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TWEET「自讃」

「◯◯さんの今回のテスト週間中の頑張りを、きっと誰もほめてくれないと思う。高校・大学に進学しても、社会人になっても、おそらく誰もほめてくれないだろうね。そうしたら、どうするの?」 とたずねると、 「自分でほめる」 との、女の子からの明快な回答が返ってきました。 「春に笑えばそれでいい。一喜一憂はやめようね」 とだけ、つけ加えておきました。

「夏至から三日後の今日_アホらし」

2019/06/16 「拝復 P教授様_アホらし」  資源回収の振替休日(三連休)を含む、5日連続の、中3生の定期テスト対策授業の真っ最中です。計13,5時間に加えて、中1,2生 5時間の通常授業、合計 18,5時間の長丁場です。06/27 まで拘束されます。テスト前11日間のうち5日の休日があります。  ひとえに委細おかまいなしの中学校の先生方の尻拭いです。  なんの因果か、「アホらし」としかいいようがありません。 FROM HONDA WITH LOVE. 2019/06/25 「前略 P 教授様_アホらし」  その後、自転車操業のスリリングな毎日を過ごし、 明日から三日間の第二テストがはじまります。  昨今の喧(かまびす)しい教育の経済格差の問題は、大学を除けば、明らかに公教育に携わる先生方のあり様(よう)に起因するものです。遠因ではなく近因であることに思いをいたしたとき、「隗より始めよ」としか申し上げよう がありません。 「隗より始め」なければならないほど、低迷している職員室の惨状をまず知っていただきたいと思っています。順位を違(たが)えることなく、まず足下(そっか)を見つめ直せば、教育改革は長足に進展する、と私は信じております。  言葉少なにいえば、露見しなければ、とはいえ子どもたちは敏感に感じとっていますが、何をしてもしなくても 委細おかまいなし という体質、風通しが悪く、自律なく、誠意なく、粗野で野放図、ということです。  思えば、「アホらし」としかいいようがありません。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: ◇  工藤勇一『学校の「当たり前」をやめた。 ― 生徒も教師も変わる! 公立名門中学校長の改革』時事通信社 ◇  多田慎介『「目的思考」で学びが変わる —千代田区立麹町中学校長・工藤勇一の挑戦』ウェッジ  上記の二冊を購入しようかどうか、ずいぶん長く迷っていました。市内の図書館では常に「貸出中」でした。そして、つい今しがた、 ◇ 『西郷孝彦,工藤勇一 対談 これからの学校教育のかたち』(すばる Digital Book,Kindle版)集英社 を目にし、早速 ダウンロードしました。2019/06/21 に発刊されたばかりの電子書籍です。324円とお手頃なお値段がつけられていま...

小林秀雄「面倒になったからだ」

若松英輔『叡知の詩学 小林秀雄と井筒俊彦』慶應義塾大学出版会 の166頁には、 「小林は、ランボーが詩を棄てた原因を、『面倒になった』からだといった。」 との一文があるが、歯切れのよい、いかにも小林秀雄らしい物言いである。  「感 想」 小林秀雄『人生について』中公文庫 終幕は、死刑を宣告された法廷であるが、彼(ソクラテス)は「弁明」の終りに臨んで、「裁判官たる市民諸君、実は、驚くべき事が、私に起ったのである」と冒頭し、次の様な打明話をする ー 、平素あれほど馴染みだった例のダイモンの声が、私の最悪の日に当って沈黙して了った。瑣細な事にでも、あれほど屢々私に干渉した声は、今日、家を出た時から、私の言動に、例の禁止の命令を全く発しなくなって了ったのである。(226頁)  ダイモンが、「禁止の命令を全く発しなくなって了った」のは、死を覚悟したソクラテスには、何もかもが「面倒」になってしまったからであろう。一切を「面倒になった」と、打ち遣ったからこそ浮かぶ瀬があったのだと思う。  以来、「面倒になった」と投げ遣りになることも訓練次第、と思うようになった。

星野道夫「ハント・リバーを上って」

◇ 星野道夫『イニュニック [生命]』新潮文庫  は、2015/06/19 付の 『テンカラ「書籍編」』 の項で引用させていただいた、湯川豊さんの特集記事「山と渓流の図書館」で知りました。「ハント・リバーを上って」をまっ先に読みました。とても大切なことが書かれています。すてきなことばで彩られた作品です。 「ハント・リバーを上って」 星野道夫『イニュニック [生命]』新潮文庫  私たちは、この土地を波のように通り過ぎてゆくカリブーの神秘さに魅かれていた。その上でニックは、一頭のカリブーの死は大きな意味をもたないと言う。それは生え変わる爪のように再び大地から生まれてくるのだと…。「追い詰められたカリブーが、もう逃げられないとわかった時、まるで死を受容するかのように諦めてしまうことがあるんだ。あいつらは自分の生命がひとつの繋ぎに過ぎないことを知っているような気がする」  僕はそんなニックの話を面白く聞いていた。個の死が、淡々として、大げさではないということ。それは生命の軽さとは違うのだろう。きっと、それこそがより大地に根ざした存在の証なのかもしれない。  僕は以前から気になっていたことを急に聞いてみたくなった。 「ニック、オオカミは殺しのための殺しをすると思うかい? つまり獲物を食べるのではなく、生命を奪うためだけのハンティングのことさ。一度そんな場面に出くわしたことがあるんだよ」  僕は何年か前、早春のツンドラで見た、生まれたばかりのカリブーの子を次から次へと殺しながら走るオオカミの姿を思い出していた。 「オレはあると思う。きっと、死はやつらにとって芸術なのさ。それは人間のもつ狭い善悪の世界の問題ではないんだ。そして、そのことは少しもオオカミの存在を低くするものではない。それがオオカミなんだ…」 クリアランス・ウッドは、「人々がまだ狩りをしながら動物のようにさまよっていた時代の、駆りたてられるような狩猟への思い」をもち、皆から「畏敬の念をもって」見つめられている「本物のハンター」、「本物の猟師」である。  「クリアランスが今ここにいたら、オレたちのことを不思議な生きものを観察するような目で見るだろうな。クリアランスには考えられないんだ、なぜそんなことを心配するのかと。そしてそ...

