称・どろ亀さん 元 東大演習林長)「倉さんはばかだから」北海学園北海道から編集室『倉本聰研究』理論社)18-19頁。

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。