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「食_食す」その一

一日の多くの時間を台所で過ごしていました。平成二一年のことです。ただひたむきにつくり、ひたむきに食していました。エンゲル係数の大きな生活をしていました。 「食」の手ほどきは、 團伊玖磨『パイプのけむり』シリーズ 朝日新聞社 で受けました。学生時代のことでした。今、 團伊玖磨『パイプのけむり選集 食』小学館文庫 が出版されています。 空腹が満たされればそれでよし、と心得ていた私にとっては新鮮な驚きでした。 文化人類学の講義で、「カニバリズム(食人俗)」の話題に話がおよんだときには、摩訶不思議な食生活をされている西江雅之先生は、 「私は『人を食ったことはない』が、『人を食った話』はする」 とおっしゃられていました。 「食べられる物」と「食べる物」の違い 「食べ物」は「食べられる物」のほんの一部 「食べ物」は「文化」である 「食べ物と制約」 こんな話もうかがいました。 そして、2012/11/19 には、 西江雅之『「食」の課外授業』平凡社新書 が出版されました。 鉢山亭虎魚『鉢山亭の取り寄せ 虎の巻』オレンジページ  三十代から四十代にかけて十年間、池波正太郎の膝下で男の生き方を学んだ。しかし、十年がかりの勉強で私が何とか身につけたと思っているのは、ただ一つ、 「必ず来る死に向かって、有限の時間を着実に減らして行くーーそれが人の一生だよ。ことに男はそうだ。女には子を生むことによって永遠の生命を生き続けるという特権がある。男にはそれがない。だから毎日、きょうという一日が最後と思って酒を飲め。そう思って飯も食え。 「食す」ことは人生の一大事であることを思いしらされた私は、一念発起しました。例によって形から入りました。「食」について書かれた本を読みあさり、調理器具や調味料、香辛料等々を一通りそろえ、実際に料理をし、食すまでには結構な時間がかかりました。

「幸福とは、幸福の予感である」

 「幸福とは、幸福の予感であるーー。だれであったか、そう書いていた作家がいた。どんなたぐいの幸福にせよ、またそれが実現するにせよしないにせよ、幸福のうれしい予感に胸をさわがせるときが、まず何よりの幸福である。そのような意味であったと思う。  読書にも、 まったくおなじように、じっさいに本を読むまえの幸福というものがある。読まないうちに幸福を予感する。読書にとって、これがとてもたいせつなことだ。  フランスの作家ヴァレリー・ラルボーに『罰せられざる悪徳・読書』という、憎いくらいに気のきいた題名のエッセイがあるが、 (後略)」 山村 修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫 (49-50頁) 佐伯彰一  『 読書という悪徳  』 文藝春秋 が積読のままになっています。 商品の説明 内容(「BOOK」データベースより) 夜を日に継いで古今東西の書物を読み求め、酷使のあげく、片眼を喪ってしまった、稀代の活字ドン・ファンによる本の渉猟記。世の心優しき読書子へ贈る、毒に満ちたエール。 内容(「MARC」データベースより) 片眼失明のうきめに会いながらもやめられない読書という名の悪徳、有名な作家による性的自伝のたくみさ、手紙が文学になる時など、ノンフィクションを読むことの楽しさを縦横無尽に語る。