TWEET 「ただあきれるばかり」

 昨夜の中三生の授業のはじめに息まいた。 「臨戦態勢につき、週末に授業を組みます。もし足並みがそろわないようならば、二回に分けてもいいし、三回に分けてもいいと思っている。  ひとりの参加者もなければ、僕はひとりで勝手に授業をする。人が聞いていようがいまいがいっこうに平気で、ただ授業をすることに喜びを覚える、授業のために授業をする。これが理想の授業者のあり方だと思っている。授業者の遊戯三昧ということである。  もしひとりを寂しく思えば、僕は壁や天井に向かって授業をする。   とにかく週末は部活以外には予定を入れないでほしい」  途中には「(笑)」,「(あきれる)」,「(ただあきれるばかり)」,「(あやしい)」といった文字が列をなし、「臨戦態勢」,「授業者」と板書したものの、「遊戯三昧 」と板書しようにも覚束ず、恥じ入った。  壁に耳あり。壁に向かって話すことくらいは、なんでもないことである。天井にしても然りである。授業時には弱り切って天井を仰いでばかりいる。

TWEET「僕は無智だから反省なぞしない」

「こちらは市の上下水道局です。豊橋市内ではいま水不足ため、節水にご協力ください」  つい今しがた、豊橋市役所の街宣車が、節水の呼びかけにまわってきた。 私が苦言を呈した 2019/05/27 以来のことである。  吹きかえられていた。依然 素人の物言いであるが、それをどうこういうつもりはない。   早速 返礼の電話をした。  「貴重なご意見、どうもありがとうございました。またよろしくお願いします」 とのことだった。  大人気なかったのは、お役所だったのかそれとも私だったのか。 「僕は無智だから反省なぞしない。利巧な奴はたんと反省してみるがいいじゃないか」 と言った、小林秀雄に倣うことにした。 以下、 「動詞_荒ぶる_その二」 下記、 「拝復 P教授様_悪しき道徳教育の、18歳の残滓です」

TWEET「螢狩り_恋慕の情」

 いつもの池のほとりの、いつもの場所に座し、目を凝らしていたが、十分ほどの間(ま)をおいては繰り返される明滅を、目にするばかりだった。「ほのかにうち光て行く」景色は望めなかった。  時季外れの恋慕の情を目にした格好だった、と簡単に文を結んでしまうのは不憫で、逡巡していると、アン・モロー・リンドバーグの「サヨナラ」を思い出した。 アン・モロー・リンドバーグ「サヨナラ」 A・M・リンドバーグ『翼よ、北に』中村妙子訳、2002年、みすず書房 「サヨナラ」を文字どおりに訳すと、「そうならなければならないなら」という意味だという。これまでに耳にした別れの言葉のうちで、このようにうつくしい言葉をわたしは知らない。…けれども「サヨナラ」は言いすぎもしなければ、言い足りなくもない。それは事実をあるがままに受けいれている。人生の理解のすべてがその四音のうちにこもっている。ひそかにくすぶっているものを含めて、すべての感情がそのうちに埋み火のようにこもっているが、それ自体は何も語らない。言葉にしない Good-by であり、心をこめて手を握る暖かさなのだ ー 「サヨナラ」は。  日本には「サヨナラ」があった。これに優る言葉は思い当たらず、「サヨナラ」を結びの語とすることにした。 以下、 アン・リンドバーグ「サヨナラ」 です。

TWEET「梅の実の入るころ_螢狩り」

「夏は夜。月のころはさらなり、闇もなほ、螢の多く飛びちがひたる。また、ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行くもをかし。雨など降るもをかし。」  今季は今夜を逸すれば他になく、「月(満月)のころ」,「闇(新月のころ)」,「螢の多く飛びちがひたる」ことは、望むべくもないが、せめて、「ただ一つ二つなど、ほのかにうち光て行く」ほどのことはと、夏の夜に望みを託している。  「雨など降るもをかし」とは一概にはいえず、「をかし」というには、私の場合 いろいろな注文がつくことになる。

TWEET「梅の実の入るころ_全力疾走」

 一昨日 梅雨入りした。  2019/06/26,27,28 には、定期テストが組まれている。15日前に当たる明後日以降は、臨戦態勢につき全力疾走、と中三生には告げてある。  テスト前の11日間に5日の休日があるが、さして珍しいことではなく、常態化している。授業時数が圧倒的に不足し、子どもたちにとっては御難な時代であるが、先生方はそれ相応にやり過ごし委細構わずである。実入りのいいのは、お利巧さんたちぞろいの教育業界の方たちばかりか、と思っている。  かなうならば、公教育には見切りをつけ信頼のおける私学へ、というのが賢明な選択だと思う。現行の「この国のかたち」ゆえのことである。  梅雨時には梅雨時の趣があり、子どもたちを情趣なく興趣もない全力疾走へと駆り立てるのは心苦しい。

「芒種の翌日に_ごろ寝セット」

 二階にある私の部屋は、低い天井と屋根瓦の照り返しが相俟って、梅雨入りを前にして早くも、日中にはいたたまれない熱気をはらんでいる。  家捜しをしていると、押入れから、 ◇「NIPPON NO NATSU ごろ寝マット + 枕  SET」榎本株式会社  (ごろ寝マット:140 × 55cm、 枕:45 × 20cmφ) なるものが見つかった。存在さえ忘れ、十年以上眠っていた代物である。  早速 仏間でごろ寝を決めこんでいる。カヤックとの添い寝を楽しんでいる。我が家の御仏らは、私の狼藉に、そろって眉をひそめていることは容易に察しがつくが、私はといえば、どこ吹く風で、行儀も作法もなにもなく、いっこうに平気である。  140cm という丈は、膝下がマットからはみ出し、涼感が得られ、願ったり叶ったりの寸法である。  「ごろ寝」にマットがあり、枕があるのは、腑に落ちないが、快眠さえ得られれば不足はなく、私の「NIPPON NO NATSU」の季語として定着しそうな勢いである。

TWEET「火の粉が降りかかった」

これで積年の恨みが晴れました。 溜飲が下がりました。 先月の中旬以降、心が荒んでいます。荒ぶっています。 その火の粉が三人に降りかかったということです。 過ちを犯した際に、その過ちといかに対するかで、人の真価が問われると思っております。 ご丁寧なご挨拶、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 GOOD LUCK! FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「私の禁忌する今時」

 私の禁忌する「今時」、私の困惑している「今風」、私の手には負えない「今様」、せめて私の身辺からだけでも、人員の整理がつかないものか。整理がつかないようならば、孤立の道を選ぶしかない。もちろん無援は覚悟のうえでのことである。 「今時」か「無援」かの択一を迫られれば、迷わず私は、「無援」を選ぶ。

「拝復 P教授様_言葉が生まれるのを待つ」

 作文を書いている最中に、あるいは推敲中に、文章をぼんやり眺めていると、無意識のうちに、適当な語が浮かんでくることがあります。これらの言葉は、深層から表層にのぼってきたもので、きわめて的確です。我知らず、忘却の彼方より、適切な一語が、ということです。  これは深層意識のなせる技であり、深層領域には、我々が見聞したことのすべてが記憶されていることの証左であると、私は受け止めています。  小林秀雄は、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」といい、「言葉が言葉を生む」といっています。「どんな作品になるか、はじめからそんなことが解っていたら、おもしろくないじゃないか」とも発言しています。  井筒俊彦も、「机の前に座って言葉が生まれるのを待つ」と書いています。  彼らの「書く」という営為は、両氏の「実存体験」であって、それらの作品は、彼らの「存在論的風景」であると、私は勝手に認識しております。 たびたびのお便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「神々のお出でましの間に間に」

