『倉本聰私論』_「第三章 倉本聰その底流にあるもの_註」(20/21)
「倉本聰私論 ー『北の国から』のささやきー」
「第三章 倉本聰その底流にあるもの」
「第三章 倉本聰その底流にあるもの_註」(20/21)
〔註〕
(1) 前掲「(シンポジウム)『北の国から』研究」一三五頁。高橋世織談。
(2) 倉本、前掲『北の人名録』七八頁。
(3) 堂垣内尚弘(元 北海道知事)「七年前の鼎談」(北海学園、前掲『倉本聰研究』二0頁)。
(4) 倉本聰「作者の言葉ーー北の国よりーー」(日本放送作家組合 編者協同組合『テレビドラマ代表作選集 1982年版』協同組合日本放送作家組合、一九八二年、四四頁)。
(5) 倉本、前掲『北の人名録』一四二頁。
(6) 小宮山、前掲「倉本聰 その国民文学的創造〔ある編集者的作家論〕」六二頁。
(7) 小宮山、前掲「北の国から=解説 (2) 新しい開拓者精神の誕生をめざして」三二九ー三三0頁。
(8) 倉本、前掲『谷は眠っていた』一0六ー一0七頁。
(9) 倉本、前掲『谷は眠っていた』七三頁。
(10) 倉本、前掲『北の国から 前編』三三頁。
(11) 倉本、前掲『北の国から 前編』八三頁。
(12) 倉本聰『さらば、テレビジョン』(冬樹社、一九七八年)一四七ー一四八頁。
(13) 倉本、前掲『さらば、テレビジョン』一四八ー一四九頁。
(14) 倉本、前掲『北の人名録』一一一ー一一二頁。
(15) 倉本、前掲『北の人名録』一00頁。
(16) 倉本、前掲『北の国から 後編』三一八頁。
(17) 前掲「(インタビュー)倉本聰ーー歩いてきた道、そして今ーー」三六頁。
(18) 倉本、前掲『北の国から 後編』四五頁。
(19) 倉本聰『冬眠の森ーー北の人名録 PARTIIIーー』(新潮社、一九八七年)二一七頁。(20) 倉本、前掲『谷は眠っていた』二五四頁。
(21) 倉本、前掲『谷は眠っていた』二五二ー二五三頁。
(22) 倉本、前掲『北の国から 後編』二八三ー二八四頁。
(23) 倉本、前掲『北の国から 前編』四一頁。
(24) 倉本、前掲『北の国から 後編』七七ー七八頁。
(25) 鬼頭麟兵(日本大学芸術学部講師)「テレビドラマ創作の秘密をさぐる 倉本聰の世界ーー第一回 “母の主題”ーー」(『ドラマ』五巻七号、映人社、一九八三年、九五頁)。
(26)倉本聰『ニングル』(理論社、一九八六年)一四頁。
(27) 倉本、前掲『ニングル』二五一頁。
(28) 前掲「すこぶる具体的に / すこぶる日常的に 対談〔白井佳夫〕×〔倉本聰〕」三一六一三一七頁。
(29) 倉本、前掲『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』一四三頁。
(30) 倉本、前掲『谷は眠っていた』二九七頁。
(31) 倉本、前掲『谷は眠っていた』二九九ー三00頁。
(32) 倉本、前掲『いつも音楽があった』四0頁。
(33) 倉本聰「自然保護という聞き馴れた言葉が今何となく怖ろしい」(「朝日新聞」一九八三年一一月一0日、夕刊)。
(34) 倉本、前掲『ニングル』一九七頁。
(35) 倉本、前掲『ニングル』一一0頁。
(36) 倉本、前掲『ニングル』二六五ー二六六頁。
(37) 「ここで文章について断らねばならぬが、北海道弁のニュアンスをセリフで伝えるのはむずかしい。変な所で語尾がはね上る。『連れてく?・』と、最後に?・をつけたのは『連れていくかい?』の意味ではない。『連れて行くよ』の意味である。但しその語尾がはね上る。そのはね上りを表現する為に?・というマークをつけている。」(倉本、前掲『北の人名録』二三ー二四頁)。
(38) 倉本、前掲『ニングル』一八六ー一八七頁。
(39) 倉本、前掲『北の国から 後編』二九四頁。
(40) 倉本、前掲『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』三八ー三九頁。
(41) 紀野一義『「般若心経」講義』(PHP研究所、一九八三年)一四0頁。
(42) 倉本、前掲『北の人名録』二二八ー二二九頁。
(43) 倉本、前掲『北の人名録』一二六ー一二七頁。
(44) 倉本、前掲『北の人名録』六三頁。
(45) 倉本、前掲『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』二六四頁。
(46) 倉本、前掲『冬眠の森ーー北の人名録 PART2ーー』二六九頁。
(47) 倉本、前掲『北の人名録』二二一ー二二二頁。
(48) 倉本、前掲『ニングル』五五頁。
(49) 仲世古善雄、相澤寅治、茶畑和昭、宮川泰幸 司会・今野洲子「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」(北海学園、前掲『倉本聰研究』二0五頁)。仲世古善雄談。
(50) 前掲「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」一九八頁。
(51) 前掲「人物クローズアップ 倉本聰「北の国」に根を下ろして十年」一三頁。
(52) 鶴田玲子(俳人)「富良野塾の四季」(北海学園、前掲『倉本聰研究』二一三頁)。(53) 倉本、前掲『北の人名録』一三頁。
(54) 前掲「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」一五九頁。仲世古善雄談。
(55) 前掲「(対話)倉本脚本との格闘〔撮影の現場から〕」一七一頁。
(56) 前掲「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」一九七頁ー一九八頁。
(57) 前掲「(座談会)北の国・富良野・から(富良野紳士談義録)」一九九ー二00頁。
(58) 高橋延清(通称・どろ亀さん 元 東大演習林長)「倉さんはばかだから」(北海学園、前掲『倉本聰研究』一八ー一九頁)。