「豊橋市中央図書館さんの早速のご対応に感謝しております」その二

「豊橋市中央図書館さんの早々のご対応に感謝しております」その二 一昨日、須賀敦子の「トリエステの坂道」を読みたくて中央図書館に行きました。辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 「5 比喩の工夫をする」(148-153頁)に紹介されていました。 『須賀敦子全集 第2巻』河出書房新社 を借りる際に、カウンターの向こう側でPCと向き合っていた女性職員の方がチラッとこちらに目を向けました。中井久夫さんの本をお願いした女性職員の方でした。いかにも気まずそうな様子でPCの画面に目をもどし、髪に手をやり、セータの裾を少したくし上げました。それぞれの動作にぎこちなさを感じながら、私は見るともなしに見ていました。「私の望みはかなわなかったんだな」と思いました。  本を借りた後、私は何を期待するわけでもなく、検索窓に「なかいひさお」と入れ、エンターキーを押しました。ディスプレイ上には三二冊の中井久夫さんの本が表示されました。三二冊も、です。目を疑いたくもなります。  気がつくと、図書館の蔵書から、中井久夫さんの著作がゴッソリと抜け落ちていることがわかり、あわてて購入したのでしょうか。ことの真相はよくわかりませんが、ありがたくもあり、また感謝もしております。  女性職員の方のあのぎこちなさはなんだったのでしょうか。恥じらい、 気まづさ、 居住まいの悪さ。それとも私の全くの思い過ごしだったのでしょうか。そんなとりとめもないことを車中で考えながら帰路を急ぎました。 中井久夫さんの本が一冊、貸し出し中であることを知り、ほっとしました。

HAPPY BIRTHDAY!

お誕生日、おめでとうございます。 昨年末から低山を歩いています。いっしょに歩けたらいいなって思うことがあります。 もう会えないのかなって思うこともあります。 多分に感傷的になっています。 このまますてきな歳を重ねてくださいね。 では、では。 寒さ厳しき折、くれぐれもお大事になさってください。ご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:お母さんはお元気ですか?

「豊橋市中央図書館さんの早速のご対応に感謝しております」

昨日豊橋市中央図書館に行き、「なかいひさお」を検索してみました。三十二冊もの本が表示され目を疑いました。 2015/09/18 「中央図書館には、中井久夫さんの本が一冊もないんですね。中井久夫さんは 高名な精神科医 ですし、その著作はご専門の分野だけはではなく多岐にわたっています。ちくま学芸文庫にもありますし、図書館に一冊もないのはどうかと思いますが」と司書の方にお伝えしました。その場でインターネットで検索され、「この方ですか、検討しておきます」とのご返事でした。「よろしくお願いします」と言い、カウンターを後にしました。中央図書館の検索で、「中井久夫」が、また中井久夫さんの著作が表示される日を楽しみにしています。 追伸: Amazon で検索していると『 中井久夫の臨床作法 (こころの科学増刊) 』 日本評論社 が見つかりました。2015/09/09 に出版されたばかりのムックです。 「内容紹介」には、 「精神科医・中井久夫が患者と家族に接する流儀は、絶望の淵にある人びとの治療への士気を高め、「希望」を処方することだった──その卓越した治療観から学んだ人びとによる中井流対人作法のエッセイ決定版!」 と、記されています。 地方暮らしでは、書店で本を手にとって見ることがなかなかできません。図書館だけが頼りです。地方都市ほど充実した図書館が必要なように思っています。 追記: 今インターネットで検索すると、『 中井久夫の臨床作法 (こころの科学増刊) 』 日本評論社 が 中央図書館に入っていることがわかりました。早速明日借りに行きます。早々のご対応、どうもありがとうございました。感謝しております。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_睡眠のリズムと夢作業

睡眠が寸断されています。最近細切れな睡眠しかとれていません。気分が高揚しています。どうしても昼間眠くなります。眠気をもよおしたときには、ところかまわず寝ることにしています。午睡後はすっかり落ちつきを取りもどします。 中井久夫先生の言葉が思い出されます。 「睡眠のリズムと夢作業」 中井久夫『看護のための精神医学』 医学書院 睡眠は、精神健康を維持する基礎である。人間の精神活動は、眠らないでいると、しだいに乱れてくる。睡眠は、ちょうど昼間に主人が散らかしたものを夜中に忍びこんで、そっと片づけてゆく童話の小人たちのようだ。 ●2日で収支を合わせる 1日不足した分を翌日補って睡眠の収支を合わせれば、精神健康を保てる。 ●睡眠は「有能で老練な助手」 睡眠は、看護にも治療にも必要な「有能で老練な助手」である。精神だけでなく、免疫力をはじめ、病への抵抗力が向上する。(34頁)