「言葉」, 「ことば」, 「コトバ」の荒びゆえに、「こころ」は亡ぶ。主客の転倒なきことを旨としている。 「井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定した。「言語哲学者」としての空海の内に、井筒は同様のものを認めた。空海は、日本で最初の「深層的言語哲学者」だった。  なお、「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」とは、「言語に関する真言密教の中核思想を、密教的色づけはもちろん、一切の宗教的枠づけから取り外し」、「一つの純粋に哲学的な、あるいは存在論的な立場」( 『井筒俊彦全集 第八巻 意味の深みへ 1983年-1985年』 慶應義塾大学出版会 、「言語哲学としての真言」,425頁)から眺めた際に広がる「空海の風景」のことである。」  心が荒んでいる。荒ぶった心を鎮めるには、洗練された言葉と馴れ合うに如くはなく、と認識している。  「はじめにことばありき」。言葉を整えるのが先決である。  思えば、令成になり、わずかばかりの活字しか目にしておらず、今日を令成の「読書はじめ 」とすることにした。  神無月である。神々のお出ましの間に間に、ひとり抜け駆けしての読書である。  まず、ブログに引用したあれこれの文章を読み直すことからはじめることにする。 以下、 ◇ 「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」〈『意識と本質』_はじめから〉 ◇  井筒俊彦「『言語哲学としての真言』_はじめから」 ◇  井筒俊彦「『意味分節理論と空海 ー 真言密教の言語的可能性を探る』_はじめから」 です。

TWEET「以上、お知りおきください」

 文学から足を洗えないままにいます。なんでもありのヤクザな世界です。生半(なまなか)な分別があるだけに、厄介で、ヤクザよりもヤクザな世界の住人である、と自認しております 。人間の業ということを思います。  以降、真剣での果たし合い以外はお断りいたします。  「荒ぶる」の鎮静を思いつつ、 以上、お知りおきください。

「動詞_託(かこ)つ」

2019/05/30 「メールでのやり取りは、時間がかかり、困惑しています。うんざりしています。嫌気がさしております。 」 2019/05/31 「いまだ仔細は把握されていないように感じています。いまだ取っ付きで、その先があります。  さすがにもう疲れました。消耗しました。寛恕してください。  申し訳ありませんが、これを 最後に、音信不通とさせていただきます。」  上記の二文は、2019/05/25 に、故あって退塾していただいた塾生の、お母さんに宛てて書いたメールの掉尾です。一昨日にはまる一日、 昨日にはおよそ半日、メールばかり書いて過ごしたような感触を抱いています。使い慣れない iMessage(SMS)でのやり取りでしたので、ぐったりしています。  その後早速、「着信拒否」にしました。  知ってか知らずか、執拗に詰めよられると、頑なになり、殻に閉じこもるといった性癖が、私にはあります。次なる一手は、と思えど、思いつかず、行方をくらますしかないと覚悟しています。  「堪える・耐える」の意味に、「応える」の漢字が当ててあったりしますので、再読三読を強いられ、熟読にはうってつけの教材かと、思ったりもしています。  いよいよ夜逃げです。要不要を分かつ必要に迫られています。60L のザックに納まりきらないものは、打ち遣っての失踪です。  一人がいい。一人でいい。  邪魔立ては許されません。許しません。

「拝復 P教授様_とめどない「沈」の連鎖です」

「荒ぶりようは、ブログで拝見しておりました。 カヌーも人間も復元力!」 とめどない 負のスパイラルに絡めとられています。 まもなく、「荒ぶる_その三」をアップします。 思いがけずも、涼風に吹かれた思いがしております。 早々のご丁寧なご返信、どうもありがとうございました。 すてきな週末をお過ごしください。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「動詞_託(かこ)つ」 です。

「教育の死と再生」

 公立高入試は、範囲の限られたテストです。数学や理科のある分野については、多少の受験テクニックが必要となりますが、それとて学習指導要領内での出来事であって、中学校で行われる定期テストと同様、明確に出題範囲の示されたテストです。  範囲の限られた試験ですから、細大漏らさず勉強することが大切になってきます。たかが知れた範囲ですから、細大漏らさず勉強することはさして難しいことではありません。  しかし、ひとりでは、細大漏らさずといった勉強ができないために、入試数日前にしてなお、教科書を一頁ずつ繰って確認するという内容の直前対策授業を行わざるをえず、情けないかぎりです。  教科書を読まない、読もうとしないいまの大多数の子どもたちは、自身の手では細も大もすくい上げることができず、みじめです。そんな子どもたちとおつき合いせざるをえない私は、悲惨です。「転ばぬ先の杖はつかない」ことを標榜してはじめた学習塾ですが、いつしか初心は潰え、いまでは見る影もありません。このあたりが引き際かと考えています。  暉峻康隆先生の『女子大生亡国論』に倣っていえば、学習塾・予備校・各種専門学校等々に準ずる民間教育(?)機関が、また塾を恃み、塾に任せることをよしとし、おざなりの授業でお茶をにごす公教育の現場の先生方の体質が、ついにはこの国を亡すことになる、と私は考えています。暉峻先生の「亡国論」に比すれば、私の「亡国論」などは穏健派に組みするものです。自覚なく内省なく、したり顔をしている現場の先生方を想像すると、総毛立ちます。教育をなんと心得ているのでしょうか。自らの教育に対する矜持はないのでしょうか。  「死と再生」。「再生」には「死」を経ることが不可欠ですが、この先現行以上の地獄図絵のような体を経なければ、教育の「再生」はありえないのでしょうか。底を打ち、「再生」へと向かうとき、蘇生すべき体力が残存されているのでしょうか。絶えることにならないことを祈るばかりです。  「武士道と云ふは死ぬ事と見付けたり」。狭隘な自己保身、子どもたちを喰いものにした下卑た教育とは、もうこのあたりで訣別して、潔く「再生」へと舵を切るべきです。それには、身を投げ出す覚悟、「死」を賭す覚悟が必要です。「死」なきところに教育の「再生」はありえません。

TWEET「僕は我慢がならなかった」

◇ 塾生のあるお母さんからのメールに応えて、 「僕は我慢がならなかった。ただ、それだけのことです。 「教える」とか「諭す」とか「指導する」とか、そんな大それたことは考えておりません。それは神々の領域のことです。」 以下、 「悪貨は良貨を駆逐する?」 です。

