團伊玖磨『パイプのけむり』_三題


「ソラ・ソラ・シラミ」

「戦争中、陸軍軍楽隊の上等兵だった時は、同じく上等兵だった作曲の芥川也寸志君と二人で、編曲室と書いた木札をぶら下げた隊内の一室に籠り、大きな木の机を中に、向かい合って坐ったまま、何となく仔細らしい顔付きをして毎日を過ごしていた。」

 「そんなある日の午後、虱が一匹机の上を這っているのを芥川君が見付けた。
 「虱だね」彼が言った。
 「虱だな」僕が言った。
(中略)
 「虱だね」と彼がつまらなそうに言い、
 「虱だな」と僕もつまらなくそう言いながら、退屈していた僕達は、どちらからともなく一寸したゲームを始めた。
 虱 ーしらみ、これは、ド・レ・ミ・ファ・ソ・ラ・シ・ドの、つまり、音階名の中に含まれている名前である。si・la・mi ーこの小さな旋律を二人で歌っているうちに、この si・la・mi の三音符からなる小さな旋律が、妙に情緒のある音型であるので、二人は全く嬉しくなってしまい、それを少し延ばして、

  そらそら虱!
  どらどら虱!
  見れど見れど虱!
  虱!

 という、全部ドレミファの中にある発音だけでそのまま歌える小さな歌を共作して、それを楽しんで歌っているうちに、どうやらこれは、少々演技を付けて歌った方が面白かろうということになり、(後略)」



「マッハ1.3」
團伊玖磨『又 パイプのけむり』朝日新聞社

「心の中で緊急脱出の手順を復誦し終ると、僕は、第二0六飛行隊長大◯勝美三佐に伴われて飛行場に出た。丁度上空に漂っていた薄雲の割れ目から射した陽の光の大きな縞の中に、燦然と、今日これから乗るF104戦闘機は数機並んでいた。
 「あの一番右側の501号機が、これから貴方に乗って戴く機です。操縦は隊長の私がいたします。」

「では八丈にさよならをして上昇します。八丈と房総の間の海上で、超音速飛行とアクロバット飛行を行ないます。」

「では、ぼつぼつ霞ヶ浦でも見物して、百里の基地に帰りましょう。それにしても、團さん、貴方は職業を間違えましたね。パイロットになれば良かった。少しも怖わがらないばかりか、もっとロールをしろとか、背面の儘飛べとかは、怖ろしくて、仲々素人は言えないものですよ。」

「帰り、土浦の一つ先きの石岡から乗った常盤線の夜の列車の中で、僕は、一人で考えていた。今日の飛行は僅かに五十分だった。急上昇、急降下、操縦、八丈島までは僅か一五分だった。そして、超音速飛行、エアロン・ロール、バレル・ロール、背面飛行。然し、僕は、その初めての筈の経験を、既に何か過去に知っていた気がする。その経験は、過去と言うよりも、何時も経験する或る何かの感覚に似ていた。何だろうか。夜汽車に一人揺られながら、僕はすぐに気付いた。それは、自分が何時も携わっている音楽の感覚に似ていたのである。音階の急上昇、急降下、ざん強音(クレツシエンド)、ざん弱音(デイミニユエンド)、分散和音の飛び散り方、保続音、追覆曲の中での主題の倒立、偽終止、終止、等々、あらゆる音楽の要素が、あの五十分間に鏤(ちりば)められていた事を僕は思い当たった。時間の中で自分が常に経験している感覚が空間の中にもあった。そして、その事を知った事が、然し、矢張り、生れて初めての経験だった。」



「バロンのこと」
團伊玖磨『どっこい パイプのけむり』朝日新聞社

「大正から昭和に掛けて、未だひ弱だった日本の音楽の世界が、大倉(喜七郎男爵、ホテル・オークラの創設者)さんと徳川頼貞侯爵の大きな庇護を受けた事も忘れる事が出来無い。まさにこのお二人は、当時の日本の音楽の二大パトロンだったと言って良い。」

「パトロンとしてのバロン(大倉喜七郎男爵)で忘れられないのは、お金の下さり方の上手な事だった。バロンの依頼で、編曲や劇音楽のお手伝いをした時に、バロンは、例の安藤七宝店の部屋で、これは当座のお小遣い、と言いながら、封筒に入れたお金を渡して下さるのだったが、そう言われた途端に、封筒は狙い違わずこちらのポケットにすっとばかり入っているのだった。その特技はまさに鮮やかというか、掏摸(すり)の名人の逆だった。」

「お金に関してよく言われる事は、貰う方が上げる方より遥かに容易だと言う事である。金を渡す、金を貰う、その事はえてして立場の優越を来しがちで、そうであってみれば、余程細心な注意をしない限り、上げる方が妙な優位に立つ事になり易い。その事の上手なバロンは、お金を渡す難しさを知り抜いた、だからこそ優れたパトロンだったのだと考えさせられる。」