中野好夫「万古不易の翻訳論の名言」

平明(2)ーー読む人の側に立つ   よく引用されることですが、英文学者の中野好夫に「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」という言葉があります。教室で学生にいった言葉だそうです。英米文学者の佐伯彰一はこれを「万古不易の翻訳論の名言」といっています。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(105頁)  「万古不易の翻訳論の名言」を知ってしまったからには、使わない手はなく、早速昨夜の授業から使わせていただいております。  最後には、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」ほしいのですが、はじめから、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるように」訳されるとちょっと困ります。単語や熟語の意味はわかっているのか、文法や文の成り立ちを理解したうえでの訳なのかがこちらに伝わってきません。直訳からはじめています。ガチガチの英文解釈の授業をしています。そして最後に、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳してくれ」と言うことにしました。英文和訳の問題を解く場合、私はこの英文をちゃんと理解していますよということを、採点者に示すために、「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳」さない方がいい場合もあります。どのくらい「平明」な日本語にしたらいいのか、そのあたりは出題者とのかけ引きです。「あんたのおばあさんが聞いてもわかるようにちゃんと訳して」マルをくれれば一向に構わないのですが。

「文章の書き方・みがき方_食す」

   こんな文章があります。  「冬に深川の家へ遊びに行くと、三井さんは長火鉢に土鍋をかけ、大根を煮た。  土鍋の中には昆布を敷いたのみだが、厚く輪切りにした大根は、妻君の故郷からわざわざ取り寄せる尾張大根で、これを気長く煮る。  煮えあがるまでは、これも三井さん手製のイカの塩辛で酒をのむ。柚子(ゆず)の香りのする、うまい塩辛だった。  大根が煮あがる寸前に、三井老人は鍋の中へ少量の塩と酒を振り込む。  そして、大根を皿へ移し、醤油を二、三滴落としただけで口へ運ぶ。  大根を噛(か)んだ瞬間に、  『む…』  いかにもうまそうな唸り声をあげたものだが、若い私たちには、まだ、大根の味がわからなかった」  なんということはない。大根の輪切りにしたやつを煮るだけの話ですが、池波(正太郎)の手になると、煮あがったばかりの大根をすぐにでも食べてみたいという気になる。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(4-5頁) ーー味覚について。 『味に想う』の著者、角田房子は、好きな野菜はと聞かれたら「茄子とじゃがいも」と答える、と書いています。  夏の茄子には気に入った食べ方がある。  「まず光沢の美しい新鮮な茄子を選ぶ。料理の腕はないのだから、もっぱら材料のよさに頼る。茄子の皮にこまかく縦に切り目を入れ、茶筅(ちゃせん)茄子にして、昆布と鰹節のだしで火にかけ、醤油とごく少量のみりんで薄く味をつけて、鍋のまま冷蔵庫に入れる。翌日、すっかり冷えて、とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を添えて食べる」   読んでいるうちに、私のような無精ものでも、一度やってみようかという気になります。味のことは、あまり律儀にくどくどと、うまさの中身を書くことはない。「とろりといい色になった茄子に、おろし生姜を」とあるだけで味が伝わってきます。  野菜の料理では、甘糟幸子の書いたものが好きです。こんな文章があります。  「のびすぎて大きくなっているタラ芽は二つか三つに割って、まだこぶしを開きかけたような若いものはそのままにして、衣をつけ、ゆっくりと揚げます。揚げたての熱いのにお塩を少しつけて食べると、ほっくりした豊かな歯ごたえと濃い味がして、木の芽というより、まだ名前を知らない動物の肉でも食べているような気がします」