「小満の八日後に_盈満(えいまん)」

「ウィキペディア の解説」 しょうまん【小満】 万物が次第に成長して、一定の大きさに達して来るころ。 『暦便覧』 には「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されている。 麦畑が緑黄色に色付き始める。 沖縄では、次の節気と合わせた小満芒種(すーまんぼーすー)という語が梅雨の意味で使われる。 「精選版 日本国語大辞典の解説」 えいまん【盈満】 〘名〙 (形動) 物事が満ち足りること。欠けたところがないこと。また、そのさま。盈溢(えいいつ)。 「大辞林 第三版 の解説」 えいまんのとがめ【盈満の咎め】 〔後漢書 折像伝〕 あまりに満ち足りているときは、往々にして災いの生ずるおそれがあるということ。   不足続きで、荒んでいる。荒ぶってばかりいる。 盈満に咎めがあるならば、足ることさえ知らぬ輩に咎めはつきものとあきらめている。  今日は小満の折り返し点である。復路に期している。

「拝復 Dr.T様_不相応な組み立で傷」

おはようございます。 カヤックで川下りとは、すてきな休日でしたね。羨望の眼差しを向けています。川下りにはさまざまな制約があり、それなりの準備も必要かと思っています。来豊時に聞かせてください。いまの私には、砂浜での組立て、砂浜からの出艇以外にはなす術がなく、不自由を強いられています。  かといって、このまま放っておくことは沽券に関わり、おもしろくなく、週末にはカヤックの「取扱説明書」とにらめっこをして過ごしました。二つの大きな過ちに気づき修正しました。いずれも、カヤックの構造の、仕組みのままならぬ理解に起因するものです。浅はかでした。その都度 繰り返される初歩的な過ちを今回もおかしています。一通りの過ちをおかすことなく、事が運んだためしはなく、早い時期に一通りの過ちをおかすことを心がけています。  厄介な部位の組立て、分解を繰り返し、 【セットアップ時間】約14分 には遠く及びませんが、四十分程度 にはおさまるようになったと思っています。  各部には、一度 琵琶湖の水面に浮いたきり、とはとても思えないような「組立て傷」がついています。 不相応な傷み具合です。  例によって、いま完成形が仏間に鎮座していますが、いつ骨抜きにされようとも我関せず、といった不遜な面構えになることを望んでいます。 お便り、どうもありがとうございました。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE.

「動詞_荒ぶる_その二」

 「こちらは市の上下水道局です。市内ではいま水不足ため、節水にご協力ください」  今朝から豊橋市役所の街宣車が、節水の呼びかけにまわっている。  こうして、書き言葉〈言語〉にしてしまえば、これしきのことであるが、話し言葉〈ことば〉としては、小学校低学年の子どもが吹きこんだとしか思えないような代物であって、滑舌も悪く、聞くに耐えないものである。  つい今しがた、上下水道局に電話をした。耳障りで仕方がないからである。 「これでは、恥をさらしに、市内をまわっているようなものですから、早速 吹き替えてください」 というのが電話の趣旨である。業者に委託したものではなく、女性職員の仕儀であるということだった。  「ご協力ください」の「くだ」と「さい」との間に間(ま)があり、その後 媚を売るかのように「さい」と発話されているので、聞くに耐えない甘ったるい〈ことば〉になってしまっている。かわいらしく、とのお考えかもしれないが、「公共放送」にかわいらしさは必要なく、浅はかで、ただ見苦しいだけのことである。  いま、応接してくださった男性職員の方(もちろん名前はうかがっている)に、すべてを託してある。  最後に、 「全国でも指折りの、光ヶ丘女子高校の放送部のみなさんにお願いすれば、喜んで引きうけてくださると思いますよ」 とつけ加えて電話をきった。 「せんろは つづくよ どこまでも」 癇に障ることが続きます。 本日も荒ぶっています。 「日本語 四技能」 果てしない、際限のない旅路、ということなのでしょうか!?

「動詞_荒ぶる_その一」

 栂尾・高山寺、湖南の日吉大社、湖北に位置する渡岸寺さんへの旅から帰豊し、一週間が経った。  その間に、中二生の塾の解散、二人の塾生への退塾勧告。ケアマネージャー、ヘルパー、新聞配達との諍(いさか)い、叔父、また父との徹底抗戦と、良識をわきまえず、道理の分からない輩たちが相手なだけに、私の瞋恚のほどのいかほどが伝わったのかさえ、怪しいものである。  2021年度からは、「大学入試共通テスト」がはじまり、「英語 四技能」が課されることになるが、いま思えば、今回の私の荒ぶりは、「日本語 四技能」、日本語を「読む、書く、話す、聞く 」ことさえままならない強者たちに向けらた ものであって、始末に負えない。今後、「英語」が「母語」を駆逐する時代がやってくるとでもお考えなのであろうか。顚倒もはなはだしく、内実をともわない英語がいくら話せ、いくら書けたところで、いかほどのことでもあるまい。  一人がいい。一人でいい。  これを機に、捨てる(捨てられる)ことを続けます。 塾生のお母さん方からのメールの返信には、 「今後 メール、お電話、またご来塾は、固くお断りいたします」 との断り書きを連ねている。早速 定型文として登録した。 「旧制三高」 深代惇郎『深代惇郎の天声人語』朝日文庫 京大教授の梅棹忠夫さんが「きらいなもの」を聞かれ、「ざっくばらんが大きらい」と答えているのも面白い。ざっくばらんとは、つまり野蛮なのだろう。(337頁) 「ざっくばらん」とは、前後なく、節度なく、見境なく、ということなのでしょう。 「あまざかる鄙」の明け暮れは、もの言わず腹ふくるることばかりです。

TWEET「【収納サイズ】95×37×27cm」

 今回の素っ頓狂な旅では、 【収納サイズ】95×37×27cm 【総重量】15.7kg のカヤックを、付属の黒色の「キャリングパック」に収納し、車の後部座席に置きっぱなしにして、あちこちほっつき歩いていました。終始 盗難にあうことを心配しながらの旅でした。  しかし、いま玄関に鎮座している「キャリングパック」を見やれば、怪しいことかぎりなく、ご遺体が入っているかのように見受けられ、とても盗難にあうと思えず、尋問を待つかのように、 鎮まりかえっています。  いま思えば、まったくの杞憂でした。  手頃なサイズの 「 キャリングパック」に、感謝している次第です。

