山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫(全)


山村修『増補 遅読のすすめ』ちくま文庫

勝間和代さんが時の人となる少し前、彼女のその読書量に驚き、速読術について真剣に考えた時期がありました。しかし、時を待たずして、斎藤孝さんの本に「頭で読む本」、「心で読む本」と書かれているのを読んで、「頭で読む本」を読む習慣のない私は、いつもの自分のペースの読書にとどまりました。そして、今回は、山村修さんの「遅読」です。霜月に入って最初の一冊です。

(「狐」は、山本修さんのペンネームです。)
 先日、漱石の『吾輩は猫である』を読んでいると、ほとんどラストに近いあたりで、次の一行が目にふれた。
 呑気と見える人々も、心の底を叩いて見ると、どこか悲しい音がする。
 この小説を読むのは三度目である。一度目は高校生のころ、二度目は二年ほどまえのこと。一度目の高校時代ははるかな昔のことで、みごとなくらい内容の記憶は失われているから除外するとして、二度目に読んだとき、この一行には気がつかなかった。
(中略)
 前回は気がつかなかった。そのときはたぶん、右の痛切ともいえる一行は目をかすめただけである。読んで感銘を受けたけれども忘れてしまったというのではない。目には映っているが印象をとどめない。なぜだろうか。答えはきまっている。速く読んだからだ。(11-12頁)


 一度、真昼ごろ、野原のまんなかで、古ぼけた銀のランプに陽の光がはげしく射すころおい、小さな黄色の布カーテンの下から、あらわな手が一つ出て、千切れた紙ぎれを投げた。それはひらひらと風に散って、その向うに今をさかりと咲いている赤爪草(あかつめぐさ)の畑へ、白胡蝶のように舞いおりた。
(中略)
いや、なんであっても、白い紙が蝶のようにひらひら舞うという、そのことだけで、馬車という密室での官能的なできごとが露わになっている。
 三度目に読んだとき、ようやくその一節に感動した。もとよりうかつなたちである。一度目も二度目もゆっくりと読んではいるのだが、十分にゆっくりではなかったのだ。十分にゆっくり読むと、神ぎれが頭のなかでかたちをなしてくる。馬車の窓から紙ぎれが投げられて風にひらひらと舞うのが、官能の映像として見えてくる。
(中略)
 速すぎず、ゆっくり読むと、馬車の窓からあらわれるエンマ・ボヴァリーの手まで読める。速すぎると、『吾輩は猫である』のときのように、ほんとうに痛切な、先のとがったセンテンスや、たっぷりと滋味のあるページが、まるで目に入らないということもあるのだ。
(30-31頁)


本書では、山村修さんが遅読中にも、さらにゆっくり読んでいるところ、立ち止まり、行きつもどりつしつつ、感慨にふけっている場面が、山村修さんの鑑賞文とともにふんだんに紹介されています。読書家 山村修の面目を再認識させられます。本書は「遅読のすすめ」であって、恰好の「図書案内」であって、「鑑賞の指南書」であって、私にとっては「作文のお手本」であって「作文の作法」です。

つい今しがた、山村修さんの書かれた『増補 遅読のすすめ』を読み終えました。
山村修さんは掉尾で、漱石が『吾輩は猫である』の中で書いた、
「Do you see the boy」
の、倉田卓次さんの読みを、
三橋敏雄さんの句、
「かもめ来よ天金の書をひらくたび」
の、北村薫さんの、また須永朝彦さんの読みを紹介されています。

鑑賞ではなく読みです。それは、遅読の末の末の末の結果としてたどり着いた、漱石の、三橋敏雄さんの、まさに抱いていた思いです。倉田卓次さんや北村薫さん、須永朝彦さんの執念です。作家への、作品への想いの賜物です。


「Do you see the boy」
 これで漱石が the boy をゼ・ボイと発音したという私見(倉田卓次)に納得して貰えただろうか。
 なぜ、そんなことにこだわるのか。
 もうお分かりになったかたも多いと思うが、そう読まなければ、「猫」のあの英文の一行の存在価値(レーゾンデートル)がなくなってしまうのである。
 づうづうしいぜ、おい
 ドウユーシーゼ、ボイ
 こう並べ読んでこそ、打てば響くような日英語の語呂合わせであって、落語を愛した江戸っ子漱石らしい洒落になる。ザ・ボーイでなく、ゼ・ボイである最大の証拠は、実はこの二行の対応かも知れない。
(中略)
 それにしてもあざやかな読みだ。この文章を収録した『裁判官の書斎』の刊行が一九八五年、小林信彦『小説世界のロビンソン』の刊行は一九八九年。それを考えると、もしも倉田卓次がこの文章を書かなければ、一九九三年に出たあたらしい漱石全集(岩波書店)の第一巻『吾輩は猫である』に Do you see the boy の注解が設けられ、「前行の『づう~しいぜ、おい』の音を英語にもじったもの。漱石は ‘the’ を『ゼ』と表記することが多く…」などと記されることはなかったのではないかと思う。(146-148頁)


「かもめ来よ天金の書をひらくたび」
 北村薫も「いかにも蛇足ですが」といって天金の説明をしているが、装丁法の一つで、書物を立てたとき上方になる切り口すなわち天に、金箔をつけたものを指す。
(中略)
 その須永朝彦による読みに、北村薫は「目を開かされました」と書いている。さらに重ねて、「いえ、開かされたというより、くらくらさせられました」と書いている。北村によれば、須永朝彦はこの句の発想が、手に開いた本をそのまま目の高さに据え、地の切り口のほうから水平に見た一瞬にあったのではないか、と記しているという。
 そのとき読んでいた北村薫の本を、私もそのように、まんなかあたりで開いたまま目の高さに上げてみた。そして地の切り口から水平に見た。瞬間、さすがに胸がさわいだ。
 たしかにかもめが見える。さらに一ページずつ繰っていくと、次々に白いかもめが翼をひろげて飛んでくる。
 北村薫は「もとより句は、謎々でも頭の体操でもありません。理屈がついて、なーんだと小さくなってしまうのでは仕方がない。ここにあるのは理以上の理です。」と書いている。むろん句をつくった三橋敏雄が、須永朝彦の考えた通りに発想したのかどうか確証はない。しかし、これはそれこそ気づくか気づかぬかであって、いったん気づいてしまったら、ほかの発想はもはや考えられなくなる。
 須永朝彦によれば、三橋敏雄がこの句をつくったのは早くて十五歳、遅くとも十八歳くらいの時期とのことだ。三橋は一九二0(大正九)年の生まれだから、一九三0年代後半の作ということになる。
(中略)
 一つの発見が、こうしてあたかも本から本へ、白い翼をひろげたかもめが渡るように、私のところまで伝わってくる。
 私にはそれがうれしい。いままさに本を手にしている、その本を読んでいるー、そういう思いがわいてくる。うれしいときは、なぜか時間もまた茫洋とわきたつような気がする。現実にはほんのいっときであっても、時間は果てしなくわきおこり、ひろがり、みちるー、そんな気分に包まれる。それがつくづくとうれしい。
(154-156頁)