「文章の書き方・みがき方_文の接続と文末表現」



辰濃和男『文章の書き方』岩波新書 を読み終え、一昨夜深更、辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書 を買いに書店に行きました。併読中の 司馬遼太郎『空海の風景』中公文庫 は一時おあずけです。

2015/08/28 TWEET「作文」で、
 文章を書く上で厄介なことは、文と文の接続と文末表現です。文末決定性は日本語の特徴ですから、当然といえば当然のことなのかもしれません。
 初稿を書き終えるまでには、生みの苦しみがありますが、その後の推敲は苦になりません。推敲を繰り返すことによって、文章がすっきりしてきますので喜びがあります。が、推敲はキリのない作業です。どこかで見切りをつけざるをえません。
 誤字脱字はハナからあきらめています。自分が書いた文章を自分一人で校正するのはどだい無理な話です。いたし方のないことです。
と書きました。

この作品(「人違い」)の見所は、文節と文節との接続のありようです。接続に使われているのは「とき」です。さきほどの「翌朝」もそうですが、
(中略)
 「たぶんその頃…」で、ぱっと場面が変わる。ある場面からある場面へ飛ぶ。切替が早くて読んでいて心地がいい。井伏鱒二は「以前」とか「今年の夏は」とかいう形で、「とき」を文節と文節の接続に使うことの名人だったと思います。

井伏は接続詞を使わずに場面の展開をはかり、石橋(湛山)は、接続詞を上手に使って、論旨を進めてゆく。接続詞によって文章の流れは強くなったり、少し曲がったり、また直線になったり、ということになります。
辰濃和男『文章の書き方』岩波新書(230-233頁)

辰濃和男は、接続の問題を「文章の流れ」の中でとらえています。

III 推敲する
7 文末に気を配る
「私は文章を書くとき語尾に手こずっている」(井伏鱒二)
 井伏鱒二ほどの作家が「語尾(文末)にてこずっている」と書いているのを読むと、やはり日本語は大変なのだなと思います。動詞が文章の末尾にくるせいでしょう。井伏は語尾に手こずっていると書いてはいますが、できあがった作品はみごとなものです。
辰濃和男『文章のみがき方』岩波新書(160頁)

「厄介」としか表現できなかった「厄介さ」の所在が、自覚されるようになりました。が、「厄介さ加減」が減じたわけではなく、依然として「厄介な問題」にかわりはありません。