「拝復 P教授様_真顔でした」

以下、 お尋ねの、 私が購入したカヤック、 「ボイジャー 415」 です。 下に送っていくと、「組み立て方」「片付け方」の動画を見ることができます。野田知佑さんの動画もあります。野田さんは英文科卒なんですね。 先ほど、「モンベル 豊橋」さんに戦後処理についてうかがいにいってきました 。その際に、はじめて仏間で組み立てるのに五日間、浜での組み立てに二時間かかりました、というと、ずいぶん早くなりましたね、とおほめの言葉にあずかりました。スタッフの方は真顔でした。三十分前後が目標ですが、これを機にポジティブに生きることにしました。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸: その後、ウェブサイト上に、 【セットアップ時間】約14分 と記載されていることに気づき唖然としました。あくまでも、ポジティブに、と考えております。

「拝復 P教授様_旅の終わりに」

 渡岸寺にいく途中、国友を訪ねました。信長が鉄砲 500丁をあつらえたと伝えられる鉄砲鍛冶の町です。司馬遼太郎の『街道をゆく 二十四』「国友鍛治」 の一節を刻んだ愉快な碑がありました。  観音さまの御前に三十分ほどいました。  帰路、伊吹 SA で、伊吹山頂にかかる雲が晴れるのを待ち、その後、走行中には、 睡魔に襲われ、最寄りの SA で午睡、三時間ほどかけて、16時少し前に帰宅しました。  たびたびのご機嫌うかがい、 どうもありがとうございました。  05/17 の明け方に自宅を出発し、走行距離  562,4km の頓狂な 旅でした。   「近江は日本の楽屋裏」 を実感した旅でした。

TWEET「今日は今津か長浜か」

  長浜港の「観光船のりば」のトイレ内で洗面。湖北の地を訪れた折の、いつもの朝のはじまりです。  いま 車中泊の旅の途上にあります。  一昨日には、近江八幡市の宮ヶ浜で、はじめてカヤックに乗艇しました。思いがけずも、願ったり叶ったりの、琵琶湖の水面に漂う木の葉状態でした。  その後、湖西にわたり、翌朝には穴太衆(あのうしゅう)の石積みの町 坂本を散策後、湖西線とバスを乗り継ぎ、栂尾・高山寺で明恵上人をしのびました。  いまから高月の渡岸寺さんに向かいます。観音さまとの目見えです。  Google map とコンビニ、マクドナルド、そしてスーパー銭湯 頼りの、今どきの車中泊の旅です。

「Dr.T様_栂尾・高山寺だよりです」

高山寺は、台風24号の被害で修復工事中でした。半日は悠に楽しむことができると思い、楽しみにしていたのですが、石水院しかのぞむことができずに消沈。どっと疲れがでて、早々に京を後にしました。いま近江八幡市にいます。睡魔に襲われ、これから午睡です。 では、では。 おやすみなさい。 FROM HONDA WITH LOVE.

TWEET「週末と私と美人秘書と」

 テスト週間中につき、悲惨な週末を過ごしました。  中学の授業程度のことはいかほどのものでもなく、いっこうに平気ですが、授業プリントの準備に追い立てられ、追い詰められ、右往左往するばかりでした。秘書さえいれば、私の仕事のおおよそは片づくのですが、望むべくもなく、「有能な美人秘書」がほしいと、子どもたちにこぼせば、「このオジサン、なに血迷ってるの」といった、冷たい視線にさらされましたが、厚顔無恥はお手のもので、どこ吹く風です。  テスト週間中には、と思い、 ◇ 丸谷才一『完本 日本語のために』新潮文庫 を用意しましたが、わずかに、 「言葉は単なる道具ではない」大野晋 「あとがきにかえて   日本人はなぜ日本語論が好きなのか  聞き手 湯川豊」 に目を通したばかりで、一切 本文にはふれず、といった体たらくです。  以上、「週末と私と美人秘書と」でした。

TWEET「勘どころも分かり」

懸念のカヤックのファスナーも締まり、購入後五日目にして完成をみました。勘どころも分かり、もう平気です。後は進水式、船出を待つばかりです。 取り急ぎまして、ご報告まで!! FROM HONDA WITH LOVE.

「立夏の日に_Dr.T様」

 明日は、令和元年の仕事始めですね。いきなり、定期テスト九日前です。私はそのつもりですが、受験生を心配しています。  カヤックのファスナーが締まらず、困惑しています。いくつかの手順を省いたのが原因なのでしょうか。それとも「社会の窓」は常に開けっ放し、がいいのでしょうか。しばらく仏前にお供えしておきます。  茂木健一郎については心得ていましたが、池上彰も講師をされてるんですね。有名どころをそろえてきますね。 今日は立夏ですね。 Hはだいじょうぶでしょうか!? お便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE.  アメフトといい、江ノ島まで自転車でといい、意表をつかれることばかりで驚いています。  夏休みには、 “またぎ ” よろしく、道内の山野をかけめぐるもの とばかり思っていました。 FROM HONDA WITH LOVE.

「拝復 P教授様_礼を欠く?」

「自由の象徴」であるはずの カヤックを、上手く組むことができずに、不自由きわまりない時間を過ごしています。  井筒俊彦は、「存在はコトバである」と措定しました。そして、空海の内に同様のものを認めました。「コトバ」の世界は融通無碍です。「コトバ」と近しいところで遊ぶ P教授を羨望の眼差しで見つめています。  叔母の死と、それに伴う葬式仏教の一々を目の当たりにし、また、 いまだ その渦中にあり、形式的、儀礼的といえば、天皇陛下に礼を欠くことになるのでしょうか。 お便り、どうもありがとうございました。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 「存在はコトバである」_「井筒俊彦の風景」としての「空海の風景」〈『意識と本質』_はじめから〉 です。また、下記、 司馬遼太郎講演「風土的日本仏教の基本」 です。

「Dr.T様_よちよち歩きです」

おはようございます。  一昨日の午前中、カヤックを受け取りにい ってきました。その際には、船体に歪み癖がつかないように、との配慮から、店長さんに組み立てていただきました。二時間ちかくおつき合いしていただき、恐縮しました。  以降、仏間で右往左往しています。いつになく疲弊し、かすり傷も多く、消耗しております。いまだに満足な出来栄えとはいかず、船体布をフレームになじませるため、不出来なままに艇は仏間に鎮座しています。そして、時折 恨めしく見やっています。  試行錯誤をしているうちが花だと思っています。よちよち歩きを続けます。  カヤックは上手くできていて、感心しています。 以上、簡単にご報告まで。 残り少なくなった GW をお楽しみください。 ご返信ご不要です。また、ご心配ご無用です。 では、では。 くれぐれもご自愛ください。 FROM HONDA WITH LOVE. 追伸:     ふり返れば、「モンベル 豊橋店」さんには、GW 二日目から六日間連続で日参しました。店長さんと Kさんとは顔なじみになり、行くたびに笑われています 。     今日から定期テストの準備を、と張り切っていましたが、カヤックに如くものはなく、意気消沈、ひき続き船 遊びに興じることにしました 。 以下、 辰濃和男「悟りは迷いに道に咲く花である」 です。