「検索キーワード」その二

2015/05/14 から学習塾のHP「塾・ひのくるま」を書きはじめました。 「塾・ひのくるま」 「ホームページビルダー 19 バリューパック」には、「かんたんアクセス解析」というソフトが付属しています。「かんたんアクセス解析」では、閲覧者の「検索キーワード」を調べることができ、「アクセス解析」を解析して、楽しんでいます。 今日、下記の検索キーワードでの閲覧がありました。 「公立高校のこの子ぜひ入学して欲しいと思うPR文」 かわいらしくて、なんだかほんわかしていていいですね。頑張ってください。応援しています。 「作文のお値段 その二」より (愛知県の)公立高校の推薦入試をひかえ、自己PR文の文例を求めて、HPを訪れる受験生の閲覧数が、日を追うごとに増えてきています。今年度はじめて公開しました。文例を参考にするのか、そのままを引用するのか、その詳細まではわかりませんが、想定内のこととはいえ、その是非、功罪もふくめ、複雑な気持ちを抱いています。今後の推移を見守ります。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」病相と病相のはざまで。

躁と鬱の病相が繰り返されます。それぞれの病相をきたすまでには移行期、境界期とでもいえる時期があり、私の場合、それははっきりと自覚されます。何度かの躁と鬱との病相を経験するなかで、病相の予兆を絶えず注視することが、いつしか習いになりました。 気分が高揚し、口数が多くなり、活動的になりました。浪費癖が首をもたげ、また十分な睡眠がとれていません、という典型的な躁状態を呈している私に、 「躁状態で、このよう にもの静かに話ができるとはとても思えません。まずは睡眠を確保しましょう」 と医師に言われたことがあります。 また、 「鬱の状態はみせてもらいましたが、躁の状態はまだみたことがありません」 と言われたこともありました。 医師の診断と私の感じ方の間には隔たりがあり、診断基準と照らし合わせた「病い」と、私の感じている極めて個人的な「病い」との間には懸隔があります。私の知覚過敏にすぎないのでしょうか。しかし、生活に支障をきたしているのはまぎれもない事実であって、「病人」と「非病人」のなんたるかもわからないままに、「病人」と「非病人」のはざまに身をおき、不安定な心の状態のままに揺らめいています。自分勝手な思い込みやとらわれのままに過ごすのは、やりきれず、あまりにもみじめです。 昨年末より低山を歩いています。運動量が圧倒的に増えました。歩くことによって、わだかまりやとらわれから解放され、心が、体が軽くなりました。歩くことの、また自然の中に身をおくことの効用を感じています。トレッキングをはじめるにあたっては、それなりの買い物もしました。これだけならばよかったのですが、合計すると睡眠時間が不足しているようには感じていませんが、最近になって睡眠が細切れにしかとれないようになってきました。早速私は、ここに「病い」の徴候を嗅ぎとっています。すると、疑心は暗鬼を生み、歩くことによってもたらされた効能の一切が、「病い」の徴候のように感じられ、落ち着かず、心の平衡を欠いています。 このような、いつしか習いになってしまった考え方は、「正常」の閾値を狭め、自縄自縛に陥り、精神衛生上不利に働くことは承知しているのですが、習い性となってしまっています。 私にとっては切実な問題です。経験知を積み重ねることによって、私なりに「病い」との折り合

「文章の書き方・みがき方_体言止め。簡潔と粗略は違います」

 ーーー体言止めについて。  これも好みの問題ですが、私自身は体言止めの乱用を戒めています。  体言止めや助詞止めは和歌や俳句に多いし、新聞の見出しや辞書の説明にも多い。散文にも体言止めの歴史があることは認めます。しかし、散文の場合の体言止め、助詞止めは、言葉を粗略にすることにはならないか、と私は思います。私たちはメモや日記では体言止めを多用します。それはそれでいい。しかし、読者になにかを伝える文章が疎略になってはいけません。谷崎潤一郎は書いています。「いやしくも或る言葉を使ふ以上は、それを丁寧な、正式な形で使ふべきであります」  簡潔と粗略は違います。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(182頁、184頁) 身につまされることばかりです。 追伸: 「驚きです」、「驚いています」、「驚いてしまいます」、「驚いてしまいました」、 「驚きました」。「驚く」としか感情を表現できない私は、「驚く」ばかりを多用しています。我ながら驚いています。稚拙にすぎますよね。情けないお話です。

