石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON(全)


石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON

中二生の二人の女の子たちが合唱コンクールで歌う自由曲を口ずさんでいました。聞くともなしに聞いていました。聞き覚えのある詞だなと思い、訊くとやはり谷川俊太郎さんの詩「春に」でした。

下記、谷川俊太郎さんの詩、「春に」です。一つ前の、光村図書出版の「国語 2」の教科書に載っていました。中学二年生になってはじめて学習する教材です。

春に
この気もちはなんだろう
目に見えないエネルギーの流れが
大地からあしのうらを伝わって
ぼくの腹へ胸へそうしてのどへ
声にならないさけびとなってこみあげる
この気もちはなんだろう
枝の先のふくらんだ新芽が心をつつく
よろこびだ しかしかなしみでもある
いらだちだ しかもやすらぎがある
あこがれだ そしていかりがかくれている
心のダムにせきとめられ
よどみ渦まきせめぎあい
いまあふれようとする
この気もちはなんだろう
あの空のあの青に手をひたしたい
まだ会ったことのないすべての人と
会ってみたい話してみたい
あしたとあさってが一度にくるといい
ぼくはもどかしい
地平線のかなたへと歩きつづけたい
そのくせこの草の上でじっとしていたい
大声でだれかを呼びたい
そのくせひとりで黙っていたい
この気もちはなんだろう


武満徹さんが谷川俊太郎さんの詩に曲をつけられた、幾つかの歌が収録されている、
を思い出しました。

筑紫哲也さんがキャスターを務められていた
「NEWS 23」のエンディング・テーマに、石川セリさんが歌う『翼』が流れていた時期があります。調べると1997年4月から1997年6月にかけてのことで、当時渡辺真理さんが第二部のサブキャスターを担当されていました。早速ヤマト楽器さんに、石川セリさんが歌う「翼 武満徹ポップ・ソングス」を買いにいったことを思い出します。開塾二年目の春のことでした。

武満徹さん「作詞」・作曲の歌を前にして、谷川俊太郎さん「作詩」・武満徹さん作曲の歌はかすんで見えます。谷川俊太郎さんは「詞」になることを想い「詩」を書いたわけではありませんから、それは当然のなりゆきなのかもしれません。詩が曲をまとい詞となり、演奏され歌われると、こんなにも愉快で幸せなことが起こるものなのかと感心してしまいます。純一で無雑な曲は、高く澄みわたった秋の空を連想させます。さっそく、「翼 武満徹ポップ・ソングス」を聴きながら、芸術の秋、芸術鑑賞の秋、にひたりたいと思っています。

一つのことがきっかけとなって、いろいろな思い出にふけっています。そして、それらはインターネットで検索するすることによって、広がりをみせ深まり、より正確なものになっていきます。個人の思い出までをも左右する、ネット社会に驚異を感じています。引き続き、「思い出にふける秋」を楽しもうと思っています。


『翼 武満徹ポップ・ソングス』_武満徹さんの四つの詞によせて

武満徹「小さな空」
青空みたら 
綿のような雲が
悲しみをのせて 
飛んでいった
いたずらが過ぎて 
叱られて泣いた
こどもの頃を憶(おも)いだした

夕空みたら 
教会の窓の
ステンドグラスが 
赫(まっか)に燃えてた
いたずらが過ぎて 
叱られて泣いた
こどもの頃を憶(おも)いだした

夜空をみたら 
小さな星が
涙のように 
光っていた
いたずらが過ぎて 
叱られて泣いた
こどもの頃を憶(おも)いだした


武満徹「明日ハ晴レカナ曇リカナ」
昨日(キノウ)ノ悲シミ
今日ノ涙
明日(アシタ)ハ晴レカナ
曇リカナ

昨日ノ苦シミ
今日ノ悩ミ
明日ハ晴レカナ
曇リカナ


武満徹「翼」
風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ 
夢をはこぶ翼
遥かなる空に描く 
「希望」という字を
ひとは夢み 旅して 
いつか空を飛ぶ

風よ 雲よ 陽光(ひかり)よ 
夢をはこぶ翼
遥かなる空に描く
「自由」という字を


武満徹「◯(マル)と△(三角)の歌」
地球ハマルイゼ 
林檎ハアカイゼ
砂漠ハヒロイゼ 
ピラミッドハ三角ダゼ

空ハ青イ
海ハ深イ
地球ハマルイ 
小サナ星ダゼ

地球ハマルイゼ 
林檎ハアカイゼ
ロシアハデカイゼ
バラライカハ三角ダゼ

今ではもう私は、武満徹さんの書かれた四つの詞を詩として、純粋な言語作品として読むことができなくなってしまっています。曲を伴った形でしか読めなくなってしまっていますので、「武満徹さんの四つの『曲をまとった詞』によせて」ということにさせていただきます。