『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社_まとめて

令和元年、はじめての読書です。 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社 ◇ 「司馬流 “日本甲冑小史”」 ◇  司馬遼太郎「歴史を二度転回させた風雲の海 壇ノ浦」 ◇  司馬遼太郎「鎌倉武士興亡のみち 三浦半島」 ◇  司馬遼太郎「大蒙古を撃退したささやかな “鉄壁” 元寇防塁」 ◇  司馬遼太郎「ふとんを敷きつめたような苔の寺 平泉寺(白山神社)」 ◇  司馬遼太郎「島原ノ乱の地は、なぜか美しく」 ◇  「司馬遼太郎の博覧、古書店主の強記」

司馬遼太郎「ふとんを敷きつめたような苔の寺 平泉寺(白山神社)」

令和元年、はじめての読書です。 「ふとんを敷きつめたような苔の寺 平泉寺(白山神社)[福井県勝山市]」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社 さらにのぼると、林が広くなった。足もとは木ノ根と苔ばかりである。さらには、木洩れ日が一面の苔緑(こけみどり)をまだらに黄色く染めて、ぜんたいの色調が唐三彩のようでもあった。  平泉寺の菩提林はうつくしい。境内へとつづく参道をつつみこむようにして、自然に群生した二百数十本の老杉が、姿のいい梯形(ていけい)をなしている。   おそらくこの森が見えるかぎりの地域の村や町のひとびとにとって、ふるさとの象徴のような存在であろう。……が、菩提林の美しさには、聖と俗の痛烈なたたかいがあり、その内容も複雑であった。 (「越前の諸道」『街道をゆく 十八』以下同)  平泉寺(明治以降白山神社)は、白山信仰で名高い霊峰白山を開いた八世紀の僧・泰澄の創建といい、越前側から白山へ登る入り口(白山馬場)にあたる。   中世、平泉寺は悪僧の巣窟でもあった。  ……  「平泉寺にゆけば食える」  というので、諸国から浮浪のひとびとがあつまって僧になったであろう。  叡山という〈政治的・経済的方面での大ボス〉の傘下にあったために、貴族たちから寄進された所領が多く、寺は富んでいた。だが、寺領の防衛や管理をおもにする僧たちの本質は 〈寺院の暴力装置をささえるひとびと〉だったという。  当時の平泉寺は僧兵八千といわれ、つねに北陸路の武力騒動の一中心だった。そのころ山中に一大宗教都市が現出し、社(やしろ)や堂、院坊をあわせると、その建物の数は、三千とも八千ともいわれた。……。  平泉寺の法師どもにとって、その領内の農民とは、救うべき存在ではなく、搾りあげるべき奴隷であり、かつ不浄の者たちであった。上代の律令社会そのままに、農民を、奴(やっこ)としてあつかい、夫役(ぶやく)と称して、無報酬の労働にこきつかった。   〈魔物〉のような衆徒の非道にたい して、天正二年(一五七四)、農民たちは怒りを爆発させた。加賀で起こった一向一揆が、越前にも飛び火したのである。  二ヶ月にわたり、一揆方と僧兵とははげしい戦いをくりひろげた。そしてある夜、農民たちは決死隊七百人を...

司馬遼太郎「大蒙古を撃退したささやかな “鉄壁” 元寇防塁」

令和元年、はじめての読書です。 「大蒙古を撃退したささやかな “鉄壁” 元寇防塁  [福岡県博多市]」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社  元軍は城楼のような大船九百隻でもって博多湾をうずめている。上陸軍は二万人であった。迎え討った九州の武士たちは、せいぜい一万騎足らずであったであろう。 (「蒙古塚・唐津」『街道をゆく 十一』)  この第一次蒙古襲来が、どうやら破滅的事態にならずに済んだのは、元軍の指揮官たちが内部対立の末に撤退を決め、帰国途上の艦隊が台風に襲われたお陰である。元軍の圧倒的な軍事力に衝撃を受けた鎌倉幕府はその後、二度目の来寇に備え博多湾岸の二十キロメートルにわたり石塁を築造。元弘防塁である。 (中略)  郷土史家の説明を受け、石塁を眺めながら、司馬さんはこうつぶやく。  たかが二メートルの変哲もない石塁を築いて世界帝国の侵略軍を防ごうとしたのはまことに質朴というほかない。 (中略)  今津あたりは、流れついた元兵の水死体で浜がうずまったという。……もし蒙古塚とすれば、北アジアの草原にうまれた青年も、朝鮮半島や、湖沼の多い 江南の野からモンゴル人に強制されてやってきたひとびとの骨もむなしくそこにうずまっているにちがいない。    この〈たったひとりのフビライの意志と権力によって強行された〉二度にわたる日本侵略の企ては、結局、日漢朝蒙の四民族に合計十万からの死者を出し、誰にも何の益ももたらすことのないまま、終わったのである。(30-31頁)

司馬遼太郎「鎌倉武士興亡のみち 三浦半島」

令和元年、はじめての読書です。 「鎌倉武士興亡のみち 三浦半島  [神奈川県]」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社  鎌倉幕府の時代は、血なまぐさい。  武士という、京から見れば “奴婢(ぬひ) ”  のような階層の者が、思いもよらずに政権を得た。馴れぬこの政権に興奮し、結局は、他を排するために、つねに武力を用いた。   幕府樹立後、北条氏と権勢を二分した三浦氏は、頼朝の死後、北条氏の策謀によって徹底的に討滅される。三浦氏は当時の関東武士団の例にもれず、〈倫理に代わるべき廉恥という感覚を濃厚にもち、その生死はいかにもあざやかだった〉。北条氏との激しい戦いを繰り広げた末、負けを覚悟すると、一族で頼朝の墓所法華堂に集まった。    法華堂にあつまったのは……あわせて五百人だった。  ……堂内の正面に頼朝の画像をかけ、べつに騒ぐことがなく、追憶談なども出て、おだやかだったという。時がきて五百余人がいっせいに腹を切った。  それから八十六年後の元弘三年(一三三三)、新田義貞によって、鎌倉幕府は攻め滅ぼされる。ときの執権、北条時高は人望がなかった。それでも鎌倉方は奮戦した。ついに高時が葛西ヶ谷の東勝寺に籠もり、自害したとき、高時に従って、切腹した者は八七O人ほどだったという。 (中略)  昭和二十八年に行なわれた東大の発掘調査で、このときの戦死者と思われる骨が材木座からみつかった。わずか六十坪の土地から九一O体の骨が発掘されたという。  鎌倉で語るべきものの第一は、武士たちの節義というものだろう。ついでかれらの死についてのいさぎよさといっていい。こればかりは、古今東西の歴史のなかできわだっている。  が、それらは、博物館で見ることはできず、雨後、山道でも歩いて、碁石よりも小さなセピア色の細片でもみつけて感慨を持つ以外にない。 (49-52頁)

