「地下足袋で歩きながら、つらつらと」再会


 土との融和、について書きたい。
 四十六番札所浄瑠璃寺をお参りしたとき。名誉住職、岡田章敬師に話を聞いた。
 「土はお地蔵さんだ」と師はいう。
 「お地蔵さまの本体は土そのものなんです。真言宗の秘密の解釈として「地蔵は土なんぞお」と先輩がもらすことがありました。地球そのものがお地蔵さまなんですね。土の中からたくさんの草が生えてくる。あれはお地蔵さまの活動の表れなんですよ」
「私どもも土から生まれてきて、死んだあと土に帰ってゆくんですな。私は、死んだら骨壷などに入れないでじかに土に入れてもらいたいといっているんです。土に帰ってお地蔵さまに抱かれたい、と思いますね」
 人は土をコンクリートで覆うことに熱中してきた。舗装道路はぬかるみをなくし、車の流れをよくしたが、お地蔵さまの力を封じこめ、人を土から遠ざけてしまった。私たちは土に触れることが少なくなり、お地蔵さまの力を感じとる機会が少なくなった。
(中略)
 金子みすゞの詩に。「かあさん知らぬ / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / なん千万の / 草の子を、 / 土はひとりで育てます。 / 草があおあお / しげったら / 土はかくれてしまうのに」
 章敬師流にいえば、草の子を育てているのは地蔵の力なのだ。土は手柄話はしない。何千万の草の子を育てたんだなどと自慢げにいったりしない。しかも、草が育ったあと、土は隠れてしまい、黙って次の草の子を育てる準備に入る。それこそが大いなるものの営みなのだろう。そこには、際々しいさかしらごころというものがない。

 『四国遍路』で金子みすゞさんに出会うとは思ってもみませんでした。
 長い間顧みられなかった金子みすゞが見出され、1984年8月に、
金子みすゞ,与田準一『金子みすゞ全集』  JULA出版局
が発売されると、私は間もなく購入しました。卒業論文のテーマを、金子みすゞにしようか、種田山頭火にしようかと迷いつつ、それなりの資料に目を通しました。山頭火について読む中で、同じ無季自由律俳句の大山澄太に出会うのは当然の成り行きでした。結局、金子みすゞも種田山頭火も私の手には負えず、「倉本聰 シナリオ文学私論」という題名で、私は卒業論文を書きました。学生時代には、早坂暁さんのテレビドラマを観ていました。また、何冊かのシナリオも読みました。
早坂暁『円空への旅』日本放送出版協会
早坂暁『山頭火―何でこんなに淋しい風ふく』日本放送出版協会
早坂暁「乳の虎~良寛ひとり遊び~」NHKテレビドラマ


金子みすゞ、種田山頭火や大山澄太、早坂暁、そして、松原泰道。 『四国遍路』では、懐かしい人たちとの再会をはたしました。学生時代には遍路という意識は微塵もありませんでした。遠回りをしましたが、再びこれらの人たちとお会いしたからにはじっくりとおつき合いしようと思っています。