倉本聰「自然保護という聞き馴れた言葉が今何となく怖ろしい」


 「自然を保護するという言葉の中には、人間を強者、自然を弱者と見なしてしまっている根本的錯覚と傲慢の姿勢がのぞいているように思えてならぬ。昔アイヌは自然を神とした。人はいつから『神』を『保護』する偉い存在に成り上がったのだろうか。百歩譲って自然を神ではなく、一つの人格と考えてみようか。僕はその時巨人を連想する。無限の純粋さと正義と力。それらを内にしっかりと秘めながら無口で不器用でじっと耐えているそういう男の姿を想像する。僕はたとえばそういう男に、『保護』という言葉はとても使えぬ。彼に対して僕の想うのは畏怖であり尊敬であり従属でありそして憧れだ。僕は彼から愛されたい。愛されて初めて僕らの生はその片隅に許されるのではあるまいか。まず、そのことをもう一度考えたい。そしてそこから更めて始めたい。巨人に健康でいてもらうことをーー」(33)

(註)
(33) 倉本聰「自然保護という聞き馴れた言葉が今何となく怖ろしい」(「朝日新聞」1983年11月10日、夕刊)。

「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 3. その底流にあるもの」(19/21)より。