司馬遼太郎「歴史を二度転回させた風雲の海 壇ノ浦」

令和元年、はじめての読書です。 「歴史を二度転回させた風雲の海 壇ノ浦 [山口県下関市]」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社 このドラマティックな景観を持つ海は、日本史を劇的に転回させる大きな出来事の舞台となった。しかも二度も、である。  まずはいうまでもなく源平最後の合戦、壇ノ浦の戦。文治元年(一一八五)三月二十四日の夕刻、平家軍は、潮流を巧みに利用した源義経の作戦に敗れ、一門のほとんどは戦史・海没し滅亡する。この勝利によって関東武士団の覇権が確立し、中世の幕が上がった。壇ノ浦の海に面して建つ赤間神宮は、この戦いの際わずか八歳で亡くなった安徳天皇を祀り、境内には平家一門の墓と称する小さな石の墓標が並んでいる。  いまの赤間宮の建物や楼門(水天門)は以前にはなかった。昭和三十三年につくられた。「浪の下にも都のさぶらふぞ」と二位尼(補注・平清盛の妻。安徳帝の祖母)が幼年の帝をなだめてともどもにしずんだことから、設計者は少年の霊をあざむくまいと思い、その宮を竜宮造りにしたのにちがいない。こういう優しさというのはわるくはない。(「長州路」『街道をゆく 一』)(18-19頁)

「司馬流 “日本甲冑小史”」

令和元年、はじめての読書です。 「司馬流 “日本甲冑小史”」 芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社  平安時代の兜や鎧は、それまで(公地公民時代)のものとはまったく形態・色彩を異にし、かつ個々にも異をきそうようになった。単なる防禦用の目的を越えて華麗であったのは、懸命な “私” の表現だったからである。  かれらは戦場でいちいち名乗りをあげるようになったのだが、それは自分は他とちがうということでの叫びであった。  なにがちがうかといえば潔(いさぎよ)さがちがっていた。  所領への私的執着という泥くさいものを、潔さという気体のような倫理に転換させた。日本的倫理のふしぎさといっていい。  さらにその潔さを、甲冑の華やぎという造形的表現にも転換しているのである。執着をおさえこんでの名誉希求(潔さ)が、さらに変化して、甲冑でもっておのれの優美さを表現しようをしたのである。  猛(たけ)くはあるがこれほどわしは美しいぞ、ということの自己表現であった。  潔さの究極の表現が、戦場での死だった。華麗な甲冑は、自分の死を飾るものでもあった。(エッセイ「甲冑」以下同)(61-62頁)

TWEET「令和によせて」

 あらためて、「陸沈」です。 小林秀雄の随筆で知りました。「落語によく出てくる横町のご隠居」というほどの意味です。水に沈むのはやさしいことですが、水なき陸に沈むのはむつかしいことです。  平成の置き土産としてカヤックを注文したいま、水没するわけにはいかず、「陸沈」です。  昭和は遠くなりにけり、の感を抱いています。

「Dr.T様_平成の置き土産」

「 ボイジャー 415 」 を注文しました。パドル等 多少変更しましたが、カヤックと浮力体 以外は、いま手元にあります。平成の置き土産です。店員さんの言うがまま、というのは有り難くもあり、怖くもあります 。 FROM HONDA WITH LOVE. 以下、 TWEET「ただそれしきのこと」 です。

TWEET「平成を送る」

白洲正子『近江山河抄』講談社文芸文庫 ◇「近江路」 ◇「伊吹の荒ぶる神」 ◇ 前登志夫「人と作品  古国への相聞」 司馬遼太郎 対話選集 2 『日本語の本質』文春文庫 ◇「中世歌謡の世界」  大岡信 ◇「日本文化史の謎」   丸谷才一 ◇「 “人工日本語”の功罪」 桑原武夫 ◇「言葉の共同作業を尊ぶ心 解説・解題」  関川夏央 司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』(とんぼの本)新潮社 ◇ 「司馬遼太郎の近江散歩抄」 辰野勇『カヌー&カヤック入門 』山と溪谷社 ◆ 数日来  乱脈な読書に耽っている。乱雑ながらも、改元にともなう一連の宮中祭祀 を静粛な心もちでうけとめたい、と思っている。

TWEET「ただそれしきのこと」

 辰野勇『カヌー&カヤック入門 』山と溪谷社 が五日前に届き、 昨夕「モンベル 豊橋店」さんにカヤックを見にうかがいました。「モンベル ららぽーと名古屋みなとアクルス店」から応援に来られていた Kさんの懇切丁寧なご説明、また助言をお聞きし、疑問も晴れ、すべてを決めました。 ◆「 ボイジャー 415 」 軽快な運動性と、中~長期のキャンプ・ツーリングにも対応できる十分な積載能力を併せ持つ本格的な1人乗りツーリングカヤック。独自のデザインと高剛性のフレームにより、大量の荷物を積んでも軽快に漕げます。コックピットのコーミングは、分割式のハードタイプ(FRP製)を採用。スプレーカバーの装着も簡単・強固で、高い防水性能を誇ります。 ◆「 フローテーションバッグM フロント用 」 フロント(バウ)用の浮力体です。荷物を積んでいないときは、艇の空きスペースに入れておくと安全です。 ◆「 フローテーションバッグLL リア用 」 スターン(リア)用の浮力体です。荷物を積んでいないときは、艇の空きスペースに入れておくと安全です。 ◆ 「 アドベンチャーカモフラージュTAP 」 カモフラージュカラーの非対称ブレードを持つ、初心者にも扱いやすい、レクリエーショナルや1デイ・ツーリングに適したパドルです。 ◆ 「 パドルシャフトフロート 」 パドルシャフトの中央に装着して、水面上に放されたパドルに浮力を持たせるためのパッドです。カヤックを担ぐ際には、肩に当たるコックピットのコーミングにこのフロートを噛ませることによって肩への負担を軽減することができます。 ◆ 「 アングラー 」 運動性と機能性を兼ね備えた、カヤックフィッシングに最適なベストです。パドリング時の肩の動きを妨げないようにデザインされたアームホールは、キャスティングのしやすさにも貢献。浮力を落とすことなく背面フォーム下部をメッシュ地にすることで、背もたれの付いたシートとも干渉しにくくなっています。さらに、ピンオンリールが取り付けられるループやプライヤーホルダーを備えながらも、表面を引っ掛かりの少ないデザインに仕上げ、落水時の再上艇のしやすさにも配慮しています。 ◆ 「 ビルジポンプ 」 握りやすく滑りにくいグリップを採用し、上下両方のストロークで効率的に排水ができます。 琵琶湖の水面...