「文章の書き方・みがき方_文の接続と文末表現」

辰濃和男『文章の書き方』岩波新書   を読み終え、一昨夜深更、 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書   を買いに書店に行きました。併読中の 司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫   は一時おあずけです。 2015/08/28 TWEET「作文」で、  文章を書く上で厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。  初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきますので喜びがあります。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。  誤字脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。 と書きました。 この作品(「人違い」)の見所は、文節と文節との接続のありようです。接続に使われているのは「とき」です。さきほどの「翌朝」もそうですが、 (中略)  「たぶんその頃…」で、ぱっと場面が変わる。ある場面からある場面へ飛ぶ。切替が早くて読んでいて心地がいい。井伏鱒二は「以前」とか「今年の夏は」とかいう形で、「とき」を文節と文節の接続に使うことの名人だったと思います。 井伏は接続詞を使わずに場面の展開をはかり、石橋(湛山)は、接続詞を上手に使って、論旨を進めてゆく。接続詞によって文章の流れは強くなったり、少し曲がったり、また直線になったり、ということになります。 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(230-233頁) 辰濃和男は、接続の問題を「文章の流れ」の中でとらえています。 III 推敲する 7 文末に気を配る 「私は文章を書くとき語尾に手こずっている」(井伏鱒二)  井伏鱒二ほどの作家が「語尾(文末)にてこずっている」と書いているのを読むと、やはり日本語は大変なのだなと思います。動詞が文章の末尾にくるせいでしょう。井伏は語尾に手こずっていると書いてはいますが、できあがった作品はみごとなものです。 辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書(160頁) 「厄介」としか表現できなかった「厄介さ」の所在が、自覚されるようになりました。が、「厄介さ加減」

「作文のお値段 その二」

(愛知県の)公立高校の推薦入試をひかえ、自己PR文の文例を求めて、HPを訪れる受験生の閲覧数が、日を追うごとに増えてきています。今年度はじめて公開しました。文例を参考にするのか、あるいは そのままを引用するのか、その詳細まではわかりませんが、想定内のこととはいえ、その是非、功罪もふくめ、複雑な気持ちを抱えています。今後の推移を見守ります。 以下、「作文のお値段」より 塾生やご卒塾生の方々に泣きつかれて、数多くの作文や小論文を書いてきました。泣く泣く書かされたものばかりです。 数えると百ちかくの作文や小論文がありました。 900字前後の 「 愛知県公立高校_推薦入試_三分間自己PR文」の添削を三万円のお値段で行っている塾があります。いかがなものでしょうか、というお粗末な文例が載せてあります。かえって、中学生の作文らしくていいのかもしれませんが…。 一つの作文につきその都度 三万円いただいていたとしたら…。 一つの作文を書くのに平均四日かかったとしたら…。 考えてもみないことでした。 確かに、作文のお稽古にはなりましたが…。 「ひのくるま」になるわけです。 今ではそのほとんど作文を、コピペで間に合わせています。 ◇「愛知県公立高校_推薦入試_三分間自己PR文編」です。 ◇「高校入試編」です。 ◇「大学_短大_各種専門学校入試編」です。 ◇「就職試験編」です ◇「詩一編他編」です。 「作文・小論文の文例集すべて」です。 「作文・小論文の文例集選集」です。