 二つの詞には、悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ、という言葉が出てきます。涙、は二回出てきます。武満徹さんの書く「悩ミ」は、すでに昇華された「悩ミ」であって、それは内容を伴った「悩ミ」ではなく、実態のない、透明感のある「悩ミ」です。それは、苦シミ、悲しみ、悲シミ、の三つのどの言葉についても言えることです。武満徹さんは、もはや、悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ、といった世界の住人ではなく、遠くはるか彼方からこの世界を見つめていらっしゃるような気がしてます。それは詞を書くための単なるスタンスやポーズではないような気がしてなりません。
 『翼』には、夢、希望、自由という言葉が見うけられます。武満徹さんの手にかかると、夢、希望、自由、といった言葉さえ、昇華され実態を失くしてしまいます。「悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ」が昇華され実態を失くしたわけですから、彼岸から見たとき、「夢、希望、自由」が昇華され実態を失くすのは、至極当然のことです。
 武満徹という「空っぽ」な人が書いた「空っぽ」な詞、私はこんな風に、武満徹さんご自身と武満徹さんが書かれた四つの詞を受け止めています。

石川セリ「翼 武満徹ポップ・ソングス」DENON が届きました。本体は誰かの手に渡り、焼かれたCDだけが手元にありました。歌詞の確認と武満徹さんの書かれた文章が読みたくて注文しました。散逸してしまったあれもこれもが、悔やまれてなりません。

インターネット上で見つけた詞と武満徹さんが書かれた詞との間には、少なからぬ相違があり訂正しました。これは今回に限ったことではありませんが、「こんなものでしょ」というのが率直な感想です。が、ないよりはあった方が断然マシです。

試みに、Amazon さんのカスタマーレビューにはじめて投稿してみました。早速お礼のメールが届きました。さすが、手ぬかりはありませんね。「数百万人というお客様方」に喜んでいただくために、投稿したわけではありません。動機はいたって不純です。悪しからず!!

Amazon の翼 武満徹ポップ・ソングスをレビューしていただきありがとうございます
本多勇夫様、ありがとうございます 
お客様の最新のカスタマーレビューが Amazon に掲載されました。この商品に関するご経験を掲載していただいたことで、当社並びに Amazon でショッピングする数百万人というお客様方が大変喜んでおります。
 2015/10/25 
武満徹さんの四つ詞によせて
 今ではもう私は、武満徹さんの書かれた四つの詞を詩として、純粋な言語作品として読むことができなくなってしまっています。曲を伴った形でしか読めなくなってしまっていますので、「武満徹さんの四つの『曲をまとった詞』によせて」ということにさせていただきます。
 二つの詞には、悩ミ、苦シミ、悲しみ、悲シミ、という言葉が出てきます。涙、は二回出てきます。武満徹さんの書く「悩ミ」は、すでに昇華された「悩ミ」であって、それは内容を伴った「悩ミ」ではなく、実態のない、透明感のある「悩ミ」です。それは、苦シミ、悲しみ、悲シミ、の三…


 武満徹「翼 武満徹ポップ・ソングス」あとがききっと多くの方が、なぜクラシックの、しかもこむずかしい現代音楽を書いている作曲家がこんなアルバムを作ったりするのか、不思議に思われただろう。
 『翼』といううたにも書いたように、私にとってこうした營爲(いとなみ)は、「自由」への査証を得るためのもので、精神を固く閉ざされたものにせず、いつも柔軟で開かれたものにしておきたいという希(ねが)いに他ならない。

注文した『翼 武満徹ポップ・ソングス』が手元に届き、「あとがき」を読んだときには、少なからぬ驚きがありました。というのも、私は、「『翼 武満徹ポップ・ソングス』_武満徹さんの四つの詞によせて 」に、
武満徹という「空っぽ」な人が書いた「空っぽ」な詞、私はこんな風に、武満徹さんご自身と武満徹さんが書かれた四つの詞を受け止めています。
と書いたからです。武満徹さんにとって「自由」とは、もはや実態のない抜け殻としての言葉であって、ご自身は「自由」でもなければ「不自由」でもないといった境地に遊ばれているような印象を当時もっていました。が、武満徹さんが書かれた「あとがき」とは、だいぶ趣を異にしています。
 それでもなお、このような澄みわたった透明感のある「空っぽ」な詞は、「空っぽ」な、あるいは、「空っぽ」にごくごく近しい人の仕業だとしか私には思えません。
 「こうした營爲(いとなみ)」が、「「自由」への査証を得る」ことにつながる、こういった人がいることに私は、新鮮な驚きを、また感動を覚えます。


武満徹「◯と△の歌」について
河合隼雄さんは、『子どもの本を読む』岩波現代文庫 のなかで、長新太さんの絵本『つみつみニャー』あかね書房 について以下のように書かれています。

本当に考えてみると、三角と円とは実に根源的な形で、この二つを組み合わすとどんなものにでもなると言いたい位である。あるいは、現実をデフォルメして根源的な形を求めていったら、円と三角になるのかもしれない。このあたりは画家としての長新太の面目がよく出ているし、その発想が奇想天外であるが、いい加減でないことを示しているとも考えられる。有名な禅僧の仙崖の筆で、円と四角と三角とを描いて、世界と名づけたのがあったことも思い出す。

武満徹さんの書かれた詞のタイトルを、『◯と△の歌』から、『つみつみニャー』に変えても十分にイケそうな気がしています。『◯と△の歌』は、それほどまでに「奇想天外」であり、「根源的」な歌です。

河合隼雄が読み解く 長新太『つみつみニャー』あかね書房 その三