倉本聰「笠智衆演ずる松吉は、実に『いい顔』をしている」
『北の国から ’83 冬』において笠智衆演ずる松吉は、実に「いい顔」をしている。すっきりした顔をしている。
「人は死に臨み、それまで身につけた余分なものを捨てさるがゆえに、老いて呆ける。呆けは死への準備である。生きるなかで余計なものをためこんだ人ほど呆けやすい」との話を聴いたことがある。
人が捨てきれない大切なものとはなんなのであろうか。余計なものを捨てさった後に、なお残る確かなものといったいなんなのであろうか。
捨て去り、捨て去りした挙げ句、少々呆けてくにへ帰ってきた松吉。稚魚の時代を過ごすうちに染まった懐かしい匂いを求めて、川を遡るサケのように、帰巣本能のままに帰郷した松吉。ふるさとは当人にとって彼岸に近いものなのかもしれない。故郷への郷愁は、彼岸への郷愁、松吉の帰郷は、死地を求めての帰郷なのかもしれない。
倉本聰は、アイヌ民族の思想に少なからぬ関心をよせている。
「父親が老化して、その言葉がわかりにくくなったとき、知能検査の言語能力のスケールに照らし合わせて測定する科学の知に対して、父親もそろそろ神の国の世界に行くことになって、われわれの理解し難い神の言葉で話すようになったという神話の知に頼る方が、はるかに自分と父親とのかかわりを濃くしてくれるのではないだろうか。事実、アイヌではまだまだ老人が尊重されているのだが、そこでは老人のわけの解らぬもの言いを『神用語』という。『あの世への旅立ちの準備で、神に近くなってきたからそうなると考えるのである。』(28)」。(29)
「科学の知は、自分以外のものを対象化してみることによって成立しているので、それによって他を見るとき、自と他とのつながりは失われ勝ちとなる。自分を世界のなかに位置づけ、世界と自分とのかかわりのなかで、ものを見るためには、われわれは神話の知を必要とする。ギリシャ人たちは太陽がまるい、高熱の物体であることを知っていた。にもかかわらず、太陽を四輪馬車に乗った英雄像として語るのは、人と太陽とのかかわり、それを基とする宇宙観を語るときに、そのようなイメージに頼ることがもっとも適切であるから、そうするのである。」(30)
以上は、臨床心理学者の河合隼雄の言である。
倉本聰がこのアイヌ神話を知っていたかどうかは定かではないが、このアイヌ神話と、「私の思う倉本聰の考え方」の間には似かよった点が認められる。松吉の言葉を「神用語」としてとらえたとき、松吉の「ほとけ様みたいな顔」、「人間のでかさ」、慈悲にも似た他人への思いやり等々が、私の中で落ち着きをみせる。
『北の国から ’83 冬』の最後の場面において、倉本聰は松吉を幻想の世界に遊ばせる。幻想については次章で詳述するつもりであるが、倉本聰における“幻想の世界”とは、“聖なる地”なのである。つまり、倉本聰は神にも似た松吉を作品の最後で、彼此の渾然とした聖なる地に導くことによって、松吉を救ったのである。それが倉本聰の松吉に対するせめてもの優しさであって、思いやりだったのである。こんなところにも、「悪人が書けない」という倉本聰の、人を粗末にあつかえないという倉本聰の、本領が顔をのぞかせている。
(註)
(28) 藤村久和『アイヌ、神々と生きる人々』(福武書店、1985年)170頁。
(29) 河合隼雄『生と死の接点』(岩波書店、1989年)136頁。
(30) 河合、前掲『生と死の接点』135-136頁。
「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第二章 倉本聰『北の国から』をさぐる」
「3. 故郷(ふるさと)」(12/21)より。