「大寒の日に思う」

今日は「大寒」です。 昨日目を覚ますと、雪が積もっていました。当地域では年に一度あるかないかのことです。早速好機の到来と思い、登山靴で雪の 東海道を歩こうと思いたったまではよかったのですが、早速すぎてもたもたしているうちに、陽がさしはじめ、雪はみるみるうちに溶け、昼前にはすっかり姿を消してしまいました。豊橋市中央図書館の裏手に咲いているセイヨウカタバミは黄色の花をつぼめ、皆頭を垂れていました。また、葦毛湿原に至る道の傍に自生するササの葉はいずれもお辞儀をし、生気なくしおれていました。 一昨日から、 長い間積読したままにしておいた、 辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 を読みはじめました。身につまされることばかりです。 司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫 と併読しています。こちらは学生時代に買った未読の文庫本です。旧版です。老眼には小さな文字はこたえます。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと_『セエーカイセエーカイダイセエーカイ』」

 お遍路をはじめてから、いつのころからか、夜、宿で夕食を終え、床につき、天井を見上げながらセエーカイセエーカイダイセエーカイとつぶやくことが多くなった。子どもじみた話で気恥ずかしいことだが、漢字で書けば「正解正解大正解」である。  今日もいろいろあったけれども、まあ、なんとかいい一日を過ごすことができたと思う。失敗も数々あったが、上出来の日だったと思いこむ。自分をそう思うように仕向ける。そのための呪文がこれだ。お参りしながらナムダイシヘンジョウコンゴウ、ナムダイシヘンジョウコンゴウ、セエーカイセエーカイダイセエーカイとなってしまうことが再三あった。  どちらの道を行こうか、どこまで歩いて行こうか、どの宿にしようかと迷うことがある。どんなに迷っても、一度きめてその道を選び、一度きめてその宿を選んだ以上は、その選択が「正解正解大正解」だったと思う。そう思いこむ。選択が間違っていたかどうかなどといつまでもぐじぐじ考えず、まずは正解だったと思う。それも一つの修行だろう。  セーカイセーカイダイセーカイというつぶやきがでてくる。迷ったからこそ、いまこの小宇宙に独りでいることができる。深い山の懐にあって、雲の流れをこころゆくまで眺めることができる。見渡す限り、人の姿はなく、山々は深い沈黙のなかにある。なんとぜいたくなことだろう。これこそ、大正解でなくてなんだろう。そんな感じをもった。   この世に生きていれば、迷うことばかりだ。小さな迷いもあり、大きな迷いもある。迷わない、という人がいればそれは自分を偽っているのだ。迷ったら、立ち止まればいい。立ち止まって新鮮な空気を思いっきり肺に流し込めばいい。迷ったことで初めて得られる体験、というものがあると思えばいい。  迷って遠回りをすることを恐れることはない。百の道のうち一つを選ぶということは、九十九の道を失うことになるのだ。失った九十九の道に執着することはない。どの道を選んでも、たくさんの道を失うことに変わりはない。それよりも、自分が選んだ道を楽しむことだ。  私たちは日常の暮らしで、迷うことを恐れすぎているのではないだろうか。  いまはもう消えてしまったらしく、見つけることができなかったが、昔、四十三番明石寺にこんな立て札があった。「悟りは迷いに道に咲く花である」 辰濃和