TWEET「昨日の P教授」

「勝者敗因を秘め、敗者勝因を蔵す」 また、 「時熟という彫琢」 以上、「昨日の P教授」でした。

TWEET「彫琢の人」

 今野真二『北原白秋 言葉の魔術師』岩波新書 「あわせて白秋は、推敲の人、彫啄(ちょうたく)の人でもあった。一つの言語化に満足することなく、何度でも推敲を重ね、そしてそれは長期間にわたった。」(「はじめに」ⅲ頁)  「推敲の人」,「彫琢の人」にして、 ◇『白秋全集 全巻39冊+別巻の全40巻』  岩波書店 とは、ただ瞠目するばかりです。 以下、 「北原白秋_言葉の音楽的生動」 です。

「拝復 P教授様_GW に事よせて」

世間に背を向けて、執筆活動がいいですね。 世間からそっぽを向かれて孤立無援、もなかなかのものですよ!! お便り、どうもありがとうございました。 すてきな GW をお過ごし来ださい。 FROM HONDA WITH LOVE.

白洲正子「山方の名人は」

「穴大(あのう)衆の石積 - 粟田万喜三」 白洲正子『日本のたくみ』新潮文庫  前に長命寺(ちょうめいじ)で、四畳敷ほどもある大きな石が山から落ちた時、沖の島(長命寺の北にある孤島)から来た六十歳くらいの山方がいて、石を見わけることにかけては名人であった。そのままでは動かせないので、割ることになったが、彼は何日も黙って石を見ているだけで、仕事にかからない。石には必ず目があって、その目にそって切らないと、道具をはねつけてしまう。それ程この大きな石の目は複雑だったのであろう。山方が見つづけていたのは、石に問いかけていたので、答えを得ると、割ることはたやすい。だから上手な人の玄能は、(よく割れるので)いつまでもへらないが、下手が使うと忽(たちま)ち駄目になる。むつかしいのはあくまでも石を見わける眼であって、今は機械を使うから、実際の仕事の方は二の次だといった。(34-35頁) 「たくみ」と呼ばれるほどの人の話はおもしろく、参考になる。名人は手を汚さない、ということか。

白洲正子「近江は日本の楽屋裏」

「笠置寺」 白洲正子,牧山桂子 ほか『白洲正子と歩く京都』(とんぼの本)新潮社 石があったから石仏を造った。 それでは少しも答えにはなるまい。 そこには仏教以前からの 石の信仰があり、 仏教と結びつくことによって 花開いたのであろう。 現に笠置の磨崖仏などは、 明らかに巨石信仰の形を遺しており、 道のべの石地蔵も、仏というより さいの神のような姿をしている。 (『道』「春日(はるひ)の春日(かすが)の国」)(53頁) 「石塔寺」 「司馬遼太郎の近江散歩抄」 司馬遼太郎,白洲正子,水上勉 他『近江路散歩』(とんぼの本)新潮社 「石塔寺にゆけば、近江がわかる」  というのが、「上代以来、近江に住んでいる」という草津在の友人我孫子(あびこ)元治氏の説であった。どうわかるのか、このながい石段をのぼりつめてみねばわからない。途中で、なんどか息がきれた。 (中略)  最後の石段をのぼりきったとき、眼前にひろがった風景のあやしさについては、私は生涯わすれることができないだろう。  頂上は、三百坪ほどの平坦地である。まわりにも松がはえている。その中央に基座をおいてぬっと立っている巨石の構造物は、三重の塔であるとはいえ、塔などというものではなく、朝鮮人そのものの抽象化された姿がそこに立っているようである。朝鮮風のカンムリをかぶり、面長扁平(へんぺい)の相貌を天に曝(さら)しつつ白い麻の上衣を着、白い麻の朝鮮袴をはいた背の高い五十男が、凝然としてこの異国の丘に立っているようである。 「なんのためにこんな山の上にこんな塔があるのだろう」  と、同行のたれかが気味わるそうにつぶやいたが、これはこの方面のどういう専門家にも答えられぬことであった。巨石の積みあげによる構造上の技法は、あきらかに古代朝鮮のものだそうである。  ーーこの近所の帰化人がやったことです。  と、たまたま頂上にのぼってきたこの寺の坊さんがいった。この丘の付近は、八日市にしろ日野にしろ、上代帰化人の大集落のあったところである。かれらが、故郷をなつかしむあまり、この山の上にこのような巨石をひきあげ(どういう工夫でひきあげたか、謎である)、それをどういう技法かで積みあげ、いかにも擬人的な石塔を組みあげて半島をしのぶよすがにしたのであろう。 ...

池上彰,佐藤優「新テストを前向きに評価する、稀有な人間」

前略 P教授様  昨日 Amazon より届いた、 ◇ 池上彰,佐藤優『教育激変 ー  2020年 大学入試と学習指導要領大改革のゆくえ』 中公新書ラクレ を、つい今しがた読み終えました。教育界の一隅に位置する者として、との思いから求めたものです。途中で、デニーズに場所を移しました。日がな一日、ひとり部屋に閉じこもっていると、やり切れなくなる時間帯があります。  まんざらでもなく、血気盛んなお二人のこととて、当書でも精力的ですが、勢いあまって、牽強付会といった箇所も散見されました。 池上  私たちは、この世界にいて新テストを前向きに評価する、稀有な人間だと自覚しています。(笑)(209頁)  教職に就かれている方たちには、ぜひ一読をお薦めいたします。見晴らしがよくなります。二時間ほどの読書です。   草々  

TWEET「茫洋茫洋」

 「ボーヨー、ボーヨー。前途茫洋」とは真理であり、「自信がある」と言い、「自信がない」と言うも、「自信などという」つまらないものは、いつも「ケチ臭い」。中原中也の口をついて出ることばと小林秀雄の呼応は、そのままに一編の詩である。  心身は一如であり、処することのできない「悲しみ」を内奥に宿し、「悲しみ」に絡めとられるままに生涯をおくった、「生まれ乍らの詩人」の「肉体」は、虚弱だったことは想像に難くない。心のままに、あまりにも無防備だった中原中也の「肉体」は、さまざまな病態を呈したことだろう。「汚れつちまつた悲しみ」を映した「肉体」を、目のあたりにすることは「辛い」ことだった。天与の才は、先天的な体質と道連れだったことを思うと複雑である。 以下、 中原中也「ああ、ボーヨー、ボーヨー」 です。