司馬遼太郎「歴史を二度転回させた風雲の海 壇ノ浦」

令和元年、はじめての読書です。
「歴史を二度転回させた風雲の海 壇ノ浦 [山口県下関市]」
芸術新潮編集部 [編]『司馬遼太郎が愛した「風景」』(とんぼの本)新潮社
このドラマティックな景観を持つ海は、日本史を劇的に転回させる大きな出来事の舞台となった。しかも二度も、である。
 まずはいうまでもなく源平最後の合戦、壇ノ浦の戦。文治元年(一一八五)三月二十四日の夕刻、平家軍は、潮流を巧みに利用した源義経の作戦に敗れ、一門のほとんどは戦史・海没し滅亡する。この勝利によって関東武士団の覇権が確立し、中世の幕が上がった。壇ノ浦の海に面して建つ赤間神宮は、この戦いの際わずか八歳で亡くなった安徳天皇を祀り、境内には平家一門の墓と称する小さな石の墓標が並んでいる。

 いまの赤間宮の建物や楼門(水天門)は以前にはなかった。昭和三十三年につくられた。「浪の下にも都のさぶらふぞ」と二位尼(補注・平清盛の妻。安徳帝の祖母)が幼年の帝をなだめてともどもにしずんだことから、設計者は少年の霊をあざむくまいと思い、その宮を竜宮造りにしたのにちがいない。こういう優しさというのはわるくはない。(「長州路」『街道をゆく 一』)(18-19頁)