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_履く

「8 履く」   辰濃和男『四国遍路』岩波新書  薬王寺を過ぎると、あとは海辺の道を歩くことが多くなる。初遍路では軽登山靴を履いていたが、あのときは、ちょうどこのあたりで右の膝を痛め、足をひきずりながら歩くことになった。  こんどのお遍路で選んだのは、山歩きのときに履く愛用の革製登山靴だった。靴のなかには、うすい靴下と厚手のウールの靴下の二枚を着用している。むれる感じはあるが、両足が堅固に守られている安心感がある。  「そんな靴じゃ、重たくて歩きにくいでしょ」。そういって私の登山靴を見つめるお遍路さんもいたが、「とんでもない。この靴のおかげで快調です」とむきになって反論した。反論はしたものの、いかに堅固な靴に守られていても、足のあちこちに痛みがでてくるのは避けられない。絆創膏(ばんそうこう)やらをべたべたと足に貼るのが朝の行事になった。 長丁場では靴の選択はきわめて大切な意味をもつ。  遍路修行の若いお坊さんに出あうと、私はまず足元を見る。たいていは真新しいウォーキングシューズで、地下足袋や草履の坊さんはまずいない。「地下足袋で足を痛くした先輩の話をよく聞きますからね。このごろは、みなウォーキングシューズか登山靴です」。修行僧がそういっていた。  名僧山本玄峰は一八七〇年代、何回も四国遍路をしているが、記録によると裸足(はだし)で回ったという。目がかなり不自由だったうえの「裸足参り」である。厳しい修行を己に課すためのお遍路だった。 一九一八年にお遍路をした高群逸枝は草履だった。  演歌師、添田啞蟬坊(そえだあぜんぼう)は一九三〇年代前半、何年間もお遍路をしているが、このときは地下足袋だ。 種田山頭火も地下足袋だ。一九三九年の遍路日記に、地下足袋が破れて、左の足を痛めて困っていたところ、運よくゴム長靴の一方が捨ててあるのを見つけた。それを裂いて足袋代用にしたので助かった、と書いている。  草履ー地下足袋ー歩行用の靴、という変遷をたどって、登山靴派が現れた。 引用が長くなってしまいましたが、私の今の興味は「履く」ことにありますので了解していただくことにして、早速登山靴で舗装された道路を歩いてみようと思っています。吉田宿の近くに住んでいます。まず手はじめに、近辺の東海道を歩いてみます。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会

  土との融和、について書きたい。  四十六番札所浄瑠璃寺をお参りしたとき。名誉住職、岡田章敬師に話を聞いた。  「土はお地蔵さんだ」と師はいう。  「お地蔵さまの本体は土そのものなんです。真言宗の秘密の解釈として「地蔵は土なんぞお」と先輩がもらすことがありました。地球そのものがお地蔵さまなんですね。土の中からたくさんの草が生えてくる。あれはお地蔵さまの活動の表れなんですよ」 「私どもも土から生まれてきて、死んだあと土に帰ってゆくんですな。私は、死んだら骨壷などに入れないでじかに土に入れてもらいたいといっているんです。土に帰ってお地蔵さまに抱かれたい、と思いますね」  人は土をコンクリートで覆うことに熱中してきた。舗装道路はぬかるみをなくし、車の流れをよくしたが、お地蔵さまの力を封じこめ、人を土から遠ざけてしまった。私たちは土に触れることが少なくなり、お地蔵さまの力を感じとる機会が少なくなった。 (中略)  金子みすゞの詩に。「かあさん知らぬ / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / 土はひとりで育てます。 / 草があおあお / しげったら / 土はかくれてしまうのに」  章敬師流にいえば、草の子を育てているのは地蔵の力なのだ。土は手柄話はしない。何千万の草の子を育てたんだなどと自慢げにいったりしない。しかも、草が育ったあと、土は隠れてしまい、黙って次の草の子を育てる準備に入る。それこそが大いなるものの営みなのだろう。そこには、際々しいさかしらごころというものがない。 ( 辰濃和男『四国遍路』岩波新書  157-158頁)  『四国遍路』で金子みすゞさんに出会うとは思ってもみませんでした。  長い間顧みられなかった金子みすゞが見出され、 1984 年8月に、 金子みすゞ,与田準一『金子みすゞ全集』   JULA 出版局 が発売されると、私は間もなく購入しました。卒業論文のテーマを、金子みすゞにしようか、種田山頭火にしようかと迷いつつ、それなりの資料に目を通しました。山頭火について読む中で、同じ無季自由律俳句の大山澄太に出会うのは当然の成り行きでした。結局、金子みすゞも種田山頭火も私の手には負えず、「倉本聰 シナリオ文学私論」という題名で、私は卒業論文を書きました。学

