「意外なジョギングのお話」
「意外なジョギングのお話」
一人になりたいがためにジョギングをする人たちがいるそうです。確かに走っている間は一人になることができます。その進化形は、音楽を聴きながらジョギングをすることなのだそうです。音楽を耳にしながら走れば、周囲の喧騒からも解放され自分の世界に入ることができます。一人になることが難しくなった時代を思います。
「我々が一人でいる時というのは、我々の一生のうちで極めて重要な役割を果たすものなのである。或る種の力は、我々が一人でいる時だけにしか湧いてこないものであって、芸術家は創造するために、文筆家は考えを練るために、音楽家は作曲するために、そして聖者は祈るために一人にならなければならない。」
須賀敦子『遠い朝の本たち』ちくま文庫(113頁)
一人でいることと、歩きながら、また走りながら一人になることとの間には、およそ懸隔があります。歩きながら、走りながらでは読むことや書くことができないのは、決定的な痛手です。長時間にわたって走り、歩くこともできませんし、同じ思索にふけるにしてもその内容には自ずから差異が生じることと思います。一人でいることと、一人になりたいがために何かをしなければならないこととは、一人であることの意味が違います。
塾でイヤフォンやヘッドフォンをして、音楽を聴きながら自習している子どもたちがいます。一人になりたいんだな、と思って眺めています。私ならば、ヘッドフォンで耳を覆うことはしても、音楽は流さないだろうな、と思うことがあります。それでは、耳せんをすればいいのかというと、耳せんでは周りの子どもたちをあまりにもあからさまに遠ざけているようで気がひけます。と、あれこれ考えるならば、自宅で一人静かに勉強すればいいのですが、そう簡単にはいかないようです。
目下 公認会計士を目指して浪人中の卒塾生に、耳せんに関する蘊蓄を聞いたことがあります。されど、耳せんです。感心しきりでした。
こんなサイトがすぐに見つかりました。
二年あまり前にランニングシューズを購入しました。初志はどこへやら、一度も走ることなく今はスニーカーとして履いています。足を心地よく包んでくれます。しかし、そのホールド感は夏には少々暑苦しく、もっぱらスリーシーズン用のスニーカーとして着用しています。