一番すてきな「ありがとう」に会いたくて(全)


一番すてきな「ありがとう」に会いたくて

はじめに、「言語」と「ことば」について
◆2014年度 K大学 人間福祉学部 人間科学科
◇以下、代筆した「人間福祉学部専願の理由」より、抜粋です。

 今仮に映画やテレビドラマ、ラジオドラマのシナリオ、演劇の台本等の書き言葉(台詞)を「言語」、声色や抑揚、顔の表情、身振り手振り等々を含めた、書き言葉(台詞)が実際に発語された際の話し言葉を「ことば」とするならば、「言語」と「ことば」の関係は、「楽譜」と「演奏」の関係とよく似ている。「演奏」は一回限りのものであり、指揮者の数だけ解釈があり、演奏者の数だけ曲がある。「ことば」は意味の乗り物であると同時に感情の乗り物でもあり、「言語」が「ことば」の形をとるとき、そこには無数の感情の表出がある。

「文学は『言語』作品、落語は『ことば』作品」

 「言語」では「ありがとう」と一通りにしか表記することはできませんが、「ありがとう」の「ことば」は無数にあります。
 一番すてきな「ありがとう」に会いたくって、いつも「ありがとう」の「ことば」に注意を払っています。

一番すてきな「ありがとう」に会いたくて_その二
 「ありがとうございまぁ~す」と、語尾が間のびしては、感情の移入は困難です。鼻にかかった、鼻声での「ありがとうございました」は、雲行きがあやしく透明感に欠けます。「ありがとう」のことばはコンビニによって千差万別です。そして、同じコンビニの店員さんたちは、たいてい同じ「ありがとう」のことばを使っています。鼻声のコンビニで、卒塾生の女の子がアルバイトをしていましたので「どうして鼻声でありがとう、って言うの?」と聞くと、本人には自覚がなく、無意識のうちに鼻声で「ありがとう」と言っているとのことでした。店長さんの、または上位に立つ人の「ありがとう」のことばを無意識のうちにまねているようです。ことばは伝播し伝染します。
 「こんばんは」を「こん」を高く「ばんは」と次第に低く発語しているコンビニがあります。この「こんばんは」は、いかにも不自然で、いかにもかけ離れていて、いかにも特異ですので、伝播し伝染し、無意識のうちに発語しているとはとても思えません。意識して右にならっているのだと思います。興味は尽きませんが、確かめる術がありません。


一番すてきな「ありがとう」に会いたくて_その三
 N銀行・豊橋支店さんで受付のお仕事をされている女性行員さんの「ありがとうございました」はみごとでした。折り目正しく、品よくまとまっていて申し分ありませんでした。数々の「ありがとう」との出会いの中で、私が見つけた、一番すてきな「ありがとう」です。
 「ありがとうございました」の「話しことば」は「書き言葉」でしか表記することができず、ご披露できないのが残念ですが、私はいつでも復唱できます。
 接客態度も立派でした。磨きあげられた珠玉のことばの数々はみごとでした。
 同じN銀行さんの他の支店にお勤めの卒塾生の女の子にこのことを話すと、「~さん」だと思う、とすぐに名前が口をついて出てきました。困った時にはお客さんの前で土下座するよ、とも言っていました。


中学校三年生の女の子が、帰り際に車から降り、力を込めてドアを閉めながら言った、少し力み加減の、
「ありがとうございました」
もかわいらしくて、思い出に残っています。

ことばは、語尾をいかに発音するか、まとめるかによって印象が大きく左右されます。ことばについても文末決定性ということが言えるように感じています。

追伸:
「お大事になさってください」、「お大事に、どうぞ」ということばも気になっています。思い入れのあるテーマですので、機会をみて書き加えたいと思っています。