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_動詞を大切にする。

 なにはともあれ、六十八歳から七十歳までの間に続けた私の「区切り打ち歩き遍路」は終わった。たくさんのことを学んだ。いちばん大きいのは「動詞」を大切にする、ということだった。  動詞は、抽象的、論理的なことがらが苦手で、人のからだやこころの動きに寄り添っているところがある。等身大で、具体的で、行動的だ。そういう動詞の数々と親しむ生き方をお遍路は教えてくれた。(225頁) 辰濃和男『四国遍路』岩波新書   を読み終えました。 目次には、 誘われる、着る、歩く、いただく、打たれる、出あう、はぐれる、履く、 解き放つ、突き破る、泊まる その一、包みこむ、体得する、あこがれる、食べる、ほどこす、 痛む、泊まる その二、迷う、修行する、回る、融和する その一、遊ぶ、ゆだねる、 哭く、死ぬ、捨てる、融和する その二、洗う、結ぶ、 の、三十の動詞と、そして番外として、 番外 登る が記されています。 辰濃和男さんのご案内で八十八ヶ所を巡る旅は、三十一の動詞に思いをめぐらせる旅でもありました。 四国遍路に誘われ、石鎚山にあこがれています。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」梅一輪

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葦毛湿原の駐車場に車を駐めて寝ていました。そして、目を覚ますと、一輪の梅の花が目に飛び込んできました。目を覚ましてはじめて気がつきました。目の前に咲いていました。 2016/01/17 梅一輪 一輪ほどの 暖かさ 服部嵐雪 「どこかで春が…」 春の足音に耳をすませています。 明日は雨の予報です。

「地下足袋で歩きながら、つらつらと」_地下足袋 ラインアップ編です。

甚左衛門さん の三種の神器(丸五「ジョグ地下12枚」、丸五「万年縫付12 枚 」、力王「特製地下たび3 枚 」)に、力王の「跣たび10 枚 」と同じく力王の「軽快地下たび5 枚 」の二種類と丸五の「快足5 枚 」を加えた六種類の地下足袋の履き心地を楽しもうと思っています。後述しますが、「跣たび10枚」と「軽快地下たび5枚」は思い入れのある地下足袋ですのではずすわけにはいきません。また、「快足5 枚 」は「底が厚め」と記載されていますので興味があります。甚左衛門さんが三種類に絞られた理由を体感してみようと思っています。地下足袋は用途に応じた明確なコンセプトの下に作られていることは間違いのないことです。足元を見つめなおすいい機会です。足元を固めようと思っています。 学生時代 「思惟の森の会」 「早稲田造園」さん 大学時代にはじめて地下足袋と出会いました。「思惟の森の会」は学生サークルです。また、学生時代、「早稲田造園」さんでアルバイトをさせていただきました。この頃に履いた、第一世代の地下足袋が行方不明です。目下捜索中です。 2016/01/06 葦毛湿原 「富良野地下足袋12 枚 」との再会 1995/06 に富良野市の ワーク・アサミツさんで買った地下足袋を、今後「富良野地下足袋」と呼ぶことにします。 行き 渓流シューズ 帰り 「富良野地下足袋12 枚 」 2016/01/09  葦毛湿原 エアートレック28(デイパック)に、2Lのミネラルウォーターのペットボトルと「富良野地下足袋12 枚 」を詰め込んで、 登りは、 「ジョグ地下12枚」 下りは、 「富良野地下足袋12枚」 を履きました。 2016/01/10 豊橋公園 サイズが小さくて足に合わない、「富良野地下足袋12 枚 」の使用を諦めました。思い出と実用とを天秤にかけての苦渋の決断でした。20年という歳月のうちに、私の足が成長したということなんでしょうか。間延びしたということなんでしょうか。腑に落ちません。 葦毛湿原 「ジョグ地下12 枚 」 2016/01/11  葦毛湿原 右足 「ジョグ地下12 枚 」 左足 「跣たび10 枚 」 前日の教訓を生かし靴下の重